2009年12月24日木曜日
[Google] "Don't be evil" ってのはタテマエであって
裏を返せば「俺たちゃいつでも邪悪になれるんだぜ hehehe」というわけでして、正直言って、 openness という仮面を過大評価しすぎだと思いますがね。いざとなりゃ中共とも手を結ぶ奴らでっせw
2009年12月21日月曜日
[メモ] 教育・読書・習気・半分
松岡正剛先生が岡潔『春宵十話』を千夜千冊している中で、岡潔の考えとして
この方法は半分正しいが、残り半分は「習気(ドグマ)に安住する」という害毒をもたらすことになる。梅園はこの習気の害毒という半面に特に注目し、それを排することが重要であると自らの自然哲学を通じて述べている。「一、一即一」の思想を追求した梅園が習気の害毒と言う半面だけをことさら取り上げ、残りの半分についてあまり言及しなかったのは不思議なところではあるが、その理由は、やはり当時も今と同様「オトナ」がのさばる一面的教育が世界を覆っており、そんな世界の風通しを良くするには、ある種のポジショントークが必要だったからなのだと思う。
それでは、習気の残りの半分はどうなのかと言うと、いきなり具体例で恐縮なのだが「寺山修司言うところの『書を捨てよ』は、実は、『書に即け。爾後、書を捨てよ』というコンテキストで捉えないと滅茶苦茶になる」といった主旨になるかと思われる。習気を去るならば、まず習気に首まで浸かってみろ、ということであり、個性を開花させたかったら、いったん型にとことんはまってみろ、ということだ。型に納まり切れなくてはみ出した部分、それこそが個性であり「その人の持ち味」なのだ。
読書や教育というもの(というか、もしかすると、全てのもの)は、そもそも、効能と害毒を併せ呑む覚悟で臨まねばならぬものだ。これを忘れたとき、読書や教育というものは単なるビジネスとなる。そしてこのビジネスにおいて業即是業の原則が忘れられている場合は、もはや最悪である。
日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。という一節を示している。この一節を目にして、私は、梅園談とされる『洞仙先生口授』の
自分がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。そして、自分に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。
一、天地を知らんとならば、先(まず)天もなく日月山河もなく、人に聞きたることもなく、見たる事もなく、まして書物は猶読みたることもなき身が、ひよつとそこに出で来て、扨(さて)、かわつた物の見ゆる物があるぞ、きこゆる物があるぞ、なにやら思ふ物があるぞと、はて、あじな物が出(いで)来て、先(まず)、是がをれ(俺)と云物なるべしと思ふ場より、物ごとを知りたり思ふたりするくらひになりて、それから工夫を下すべし。という一節を思い出した。「知」について自力で最初の一歩を踏み出せるようになるまでは、周りがおかしな干渉をすべきではないという主旨が共通している。今でもやはりそうなのだが、所謂「習気」に自分をどっぷりと浸けることが、昔から教育の肝要とされてきた。それが「大人になる」ということなのだと看做されてきた。
この方法は半分正しいが、残り半分は「習気(ドグマ)に安住する」という害毒をもたらすことになる。梅園はこの習気の害毒という半面に特に注目し、それを排することが重要であると自らの自然哲学を通じて述べている。「一、一即一」の思想を追求した梅園が習気の害毒と言う半面だけをことさら取り上げ、残りの半分についてあまり言及しなかったのは不思議なところではあるが、その理由は、やはり当時も今と同様「オトナ」がのさばる一面的教育が世界を覆っており、そんな世界の風通しを良くするには、ある種のポジショントークが必要だったからなのだと思う。
それでは、習気の残りの半分はどうなのかと言うと、いきなり具体例で恐縮なのだが「寺山修司言うところの『書を捨てよ』は、実は、『書に即け。爾後、書を捨てよ』というコンテキストで捉えないと滅茶苦茶になる」といった主旨になるかと思われる。習気を去るならば、まず習気に首まで浸かってみろ、ということであり、個性を開花させたかったら、いったん型にとことんはまってみろ、ということだ。型に納まり切れなくてはみ出した部分、それこそが個性であり「その人の持ち味」なのだ。
読書や教育というもの(というか、もしかすると、全てのもの)は、そもそも、効能と害毒を併せ呑む覚悟で臨まねばならぬものだ。これを忘れたとき、読書や教育というものは単なるビジネスとなる。そしてこのビジネスにおいて業即是業の原則が忘れられている場合は、もはや最悪である。
2009年12月19日土曜日
[三浦梅園] ぴちぴち
しからば、神、その状、いかがぞといへば、唯活潑々地、俗にいはゆるぴちぴちなり。条理の道、次第に天地を剖析し、剖所にしたがひて其反態も変化を尽し、然して物の分るる処、各々一神物を成立すれば、其なりの出来様と其ぴちつきのし様とは千態万貌、異なれども、火は火の体をなして火のぴちつきをなし、水は水の体をなして水のぴちつきをなし、魚鳥、魚鳥の体にして魚鳥にぴちつき、天地、天地の体をなして天地にぴちつく。其ぴちぴちをさして鬱渤(* 渤は代字)といふ事にして、混淪は則物立ちて見(あら)はるる貌なり。『玄語』入門篇として知られるこの書簡、三浦梅園先生のお茶目っぷりに多賀墨卿も萌え狂ったのではなかろうか。「習気(じっけ)を排せ」「反観合一」といった鹿爪らしい御教示も良いけれど、「ぴちぴち」の一語で森羅万象を説き尽くしたこの一節はまさに白眉である。
三浦梅園『多賀墨卿君にこたふる書』より
[37signals] 具体例がプレゼンを作り上げる
(原文: Examples make the presentation)
ここ数年で私が知ったのは、講演や研修会では具体例を話し始めるとみんなのアンテナがピンと立つということだ。出来るだけ前置きを省略して単刀直入に具体例の話に入ると言うのが私の個人的目標になっているのだが、その理由は、そうすることでムードががらっと変わるからなのだ。具体例をおざなりにすると言うのは「出し惜しみ」というものだ。たしかに諸君の言いたいことを学説然とした形で話すことは可能だが、その学説を確かなものとして人々に印象づけるよう諸君を促してくれるのが具体例というものなのだ。具体例は諸君の言っていることが正しいかどうかを聴衆に見極めさせる。なにより良いのは、具体例と言うものが抽象的概念から混乱と色彩に満ちた現実世界へと視点を切り替えてくれる点にある。
カントの『美的判断力批判』(訳注: 『判断力批判』第一部)をアメコミの画像だけで説明しているこのワールウィンド・トーク(訳注: ワールウィンドつまり旋風のようにしゃべりまくるトーク形式)を目にした際、私は具体例の持つ力というものについて考え込まずにはいられなかった。
カントをこんなにも面白く語れるなんて思いもしなかっただろ?
(ネタ元: Schmüdde)
ここ数年で私が知ったのは、講演や研修会では具体例を話し始めるとみんなのアンテナがピンと立つということだ。出来るだけ前置きを省略して単刀直入に具体例の話に入ると言うのが私の個人的目標になっているのだが、その理由は、そうすることでムードががらっと変わるからなのだ。具体例をおざなりにすると言うのは「出し惜しみ」というものだ。たしかに諸君の言いたいことを学説然とした形で話すことは可能だが、その学説を確かなものとして人々に印象づけるよう諸君を促してくれるのが具体例というものなのだ。具体例は諸君の言っていることが正しいかどうかを聴衆に見極めさせる。なにより良いのは、具体例と言うものが抽象的概念から混乱と色彩に満ちた現実世界へと視点を切り替えてくれる点にある。
カントの『美的判断力批判』(訳注: 『判断力批判』第一部)をアメコミの画像だけで説明しているこのワールウィンド・トーク(訳注: ワールウィンドつまり旋風のようにしゃべりまくるトーク形式)を目にした際、私は具体例の持つ力というものについて考え込まずにはいられなかった。
カントをこんなにも面白く語れるなんて思いもしなかっただろ?
(ネタ元: Schmüdde)
2009年12月18日金曜日
[Dion Almaer] クローム拡張機能とwebOSアプリはすごく似ている
(原文: Chrome Extensions and webOS Applications look quite similar)
ブラウザ拡張機能の仕組みとモバイルアプリのランタイムライブラリの相似性というのは一見奇妙に思えるかも知れないが、良く見ると実は上位層において以下のような多くの共通点がある
サンドボックスからの脱獄
両者ともにブラウザのサンドボックス型実行環境という壁を打ち破る必要がある。拡張機能(訳注: Firefox拡張機能のこと?)はこういった制約をもともと受けないし、クローム拡張機能においても(訳注: タブ毎のサンドボックスという制約があるクローム拡張機能においても)ブラウザのUI構成要素に関する各種APIにより、より広範なアクセスが実現されている。
webOSにおいても全く同様な問題がある。ネイティブアプリを構築する場合はこういった制約が無いのだが、Webアプリでは制約を受けることになるので新たにAPI・UIウィジェット・サービスAPIが追加された。
この問題はwebOS・クローム拡張機能という2つの世界を越えて存在するものであり、近い将来、Webアプリ向ランタイムライブラリが受難することになる最も大きな試練のうちの一つである。私は、ランタイムライブラリでより多くのことが出来るようになり、データアクセスに関しても、サードパーティが運営しているサーバが提供するサービスを通じたデータアクセスだけではなくローカルマシンでも可能になってほしいと期待している。こういった願望は、以下に述べるような問題へと我々を誘う…
パーミッション
Webはパーミッション指定によるアクセス制御モデルになっている。サンドボックス環境では実行権限が制限されているし、世間の人々は何かと言うとすぐに(最重要課題である)セキュリティ云々について言及するけれど、もしWeb経由では実行不可能なことなどが生じてきたら、そんなセキュリティのことなんて忘れてしまう。exeファイルをローカルPCにダウンロードし、それが一体何をしでかすかを全く知りもせずに、ほいほい実行してしまうと言うのは良くある話だ。
Vistaの二の舞にならず、かつ、おバカさんなユーザを上手く導けるような実行モデルを作り出すと言うのは、我々にとって大いなるチャレンジだ。ユーザに対して今何が起こっているのかを確認させる一方で、馬鹿の一つ覚えのようにユーザに確認をとるのは避けたいという要望もバランスよく取り入れる必要がある。少なくともパワーユーザにとっては、何が行われているかを表示する方が良いと私は思う。たとえアプリケーションに対してより大きな実行権限を与えている場合であっても、いつ何が行われているかを見ることが出来れば色々と助かるだろうから。もちろんAPIレベルでアクセス制限が行われていれば言う事なしだ。社会的信用にかかわる部分を切り分けて、技術的に実現したセキュリティの上に配置させるような段階まで進んだ場合においては特にそうだ。Mozillaチームはまさにこのことについて多く言及しており、私はより多くのアイディアと実装が彼らから出てくるのを心待ちにしている。
(こちらの例ではChromeにおけるクロスサイトXMLHttpRequestのパーミッションをどうやって設定するかを見ることが出来る)
アプリケーションバンドル情報
パーミッション情報およびその他のメタデータがどこかに保持されている必要がある。webOSの場合、アプリケーションに関して宣言した情報が入っているappinfo.jsonというファイルがある。Chromeではmanifesto.jsonがそうだ。
Webでは本来こういったものは存在しない。URLを入力してそこを起点とするだけだ。たしかにHTML5のマニフェストではキャッシュその他のスコープ(訳注: 適用範囲のこと。HTML5では何をどこにキャッシュするかをマニフェストで指定出来る)をブラウザに通知するが、それ以上のことはしない。webOSアプリとクローム拡張機能ではより多くのことをシステムに通知出来る。id・バージョン情報・アップデート情報の所在・アイコン・main関数の有無なんかがそうだ。
顔の無いニワトリ
諸君は顔の無いWebアプリ(訳注: UIを持たないWebアプリ)というものを思いうかべることはあまり無いだろう。一方、顔の無いwebOSアプリやクローム拡張機能というのは思い当たるところがあるだろう。UIを持たないサービスが諸君のPC上で今いくつ実行されているかご存知? webOSではnoWindowフラグ付きで実行することが可能だが、そういったウィンドウを持たない各種サービスが提供する価値ある情報を、リッチでバリエーションに富んだ通知用UIを通じてユーザに提供することが可能である。バックグラウンド実行型アプリケーションが上手くサポートされているのだ。
クローム拡張機能ではバックグラウンドページという概念により、長い実行ライフサイクルを持つタイプのアプリケーションを管理している。バックグランドページは以下に示すようなシングルトン(訳注: デザインパターンでお馴染み)になっている
道のりは続く
この2つの世界やその他の世界(Jetpackとか)を見れば見るほど、これらがひとつに統合されてほしいと願う気持ちがつのる。要求される事は似通っているし、クローム拡張機能の側からクロームOSを眺めてみれば、進む道さえ間違えなければまだまだ前進の余地があるのだということが理解出来るだろう。
訳者コメント:INIT/cdev時代を知る人にとっては「拡張」機能じゃなくて機能「拡張」のほうが馴染み深いと思うんですが、どうなんでしょう? ググったところでは
ちらっと見ただけでわかるけど、クローム拡張機能とwebOSアプリはすごく似ているwebOS(訳注: Palmのモバイル向けOS)アプリとクローム拡張機能を書いてみてわかったんだが、そのそっくりさ加減と、書こうと思えばそっくりに書けるんだと言う事実に衝撃を受けた。
― 賢明なる友人談
ブラウザ拡張機能の仕組みとモバイルアプリのランタイムライブラリの相似性というのは一見奇妙に思えるかも知れないが、良く見ると実は上位層において以下のような多くの共通点がある
サンドボックスからの脱獄
両者ともにブラウザのサンドボックス型実行環境という壁を打ち破る必要がある。拡張機能(訳注: Firefox拡張機能のこと?)はこういった制約をもともと受けないし、クローム拡張機能においても(訳注: タブ毎のサンドボックスという制約があるクローム拡張機能においても)ブラウザのUI構成要素に関する各種APIにより、より広範なアクセスが実現されている。
webOSにおいても全く同様な問題がある。ネイティブアプリを構築する場合はこういった制約が無いのだが、Webアプリでは制約を受けることになるので新たにAPI・UIウィジェット・サービスAPIが追加された。
この問題はwebOS・クローム拡張機能という2つの世界を越えて存在するものであり、近い将来、Webアプリ向ランタイムライブラリが受難することになる最も大きな試練のうちの一つである。私は、ランタイムライブラリでより多くのことが出来るようになり、データアクセスに関しても、サードパーティが運営しているサーバが提供するサービスを通じたデータアクセスだけではなくローカルマシンでも可能になってほしいと期待している。こういった願望は、以下に述べるような問題へと我々を誘う…
パーミッション
Webはパーミッション指定によるアクセス制御モデルになっている。サンドボックス環境では実行権限が制限されているし、世間の人々は何かと言うとすぐに(最重要課題である)セキュリティ云々について言及するけれど、もしWeb経由では実行不可能なことなどが生じてきたら、そんなセキュリティのことなんて忘れてしまう。exeファイルをローカルPCにダウンロードし、それが一体何をしでかすかを全く知りもせずに、ほいほい実行してしまうと言うのは良くある話だ。
Vistaの二の舞にならず、かつ、おバカさんなユーザを上手く導けるような実行モデルを作り出すと言うのは、我々にとって大いなるチャレンジだ。ユーザに対して今何が起こっているのかを確認させる一方で、馬鹿の一つ覚えのようにユーザに確認をとるのは避けたいという要望もバランスよく取り入れる必要がある。少なくともパワーユーザにとっては、何が行われているかを表示する方が良いと私は思う。たとえアプリケーションに対してより大きな実行権限を与えている場合であっても、いつ何が行われているかを見ることが出来れば色々と助かるだろうから。もちろんAPIレベルでアクセス制限が行われていれば言う事なしだ。社会的信用にかかわる部分を切り分けて、技術的に実現したセキュリティの上に配置させるような段階まで進んだ場合においては特にそうだ。Mozillaチームはまさにこのことについて多く言及しており、私はより多くのアイディアと実装が彼らから出てくるのを心待ちにしている。
(こちらの例ではChromeにおけるクロスサイトXMLHttpRequestのパーミッションをどうやって設定するかを見ることが出来る)
アプリケーションバンドル情報
パーミッション情報およびその他のメタデータがどこかに保持されている必要がある。webOSの場合、アプリケーションに関して宣言した情報が入っているappinfo.jsonというファイルがある。Chromeではmanifesto.jsonがそうだ。
Webでは本来こういったものは存在しない。URLを入力してそこを起点とするだけだ。たしかにHTML5のマニフェストではキャッシュその他のスコープ(訳注: 適用範囲のこと。HTML5では何をどこにキャッシュするかをマニフェストで指定出来る)をブラウザに通知するが、それ以上のことはしない。webOSアプリとクローム拡張機能ではより多くのことをシステムに通知出来る。id・バージョン情報・アップデート情報の所在・アイコン・main関数の有無なんかがそうだ。
顔の無いニワトリ
諸君は顔の無いWebアプリ(訳注: UIを持たないWebアプリ)というものを思いうかべることはあまり無いだろう。一方、顔の無いwebOSアプリやクローム拡張機能というのは思い当たるところがあるだろう。UIを持たないサービスが諸君のPC上で今いくつ実行されているかご存知? webOSではnoWindowフラグ付きで実行することが可能だが、そういったウィンドウを持たない各種サービスが提供する価値ある情報を、リッチでバリエーションに富んだ通知用UIを通じてユーザに提供することが可能である。バックグラウンド実行型アプリケーションが上手くサポートされているのだ。
クローム拡張機能ではバックグラウンドページという概念により、長い実行ライフサイクルを持つタイプのアプリケーションを管理している。バックグランドページは以下に示すようなシングルトン(訳注: デザインパターンでお馴染み)になっている
バックグラウンドページを持つクローム拡張機能の典型的なもの、例えばブラウザアクションやページ・オプションページアクションは、ダムビュー(訳注: 口のきけないビュー、すなわちビュー自身は表示機能を持たないということ)の形で実装される。ビューが何らかのステータス通知表示を必要とする場合は、ビューがバックグラウンドページに対してリクエストを発行することでステータスを取得する。バックグラウンドページがステータス変化を感知した場合、バックグラウンドページはビューに対し、ステータス表示を更新するよう要求する。webOSとMojoフレームワークには、シンプルなモデル・ビュー・コントローラ定義だけでなく、アプリケーションのライフサイクルに関する詳細も盛り込まれたリッチなMVCシステムがある。
道のりは続く
この2つの世界やその他の世界(Jetpackとか)を見れば見るほど、これらがひとつに統合されてほしいと願う気持ちがつのる。要求される事は似通っているし、クローム拡張機能の側からクロームOSを眺めてみれば、進む道さえ間違えなければまだまだ前進の余地があるのだということが理解出来るだろう。
訳者コメント:INIT/cdev時代を知る人にとっては「拡張」機能じゃなくて機能「拡張」のほうが馴染み深いと思うんですが、どうなんでしょう? ググったところでは
拡張機能 の検索結果 約 8,200,000 件ということで「拡張」機能が若干優勢。
機能拡張 の検索結果 約 7,700,000 件
ラベル:
Dion Almaer,
programming,
和訳
2009年12月17日木曜日
[37signals] 広い意味での「管理」というもの
(原文: Control in its wider sense)
多くの企業が従業員管理というものを追求している。管理手引書や管理方針といったものを完備し、電子メールを監視し、容認事項と禁止事項に関するルールを作製している。
だが「管理」というものは一筋縄ではいかないものだ。手綱を引き締めれば引き締めるほど、会社に対する不信感を生み出すことになる。「これは俺達と奴等の戦いなのだ」という心理が定着してしまう。この瞬間、管理システムを無駄に弄ぶというゲームが始まることになる。
だからこそ職場管理に携わる人々には、鈴木俊隆師が Zen Mind, Beginner’s Mind(邦題『禅へのいざない』)で以下のように述べていることについて、じっくりと考えてみてほしい。
訳者コメント:自生的秩序というのはこういった背景のもとで生まれるわけです。秩序を求めるならばまずは混沌を、というのは言い過ぎかも知れませんが、世をつらつら見るに、どうみてもこの逆は真ぽいので、結構うまく行くんじゃないでしょうか。こういった混沌と秩序の相補性という観点は、未だに「東洋の智慧」みたいな感じで西洋においては魅力的に映るようです。ちょっと不思議なところではあります。まぁ確かに合理主義の半面がもたらす害毒に、ここ数百年というもの、地上は蝕まれ続けてきたわけで、それは我々日本人にも及んでいるわけで、結局のところ我々日本人にとっても忘れられた智慧になりつつあるわけですがね。
それにしても、大拙師といい俊隆師といい、禅宗のお坊さんはプレゼンが上手いです。マーケットの選択もバッチリですしね。「新鮮味を感じさせる」という観点からすれば東洋より西洋の方がニーズをより多く喚起出来るわけですから。
たしかに宗教と言うマーケットでは昔から「説法即プレゼン」なわけで、釈尊のカリスマ性も、土台としてのプレゼンの上手さがその構成要素のひとつとしてあるようです。説く法の魅力だけでなく、説き方の魅力(方便などのメソッド)や説く人の魅力(イケメンかつ王子様w)もトータルでプレゼンが構成されているというわけですな。
多くの企業が従業員管理というものを追求している。管理手引書や管理方針といったものを完備し、電子メールを監視し、容認事項と禁止事項に関するルールを作製している。
だが「管理」というものは一筋縄ではいかないものだ。手綱を引き締めれば引き締めるほど、会社に対する不信感を生み出すことになる。「これは俺達と奴等の戦いなのだ」という心理が定着してしまう。この瞬間、管理システムを無駄に弄ぶというゲームが始まることになる。
だからこそ職場管理に携わる人々には、鈴木俊隆師が Zen Mind, Beginner’s Mind(邦題『禅へのいざない』)で以下のように述べていることについて、じっくりと考えてみてほしい。
人々を管理するための最善手は、彼らに「管理なんて糞食らえ」という姿勢を奨励することである。こうすることで彼らは広い意味での「管理」下に入ることになる。羊や牛を管理したいならば、広大な牧草地を与えることだ。人とて同じこと。まずは、やりたいようにやらせて様子を見守る。この方針が一番だ。見て見ぬ振りはよろしくない。見て見ぬふりは最悪の方針であるからだ。次いで最悪なのは、彼らを管理しようとすることだ。最善は見守ること。管理しようとするのではなく、ただひたすら見守ることだ。管理手引書にはただ一言「我々は諸君を信頼している。管理なんてイラネ」とあるだけ。そんな状況を思い浮かべてみてほしい。
訳者コメント:自生的秩序というのはこういった背景のもとで生まれるわけです。秩序を求めるならばまずは混沌を、というのは言い過ぎかも知れませんが、世をつらつら見るに、どうみてもこの逆は真ぽいので、結構うまく行くんじゃないでしょうか。こういった混沌と秩序の相補性という観点は、未だに「東洋の智慧」みたいな感じで西洋においては魅力的に映るようです。ちょっと不思議なところではあります。まぁ確かに合理主義の半面がもたらす害毒に、ここ数百年というもの、地上は蝕まれ続けてきたわけで、それは我々日本人にも及んでいるわけで、結局のところ我々日本人にとっても忘れられた智慧になりつつあるわけですがね。
それにしても、大拙師といい俊隆師といい、禅宗のお坊さんはプレゼンが上手いです。マーケットの選択もバッチリですしね。「新鮮味を感じさせる」という観点からすれば東洋より西洋の方がニーズをより多く喚起出来るわけですから。
たしかに宗教と言うマーケットでは昔から「説法即プレゼン」なわけで、釈尊のカリスマ性も、土台としてのプレゼンの上手さがその構成要素のひとつとしてあるようです。説く法の魅力だけでなく、説き方の魅力(方便などのメソッド)や説く人の魅力(イケメンかつ王子様w)もトータルでプレゼンが構成されているというわけですな。
2009年12月16日水曜日
[Programming][メモ] PastryKit
[DARING FIREBALL] PastryKit
[ajaxian] PastryKit: An iPhone Webdev Library from … Apple
ようやく本命登場といったところだが、本件については、見落としてはならない点がひとつある。これは単なる「Objective-CからJavaScriptへ」「NativeアプリからWebアプリへ」という流れではなく「 脱 App Store」の流れでもあるのだ、ということだ。
あまりにも早くレッドオーシャンになってしまったApp Storeに別れを告げるためにApple自身が打ち出した施策、という観点でPastryKitをながめてみると面白い。せっかく掴んだモバイル市場、末長く収益を上げ続けるにはやはりこれが最善手という経営判断が窺える。
[ajaxian] PastryKit: An iPhone Webdev Library from … Apple
ようやく本命登場といったところだが、本件については、見落としてはならない点がひとつある。これは単なる「Objective-CからJavaScriptへ」「NativeアプリからWebアプリへ」という流れではなく「 脱 App Store」の流れでもあるのだ、ということだ。
あまりにも早くレッドオーシャンになってしまったApp Storeに別れを告げるためにApple自身が打ち出した施策、という観点でPastryKitをながめてみると面白い。せっかく掴んだモバイル市場、末長く収益を上げ続けるにはやはりこれが最善手という経営判断が窺える。
ラベル:
Ajaxian,
Apple,
iPhone,
John Gruber,
programming,
メモ
2009年12月15日火曜日
[Geek And Poke] 量り売りな関係
[Geek And Poke] Friending
むこうにも「友達百人出来るかな」的な、人間関係を定量化学レベルにまで抽象化・矮小化して捉えるマヌケがおるということですな。
確かに社会性ってやつは最強のサバイバルツールではあるけど、それだけが異常に発達してしまうというのは、やはり、過剰適応という「Freaksへの道」につながる。自分は異形のものではないということを殊更に顕示した結果、得られたのが異形の烙印とは、何たる皮肉か。
むこうにも「友達百人出来るかな」的な、人間関係を定量化学レベルにまで抽象化・矮小化して捉えるマヌケがおるということですな。
確かに社会性ってやつは最強のサバイバルツールではあるけど、それだけが異常に発達してしまうというのは、やはり、過剰適応という「Freaksへの道」につながる。自分は異形のものではないということを殊更に顕示した結果、得られたのが異形の烙印とは、何たる皮肉か。
ラベル:
GEEK AND POKE,
メモ
2009年12月14日月曜日
[メモ] 牽強付会につき注意
『酉陽雑俎』と言えば「シンデレラ(落窪姫)」や『御伽草子』の「ささやき竹」といった物語の母型として知られているが、その作者である段成式の名前を見ていてふと思ったのである。「段成式→段成弐」なんじゃないかと。つまりダンセイニ卿なんじゃないかと。両者ともに幻想文学における定番的存在だし、名門の出という共通点もある。さては?ということなのだ。
自分でも馬鹿げていると思うが、ネタにはなりそうなのでメモっておく。ざっとググった感じでは、こんなアホなことを堂々と公の場で口にした御仁はいないようで、そりゃそうだよねw
自分でも馬鹿げていると思うが、ネタにはなりそうなのでメモっておく。ざっとググった感じでは、こんなアホなことを堂々と公の場で口にした御仁はいないようで、そりゃそうだよねw
2009年12月13日日曜日
[メモ] だめぽこそは人の人たる所以なれ
[DARING FIREBALL] ‘The Tortoise Lays on Its Back, Its Belly Baking in the Hot Sun, Beating Its Legs Trying to Turn Itself Over, but It Can’t, Not Without Your Help. But You’re Not Helping. Why Is That?’
[DARING FIREBALL] Google Coyly Acknowledges New Android Phones Given to Employees
[DARING FIREBALL] Google Hands Out Unlocked Android 2.1 ‘Google Phones’ to Some Employees
昨日、John GruberがGoogle Phoneをネタに一気に3つも記事を書いている。その中で
この記事自体は「ふーん」程度で済ませて良いのだが、リンクされているWikipedia(E)のReplicantの項にはロイ(Nexus-6)の弟としてのデッカード(Nexus-7)というPaul Sammonの所見なんかもきちんと載っており、好感が持てる。写真で一杯なデッカードの部屋が映し出された段階で、それとなく伏線が張られていたわけだが、最終版でユニコーンのカットが出てくるまではデッカードもまたレプリカントであると言う確証は得られなかった。FAQを見てもわかる通り昔から議論されていた問題ではあるけれど、原作至上主義者からの反論を覚悟の上で「デッカードもレプリカントだ」と "Future Noir: The Making of Blade Runner (1996)"(邦題『メイキング・オブ・ブレードランナー』)で言ってのけたPaul Sammonの卓見は素晴らしい。
ちなみに、Wikipedia(J)のレプリカントの項で紹介されている『撰集抄(松平文庫版)巻五第一五 作人形事・於高野山』は、「反魂」として知られる日本におけるホムンクルスやネクロマンシーの嚆矢であるが、西行が死者の復活方法について源師仲に相談した折に師仲が「四条大納言公任の流を受けて人を作り侍りき」と述べているあたりが実に面白い。藤原公任といえば文人としての側面しか現在では伺い知れないが、実は文人かつマッドサイエンティストであった。道長のもとで政務に当たった公任は、ほぼ同時代にブワイ朝ペルシアの宰相を務めた大錬金術師アヴィケンナ(イブン・シーナ)を彷彿とさせる。
ちなみついでに言えば、最後に出てくる「呉竹の二子は、天老と云ふ鬼の、頻川のほとりにて作出せる賢者とこそ申伝たるなれ」という部分は、実はガンダムSEEDへと繋がってくる。呉竹の二子とはすなわち伯夷・叔斉のことであり、『論語』や『伯夷列伝』に見られるこの二人の「おまいらはちよちゃんですか?」と言いたくなるほどの完璧超人ぶりはそのままコーディネイターのエリートぶりに繋がってくる。黄門様の人生を変えたのはコーディネイターの生き様だったというわけだ。人造人間については丁度いいタイミングでこんなトンデモ的ニュースも流れてきており、やはり富野御大は正しかったということかw
閑話休題。
で、思ったのは「人間の駄目さ加減を取り入れなければ、アンドロイドはいつまでたっても機械のまま」なのだということ。ロイとプリスが、J.F.セバスチャン言うところの "You are so perfect." なカップルであるが故にNexus-6であることを隠せなかったのに対し、ヘタレなデッカードにツンデレなレイチェルというNexus-7のカップルが、ぎこちなさや素直になれないもどかしさといった「人間らしさ」を我々に感じさせるあたり、やはり人間の本質は「不完全性」や「駄目さ加減」にあるんだということを我々に再確認させてくれる。
関連記事: [メモ] 『BLADE RUNNER』 と『ヨコハマ買い出し紀行』
[DARING FIREBALL] Google Coyly Acknowledges New Android Phones Given to Employees
[DARING FIREBALL] Google Hands Out Unlocked Android 2.1 ‘Google Phones’ to Some Employees
昨日、John GruberがGoogle Phoneをネタに一気に3つも記事を書いている。その中で
Mozilla/5.0 (Linux; U; Android 2.1; en-us; Nexus One Build/ERD56C) AppleWebKit/530.17 (KHTML, like Gecko) Version/4.0 Mobile Safari/530.17というユーザエージェント文字列が出ている(Nexus One を赤にしてみたら、オープニングで表示されるバックストーリーの "Known as a Replicant" みたいで気に入ったw)
この記事自体は「ふーん」程度で済ませて良いのだが、リンクされているWikipedia(E)のReplicantの項にはロイ(Nexus-6)の弟としてのデッカード(Nexus-7)というPaul Sammonの所見なんかもきちんと載っており、好感が持てる。写真で一杯なデッカードの部屋が映し出された段階で、それとなく伏線が張られていたわけだが、最終版でユニコーンのカットが出てくるまではデッカードもまたレプリカントであると言う確証は得られなかった。FAQを見てもわかる通り昔から議論されていた問題ではあるけれど、原作至上主義者からの反論を覚悟の上で「デッカードもレプリカントだ」と "Future Noir: The Making of Blade Runner (1996)"(邦題『メイキング・オブ・ブレードランナー』)で言ってのけたPaul Sammonの卓見は素晴らしい。
ちなみに、Wikipedia(J)のレプリカントの項で紹介されている『撰集抄(松平文庫版)巻五第一五 作人形事・於高野山』は、「反魂」として知られる日本におけるホムンクルスやネクロマンシーの嚆矢であるが、西行が死者の復活方法について源師仲に相談した折に師仲が「四条大納言公任の流を受けて人を作り侍りき」と述べているあたりが実に面白い。藤原公任といえば文人としての側面しか現在では伺い知れないが、実は文人かつマッドサイエンティストであった。道長のもとで政務に当たった公任は、ほぼ同時代にブワイ朝ペルシアの宰相を務めた大錬金術師アヴィケンナ(イブン・シーナ)を彷彿とさせる。
ちなみついでに言えば、最後に出てくる「呉竹の二子は、天老と云ふ鬼の、頻川のほとりにて作出せる賢者とこそ申伝たるなれ」という部分は、実はガンダムSEEDへと繋がってくる。呉竹の二子とはすなわち伯夷・叔斉のことであり、『論語』や『伯夷列伝』に見られるこの二人の「おまいらはちよちゃんですか?」と言いたくなるほどの完璧超人ぶりはそのままコーディネイターのエリートぶりに繋がってくる。黄門様の人生を変えたのはコーディネイターの生き様だったというわけだ。人造人間については丁度いいタイミングでこんなトンデモ的ニュースも流れてきており、やはり富野御大は正しかったということかw
閑話休題。
で、思ったのは「人間の駄目さ加減を取り入れなければ、アンドロイドはいつまでたっても機械のまま」なのだということ。ロイとプリスが、J.F.セバスチャン言うところの "You are so perfect." なカップルであるが故にNexus-6であることを隠せなかったのに対し、ヘタレなデッカードにツンデレなレイチェルというNexus-7のカップルが、ぎこちなさや素直になれないもどかしさといった「人間らしさ」を我々に感じさせるあたり、やはり人間の本質は「不完全性」や「駄目さ加減」にあるんだということを我々に再確認させてくれる。
関連記事: [メモ] 『BLADE RUNNER』 と『ヨコハマ買い出し紀行』
ラベル:
Android,
BLADE RUNNER,
John Gruber,
メモ,
古典
2009年12月12日土曜日
[メモ] Déjà vu
[MSN産経ニュース] 【主張】天皇と中国副主席 禍根残す強引な会見設定
一郎つながりということもあり、80年前の一連の動きを思い起こさせる。陛下を政治利用しようとする輩がどういう運命を辿ることになるか、知らんわけでもあるまい。土鼠は悔い改めてさっさと退場したまえ。
一郎つながりということもあり、80年前の一連の動きを思い起こさせる。陛下を政治利用しようとする輩がどういう運命を辿ることになるか、知らんわけでもあるまい。土鼠は悔い改めてさっさと退場したまえ。
2009年12月9日水曜日
[37signals] これは問題だと認めることから始めよう
(原文: Step one is admitting you have a problem)
スタートアップ企業の世界は仕事中毒な人々で満ちている。仕事中毒は、友達がいなくなったり人間関係が悪化したり体調不良になったりといった、諸君の利益を損なう結果をしばしば代償としてもたらす。仕事にうちこんで来月の売上高を過去最高にすることしか頭の中に無い。来月の取引・中間目標達成・資本金の調達のことしか頭に無いのだ。
もし諸君がコカイン中毒やアルコール中毒にも似たこの仕事中毒に罹患しているのであれば、本来ならば周りの人々は諸君を病気とみなし医者に相談することを薦めるというのが普通だろう。しかしスタートアップの世界においては、仕事中毒は多くの人々によって賞賛されている。人生の瑣事を放棄してロイヤルストレートフラッシュをものにするチャンスに全てを賭けたヒーローという扱いになるのだ。
さらにまずいのは仕事中毒患者の大半が、1日に14時間以上がりがりと仕事をすると言うのが実はさほど効率的なやり方ではない、ということを頭の中では理解しているという点にある。時間をかければかけるほど良い仕事が出来るということにはならないのだ。Jason CohenはこのことをSacrifice your health for your startup(スタートアップをやるなら健康を犠牲にしろ)という記事で説いている。彼は、睡眠を削って仕事をしても何の助けにもならないということは重々承知の上で、睡眠不足こそは仕事中毒患者にとっての名誉勲章なのだと考えている。残業時間がそのまま製品のクォリティに反映されるなんてことはおそらく無いにせよ、残業もしないようじゃ話にならない、とも。
彼は理屈を述べるにとどまらず、仕事中毒を地で行っている。「お前に必要なのは山ほどの肩書きなんだろ、それなら仕事以外には目もくれるな。何故取り憑かれたように仕事にのめりこむ必要があるのかといえば、金銭面における自由という涅槃の境地は、本当にハイになれる数少ないもののうちの一つだからなんだ」という彼の生き方を正当化してくれるものを探し出すことに必死になっている。
仕事中毒と言うのはコカイン中毒に比べれば少しはマシだが、コカイン中毒と同様な悪弊と現実逃避へとつながる。さらに重要なのは、仕事中毒は成功を収めるために必要なものなんかでは無いということだ。スタートアップ企業をやっていくにあたって、仕事中毒になる必要などない。情熱を持ち、仕事に取り憑かれるのは結構だが、人生を浪費する言い訳にはしないことだ。
スタートアップ企業の世界は仕事中毒な人々で満ちている。仕事中毒は、友達がいなくなったり人間関係が悪化したり体調不良になったりといった、諸君の利益を損なう結果をしばしば代償としてもたらす。仕事にうちこんで来月の売上高を過去最高にすることしか頭の中に無い。来月の取引・中間目標達成・資本金の調達のことしか頭に無いのだ。
もし諸君がコカイン中毒やアルコール中毒にも似たこの仕事中毒に罹患しているのであれば、本来ならば周りの人々は諸君を病気とみなし医者に相談することを薦めるというのが普通だろう。しかしスタートアップの世界においては、仕事中毒は多くの人々によって賞賛されている。人生の瑣事を放棄してロイヤルストレートフラッシュをものにするチャンスに全てを賭けたヒーローという扱いになるのだ。
さらにまずいのは仕事中毒患者の大半が、1日に14時間以上がりがりと仕事をすると言うのが実はさほど効率的なやり方ではない、ということを頭の中では理解しているという点にある。時間をかければかけるほど良い仕事が出来るということにはならないのだ。Jason CohenはこのことをSacrifice your health for your startup(スタートアップをやるなら健康を犠牲にしろ)という記事で説いている。彼は、睡眠を削って仕事をしても何の助けにもならないということは重々承知の上で、睡眠不足こそは仕事中毒患者にとっての名誉勲章なのだと考えている。残業時間がそのまま製品のクォリティに反映されるなんてことはおそらく無いにせよ、残業もしないようじゃ話にならない、とも。
彼は理屈を述べるにとどまらず、仕事中毒を地で行っている。「お前に必要なのは山ほどの肩書きなんだろ、それなら仕事以外には目もくれるな。何故取り憑かれたように仕事にのめりこむ必要があるのかといえば、金銭面における自由という涅槃の境地は、本当にハイになれる数少ないもののうちの一つだからなんだ」という彼の生き方を正当化してくれるものを探し出すことに必死になっている。
仕事中毒と言うのはコカイン中毒に比べれば少しはマシだが、コカイン中毒と同様な悪弊と現実逃避へとつながる。さらに重要なのは、仕事中毒は成功を収めるために必要なものなんかでは無いということだ。スタートアップ企業をやっていくにあたって、仕事中毒になる必要などない。情熱を持ち、仕事に取り憑かれるのは結構だが、人生を浪費する言い訳にはしないことだ。
2009年12月6日日曜日
[Dion Almaer] ES5がECMA標準入り
(原文: ES5 is an ECMA standard)
ES5がECMA標準入りしたよ。
今風なWebクライアントを実際に書けるような言語になるにはまだまだ多くのものが必要だというのが現状だとしても、この前進には声援を送ろうじゃないか。
IEEEほにゃらら点ほにゃららに異常にこだわって足を引っ張りまくったIBM(僕はIBMにはずっとイヤな目に合わされてきたからね、ECMAでもJCPでも・・・)と、標準化作業の最中に居眠りしてたクセに「この標準が知財面に与える影響を調査するには時間が足りない」などとぬかしたIntelには盛大なブーイングをしてやろうぜ。
Intel氏んでくれねぇかな? おっと待った、ちゃうちゃう。ECMAなんだからあくまでも金で解決しないとねw
(憎まれ口になっちゃって申し訳ない。でも、Webデベロッパ達とその作り上げている世界を、もうちょっとでいいからきちんと評価してくれんもんかね)
訳者コメント:Dionに栄光あれ!
ES5がECMA標準入りしたよ。
今風なWebクライアントを実際に書けるような言語になるにはまだまだ多くのものが必要だというのが現状だとしても、この前進には声援を送ろうじゃないか。
IEEEほにゃらら点ほにゃららに異常にこだわって足を引っ張りまくったIBM(僕はIBMにはずっとイヤな目に合わされてきたからね、ECMAでもJCPでも・・・)と、標準化作業の最中に居眠りしてたクセに「この標準が知財面に与える影響を調査するには時間が足りない」などとぬかしたIntelには盛大なブーイングをしてやろうぜ。
Intel氏んでくれねぇかな? おっと待った、ちゃうちゃう。ECMAなんだからあくまでも金で解決しないとねw
(憎まれ口になっちゃって申し訳ない。でも、Webデベロッパ達とその作り上げている世界を、もうちょっとでいいからきちんと評価してくれんもんかね)
訳者コメント:Dionに栄光あれ!
ラベル:
Dion Almaer,
和訳
2009年12月5日土曜日
[37signals] 非効率こそが諸君を特別なものにする
(原文:Inefficiencies are what make you special)
ビジネスにおいて昔からあるアドバイスに「非効率性の排除」というのがある。だが実際は、非効率というレッテルを貼られたものこそが、諸君の製品を他の有象無象達から引き離してくれるものなのだ。効率に寄与しないものを全部切り捨ててしまうと、他と似たり寄ったりになってしまうハメに陥る。
私は別に、諸君のビジネスを行きあたりばったりな非効率性の詰まった謎々に仕立て上げろなどと言いたいわけではない。明確な意図のもと敢えて残しておくべきものがあるということなのだ。諸君の将来にとって意味のあるものは何なのかを判断せよということであり、たとえあぶく銭程度の節約になるとしても、そういった「あえて残しておくべきもの」について安易に省いてしまうことは拒絶せよということなのだ。
「El Bulliのメニューはお客様の声を反映させたりなんかしてません」[この記事はJohn Kottkeの記事で知った]では、ハーバードビジネススクールが、Ferran Adriàの経営するEl Bulli(世界一にランクされているレストラン)についての観察を行っている。
この記事でNortonは、Adriàの「顧客を理解することと顧客に耳を傾けることの区別をはっきり付ける」という手法を引用している。
訳者コメント:
効率厨wというのは何もネトゲ界隈だけで見られる現象じゃないということです。日本語の複雑さ、つまり、表記と読みが全単射になってないとか、表記のバリエーション・ゆらぎとか、表記の歴史的変遷とかを非効率として排除してしまうとえらくつまんない言語ゾンビが出来上がっちゃうよということです。豊穣なる日本語を支えているのは、こういった非効率性に他なりません。私なんかは、これこそが日本の武器だと思っています。
そういう意味において、Googleが日本語入力に関して採った戦略は正解だったと言えるでしょう。効率性という人為的・恣意的尺度を切り捨て、あるがままのコンテンツをもとに機械的・最尤法的処理を行うという姿勢がうかがえるからです。「意味」を破棄することで逆説的に「意味」を浮き上がらせたのだとも言えるでしょう。
ビジネスにおいて昔からあるアドバイスに「非効率性の排除」というのがある。だが実際は、非効率というレッテルを貼られたものこそが、諸君の製品を他の有象無象達から引き離してくれるものなのだ。効率に寄与しないものを全部切り捨ててしまうと、他と似たり寄ったりになってしまうハメに陥る。
私は別に、諸君のビジネスを行きあたりばったりな非効率性の詰まった謎々に仕立て上げろなどと言いたいわけではない。明確な意図のもと敢えて残しておくべきものがあるということなのだ。諸君の将来にとって意味のあるものは何なのかを判断せよということであり、たとえあぶく銭程度の節約になるとしても、そういった「あえて残しておくべきもの」について安易に省いてしまうことは拒絶せよということなのだ。
「El Bulliのメニューはお客様の声を反映させたりなんかしてません」[この記事はJohn Kottkeの記事で知った]では、ハーバードビジネススクールが、Ferran Adriàの経営するEl Bulli(世界一にランクされているレストラン)についての観察を行っている。
従業員数を減らせ・材料費を切り詰めろ・サプライチェーンを改善せよ・営業時間を延長せよといったような、MBA連中が即座に指摘するであろう非効率がこのレストランには多く存在した。しかしEl Bulliにそんな「修繕」をほどこせば他のレストランと変りないものになってしまう、とNorton(ハーバードビジネススクールの助教授であるMichael Norton)は語る。「この非効率こそが人々に価値をもたらす要素になっているのだ」ただ単に非効率的だからと言う理由で何かを切り捨てる前に、別の視点からすればこれは価値を付与してくれるものなのではないかと自問してみることだ。綺麗な包装に費用を注ぎ込む・素材の鮮度を上げる・縫製をさらにしっかりしたものにする・手書きのお礼状を添えるといったようなことが、誰かがまわりに諸君のことを吹聴してくれる理由になる。一見「間違っている」ように見える選択が、諸君を他に抜きん出たものとし、商品を他に例を見ないものにしてくれるということがしばしばある。それは君の調理した一品を特別なものにしてくれるスパイスなのだ。
この記事でNortonは、Adriàの「顧客を理解することと顧客に耳を傾けることの区別をはっきり付ける」という手法を引用している。
諸君がもし顧客の声に耳を傾けたとしても、顧客がこうしてほしいと諸君に話すようなことは顧客それぞれの経験に基づいたものしか出てこないものだ、というのがAdriàの考えだ。もし私が脂身の少ないステーキが好きだと言えば、彼はそういうステーキを出し、私はそれを美味しくいただくことになる。だがこれでは一期一会の経験とはなりえない。一期一会の経験を創りだすには顧客の声に耳を傾けてはならないという方が近いのだ。Adriàは顧客の声に耳を傾けないと言う。彼の顧客は世界一満足しているにも関わらずだ。これは一考に値する興味深い謎である。関連記事:More Signal vs. Noise posts about chefs
訳者コメント:
効率厨wというのは何もネトゲ界隈だけで見られる現象じゃないということです。日本語の複雑さ、つまり、表記と読みが全単射になってないとか、表記のバリエーション・ゆらぎとか、表記の歴史的変遷とかを非効率として排除してしまうとえらくつまんない言語ゾンビが出来上がっちゃうよということです。豊穣なる日本語を支えているのは、こういった非効率性に他なりません。私なんかは、これこそが日本の武器だと思っています。
そういう意味において、Googleが日本語入力に関して採った戦略は正解だったと言えるでしょう。効率性という人為的・恣意的尺度を切り捨て、あるがままのコンテンツをもとに機械的・最尤法的処理を行うという姿勢がうかがえるからです。「意味」を破棄することで逆説的に「意味」を浮き上がらせたのだとも言えるでしょう。
2009年12月4日金曜日
[Google] また先を越されましたとさ
[CNET Japan] グーグル、日本語入力ソフトのベータ版を公開
すごいところ
インターネット上のコンテンツを素材にしてコーパスを作ればこの程度のことは出来るというのはずっと前から言われてきたわけですが、それを実用レベルにま で持ってくるにはGoogleレベルの体力が必要だったということですね。とりあえず、産学官連携とかいうアレは絵に描いた餅だったんだなということだけ は良く分かりました。
KOTONOHAにしたって、もっと成果をオープンにして行かなきゃ話にならんでしょ。完成度なんて後回しでいいし小出しでいいから国民が享受出来る形で成果を示してくれないと本当にプレゼンス無くなっちゃうよ。
すごいところ
・式子内親王、祐子内親王家紀伊、二条院讃岐、待賢門院堀河などのタイプ量が大幅に減る。あと一歩、惜しいところ
・「難波潟」「浅茅生の」「松帆の浦の」あたりがすっと出てくる。
・前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)や入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)等で見られる「前」(さきの)が「早希の」や「崎の」になってしまう。ちなみに早希の順位がえらく上になっているのは、やっぱり稲垣早希によるものなんでしょうかw。このシステムの仕組みが良くわかりますね。他にも高陽院(かやのいん、ことえりでは出る)など、ちょっと見ただけでも幾つか取りこぼしがあるようですが、その辺の強化については、この変換の仕組みから考えて、全然問題ないでしょう。ちなみに「夜半の月」が「よはのつき」で変換されたので正仮名にも対応しているのかと早合点しましたが、やはり基本的には新仮名のみでインデクシングしてるみたいですね。
・権中納言で敦忠・定家・匡房までは候補に出るので定頼も是非(ちなみに大納言は公任・経信ともにOK)
インターネット上のコンテンツを素材にしてコーパスを作ればこの程度のことは出来るというのはずっと前から言われてきたわけですが、それを実用レベルにま で持ってくるにはGoogleレベルの体力が必要だったということですね。とりあえず、産学官連携とかいうアレは絵に描いた餅だったんだなということだけ は良く分かりました。
KOTONOHAにしたって、もっと成果をオープンにして行かなきゃ話にならんでしょ。完成度なんて後回しでいいし小出しでいいから国民が享受出来る形で成果を示してくれないと本当にプレゼンス無くなっちゃうよ。
2009年11月29日日曜日
[Programming][メモ] スケールするってそんなに重要か?
どうも世の中「まずスケールありき」といった感じになってきている。とにかくスケールするように作れ、という発想がスタート地点になっているのだ。
でもね、スケールする必要があるサービスって全体の何%だ? そりゃユーザ数が10kともなりゃスケールせざるを得ないし、最初からそれを見越したアーキテクチャと実装が必要だよ。でもね、ユーザ数が数百程度であれば、それこそ「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」であり、大袈裟だと思うよ。
何も最初からスケールを考える必要なんて無いんだよ。その時が来てから考えれば良いだけだし、数百ユーザ程度で収益の柱とできるような運営体質でやっていくという方が、特にこの御時世では正解だと思うんだけどね。
どうも目的と手段が入れ替わっている様な気がする。その前にやる事があるだろうに。
でもね、スケールする必要があるサービスって全体の何%だ? そりゃユーザ数が10kともなりゃスケールせざるを得ないし、最初からそれを見越したアーキテクチャと実装が必要だよ。でもね、ユーザ数が数百程度であれば、それこそ「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」であり、大袈裟だと思うよ。
何も最初からスケールを考える必要なんて無いんだよ。その時が来てから考えれば良いだけだし、数百ユーザ程度で収益の柱とできるような運営体質でやっていくという方が、特にこの御時世では正解だと思うんだけどね。
どうも目的と手段が入れ替わっている様な気がする。その前にやる事があるだろうに。
ラベル:
programming,
メモ
[TechCrunch] 工作員乙
[TechCrunch] Smartbook Says Bloggers Can’t Use The Word Smartbook Anymore. Smartbook.
TechCrunchの増長ぶりについては、アクトン卿の言葉を引くまでもない。大きくなりすぎるとこうなるという良い見本であり、マスゴミと何ら変わらない。この記事が出た翌日にも傘下のCrunchGearで相手のSmartbook AGを"patent troll(特許ゴロ)"と罵る粘着ぶりを見せている。
本件については「Netbook商標騒ぎの再現か?」という視点から夏頃に話題になっていたが、Psion vs. DELLのNetbook商標争いとは事情が異なっている事を認識しておく必要がある。Netbook作りについては「まったくやる気がございません」だったPsionと違い、Smartbook AGは実際に製品作りに取り組んでおり、何よりも社名という代紋がかかっているのだ。
おおかた、商標使用料なんて払いたくねぇよwというQualc○mmがドイツでの訴訟にビビってTechCrunchに手を回しているのだろう。気になるのはTechCrunch Japanでは未だにこの記事の訳出が無いという点だ。日本においては「目の付けどころ」辺りがこの係争自体に蓋をしようと画策しているのだろうか。
やれやれ、メディアが紙からビットに変わっても「ヤクザ vs .ヤクザ」という図式は変わらんね。たけしの挑戦状かよw
追記: Geek And Pokeでもこの件が取り上げられている。これってSmartbook AGに対するホメ殺しにも見えるんだが・・・文字通りに受け取って良いのだろうか?
TechCrunchの増長ぶりについては、アクトン卿の言葉を引くまでもない。大きくなりすぎるとこうなるという良い見本であり、マスゴミと何ら変わらない。この記事が出た翌日にも傘下のCrunchGearで相手のSmartbook AGを"patent troll(特許ゴロ)"と罵る粘着ぶりを見せている。
本件については「Netbook商標騒ぎの再現か?」という視点から夏頃に話題になっていたが、Psion vs. DELLのNetbook商標争いとは事情が異なっている事を認識しておく必要がある。Netbook作りについては「まったくやる気がございません」だったPsionと違い、Smartbook AGは実際に製品作りに取り組んでおり、何よりも社名という代紋がかかっているのだ。
おおかた、商標使用料なんて払いたくねぇよwというQualc○mmがドイツでの訴訟にビビってTechCrunchに手を回しているのだろう。気になるのはTechCrunch Japanでは未だにこの記事の訳出が無いという点だ。日本においては「目の付けどころ」辺りがこの係争自体に蓋をしようと画策しているのだろうか。
やれやれ、メディアが紙からビットに変わっても「ヤクザ vs .ヤクザ」という図式は変わらんね。たけしの挑戦状かよw
追記: Geek And Pokeでもこの件が取り上げられている。これってSmartbook AGに対するホメ殺しにも見えるんだが・・・文字通りに受け取って良いのだろうか?
ラベル:
GEEK AND POKE,
TechCrunch,
メモ,
商標
2009年11月26日木曜日
[37signals] 「いいとこどり」は物事の核心を損なう
(原文:Cherry picking is the enemy of soul)
“A Talking Head Dreams of a Perfect City,” という記事でデビッド・バーンは、異国の街に対する愛着をこう記している
人参の核心にあるもの
これに関連した事例として(Michael Pollanにより広められた)"the soul of carrot(人参の核心にあるもの)" がある。科学者達は人参から健康に有益な成分を分離抽出する試みを続けている。彼らは人参に含まれる15のカロチンを識別したが、カロチン錠剤では実際に人参を食べることでもたらされる健康上の有効性は得られないという結果に終わっている。Pollan は、食物科学者達の還元主義のどこに問題があるかをこう述べている:
全体というものは部分の総和よりも大きくなる事がしばしばある
こんにちの、ばらばらにしてからカット&ペーストするというのが主流の世界では、物事の一番良い部分だけを選り抜こうという考えになりがちだ。クライアントにデザイン提示する際の "show three comps(見本を3つ提示せよ)" (訳注:comp とは comprehensive layout のことで、広告・印刷業界ではカンプと呼ばれる。製作物の仕上がりを具体的に顧客へ提示する為の見本のこと)という手法について考えて見てほしい。同じ様な事がこの場合でも間違いなく起こる。顧客がデザイン#1からいくつかデザイン要素を抜き出し、デザイン#2からは2つ抜き出し、デザイン#3から数個抜き出す。そしてデザイナーはこれらの部品からフランケンシュタインでも作るように継ぎ接ぎして「完璧な」合成物を作り上げようとするのだが、その結果は完璧にはほど遠いものになってしまう。「いいとこどり」が全体のまとまりをぶちこわしにしてしまうというのはそういうことなのだ。出来上がった製品は、統一感を欠いた寄せ集めのコラージュのように見えてしまう。
いいとこどりをするという事は、対象の完全無欠生を損なうという事にほかならない。対象を偉大なものたらしめている目に見えない側面を失ってしまう事になるのだ。全体をつなぎ止めている目に見えない糸を切ってしまう事になるのだ。魂のこもった物ではなく雑多な寄せ集めを手にするハメになってしまう。
改良する・洗練する・アイディアを組み合わせるといった努力をすべきではないなどと言うつもりは無い。仕事を進めるにあたって出費に見合う見返りがあるかどうか考えてみる、という事だけ心に留めておいてほしいのだ。
“A Talking Head Dreams of a Perfect City,” という記事でデビッド・バーンは、異国の街に対する愛着をこう記している
シェフがイタリア人でエンジニアがドイツ人という国があったらそこは天国だ、という古いジョークがある。逆だったら地獄というのもね。試しに、完璧な街ってどんなものなのかと考えてみたところ、それぞれの街の最も良質なところを混ぜ合わせたような場所、というのを思い付いた。組み合わせは無限だ。私なら多分、夜遊びはニューヨークなんだけど場所的にはシドニーで、そこにはバルセロナにあるようなバーや、メキシコシティにあるような屋外のレストランでシンガポール風の料理を楽しむ、ということになる。京都における人々のもてなしと上品さを基盤に、スペインにおけるユーモアのセンスという層を重ねるというのもありかもしれない。もちろん現実には、こんないいとこどりなんてありえない。街の持つクオリティというものは街の持つコンテキストすなわち背景や状況なしには発展し得ないものなのだから、というのがその大きな理由だ。その土地の料理・建築・言語というものは何らかの要因により相互に絡み合っており分かち難いものだ。だがそれでも、人はそんな街を夢みる。バーンの記事は実に魅力的だが、最初に彼が警告している通り、個々の要素をばらばらにして取り出す「いいとこどり」という考えは夢物語にすぎない。クオリティはコンテキスト無しには発展し得ない。全てのものは相互に絡み合っているのだ。
人参の核心にあるもの
これに関連した事例として(Michael Pollanにより広められた)"the soul of carrot(人参の核心にあるもの)" がある。科学者達は人参から健康に有益な成分を分離抽出する試みを続けている。彼らは人参に含まれる15のカロチンを識別したが、カロチン錠剤では実際に人参を食べることでもたらされる健康上の有効性は得られないという結果に終わっている。Pollan は、食物科学者達の還元主義のどこに問題があるかをこう述べている:
私達は人参が体に良いと知ってます、そうでしょ? 長いこと食べて来ましたし、癌予防に役立つ成分はベータカロチンだという仮説も立てられるに至りました。人参がオレンジ色に見えるのはベータカロチンのせいです。私達はそこで、ベータカロチンを抽出してサプリメント錠剤を作って人々に投与したところ、うーんと頭をひねることになりました。一定数の人について、より多くのサプリを飲んだ人の方が病状が悪化したのではないかとかベータカロチンによって癌の発症率が上がったのではないかと思わせる結果が出て、この結果に頭を掻きむしる科学者を見るに至ったのです。解釈としては2通りあります。どっちが正しいかはわかりません。でも、ベータカロチンが癌予防のための主成分では無いというのは、解釈の一つとして間違いなくあります。人参には他に50種類ものカロチンが含まれているというのは御存知の通りです。健康に有効な成分を分離するというのは思った以上に困難だ。未だ明らかになっていない組み合わせによりもたらされる効能があるのだ。我々がまだ完全に理解出来ていない核心がそこにはある。
食べ物というのは非常に複雑なものです。それは、えーとですね、未開の荒野のようなものであり、私達は人参の核心部分の奥底で一体何が起こっているのかを理解していないのです。そして私達は、そんなものは化学物質というものに単純化出来るなんていう考えによって、我々自身を欺くべきではないのです。それはまた、異なる物の間に起こる何らかのシナジー(訳注: 相異なる物が協同して起こる作用)なのかもしれません。ベータカロチンは葉緑素との複合体という形でも見つかっており、健康に寄与するのはこの組み合わせなのかもしれません。重要なのは、人参を食べる者としての視点からすれば、人参の効能をもたらすものは何か?を知る必要なんて無いのだ、ということなのです。私達は人参を食べる事が出来、それは美味しくて体に良い。それだけの事です。
全体というものは部分の総和よりも大きくなる事がしばしばある
こんにちの、ばらばらにしてからカット&ペーストするというのが主流の世界では、物事の一番良い部分だけを選り抜こうという考えになりがちだ。クライアントにデザイン提示する際の "show three comps(見本を3つ提示せよ)" (訳注:comp とは comprehensive layout のことで、広告・印刷業界ではカンプと呼ばれる。製作物の仕上がりを具体的に顧客へ提示する為の見本のこと)という手法について考えて見てほしい。同じ様な事がこの場合でも間違いなく起こる。顧客がデザイン#1からいくつかデザイン要素を抜き出し、デザイン#2からは2つ抜き出し、デザイン#3から数個抜き出す。そしてデザイナーはこれらの部品からフランケンシュタインでも作るように継ぎ接ぎして「完璧な」合成物を作り上げようとするのだが、その結果は完璧にはほど遠いものになってしまう。「いいとこどり」が全体のまとまりをぶちこわしにしてしまうというのはそういうことなのだ。出来上がった製品は、統一感を欠いた寄せ集めのコラージュのように見えてしまう。
いいとこどりをするという事は、対象の完全無欠生を損なうという事にほかならない。対象を偉大なものたらしめている目に見えない側面を失ってしまう事になるのだ。全体をつなぎ止めている目に見えない糸を切ってしまう事になるのだ。魂のこもった物ではなく雑多な寄せ集めを手にするハメになってしまう。
改良する・洗練する・アイディアを組み合わせるといった努力をすべきではないなどと言うつもりは無い。仕事を進めるにあたって出費に見合う見返りがあるかどうか考えてみる、という事だけ心に留めておいてほしいのだ。
2009年11月25日水曜日
2009年11月21日土曜日
[37signals] 私は仕立て屋さんです
(原文: I'm a tailor)
あなたは一日中何をしているのと人に聞かれると、私は自分の言いたい事をまとめるのに苦労する。設計したり、編集したり、考えたり、検証したり、助言したり、教えたり。私が台無しにしてしまうものもあれば、私がうまくまとめるものもある。
でも私が一日の大半を費やすのは、生地のふちを落としたり、裾を折り込んだり、アイロンをかけたり、切ったり、プレスしたり、ぴったり合わせたり、といった作業だ。私はソフトウェア仕立て屋さんなのだ。
そして私は、これこそ私の天職なのだと思うようになった。私のチームは素晴らしい。これをしろなどと彼らに言う必要は無い。もしソフトウェア版ファンタジーリーグ(訳注: 自分の思い通りの選手を選んで野球やフットボールのチームを作るシミュレーションゲーム)があったとしても、私のチームは誰も入れ替えるつもりはない。
だが開発・設計を進める中では、作ったものが思ったほどしっくり来ない時もある。その文は短くならんかなとか、その造形要素は切り詰められないかなとか、その処理ではこのステップを省略出来ないかなとか、アイロンをかけて頑固なしわを伸ばすようにUX全般にアイロンをかけてこまごまとした問題を解決できんかな、と言った感じで。
仕立て屋さんはテーラーメードの服をあつらえることも出来るのだが、それよりも他の仕立て屋さんが作った服をお客さんに合うように仕立て直す方に大半の時間を費やしている。これはまさに私が大半の時間を費やしている事、すなわち私のチームが作ったソフトをお客さんに合わせて仕立て直すのと同じ事だ。
こういった作業の事を「編集」と呼ぶ人もいるが、私は「仕立」のほうが近いと思う。ということで、これから私は自分の仕事についてこう説明することにする。
私はソフトウェア仕立て屋さんです。
訳者コメント:
ソフトウェアのコモディティ化というのは、こういった姿勢から産まれてくるんじゃないかと思うわけです。確かに仕立てというのは生地によるエンジニアリングですしね。
そういう観点からすれば、書というのは平安時代においては最も重要なエンジニアリング対象だったと言えるでしょう。書き順の最適化や省略記法といった、日本流の書というシステムにおける基本ライブラリが空海から行成にいたるエースプログラマ達によって開発されたわけです。
あなたは一日中何をしているのと人に聞かれると、私は自分の言いたい事をまとめるのに苦労する。設計したり、編集したり、考えたり、検証したり、助言したり、教えたり。私が台無しにしてしまうものもあれば、私がうまくまとめるものもある。
でも私が一日の大半を費やすのは、生地のふちを落としたり、裾を折り込んだり、アイロンをかけたり、切ったり、プレスしたり、ぴったり合わせたり、といった作業だ。私はソフトウェア仕立て屋さんなのだ。
そして私は、これこそ私の天職なのだと思うようになった。私のチームは素晴らしい。これをしろなどと彼らに言う必要は無い。もしソフトウェア版ファンタジーリーグ(訳注: 自分の思い通りの選手を選んで野球やフットボールのチームを作るシミュレーションゲーム)があったとしても、私のチームは誰も入れ替えるつもりはない。
だが開発・設計を進める中では、作ったものが思ったほどしっくり来ない時もある。その文は短くならんかなとか、その造形要素は切り詰められないかなとか、その処理ではこのステップを省略出来ないかなとか、アイロンをかけて頑固なしわを伸ばすようにUX全般にアイロンをかけてこまごまとした問題を解決できんかな、と言った感じで。
仕立て屋さんはテーラーメードの服をあつらえることも出来るのだが、それよりも他の仕立て屋さんが作った服をお客さんに合うように仕立て直す方に大半の時間を費やしている。これはまさに私が大半の時間を費やしている事、すなわち私のチームが作ったソフトをお客さんに合わせて仕立て直すのと同じ事だ。
こういった作業の事を「編集」と呼ぶ人もいるが、私は「仕立」のほうが近いと思う。ということで、これから私は自分の仕事についてこう説明することにする。
私はソフトウェア仕立て屋さんです。
訳者コメント:
ソフトウェアのコモディティ化というのは、こういった姿勢から産まれてくるんじゃないかと思うわけです。確かに仕立てというのは生地によるエンジニアリングですしね。
そういう観点からすれば、書というのは平安時代においては最も重要なエンジニアリング対象だったと言えるでしょう。書き順の最適化や省略記法といった、日本流の書というシステムにおける基本ライブラリが空海から行成にいたるエースプログラマ達によって開発されたわけです。
2009年11月20日金曜日
[メモ] 使い捨てコンピュータ
DARING FIREBALL で取り上げられていた、Alex Payne の「クラウドコンピューティングというより使い捨てコンピューティングじゃね?」というChrome OSについてのつぶやきには思わず頷いてしまった。ムーアの法則の行き着くところを考えれば当然そうなるし『写ルンです』という他業種の前例もある。
Tim O'Reilly の "3. Data is the Next Intel Inside" というフレーズが思い起こされる。またこいつらの一人勝ちかよw
Alex Payne と言えば Twitter の Scala への移行ネタで始めて名前を知ったのだが、記事の出た日が4月1日だったためエイプリルフール乙で済ませてしまい、後で慌てた記憶がある。
Tim O'Reilly の "3. Data is the Next Intel Inside" というフレーズが思い起こされる。またこいつらの一人勝ちかよw
Alex Payne と言えば Twitter の Scala への移行ネタで始めて名前を知ったのだが、記事の出た日が4月1日だったためエイプリルフール乙で済ませてしまい、後で慌てた記憶がある。
ラベル:
Alex Payne,
buzzword,
cloud computing,
Google,
John Gruber,
Tim O'Reilly,
メモ
[37signals] ユニコーンと経済予測
(原文: Unicorns and projections)
"Off the Chart" は、最近の失業率が予測と大きくかけ離れている事が判明したと述べている。理由はこうだ「現実が現実に即した値を提示したのだ」
経済予測がはらむ問題はここにある。現実とは、やっかいな相棒のようなものだ。諸君がいかに現実とうまくやっていこうとしても、現実というやつは自らの考えを押し通すだけなのだ。現実というやつは諸君の言う事に耳を傾ける気など無い。
もうひとつの理由として、ドゥームセイヤー(訳注: 不吉な予言をする人のこと)になるよりはチアリーダーになるほうが楽だからだ、というのがある。予測の結末が諸君に特権をもたらしてくれるような場合は、特にそうだ。人々がお花畑のような明るい未来像に騙される理由はここにある。「このプランは上手く行かないでしょう」と言いながら投資家にビジネスプランを提案するような奴にはこれまで一度もお目にかかったことが無い。
今度諸君が、予測に基づいて作成されたビジネスプランやチャートを持参してきた奴と会う事になったら、そこにはユニコーンとドラゴンが内包されているんだと考える事だね。同様のことが言えるのだから。
"Off the Chart" は、最近の失業率が予測と大きくかけ離れている事が判明したと述べている。理由はこうだ「現実が現実に即した値を提示したのだ」
経済予測がはらむ問題はここにある。現実とは、やっかいな相棒のようなものだ。諸君がいかに現実とうまくやっていこうとしても、現実というやつは自らの考えを押し通すだけなのだ。現実というやつは諸君の言う事に耳を傾ける気など無い。
もうひとつの理由として、ドゥームセイヤー(訳注: 不吉な予言をする人のこと)になるよりはチアリーダーになるほうが楽だからだ、というのがある。予測の結末が諸君に特権をもたらしてくれるような場合は、特にそうだ。人々がお花畑のような明るい未来像に騙される理由はここにある。「このプランは上手く行かないでしょう」と言いながら投資家にビジネスプランを提案するような奴にはこれまで一度もお目にかかったことが無い。
今度諸君が、予測に基づいて作成されたビジネスプランやチャートを持参してきた奴と会う事になったら、そこにはユニコーンとドラゴンが内包されているんだと考える事だね。同様のことが言えるのだから。
2009年11月18日水曜日
2009年11月17日火曜日
[37signals] Rodrigo and Gabriela は Getting Real の音楽版
(原文: Getting Real (the musical way) with Rodrigo and Gabriela)
Signal vs. Noise の読者であり JobChoy の創立者でもある Mark Meeus の投稿:
Rodrigo and Gabriela と彼らに関する逸話について諸君が御存知かどうかは私にはわからないが、もし御存知であればこれ以上は読まなくても良いよ ;-)
私が彼らについて諸君にかいつまんで説明したいというそのワケは、彼らが、WEBアプリケーション以外でもあてはまる Getting Real の良い例だからだ。
Rodrigo and Gabriela はメキシコシティでヘビメタバンドのギタリストとして活動を始めた。音楽だけで生計を立てるというのが彼らの人生における目標だったのだがそれは上手く行かなかった。二人ともメキシコシティ音楽院の入試は不合格となり、バンドも思ったほど伸びなかった。
そこで彼らはアコースティックギターのみを手元に残し、残りの機材全てを売り払うことにした。彼らはダブリンに移り、そこでバー・ストリート・地下鉄の駅での演奏を始めた。
最初のうちは Metallica のカバー曲を演っていたが間もなくして物足りなさを感じるようになり自らの曲も演るようになった。
彼らはお金を稼ぐ必要があったので、音楽を「最適化」しなければならなかった。曲を書いたら、それがどの程度の稼ぎになるかを見極めるためにライブでテスト演奏し、ちょっと書き換えてそれがどの程度の稼ぎになるかを見極め、さらにちょっと書き換えて・・・(これって A/Bテストの音楽版だね)(訳注: A/BテストはSEM業界などで知られている手法で、既存のものをA、修正を加えたものをBとして比較テストするという手法)
しばらくして、彼らはお金をやりくりして他の街にも行くようになり、それにつれて、より多くの聴衆と名声を訪れた先々で得るようになった。
2006年にアルバム『Rodrigo y Gabriela』をリリースし、アイルランドのヒットチャートを席巻したが、これはインストバンドとしてはかって例を見ないものだった。
さて、この話のどの辺りが 'Getting Real' なのだろう?
彼らは「ギター2本だけなんて無茶」と説く連中の言葉には一切耳を傾けなかった。
訳者コメント:
バカテクなのに全然バカテク臭くない。豪快なのに濁りが無いのはミュートが完璧だからですね。エレアコ2本でこれだけシンフォニックな響きを出すには、必要なノイズを積極的に取り込む姿勢が要るわけですが、逆に不要なノイズは極力排除しなければならないわけで、その結果、この完璧なミュートが自然と身に付いたんでしょうね。呼吸するように、当たり前のように精進している人々の好例です。
シメがスペインってのがこれまた。
Signal vs. Noise の読者であり JobChoy の創立者でもある Mark Meeus の投稿:
Rodrigo and Gabriela と彼らに関する逸話について諸君が御存知かどうかは私にはわからないが、もし御存知であればこれ以上は読まなくても良いよ ;-)
私が彼らについて諸君にかいつまんで説明したいというそのワケは、彼らが、WEBアプリケーション以外でもあてはまる Getting Real の良い例だからだ。
Rodrigo and Gabriela はメキシコシティでヘビメタバンドのギタリストとして活動を始めた。音楽だけで生計を立てるというのが彼らの人生における目標だったのだがそれは上手く行かなかった。二人ともメキシコシティ音楽院の入試は不合格となり、バンドも思ったほど伸びなかった。
そこで彼らはアコースティックギターのみを手元に残し、残りの機材全てを売り払うことにした。彼らはダブリンに移り、そこでバー・ストリート・地下鉄の駅での演奏を始めた。
最初のうちは Metallica のカバー曲を演っていたが間もなくして物足りなさを感じるようになり自らの曲も演るようになった。
彼らはお金を稼ぐ必要があったので、音楽を「最適化」しなければならなかった。曲を書いたら、それがどの程度の稼ぎになるかを見極めるためにライブでテスト演奏し、ちょっと書き換えてそれがどの程度の稼ぎになるかを見極め、さらにちょっと書き換えて・・・(これって A/Bテストの音楽版だね)(訳注: A/BテストはSEM業界などで知られている手法で、既存のものをA、修正を加えたものをBとして比較テストするという手法)
しばらくして、彼らはお金をやりくりして他の街にも行くようになり、それにつれて、より多くの聴衆と名声を訪れた先々で得るようになった。
2006年にアルバム『Rodrigo y Gabriela』をリリースし、アイルランドのヒットチャートを席巻したが、これはインストバンドとしてはかって例を見ないものだった。
さて、この話のどの辺りが 'Getting Real' なのだろう?
彼らは「ギター2本だけなんて無茶」と説く連中の言葉には一切耳を傾けなかった。
- チーム構成員は2人だけ!
- 外部からの出資は一切なし(今となっては珍しくもないが、彼らは2000年以前にこれをやってのけた)
- ギター2本だけの構成なのでメンバー間の意地の張り合いが普通のバンドよりも抑えられる
- 情熱
- お金もギター以外の楽器も一切無い、という制約
- 彼らの音楽にふさわしい聴衆を集め、聴衆の求める音楽に的を絞った
- 「自分の音楽」というものへのこだわり
- 曲を書いたらすぐにストリートで演奏するという、無茶苦茶といえば無茶苦茶な、テストドリブンな曲作りを武器に出世競争に臨んだ
訳者コメント:
バカテクなのに全然バカテク臭くない。豪快なのに濁りが無いのはミュートが完璧だからですね。エレアコ2本でこれだけシンフォニックな響きを出すには、必要なノイズを積極的に取り込む姿勢が要るわけですが、逆に不要なノイズは極力排除しなければならないわけで、その結果、この完璧なミュートが自然と身に付いたんでしょうね。呼吸するように、当たり前のように精進している人々の好例です。
シメがスペインってのがこれまた。
ラベル:
37signals,
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Rodrigo y Gabriela,
和訳
2009年11月12日木曜日
[メモ] あれからもう2年経つのに、この国は・・・
[Official Google Blog] Googlers receive prestigious ITOJUN Service Award
『IPv6ネットワークプログラミング』には本当にお世話になった。マルチキャスト関連の案件だったので MLDv2 については結局のところこの本ではなく RFC3810 を読むしか手が無かったんだが、それ以上に itojun の protocol independent なコードへのこだわりに惚れてしまう一冊だった。
そう言えば Itojun Fund の設立が ISOC で承認された時はスラドでも話題になったが「itojunが生きてる時にこそ、こんな基金が必要だったのに」というコメントには思わず泣いてしまった。
彼ほどの人物ですら使い捨てにしたこの国を俺は呪う。いまこの瞬間にもすりへらされ、疎外されているハッカーがいるのだ。このことを忘れちゃいけない。
『IPv6ネットワークプログラミング』には本当にお世話になった。マルチキャスト関連の案件だったので MLDv2 については結局のところこの本ではなく RFC3810 を読むしか手が無かったんだが、それ以上に itojun の protocol independent なコードへのこだわりに惚れてしまう一冊だった。
そう言えば Itojun Fund の設立が ISOC で承認された時はスラドでも話題になったが「itojunが生きてる時にこそ、こんな基金が必要だったのに」というコメントには思わず泣いてしまった。
彼ほどの人物ですら使い捨てにしたこの国を俺は呪う。いまこの瞬間にもすりへらされ、疎外されているハッカーがいるのだ。このことを忘れちゃいけない。
ラベル:
Google,
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programming,
メモ
[37signals] Chipotle や Pinkberry といった会社が「的を絞る」ことで大成功を収めたワケ
(原文: How Chipotle, Pinkberry, and others win big by doing just a few things well)
シンプル性というやつには「簡単そうで実は難しい」という隠し事がある。たいがいの人が複雑怪奇な製品を作り出してしまう原因はここにある。大多数の企業に欠けている深慮遠謀・規律・忍耐といったものが、シンプル性の実現においては求められる。諸君が付け入る隙はここにある。競合他社よりシンプル性において勝ることが、多くの顧客を勝ち取る事になる。
Chipotle のメニューにはブリトー・タコス・サラダという、たった3つの主要品目しか載っていない。Chipotle’s Secret Salsa という記事で、創業者兼CEOの Steve Ells 氏は「的を絞り、他の誰よりもそれをうまくこなす」 というひとことで Chipotle のビジネスモデルを要約している。
Chipotle のメニューにはデザートが見当たらない。レストラン経営アナリストは、クッキー等のデザートを食後に出せばすぐに売り上げが10%以上のびるのに、と言っている。でも Ells 氏は歯牙にかけない。「ウチはこの10年、連続して二桁台の成長を遂げている、クッキーなしでね」と彼は言う。「なんで今更? クッキーをメニューに追加することで生じるマイナス面しか思い付かないんですけどね」
ヨーグルトのチェーン店である Pinkberry は、オリジナルとグリーンティーという、たった2つのフレーバーだけで商売を始めた。これには、商品の種類を多くする事で在庫表・製造機器・レシピといったものがややこしくなってしまうのは避けたい、という意味合いがあった。同社は今や何ダースものチェーン店と、同社のヨーグルトを "Crackberry"(訳注: crack すなわち麻薬のように中毒性があるという褒め言葉)と呼ぶ熱烈なファンを抱えている(自分の製品名の頭にcrackを付けるとどんな感じがするか、ってことを考えた事ある?)
こういった話はレストランだけにあてはまるわけではない。Nintendo は他社よりもスペックを絞り込むことで大成功を収めた。Flip(訳注: Flip Video 社)も機能を絞り込むことで家庭用ビデオカメラ市場において大きなシェアを得た。固定ギアの自転車(訳注: ピストバイクとも呼ばれる。ニューヨークのメッセンジャー達がノーブレーキのトラックレーサーを使い始めたのが皮切り。ストリートカルチャーの一環として日本でも2000年代半ばあたりから見かけるようになった)も、そのシンプルでメンテナンスが容易なデザインにより人気を上げてきている。
諸君が、ありとあらゆるものを顧客に提供するという「機能てんこもり競争」に手を出すことは、確かに不可能なことではない。それが嫌なら、少数の事に的を絞り、それを上手くやってのけ、諸君のそういった姿勢を心から愛しその結果諸君の製品に愛着を持ってくれるような顧客を獲得する事だ。小規模事業者にとっては、これが賢明な道というものだ。
この道を選ぶことで諸君は明解さというものを手にする事になる。万事がシンプルになる。製品説明も、人々に製品を理解してもらうのもシンプルな言葉で済む。変更を加える際も、メンテナンスをする際も。人々が製品を利用し始める場合もシンプルで面倒が無い。原材料・包装・サポート・マニュアルもシンプルになる。見積もりもだ。そして最も重要なこととして、成功への道がシンプルになるのだ。
訳者コメント:
Crackberry って‥‥ブラックカレーみたいなもんか?
シンプル性というやつには「簡単そうで実は難しい」という隠し事がある。たいがいの人が複雑怪奇な製品を作り出してしまう原因はここにある。大多数の企業に欠けている深慮遠謀・規律・忍耐といったものが、シンプル性の実現においては求められる。諸君が付け入る隙はここにある。競合他社よりシンプル性において勝ることが、多くの顧客を勝ち取る事になる。
Chipotle のメニューにはブリトー・タコス・サラダという、たった3つの主要品目しか載っていない。Chipotle’s Secret Salsa という記事で、創業者兼CEOの Steve Ells 氏は「的を絞り、他の誰よりもそれをうまくこなす」 というひとことで Chipotle のビジネスモデルを要約している。
Chipotle のメニューにはデザートが見当たらない。レストラン経営アナリストは、クッキー等のデザートを食後に出せばすぐに売り上げが10%以上のびるのに、と言っている。でも Ells 氏は歯牙にかけない。「ウチはこの10年、連続して二桁台の成長を遂げている、クッキーなしでね」と彼は言う。「なんで今更? クッキーをメニューに追加することで生じるマイナス面しか思い付かないんですけどね」
ヨーグルトのチェーン店である Pinkberry は、オリジナルとグリーンティーという、たった2つのフレーバーだけで商売を始めた。これには、商品の種類を多くする事で在庫表・製造機器・レシピといったものがややこしくなってしまうのは避けたい、という意味合いがあった。同社は今や何ダースものチェーン店と、同社のヨーグルトを "Crackberry"(訳注: crack すなわち麻薬のように中毒性があるという褒め言葉)と呼ぶ熱烈なファンを抱えている(自分の製品名の頭にcrackを付けるとどんな感じがするか、ってことを考えた事ある?)
こういった話はレストランだけにあてはまるわけではない。Nintendo は他社よりもスペックを絞り込むことで大成功を収めた。Flip(訳注: Flip Video 社)も機能を絞り込むことで家庭用ビデオカメラ市場において大きなシェアを得た。固定ギアの自転車(訳注: ピストバイクとも呼ばれる。ニューヨークのメッセンジャー達がノーブレーキのトラックレーサーを使い始めたのが皮切り。ストリートカルチャーの一環として日本でも2000年代半ばあたりから見かけるようになった)も、そのシンプルでメンテナンスが容易なデザインにより人気を上げてきている。
諸君が、ありとあらゆるものを顧客に提供するという「機能てんこもり競争」に手を出すことは、確かに不可能なことではない。それが嫌なら、少数の事に的を絞り、それを上手くやってのけ、諸君のそういった姿勢を心から愛しその結果諸君の製品に愛着を持ってくれるような顧客を獲得する事だ。小規模事業者にとっては、これが賢明な道というものだ。
この道を選ぶことで諸君は明解さというものを手にする事になる。万事がシンプルになる。製品説明も、人々に製品を理解してもらうのもシンプルな言葉で済む。変更を加える際も、メンテナンスをする際も。人々が製品を利用し始める場合もシンプルで面倒が無い。原材料・包装・サポート・マニュアルもシンプルになる。見積もりもだ。そして最も重要なこととして、成功への道がシンプルになるのだ。
訳者コメント:
Crackberry って‥‥ブラックカレーみたいなもんか?
2009年11月11日水曜日
[メモ] atMonitor 2.1.4
Top の表示を外していると、暫くして落ちる。今のところ再現率 100%。オフィシャルブログの11月6日の記事によると Snow Leopard で全面的に書き換えられた toplib に原因がある模様。2.0 に戻してみてとのことだが、Top の表示さえしていれば問題はなさそうなので 2.1.4 のまま使っている。
[メモ] いまふうに言うと
清少納言 →腐女子
紫式部 →スイーツ(笑)
和泉式部 →ビッチ
藤原行成 →キモオタ
藤原実方 →DQN
「夜をこめて〜」は婦女子とキモオタの微笑ましきツーショットということになりますな。
紫式部 →スイーツ(笑)
和泉式部 →ビッチ
藤原行成 →キモオタ
藤原実方 →DQN
「夜をこめて〜」は婦女子とキモオタの微笑ましきツーショットということになりますな。
2009年11月10日火曜日
[メモ] わかってないね
まずはその「日本は資源に乏しい国」という間抜けな認識をなんとかしろ。ここは豊葦原瑞穂国なんだから石油なんて基本的に要らんだろ。あと、大陸とはさっさと縁を切れ。もはや彼らから學ぶ事など何も無い。菅公も1100年以上前にそう言ってるじゃないか。
[メモ][石清水八幡宮] 昔の人の方向感覚
[37signals] 怪しい伝説「市場には一番乗りしなきゃダメ」
(原文: The first-to-market myth)
懸念: 他の誰かが私を打ち負かすべく市場に参入してくるので(もしくはすでに参入済みなので)私は現在の地位を失うだろう
実情: ビジネスの世界では、どんなニッチな市場であれ、多くの勝者が共存しうる。成功を収めている靴屋・イタリアンレストラン・家具メーカーの数を見れば一目瞭然。どんぐりの背比べから抜け出すための何らかの策を諸君が実行していれば、競合他社がひしめく分野でも上手くやっていける。その何かとは、価格設定・スタイル・原材料・人間的魅力・経営姿勢・語り口の見事さといったものかもしれない。諸君の会社を比類なき会社として確立する方法は山ほどある。
一番乗りについても同様のことが言える。こだわることはない。大当たりするビジネスの定石は「残り物に福がある」ということだ。Google は世界初の検索エンジンではなかった。VHS は遅れて市場に参入したのにも関わらずベータを引きずり降ろした。一番乗りする事よりも重要な事がいっぱいあるのだ。
懸念: 他の誰かが私を打ち負かすべく市場に参入してくるので(もしくはすでに参入済みなので)私は現在の地位を失うだろう
実情: ビジネスの世界では、どんなニッチな市場であれ、多くの勝者が共存しうる。成功を収めている靴屋・イタリアンレストラン・家具メーカーの数を見れば一目瞭然。どんぐりの背比べから抜け出すための何らかの策を諸君が実行していれば、競合他社がひしめく分野でも上手くやっていける。その何かとは、価格設定・スタイル・原材料・人間的魅力・経営姿勢・語り口の見事さといったものかもしれない。諸君の会社を比類なき会社として確立する方法は山ほどある。
一番乗りについても同様のことが言える。こだわることはない。大当たりするビジネスの定石は「残り物に福がある」ということだ。Google は世界初の検索エンジンではなかった。VHS は遅れて市場に参入したのにも関わらずベータを引きずり降ろした。一番乗りする事よりも重要な事がいっぱいあるのだ。
2009年11月5日木曜日
[メモ][石清水八幡宮] 萬象盡蔵一笈中
石清水八幡宮に何本か存在する大楠。そのうちの一本の根元にこの石碑はあった。「ばんしょうことごとくいっきゅうのうちにぞうす」と訓めば良いだろうか。銘から、都山流尺八流祖である中尾都山の書と思われる。名曲『岩清水』にまつわるエピソードにここ石清水八幡宮が登場するが、17歳にして虚無僧修行に出、後に功なり名遂げた都山の若き日の気概がこの言から窺える。
笈という字は芭蕉の、というか川井乙州によるアンソロジーである『笈の小文』で知られている。今風に言えばリュックサックか。西行からこのかた日本文学の一翼を担ってきた漂泊者達の旅の共となってきた。
厨二病に付き物の「自分探しの漂泊」も、それがアウトプットを産むかどうかで世間の評価はえらく変わってくる。「森羅万象全てをこのリュックに詰めこんできたぜ」という厨がかった、というかDQNそのものな大言壮語も、宮城道雄らとともにアウトプットしまくった都山の言となれば妙に納得してしまう私であった。
2009年10月30日金曜日
[メモ][Google] jQuery の中の人が Google Groups に三行半
[John Resig] Google Groups is Dead
要は「SPAM 大杉。やってらんね」ってことで、John Resig 自身は
この「ボトムアップで」というくだりが、私には婉曲的に見える。John Resig は Google Groups のモデレーション機能のアホさ加減やスイスドメインを使った偽装チートの例を槍玉に挙げるに止めているが、Google Groups がメーリングリストベースである以上、どう考えても GMail のスパムフィルタDBを利用出来れば問題の大半は解決出来るはずだからだ。
ということで、この問題の根底にあるのは Google という組織の硬直化であるという結論に至った。Google の各サービスがあたかも縦割り組織のようになってしまい、その結果サービス間の連携がとれなくなっているからこういったことが起こるのではないかということだ。以前、 Google が大企業病に罹患しつつあるというネタをうpしたのだが、本件の様な事例を目にすると、やはりそうだったのかと思わざるを得ない。
要は「SPAM 大杉。やってらんね」ってことで、John Resig 自身は
Only a bottom-up overhaul of the Google Groups system would be able to fix the problems that every Google Group faces.と、Google Groups が直面している問題を解決するにはボトムアップでシステムの修復をやっていくしかないと述べている。
この「ボトムアップで」というくだりが、私には婉曲的に見える。John Resig は Google Groups のモデレーション機能のアホさ加減やスイスドメインを使った偽装チートの例を槍玉に挙げるに止めているが、Google Groups がメーリングリストベースである以上、どう考えても GMail のスパムフィルタDBを利用出来れば問題の大半は解決出来るはずだからだ。
ということで、この問題の根底にあるのは Google という組織の硬直化であるという結論に至った。Google の各サービスがあたかも縦割り組織のようになってしまい、その結果サービス間の連携がとれなくなっているからこういったことが起こるのではないかということだ。以前、 Google が大企業病に罹患しつつあるというネタをうpしたのだが、本件の様な事例を目にすると、やはりそうだったのかと思わざるを得ない。
ラベル:
Google,
John Resig,
メモ,
大企業病
2009年10月29日木曜日
[37signals] お金儲けは、ピアノと同様、練習が要る
(原文: Making money takes practice like playing the piano takes practice)
私の知っている「金を生む機械」然とした人々の多くは、驚くほど早いうちから事業を始めている。レモネード屋さんとか洗車屋さんとか芝刈り屋さんとか野球カード屋さんとか。彼らがこんにち「金を生む機械」となるに至った理由は、いち早く事業を始めたからなんだと私は思っている。彼らはいち早く交渉術・価格設定・販売手法・市場動向の見極めに関するスキルを習得した。販売の場において他の多くの人たちよりも稽古を積んでいるのだ。彼らが他の人に抜きん出ている理由の一つがこの点にある。
ピアノを弾けるようになるには練習が要るのと同様、お金儲けにも練習が要る。たくさん練習をしなくてもピアノが上手くなれるなどと考える人は皆無だ。お金儲けも同じ事。練習すればする程うまくなる。10年間ピアノを練習してきた人が容易くピアノを弾きこなすのと同様に諸君のお金儲けも練習の末にようやく容易いものになる。
私が起業家に、他の会社から資金提供を受けるよりも独立する方を薦める理由の一つがこれなのだ。独立した企業というものは第一日目からお金儲けの道に踏み出すことになる。否応無しにだ。一方、独立せずに資金提供を受けている企業の第一日目は、お金を使う事から始まる。社員を雇い、機材を購入し、設備投資を行うといった支出だ。お金儲けはまだ重要になっていない。彼らはお金を生みだす練習ではなくお金を使う練習をするのだ。
独立するということは、諸君に起業家たるにふさわしいマインドセット(訳注: 考え方・姿勢)を与えてくれる。お金は使うものではなく産み出すものだという考え方だ。これこそが正しい練習とよぶにふさわしい。正しい練習法であり、正しい習慣であり、諸君のビジネス脳に正しい刷り込みを行う事になる。お金を使う練習よりもお金を産み出す練習を積む事が、起業家としての君に金回りの良さをもたらしてくれる。独立は諸君の出足を良くしてくれるものなのだ。
だから諸君が、今まさにビジネスに着手しようとしていたり、すでに着手していたり、資金を得ようとしていたり、既に資金提供を受け更なる増資を狙っていたりするのであれば、他に手が無いかどうか良く考えることだ。資金を募ったり商品価格の引き上げをするのは止めておけ。何も考えずに売りまくることだ。1に練習2に練習。若いうちの苦労は買ってでもせよってやつだ。近視眼的に見ればこんなやり方には嫌気がさすだろうが、長い目で見ればこのやり方こそが諸君を立派な商売人にしてくれる。
私の知っている「金を生む機械」然とした人々の多くは、驚くほど早いうちから事業を始めている。レモネード屋さんとか洗車屋さんとか芝刈り屋さんとか野球カード屋さんとか。彼らがこんにち「金を生む機械」となるに至った理由は、いち早く事業を始めたからなんだと私は思っている。彼らはいち早く交渉術・価格設定・販売手法・市場動向の見極めに関するスキルを習得した。販売の場において他の多くの人たちよりも稽古を積んでいるのだ。彼らが他の人に抜きん出ている理由の一つがこの点にある。
ピアノを弾けるようになるには練習が要るのと同様、お金儲けにも練習が要る。たくさん練習をしなくてもピアノが上手くなれるなどと考える人は皆無だ。お金儲けも同じ事。練習すればする程うまくなる。10年間ピアノを練習してきた人が容易くピアノを弾きこなすのと同様に諸君のお金儲けも練習の末にようやく容易いものになる。
私が起業家に、他の会社から資金提供を受けるよりも独立する方を薦める理由の一つがこれなのだ。独立した企業というものは第一日目からお金儲けの道に踏み出すことになる。否応無しにだ。一方、独立せずに資金提供を受けている企業の第一日目は、お金を使う事から始まる。社員を雇い、機材を購入し、設備投資を行うといった支出だ。お金儲けはまだ重要になっていない。彼らはお金を生みだす練習ではなくお金を使う練習をするのだ。
独立するということは、諸君に起業家たるにふさわしいマインドセット(訳注: 考え方・姿勢)を与えてくれる。お金は使うものではなく産み出すものだという考え方だ。これこそが正しい練習とよぶにふさわしい。正しい練習法であり、正しい習慣であり、諸君のビジネス脳に正しい刷り込みを行う事になる。お金を使う練習よりもお金を産み出す練習を積む事が、起業家としての君に金回りの良さをもたらしてくれる。独立は諸君の出足を良くしてくれるものなのだ。
だから諸君が、今まさにビジネスに着手しようとしていたり、すでに着手していたり、資金を得ようとしていたり、既に資金提供を受け更なる増資を狙っていたりするのであれば、他に手が無いかどうか良く考えることだ。資金を募ったり商品価格の引き上げをするのは止めておけ。何も考えずに売りまくることだ。1に練習2に練習。若いうちの苦労は買ってでもせよってやつだ。近視眼的に見ればこんなやり方には嫌気がさすだろうが、長い目で見ればこのやり方こそが諸君を立派な商売人にしてくれる。
2009年10月27日火曜日
[メモ] 電子書籍リーダーが花盛り
[Technologizer] The E-Reader Explosion: A Cheat Sheet
Daring Fireball 経由で知った記事なのだが、この件については John Gruber が言及している通り、製品カテゴリそのものの寿命について不透明な部分が多い。私もこういった電子書籍リーダーは1980年代の日本におけるワープロ専用機的な位置付けにとどまると考える。つまりは昔ながらの「専用機器 vs. 汎用機器」の図式であり、iPhone や Android といった汎用機器が全て飲み込んでしまうだろうというありがちな予想だ。
ただ、電子書籍リーダーに関してはあちらとこちらの温度差のようなものを確かに感じる。ASCIIコード圏ではもともとタイプライターという清書機器があったので、早々に PC 上のワードプロセッサソフトとへ移行したが、日本ではそういった機器がなかったのでワープロ専用機が長いこと幅を利かせていた。これと似た様な事があちらでは電子書籍リーダーというジャンルで起こっているようで、どうやらあちらでは電子書籍リーダーが、日本におけるワープロ専用機のようにある程度は生き長らえるのではなかろうか。
あちらでは汎用機器の解像度やmobilityが向上するのを待つくらいなら既に実用レベルに達している専用機器を買うという選択肢を採った。日本では、コンテンツの充実度や文字表示に必要な解像度の違いという点で現段階の電子書籍リーダーはあまり魅力的にうつらないだけで、実用レベルになればこのジャンルも熱くなる、というのが一般的見解だろう。
だが私は、そういったスペック上の問題が解決されたとしても、日本においては電子書籍リーダーというジャンルは寒い状況が続くのではないかと考える。この温度差を産む原因として「本を読む」という行為そのものについて東洋と西洋には決定的な違いがあり、その根っこにはおそらく「意味」というものに対する姿勢の違いがあると見ているからだ。
西洋の「意味こそ重要」という一神教的(つまり自然科学的)文化に対し、東洋(特に近世より前の日本)では「意味なんて飾りです、偉い人にはそれがわからんのです」とばかりに、意味からはみ出し滲み出た響や姿や佇まい、そして意味の背後に隠れているものを重んじた。いわゆるセマンティックWEBが、東洋では使い物にならないお粗末なレベルの代物でしかない理由はここにある。多分、チューリングマシンでは駄目なのだろう。抽象化により削ぎ落とされる部分にこそ日本語の旨味があるからだ。
もちろん西洋が一枚岩であるわけなどない。ダンセイニやイェイツあたりを嚆矢と言って良いと思うのだが、カトリック的合理主義以前(というかグレコローマン以前?)の「古い」Celtic な世界が「新しい」科学として取り込まれる動きがある。おそらくこれによりチューリングマシンやノイマンアーキテクチャを越えるコンピュータサイエンスの成果が産まれてくるのだろう。西洋と東洋は、その時点でようやく出会えるのかもしれない。
白洲正子先生が『私の百人一首』新潮選書版あとがきで「言葉には言魂(ことたま)というものがあり、意味だけわかっても、それこそ何の意味も無い」とおっしゃっていたことを思い出す。もしかすると semantics をいったん捨ててかからないことには日本におけるコンピューティングの未来は開けないのではないか。
Daring Fireball 経由で知った記事なのだが、この件については John Gruber が言及している通り、製品カテゴリそのものの寿命について不透明な部分が多い。私もこういった電子書籍リーダーは1980年代の日本におけるワープロ専用機的な位置付けにとどまると考える。つまりは昔ながらの「専用機器 vs. 汎用機器」の図式であり、iPhone や Android といった汎用機器が全て飲み込んでしまうだろうというありがちな予想だ。
ただ、電子書籍リーダーに関してはあちらとこちらの温度差のようなものを確かに感じる。ASCIIコード圏ではもともとタイプライターという清書機器があったので、早々に PC 上のワードプロセッサソフトとへ移行したが、日本ではそういった機器がなかったのでワープロ専用機が長いこと幅を利かせていた。これと似た様な事があちらでは電子書籍リーダーというジャンルで起こっているようで、どうやらあちらでは電子書籍リーダーが、日本におけるワープロ専用機のようにある程度は生き長らえるのではなかろうか。
あちらでは汎用機器の解像度やmobilityが向上するのを待つくらいなら既に実用レベルに達している専用機器を買うという選択肢を採った。日本では、コンテンツの充実度や文字表示に必要な解像度の違いという点で現段階の電子書籍リーダーはあまり魅力的にうつらないだけで、実用レベルになればこのジャンルも熱くなる、というのが一般的見解だろう。
だが私は、そういったスペック上の問題が解決されたとしても、日本においては電子書籍リーダーというジャンルは寒い状況が続くのではないかと考える。この温度差を産む原因として「本を読む」という行為そのものについて東洋と西洋には決定的な違いがあり、その根っこにはおそらく「意味」というものに対する姿勢の違いがあると見ているからだ。
西洋の「意味こそ重要」という一神教的(つまり自然科学的)文化に対し、東洋(特に近世より前の日本)では「意味なんて飾りです、偉い人にはそれがわからんのです」とばかりに、意味からはみ出し滲み出た響や姿や佇まい、そして意味の背後に隠れているものを重んじた。いわゆるセマンティックWEBが、東洋では使い物にならないお粗末なレベルの代物でしかない理由はここにある。多分、チューリングマシンでは駄目なのだろう。抽象化により削ぎ落とされる部分にこそ日本語の旨味があるからだ。
もちろん西洋が一枚岩であるわけなどない。ダンセイニやイェイツあたりを嚆矢と言って良いと思うのだが、カトリック的合理主義以前(というかグレコローマン以前?)の「古い」Celtic な世界が「新しい」科学として取り込まれる動きがある。おそらくこれによりチューリングマシンやノイマンアーキテクチャを越えるコンピュータサイエンスの成果が産まれてくるのだろう。西洋と東洋は、その時点でようやく出会えるのかもしれない。
白洲正子先生が『私の百人一首』新潮選書版あとがきで「言葉には言魂(ことたま)というものがあり、意味だけわかっても、それこそ何の意味も無い」とおっしゃっていたことを思い出す。もしかすると semantics をいったん捨ててかからないことには日本におけるコンピューティングの未来は開けないのではないか。
2009年10月23日金曜日
[メモ][Microsoft] 何この陽気なデブ
バルマーの躾が行き届いているようで、いかにも頭悪そうな体育会系ノリがもうたまりません。育ちの良さってのはパクれないんだなぁということがよくわかります。
2009年10月22日木曜日
[メモ][html5] だからこっち見んなっての
[ajaxian] Microsoft to help move Canvas 2D API out of HTML5 spec?
Dion 曰く「ぐだぐだ言う前におめーのそのポンコツをなんとかせぇよ」とのことで、至極もっともであります。
まぁ MS も苦しいんでしょうな、いろいろと。
Dion 曰く「ぐだぐだ言う前におめーのそのポンコツをなんとかせぇよ」とのことで、至極もっともであります。
まぁ MS も苦しいんでしょうな、いろいろと。
ラベル:
Dion Almaer,
HTML5,
Microsoft,
メモ
2009年10月20日火曜日
[37signals] 単に既存マーケットに手を伸ばすのではなく、新しいマーケットを創出しよう
(原文: Don’t just try to steal a share of the existing market, create a new one)
君の商品に類似したものをこれまで利用した事が無い人々をターゲットにしよう(これは Clayton Christensen が言うところの「今はまだ消費が発生していないところへの参入」というやつだ)。こういった人々はかかえている問題について解決方法がすでに存在しているという事を知らないか、もしくは解決方法を知っていて手を出してみたがひどく高価であったり取り扱いが面倒だったという経験がある。こういった人々は機能の豊富さ等について口うるさく言ったりはしない。きちんと動きさえすればシンプルなものでかまわないのだ。
これはつまり、顧客の初歩的なニーズをきちんと満たすものを作ればマーケットにおいて勝利出来るという事を意味する。高機能/高価格を求める顧客より単純/低価格を求める顧客の方が常に多い。(見本市においては単純/低価格なものは報道ウケがあまり良くないかもしれないが、単純/低価格なものこそ大多数の人々が現実に求めているものなのだ)
3つ例を挙げよう
1. Nintendo は他のテレビゲーム機を利用した事が無い人を狙った。Xbox 360 と SONY の先行機種が共にゲーム経験豊富な玄人ゲーマーに食指を伸ばしたのに対し、Nintendo は初心者を狙った。Wii のコントローラーは3歳の子供でも遊べるくらいにテレビゲームをシンプルなものにした。Nintendo はこれにより繁栄を手にしたのである。
2. Jitterbug は高齢者のために、そして従来の携帯電話は複雑すぎるという点に気付いた人のために作られた携帯電話である。高機能携帯がてんこもりの機能とアプリを顧客に提供する一方で、 Jitterbug はシンプルな携帯を作り続け、顧客の年齢統計動向に注目した。大きなスクリーンとキー、昔ながらの電話のような発信音、音の大きいスピーカー、補聴器とも共用可能、利用に当たって面倒な契約は不要、それがJitterbugだ。
3. アメリカでは半数近い大学生がコミュニティカレッジ(訳注: アメリカにおける短大や専門学校)にも通っている。何故だろう? 学費が手頃である事、入学試験が厳しくない事、通信課程で学位が取得出来る事、看護士・消防士・警察官・救急医療隊員を目指すための学位取得など労働需要に焦点を当てた課程がある事などが理由に挙げられる。これはつまりコミュニティカレッジというものが、もしコミュニティカレッジというものがなければ教室で教育課程を終えるハメになっていたような人々をも生徒として取り込む事が可能なのだという事に他ならない。
もし諸君が既存のものよりシンプルで手頃な代替品を作り出せば、新たな顧客を囲い込む事が出来るだろう。だれかのパイに手を伸ばす必要など無い。新しいパイを焼けば良いのだ。
関連エントリ:How Obama targets nonconsumption [SvN]
君の商品に類似したものをこれまで利用した事が無い人々をターゲットにしよう(これは Clayton Christensen が言うところの「今はまだ消費が発生していないところへの参入」というやつだ)。こういった人々はかかえている問題について解決方法がすでに存在しているという事を知らないか、もしくは解決方法を知っていて手を出してみたがひどく高価であったり取り扱いが面倒だったという経験がある。こういった人々は機能の豊富さ等について口うるさく言ったりはしない。きちんと動きさえすればシンプルなものでかまわないのだ。
これはつまり、顧客の初歩的なニーズをきちんと満たすものを作ればマーケットにおいて勝利出来るという事を意味する。高機能/高価格を求める顧客より単純/低価格を求める顧客の方が常に多い。(見本市においては単純/低価格なものは報道ウケがあまり良くないかもしれないが、単純/低価格なものこそ大多数の人々が現実に求めているものなのだ)
3つ例を挙げよう
1. Nintendo は他のテレビゲーム機を利用した事が無い人を狙った。Xbox 360 と SONY の先行機種が共にゲーム経験豊富な玄人ゲーマーに食指を伸ばしたのに対し、Nintendo は初心者を狙った。Wii のコントローラーは3歳の子供でも遊べるくらいにテレビゲームをシンプルなものにした。Nintendo はこれにより繁栄を手にしたのである。
2. Jitterbug は高齢者のために、そして従来の携帯電話は複雑すぎるという点に気付いた人のために作られた携帯電話である。高機能携帯がてんこもりの機能とアプリを顧客に提供する一方で、 Jitterbug はシンプルな携帯を作り続け、顧客の年齢統計動向に注目した。大きなスクリーンとキー、昔ながらの電話のような発信音、音の大きいスピーカー、補聴器とも共用可能、利用に当たって面倒な契約は不要、それがJitterbugだ。
3. アメリカでは半数近い大学生がコミュニティカレッジ(訳注: アメリカにおける短大や専門学校)にも通っている。何故だろう? 学費が手頃である事、入学試験が厳しくない事、通信課程で学位が取得出来る事、看護士・消防士・警察官・救急医療隊員を目指すための学位取得など労働需要に焦点を当てた課程がある事などが理由に挙げられる。これはつまりコミュニティカレッジというものが、もしコミュニティカレッジというものがなければ教室で教育課程を終えるハメになっていたような人々をも生徒として取り込む事が可能なのだという事に他ならない。
もし諸君が既存のものよりシンプルで手頃な代替品を作り出せば、新たな顧客を囲い込む事が出来るだろう。だれかのパイに手を伸ばす必要など無い。新しいパイを焼けば良いのだ。
関連エントリ:How Obama targets nonconsumption [SvN]
2009年10月19日月曜日
[メモ] 二次著作を認めない文化は滅びるのみ
近年では東方を、昔日にあっては本歌取を見れば明白なのだが、パロディアとミメーシスの発現たる二次著作を認めずして文化の興隆も交流もありえないということは、もはや否定のしようがない事実になっている。
「難しいのは単なるコピペ改変との線引きだ」といったような知ったかをふりかざした時期が私にもありましたが、それすらもまた必要なのだと思い知るに至った次第。ミームマシンという概念はこの辺りの状況を実に上手くモデリングしてくれる。
「難しいのは単なるコピペ改変との線引きだ」といったような知ったかをふりかざした時期が私にもありましたが、それすらもまた必要なのだと思い知るに至った次第。ミームマシンという概念はこの辺りの状況を実に上手くモデリングしてくれる。
2009年10月17日土曜日
[メモ] なぜ私は jQuery が好きになったのだろう?
「prototype.js はクラスベース OOP に色目を使っているから」というのもあるんだが、「秋の田のかりほの庵のとまをあらみ」でふと思った。どうやら jQuery オブジェクトの「数珠つなぎ」指向が心地よいからというのが理由の一つにありそうだ。
var reason = 田(秋).庵(仮廬).苫(粗);
といったところか。意味論的には変なのでここはひとつ is-a/has-a 視点でやまとうたを OOA してみる必要が有るな等と思ほゆるもいといみじ。
var reason = 田(秋).庵(仮廬).苫(粗);
といったところか。意味論的には変なのでここはひとつ is-a/has-a 視点でやまとうたを OOA してみる必要が有るな等と思ほゆるもいといみじ。
ラベル:
jQuery,
programming,
百人一首
2009年10月1日木曜日
[メモ] Παρνασσός
2010年1月全国ロードショー 映画『Dr.パルナサスの鏡』公式サイト:
タイトルを見てドビュッシーの『グラドゥス・アド・パルナッスム博士』を思い出しましたわ。
予告編を見る限り、じじぃ萌えあり microphilia ありのギリアムらしさに加え、美女とイケメンもてんこ盛り。幻想三部作の流れだから安心して見れそうだというのもあるけど、哲学と興行の折り合いについてギリアムなりに結論を出した一本なのかなという第一印象もあり、そういう意味でも期待大。
それにしても何故『パルナサス』? 『パルナッソス』の方が人口に膾炙していると思うんだが。邦題を付けた担当者が、エーゲ文明から連綿と続くパルナッソス山の神話を知らんとしたら笑えるけどね。
タイトルを見てドビュッシーの『グラドゥス・アド・パルナッスム博士』を思い出しましたわ。
予告編を見る限り、じじぃ萌えあり microphilia ありのギリアムらしさに加え、美女とイケメンもてんこ盛り。幻想三部作の流れだから安心して見れそうだというのもあるけど、哲学と興行の折り合いについてギリアムなりに結論を出した一本なのかなという第一印象もあり、そういう意味でも期待大。
それにしても何故『パルナサス』? 『パルナッソス』の方が人口に膾炙していると思うんだが。邦題を付けた担当者が、エーゲ文明から連綿と続くパルナッソス山の神話を知らんとしたら笑えるけどね。
2009年9月25日金曜日
[メモ][Microsoft] バカなの?死ぬの?
[CNET Japan] MS vs グーグル:IEプラグイン「Google Chrome Frame」をめぐり舌戦
なんかこう、Microsoft の姿勢を見ていると、ブーメランが凄く得意な極東の某政党を思い出させるんですけど。
Google もこんなまどろっこしいやり方でなく Microsoft の尻を叩くやり方で進めた方が良いでしょう。まぁ IE に関しては放置プレイというのが、いろんな意味で一番良いんですがね。
なんかこう、Microsoft の姿勢を見ていると、ブーメランが凄く得意な極東の某政党を思い出させるんですけど。
Google もこんなまどろっこしいやり方でなく Microsoft の尻を叩くやり方で進めた方が良いでしょう。まぁ IE に関しては放置プレイというのが、いろんな意味で一番良いんですがね。
[メモ] M&Aされる祖国を悼む
自分がドイツ人である事を慚じて死んでいったショウペンハウエルの気持ちが、今になってようやく、心底から理解出来る。国が滅びるとはこういうことなのだ。
俺はもう、自分の本当にやりたいことだけをやって生きる事にするよ。俺の人生の無聊を慰めてくれた人類の宝だけを友として生きる事にするよ。
ショバ代くらいは払ってやるから邪魔すんじゃねーぞボケが。
俺はもう、自分の本当にやりたいことだけをやって生きる事にするよ。俺の人生の無聊を慰めてくれた人類の宝だけを友として生きる事にするよ。
ショバ代くらいは払ってやるから邪魔すんじゃねーぞボケが。
2009年9月21日月曜日
[Geek And Poke] programme sauvage
[Geek And Poke] Microgeek
"Not just a tool" というのがこれまた効いてます。まずは設計からとかまずはクラス図きちんと描けとか言った感じの、対象をオブジェクトに矮小化することから始めろという思想にはもううんざりなんですわ。
"Not just a tool" というのがこれまた効いてます。まずは設計からとかまずはクラス図きちんと描けとか言った感じの、対象をオブジェクトに矮小化することから始めろという思想にはもううんざりなんですわ。
ラベル:
GEEK AND POKE,
programming
2009年9月20日日曜日
[メモ][html5] こっちみんな(AA略
[ZDNet] グーグル、「HTML 5」への積極的参加でマイクロソフトを賞賛
なんかイヤンですな。味方だと思ったらスパイだったとか、庇を貸して母屋を取られるとか。まぁ Google が味方ってのも実は怪しいわけですが。
なんかイヤンですな。味方だと思ったらスパイだったとか、庇を貸して母屋を取られるとか。まぁ Google が味方ってのも実は怪しいわけですが。
2009年9月19日土曜日
[37signals] 次世代の担い手達が膝を屈する時
(原文: The next generation bends over)
Intuit の Mint 買収報道にはマジでションベンちびった。
なんでこの件が気になるかって? これはベンチャーキャピタルどもが引き起こす癌、つまり我々が属する業界を蝕み、次世代を担う者達を駆逐する癌の兆候にほかならないと私は考えるからだ。細かい裏事情は知らんが、この買収は Mint の出資者が後押ししたものと思われる。賭けてもいいぜ。
老いぼれた現役に銃を突き付ける新人、というパターンが Mint にはある。銃を突き付けるだけでなく勝利を手にするというパターンもだ。この新人企業は素晴らしい製品・デザイン・潜在能力を持っていた。急速な成長を遂げ、この、収益向上というゲームを知り尽くしていた。彼らは産業の、既得権益者によって死に体を呈するに至った産業の、再構築を行いつつあった。
こういったことは彼らの競合会社である Intuit には皆無なことだ。Mint が創造を進める一方、Intuit にはひとかけらの創造もなかった。世間の人々は慣例と旧習に従って Quickbooks/Quicken(訳注: Intuit の主力サービスのこと)を使った。Mint 製品を使う人々は製品への愛着をもとに Mint 製品を使った。Intuit には不平不満があふれていたが、Mint は未来を切り開く破壊的テクノロジにあふれていた。
にもかかわらず「ここ10年にわたって個人向け資産管理サービス業界に君臨した Intuit が、来る10年も業界に君臨し続ける」ハメになったというのが今回のこの一件なのだ。Mint は業界においてすでに確固たる地位を得ていたが、その地位を1億7千万ドルで売却した。多額の報酬であることは間違いないし、彼らが費やした2年間の目的がそれだというのであれば、上手いことモノにしたなということになるが、私にはどうしても Mint にそういった意図があったとは思えない。Mint の潜在能力を考えればその程度のはした金で買収なんてありえないのだ。
Mint は、この業界におけるゲームの流れを変えることになるであろう次世代企業達の中でも、鍵を握るリーダーだった。今やそれが Intuit の、前世代における典型的企業である Intuit の、所有物となってしまった。何たる損失であろう。ニュータイプにとってこれが最善の選択だと? オールドタイプに隷属することが? じじいどものケツを蹴飛ばすという手はなかったのか? 何だってんだ一体?
素晴らしい製品を送り出している若い企業が年老いた大企業に吸収されるようなことが増えるにつれ、変革をもたらす次の世代の者達が失われていく。我々は知っているのだ、彼らは自分たちの製品がどれほど全世界の顧客を熱狂させることになるかを主張するためにプレスリリースを出す事も出来るし、買収を目指す会社がいかに莫大な資産を自分たちに注ぎ込むことになるかを主張することだって出来るのに、そんなことにはならないのだということを。開発は停滞し、製品の売り上げは失速し、素晴らしい製品を作り上げたスタッフ達は職場を去り、ボンクラだけが職場に居座ってこそこそ這いずり回る。常にそうなるわけじゃないが、大抵そうなる。
Thomas Jefferson はこう語った「周期的な変革が、最低でも20年に一度の変革が、政府の無病息災という健康の観点から見て必要である」と。このことはビジネスにおいて、より真実味を増す。我々に必要なのは新たなる血脈・新たなる企業・新たなるアイディア・新たなるアプリケーション・活気を失った産業に喝を入れる新たなるリーダーなのだ。古いものは新しいもののための肥やしとなるべきだ。
だが現状はといえば、古いものが新しいものを肥やしにしている。いいかげんにしやがれだ。さぁ、築き上げよう、じじいどもに喧嘩を売り、勝利し、我々に続く次の世代が追いつくまで戦場で持ちこたえ、我々全員にがんばれとハッパをかけてくれる偉大なる企業を。たとえ打ち倒されたとしても、何度でも、何度でも、何度でもだ。世の中を良くするにはそれしかない。
訳者コメント:
世界を覆うこの状況下、Jason のこのアジ演説を目の当たりにして、身につまされる思いをする人は多いだろう。
もはや誰もが当事者になってしまった。他人事で済まされなくなったわけだ。新陳代謝を軽視し、麻薬を打ち続けて痛みを誤摩化してきたツケがこのザマだ。
最悪なのは、これに乗じて偽りの変化を世界にもたらそうとする連中がしゃしゃり出てきたこと。目先にぶらさげられた「変化」なるものが麻薬どころか毒薬であることに気付けなくなる程に盲いた国民達の運命や如何に。
Intuit の Mint 買収報道にはマジでションベンちびった。
なんでこの件が気になるかって? これはベンチャーキャピタルどもが引き起こす癌、つまり我々が属する業界を蝕み、次世代を担う者達を駆逐する癌の兆候にほかならないと私は考えるからだ。細かい裏事情は知らんが、この買収は Mint の出資者が後押ししたものと思われる。賭けてもいいぜ。
老いぼれた現役に銃を突き付ける新人、というパターンが Mint にはある。銃を突き付けるだけでなく勝利を手にするというパターンもだ。この新人企業は素晴らしい製品・デザイン・潜在能力を持っていた。急速な成長を遂げ、この、収益向上というゲームを知り尽くしていた。彼らは産業の、既得権益者によって死に体を呈するに至った産業の、再構築を行いつつあった。
こういったことは彼らの競合会社である Intuit には皆無なことだ。Mint が創造を進める一方、Intuit にはひとかけらの創造もなかった。世間の人々は慣例と旧習に従って Quickbooks/Quicken(訳注: Intuit の主力サービスのこと)を使った。Mint 製品を使う人々は製品への愛着をもとに Mint 製品を使った。Intuit には不平不満があふれていたが、Mint は未来を切り開く破壊的テクノロジにあふれていた。
にもかかわらず「ここ10年にわたって個人向け資産管理サービス業界に君臨した Intuit が、来る10年も業界に君臨し続ける」ハメになったというのが今回のこの一件なのだ。Mint は業界においてすでに確固たる地位を得ていたが、その地位を1億7千万ドルで売却した。多額の報酬であることは間違いないし、彼らが費やした2年間の目的がそれだというのであれば、上手いことモノにしたなということになるが、私にはどうしても Mint にそういった意図があったとは思えない。Mint の潜在能力を考えればその程度のはした金で買収なんてありえないのだ。
Mint は、この業界におけるゲームの流れを変えることになるであろう次世代企業達の中でも、鍵を握るリーダーだった。今やそれが Intuit の、前世代における典型的企業である Intuit の、所有物となってしまった。何たる損失であろう。ニュータイプにとってこれが最善の選択だと? オールドタイプに隷属することが? じじいどものケツを蹴飛ばすという手はなかったのか? 何だってんだ一体?
素晴らしい製品を送り出している若い企業が年老いた大企業に吸収されるようなことが増えるにつれ、変革をもたらす次の世代の者達が失われていく。我々は知っているのだ、彼らは自分たちの製品がどれほど全世界の顧客を熱狂させることになるかを主張するためにプレスリリースを出す事も出来るし、買収を目指す会社がいかに莫大な資産を自分たちに注ぎ込むことになるかを主張することだって出来るのに、そんなことにはならないのだということを。開発は停滞し、製品の売り上げは失速し、素晴らしい製品を作り上げたスタッフ達は職場を去り、ボンクラだけが職場に居座ってこそこそ這いずり回る。常にそうなるわけじゃないが、大抵そうなる。
Thomas Jefferson はこう語った「周期的な変革が、最低でも20年に一度の変革が、政府の無病息災という健康の観点から見て必要である」と。このことはビジネスにおいて、より真実味を増す。我々に必要なのは新たなる血脈・新たなる企業・新たなるアイディア・新たなるアプリケーション・活気を失った産業に喝を入れる新たなるリーダーなのだ。古いものは新しいもののための肥やしとなるべきだ。
だが現状はといえば、古いものが新しいものを肥やしにしている。いいかげんにしやがれだ。さぁ、築き上げよう、じじいどもに喧嘩を売り、勝利し、我々に続く次の世代が追いつくまで戦場で持ちこたえ、我々全員にがんばれとハッパをかけてくれる偉大なる企業を。たとえ打ち倒されたとしても、何度でも、何度でも、何度でもだ。世の中を良くするにはそれしかない。
訳者コメント:
世界を覆うこの状況下、Jason のこのアジ演説を目の当たりにして、身につまされる思いをする人は多いだろう。
もはや誰もが当事者になってしまった。他人事で済まされなくなったわけだ。新陳代謝を軽視し、麻薬を打ち続けて痛みを誤摩化してきたツケがこのザマだ。
最悪なのは、これに乗じて偽りの変化を世界にもたらそうとする連中がしゃしゃり出てきたこと。目先にぶらさげられた「変化」なるものが麻薬どころか毒薬であることに気付けなくなる程に盲いた国民達の運命や如何に。
2009年9月18日金曜日
[メモ] 長いものには巻かれろってか
[asahi.com] 民主批判から一転、農水次官「献身的に大臣支えたい」
朝臣達が曹操を魏王に立てると言い出した時に尚書の崔琰は反対して言った「時勢か、時勢か。定めし変事がおこるであろう」
密告によりこれを耳にした曹操は崔琰を捕え牢に入れた。崔琰は牢内でも曹操を逆賊と罵り続けたが、曹操の命により杖で打ち殺されたという。
朝臣達が曹操を魏王に立てると言い出した時に尚書の崔琰は反対して言った「時勢か、時勢か。定めし変事がおこるであろう」
密告によりこれを耳にした曹操は崔琰を捕え牢に入れた。崔琰は牢内でも曹操を逆賊と罵り続けたが、曹操の命により杖で打ち殺されたという。
[Apple] どうもヤバい
[YouTube] Incredible, amazing, awesome Apple
着眼点の良さ・編集の上手さに依る部分は大きいし、プレゼンなんて所詮こんなもんですという感は確かにあるけど、ここまでくると、なんかこうね、「逃げて〜」という感じがひしひしとね。
ネタ切れなのかな。Jobs と同様、Apple の創造性は痩せ衰えていく一方なのだろうか。Apple の DNA は既に継承済だと思っていたのだが。
着眼点の良さ・編集の上手さに依る部分は大きいし、プレゼンなんて所詮こんなもんですという感は確かにあるけど、ここまでくると、なんかこうね、「逃げて〜」という感じがひしひしとね。
ネタ切れなのかな。Jobs と同様、Apple の創造性は痩せ衰えていく一方なのだろうか。Apple の DNA は既に継承済だと思っていたのだが。
2009年9月17日木曜日
[メモ] 粛清内閣・いじめ内閣
ここぞとばかりに好き放題しとりますな。突っ込みどころが多すぎて、全くどうしたものやら。
とりあえず爆笑させてくれたものとして、平野によるネット閉め出しがあります。期待に違わぬ壊れっぷりで、就任早々、マニフェストを反古にしやがりました。
これに続いて原口の電波利用料大幅値下げカードや新聞への公的資金投入カードが出せれば、既存マスコミ大本営発表化コンボの完成ですな。
いやはや、これがあの軍靴の響きってやつですか。
長島さん、こいつらを放っておくようでは貴方も同類だと思われますよ。「何の面目ありて祖宗の神霊に相見せんとはする」という事態になってからでは遅いのです。
とりあえず爆笑させてくれたものとして、平野によるネット閉め出しがあります。期待に違わぬ壊れっぷりで、就任早々、マニフェストを反古にしやがりました。
これに続いて原口の電波利用料大幅値下げカードや新聞への公的資金投入カードが出せれば、既存マスコミ大本営発表化コンボの完成ですな。
いやはや、これがあの軍靴の響きってやつですか。
長島さん、こいつらを放っておくようでは貴方も同類だと思われますよ。「何の面目ありて祖宗の神霊に相見せんとはする」という事態になってからでは遅いのです。
2009年9月14日月曜日
2009年9月10日木曜日
[Apple] 変な方向に進んでいる
[Apple] 新しいiPod nano
[CNET Japan] 大幅な機能強化で地盤を固める「iPod nano」--ビデオカメラ、FMラジオなどが追加に
なんでこんなAppleでなくても作れそうなものを作る? 何この派手な幕の内弁当?
なんか怪しい。まだ隠し玉があるんだろうか。
[CNET Japan] 大幅な機能強化で地盤を固める「iPod nano」--ビデオカメラ、FMラジオなどが追加に
なんでこんなAppleでなくても作れそうなものを作る? 何この派手な幕の内弁当?
なんか怪しい。まだ隠し玉があるんだろうか。
[37signals] コミュニケーション改善について
(原文: On communicating better)
先週我々は、8月の始めに見つかったセキュリティホール不正利用に関するやりとりにおいてあいまいな態度をとったことで、文字通り石炭の上を引きずり回される様な非難(drag a person over the coals)にさらされた。
問題はRuby on Railsにあることが判明した。このセキュリティホール不正利用は(自社と他社の)多くの製品に影響を与えた。本件は初期の調査が済んだ後に Rails セキュリティチームが引き受け、最初の報告があがってきてから数日のうちに根本原因に対するパッチが適用された。
修正は即座に行われたのに、コミュニケーションが不完全だった
問題は我々が終始、任務遂行の際のコミュニケーションに関して駄目駄目だった点にあった。我々は最初に脆弱性を報告してくれた人物とのコミュニケーションを怠り、社内でも怠り、公の場でも怠っていた。
完璧なセキュリティとは動きまわる標的のようなものだ。新たなセキュリティホール不正利用とそれに対するセキュリティ保護方法の発見は長い時間をかけて現れてくる。それらはOS上で、ブラウザ上で、フレームワーク上で、組み込みシステム上で、商用ソフト上で発生する。ソフトウェア産業に携わる者なら誰であれ、時々こういった問題に対処する必要が出てくる。重要なのは、問題をきちんと把握し、適切な部署に解決を委託し、問題の深刻度と優先度に応じて適切に対処し、関係者全員で包み隠さず連絡をとりあうことだ。誰かがセキュリティに関する問題を報告する時、彼らは解決の助けになりたいという意図のもと、報告してくれる。この点を忘れないことが我々にとって重要なことだ。
改善にむけて
なんでこうなったかを徹底的に吟味した後、我々はセキュリティ報告の取り扱いに関する社内プロセスの再検討を開始した。これはまだ始まったばかりの長期プロジェクトだ。短期で達成出来そうなものの中に、37signals.com のセキュリティ関連ページにおいていかにしてみんなとコミュニケーションをとるか、という再検証作業があった。
(時々こうするのが健康に良いことだというのは明らかなので)顏をぱちぱち叩いて目を覚ましてみると、使っている文言がよろしくないのだということがはっきりした。我々は、こんなもんだろう、という先入観にとらわれていたようだ。言葉足らずなものが何行かあった。こんなページにしようなどとは誰も思ってもいなかったのに、変えようというところまでは誰も気が回らなかった。今こそ刷新の時だ。
古いバージョン
「重要なデータを失う事は絶対にありません」「データが危険にさらされる事はありえません」「いつでもデータにアクセス出来ます」といったセリフは言うは易しだが、「絶対に」「ありえない」「いつでも」なんてのはセキュリティの世界ではありえない。何10億ドルもするセキュリティシステムが組み込まれた政府・銀行のコンピュータでさえ危険にさらされる可能性はあるのだ。誇大広告という手もありなんだろうが、我々はそうするつもりはない。
我々が約束出来るのは、我々がセキュリティの問題を真剣に受け止めているという事、我々がデータの安全とセキュリティを確保する為に多額を投じているという事、我々が今後もセキュリティの促進に専念するという事だ。社内の調査体制、社外の調査体制、パッチの適用、セキュリティ研究機関の報告に基づいた実践、耳を傾ける事。これらは我々がセキュリティ確保に専念する為の手段のほんの一部だ。
以上の事を肝に銘じた上で、見出し・本文・顧客が目にするセキュリティ関連のメッセージを書き直した。以前一緒に作業を行ったことのあるセキュリティ関連会社にも助言を求めた。問題はまだ残っているが文言は改善された。これなら表に出しても良いだろう。
現行の新しいバージョン
「データを失う事は絶対にありません」の代わりに「我々はデータを保護します」と言い換えた。「危険にさらされる事はありえません」の代わりに、物理的なセキュリティについて説明した(本文は前と同じものをコピーしたのだが、前の見出しは実際のところ全然内容にそぐわないものだった)。「いつでも」の代わりに「重要システムについて冗長性を確保しました」と言い換えた。曖昧な言葉ではなく意味の通る言葉にしたので、より良いものになった。
標準のセキュリティ関連ページの更新に加えて「セキュリティに関するお客様からの声」ページを作成した。このページではセキュリティ報告の提供に関するプロセスの詳細とセキュリティ報告の取り扱いがどのように行われるかについての説明が行われている。脆弱生について報告してくれた人とセキュリティ改善に協力してくれた人の名前の一覧も加えるつもりだ。
絶え間なき前進
我々のこれまでに打った手の中には他にも、セキュリティに関する専用窓口を設けた事、セキュリティ問題の報告を行う為の特別なメールアドレス(改竄を防ぐ為に公開鍵を用いる)を作成した事、適切な人に問題報告書をまわせるようにするためにより良い社内向けプロセスを作った事、問題報告のためにより良い社外向けプロセスをシステムに実装した事などがある。
もちろん広報ページの文言を刷新することと実際のセキュリティ問題とには何の関わりもないが、いかにしてコミュニケーションを図るかということがセキュリティ問題と大いに関わりがある事は間違いない。我々はこれまでも誤りを犯してきたがそのたびに改善してきた。我々は完璧ではないし今後も完璧になることはないだろうが、完璧を目指すという点については変わらない。自分の仕事をさし置いてまで我々とともにセキュリティ上の欠点を発見し・修正し・暴いてくれた全ての人に感謝の意を表明したい。
訳者コメント:
先日報じられた Rails の XSS 脆弱性に関する 37signals の取り組みについて書かれたエントリ。企業コンプライアンスだのなんだのと大げさな事を言う前にやるべきことがある、というのがよくわかる。
あくまでも私見ではあるが今回思ったのは、問題にすべきはセキュリティうんぬんではなく、オープンソースプロダクトは容易に公(public)としての責務を負わされ、こういった悲劇が生まれるという点にあるのではないか、ということ。
フリーソフトウェア運動は「自分で何とかする」という精神が先行するのに対し、オープンソース運動はプロプライエタリなソフトと同様の需給関係、つまり作る人と使う人という依存関係が発生しがちなように思える。
先週我々は、8月の始めに見つかったセキュリティホール不正利用に関するやりとりにおいてあいまいな態度をとったことで、文字通り石炭の上を引きずり回される様な非難(drag a person over the coals)にさらされた。
問題はRuby on Railsにあることが判明した。このセキュリティホール不正利用は(自社と他社の)多くの製品に影響を与えた。本件は初期の調査が済んだ後に Rails セキュリティチームが引き受け、最初の報告があがってきてから数日のうちに根本原因に対するパッチが適用された。
修正は即座に行われたのに、コミュニケーションが不完全だった
問題は我々が終始、任務遂行の際のコミュニケーションに関して駄目駄目だった点にあった。我々は最初に脆弱性を報告してくれた人物とのコミュニケーションを怠り、社内でも怠り、公の場でも怠っていた。
完璧なセキュリティとは動きまわる標的のようなものだ。新たなセキュリティホール不正利用とそれに対するセキュリティ保護方法の発見は長い時間をかけて現れてくる。それらはOS上で、ブラウザ上で、フレームワーク上で、組み込みシステム上で、商用ソフト上で発生する。ソフトウェア産業に携わる者なら誰であれ、時々こういった問題に対処する必要が出てくる。重要なのは、問題をきちんと把握し、適切な部署に解決を委託し、問題の深刻度と優先度に応じて適切に対処し、関係者全員で包み隠さず連絡をとりあうことだ。誰かがセキュリティに関する問題を報告する時、彼らは解決の助けになりたいという意図のもと、報告してくれる。この点を忘れないことが我々にとって重要なことだ。
改善にむけて
なんでこうなったかを徹底的に吟味した後、我々はセキュリティ報告の取り扱いに関する社内プロセスの再検討を開始した。これはまだ始まったばかりの長期プロジェクトだ。短期で達成出来そうなものの中に、37signals.com のセキュリティ関連ページにおいていかにしてみんなとコミュニケーションをとるか、という再検証作業があった。
(時々こうするのが健康に良いことだというのは明らかなので)顏をぱちぱち叩いて目を覚ましてみると、使っている文言がよろしくないのだということがはっきりした。我々は、こんなもんだろう、という先入観にとらわれていたようだ。言葉足らずなものが何行かあった。こんなページにしようなどとは誰も思ってもいなかったのに、変えようというところまでは誰も気が回らなかった。今こそ刷新の時だ。
古いバージョン
「重要なデータを失う事は絶対にありません」「データが危険にさらされる事はありえません」「いつでもデータにアクセス出来ます」といったセリフは言うは易しだが、「絶対に」「ありえない」「いつでも」なんてのはセキュリティの世界ではありえない。何10億ドルもするセキュリティシステムが組み込まれた政府・銀行のコンピュータでさえ危険にさらされる可能性はあるのだ。誇大広告という手もありなんだろうが、我々はそうするつもりはない。
我々が約束出来るのは、我々がセキュリティの問題を真剣に受け止めているという事、我々がデータの安全とセキュリティを確保する為に多額を投じているという事、我々が今後もセキュリティの促進に専念するという事だ。社内の調査体制、社外の調査体制、パッチの適用、セキュリティ研究機関の報告に基づいた実践、耳を傾ける事。これらは我々がセキュリティ確保に専念する為の手段のほんの一部だ。
以上の事を肝に銘じた上で、見出し・本文・顧客が目にするセキュリティ関連のメッセージを書き直した。以前一緒に作業を行ったことのあるセキュリティ関連会社にも助言を求めた。問題はまだ残っているが文言は改善された。これなら表に出しても良いだろう。
現行の新しいバージョン
「データを失う事は絶対にありません」の代わりに「我々はデータを保護します」と言い換えた。「危険にさらされる事はありえません」の代わりに、物理的なセキュリティについて説明した(本文は前と同じものをコピーしたのだが、前の見出しは実際のところ全然内容にそぐわないものだった)。「いつでも」の代わりに「重要システムについて冗長性を確保しました」と言い換えた。曖昧な言葉ではなく意味の通る言葉にしたので、より良いものになった。
標準のセキュリティ関連ページの更新に加えて「セキュリティに関するお客様からの声」ページを作成した。このページではセキュリティ報告の提供に関するプロセスの詳細とセキュリティ報告の取り扱いがどのように行われるかについての説明が行われている。脆弱生について報告してくれた人とセキュリティ改善に協力してくれた人の名前の一覧も加えるつもりだ。
絶え間なき前進
我々のこれまでに打った手の中には他にも、セキュリティに関する専用窓口を設けた事、セキュリティ問題の報告を行う為の特別なメールアドレス(改竄を防ぐ為に公開鍵を用いる)を作成した事、適切な人に問題報告書をまわせるようにするためにより良い社内向けプロセスを作った事、問題報告のためにより良い社外向けプロセスをシステムに実装した事などがある。
もちろん広報ページの文言を刷新することと実際のセキュリティ問題とには何の関わりもないが、いかにしてコミュニケーションを図るかということがセキュリティ問題と大いに関わりがある事は間違いない。我々はこれまでも誤りを犯してきたがそのたびに改善してきた。我々は完璧ではないし今後も完璧になることはないだろうが、完璧を目指すという点については変わらない。自分の仕事をさし置いてまで我々とともにセキュリティ上の欠点を発見し・修正し・暴いてくれた全ての人に感謝の意を表明したい。
訳者コメント:
先日報じられた Rails の XSS 脆弱性に関する 37signals の取り組みについて書かれたエントリ。企業コンプライアンスだのなんだのと大げさな事を言う前にやるべきことがある、というのがよくわかる。
あくまでも私見ではあるが今回思ったのは、問題にすべきはセキュリティうんぬんではなく、オープンソースプロダクトは容易に公(public)としての責務を負わされ、こういった悲劇が生まれるという点にあるのではないか、ということ。
フリーソフトウェア運動は「自分で何とかする」という精神が先行するのに対し、オープンソース運動はプロプライエタリなソフトと同様の需給関係、つまり作る人と使う人という依存関係が発生しがちなように思える。
2009年9月8日火曜日
[メモ] Atari ショックまだ〜?(AA略
ということで App Store なんですが、もう萎え萎えです。なにこのレッドオーシャンw
先見の明でいち早く参入された方々は尊敬するほか無いのですが、いまさら参入ってのはちょっと正気の沙汰とは思えんのです。市場規模や評価システムが当時とは全然違うとはいえ、これほどのゴミの山を目にすると引きますわ。
ちうことで html5 界隈に専念します。
先見の明でいち早く参入された方々は尊敬するほか無いのですが、いまさら参入ってのはちょっと正気の沙汰とは思えんのです。市場規模や評価システムが当時とは全然違うとはいえ、これほどのゴミの山を目にすると引きますわ。
ちうことで html5 界隈に専念します。
2009年9月4日金曜日
[メモ] 恥を知れ
町村氏、自民総裁選出馬に含み 首相指名で「麻生」に反発広がる
世界同時不況の嵐に耐え、漢字が読めないだの庶民感覚がどうのと言った下らないマスコミの揶揄に耐え、ひたすら国民の生活のために泥を被り続けてきた麻生総理を戦犯扱いする奴らに「次」など無いと知れ。
一部の天下り官僚にのみ目を奪われ、国民のために身をすり減らして働いている官僚の尽力を忘れ、目先の餌につられて民主党に票を投じた愚民も同じことだ。まだ一縷の望みはあるが、そこに全てを注ぎ込まないと「次」は消える。この国ごと。
世界同時不況の嵐に耐え、漢字が読めないだの庶民感覚がどうのと言った下らないマスコミの揶揄に耐え、ひたすら国民の生活のために泥を被り続けてきた麻生総理を戦犯扱いする奴らに「次」など無いと知れ。
一部の天下り官僚にのみ目を奪われ、国民のために身をすり減らして働いている官僚の尽力を忘れ、目先の餌につられて民主党に票を投じた愚民も同じことだ。まだ一縷の望みはあるが、そこに全てを注ぎ込まないと「次」は消える。この国ごと。
武部勤元幹事長が「麻生とは書けない。恥の上塗りだ」と語った。比例でようやく首のつながった奴が何をぬかすか。あんたの息子の行状に眼をつぶって来た者もこれで考えを変えるだろうよ。
[メモ] 諸君、私は政争が好きだ
やっとわかった。彼にとって政権交代なんてどうでもいいことだったのだ。目的なんてハナから無かったのだ。
彼の欲するものはただひとつ。阿鼻叫喚の政争交響楽だけなのだ
16年前に国民全員が気付いて然るべきことだった。
悪い事は言わない、民主党の諸君はすみやかに彼を切り離し、検察に引き渡すべきだ。諸君が日本を混迷から救い民主主義史において栄誉ある位置を占めんとするならば、もはやこれ以外に方法はない。それとも戦犯の孫はやはり戦犯という汚名を進んで受けるおつもりか?
追記:
人権擁護法案の成立が現実的になってきた以上、もはや「わたしヘタレですからw」などと逃げを打つわけにはいかなくなった。座して死を待つほど達観しておりませんのでね、私は。
敵を明確にする事ではじめて味方が見えてくる。少なくとも私の立位置だけは明確にしておく必要があるだろう。
「目的のためなら手段を選ぶな 君主論の初歩だそうだがそんなことは知らないね
いいかなお嬢さん 貴方はかりにも一反撃戦力の指揮者ならば知っておくべきだ
世の中には手段の為ならば目的を選ばないという様などうしようもない連中も確実に存在するのだ」
彼の欲するものはただひとつ。阿鼻叫喚の政争交響楽だけなのだ
「彼」はいったよ
「政争の歓喜を無限に味わうために 次の政争のために 次の次の政争のために」
一介の在日風情が・・・まるで魔界の軍団長の様な口ぶりで
16年前に国民全員が気付いて然るべきことだった。
悪い事は言わない、民主党の諸君はすみやかに彼を切り離し、検察に引き渡すべきだ。諸君が日本を混迷から救い民主主義史において栄誉ある位置を占めんとするならば、もはやこれ以外に方法はない。それとも戦犯の孫はやはり戦犯という汚名を進んで受けるおつもりか?
追記:
人権擁護法案の成立が現実的になってきた以上、もはや「わたしヘタレですからw」などと逃げを打つわけにはいかなくなった。座して死を待つほど達観しておりませんのでね、私は。
敵を明確にする事ではじめて味方が見えてくる。少なくとも私の立位置だけは明確にしておく必要があるだろう。
2009年9月1日火曜日
[メモ] John Gruber が格好良すぎる件
[DARING FIREBALL] Samsung Application Store
John Gruber の反応はたった一言
John Gruber の反応はたった一言
成功すると良いね(棒読み)「まぁせいぜい頑張れやw」と訳すほうが適切かな。彼の目利きの確かさはこういったコントラストの高さにもあらわれている。
ラベル:
John Gruber,
メモ
[メモ, 民主党] けものみち
時事ドットコム:09年度補正予算を執行停止へ=概算要求も見直し−民主
これって何かに似てるなとしばらく考えていたら思い当たった。これはライオンの子殺しなのだ。
ライオンの世界ではボスの入れ替わりが発生した場合、新ボスの第一の仕事は旧ボスの子供を根絶やしにする事だ。「かわいそう」という声が上がりそうだが、ライオンに限らず多くのけものにとってこの行為は至極当たり前の事だ。ボスにとって大切なのは「種の繁栄」ではなく「自分の遺伝子を残す事」であり、その障害になるものは排除するのが当然だからだ。
どうやら新ボスである民主党はこのライオン流で進むようで、旧ボス自民党の子供である補正予算は根絶やしにすると表明した。この補正予算を織り込んで雇傭の拡大を目指していた中小企業などは、採用計画を全て白紙に戻す事になるだろう。既に内定が出ている人がいたとして、これによりその人が内定取消しになっても「かわいそう」と言ってはならんわけだ。民主党にとって大事なのは景気回復ではなく自らの遺伝子たる政策の遂行なのだから。
ということで、民主党は看板を「友愛」から「けものみち」へときちんと変更しておくこと。さもないと羊頭狗肉だってJAROにチクっちゃうよ。
2009年8月31日月曜日
[旧メモ] こしかたゆくすゑおもひやりて
2006/10/14
- ピタゴラそうちを作れるようなレベルまでインタフェースが抽象化されないと、ソフトってのはいつまでも石器時代のままということですわ。
- Open SourceからOpen Soulへ
- 知への渇望が人を動かす
- 知にまつわる価値でなく知そのものの価値を定量化できなければ知の経済はなりたたない。
- 知が持つエネルギーの変換効率をもっともっと上げる必要がある。
- 勝つことが重要なのではない。バランスを保つことこそが重要なのだ。勝つことによってバランスが崩れるのならば、絶対に勝ってはならない。
- 結局「価値とは何か?」という問題にいきつく
- 放送は通信から生まれ、そしてまた通信に還ろうとしている。
- もはや機械に人間の真似をさせる時代ではない。人間が機械に歩み寄る必要がある。
- 機械に愛されるには人間に愛されるために必要な努力とはまた違った努力が必要になると思われがちだが、たぶんそれは間違いだ。どちらも人の子なのだから。
- 機械に自然言語を理解させるよりは、人間が機械語を話すほうがはるかに現実的だ。さすがに直接バイナリを出力できる人間はいない(むかしはいた)が、プログラミング言語というツールでもって、我々は機械にあゆみよってきた。
- いつまでアップデートという無間地獄で生きていくつもりなんだおまいらは
2009年8月30日日曜日
[メモ] 失われた100年にむけて
戦争はまだ終わっていない。今回の選挙ではっきりしたのはこの一点のみだった。
終わりの始まりという形でしかこの結果を受けとれなかった歯痒さはあるし「もはや次は無いんだろうな」という恐怖はさらに大きい。
されど国民はかく選択せり。
いちぬけたが出来ればなぁと思うと同時に、失われること自体が「失われる」という、笑えないジョークにも似た状況を目にするにつけ、ひっそりと生きていこうという決意を新たにする者がまた増えるのだろうなと思った葉月つごもり。
終わりの始まりという形でしかこの結果を受けとれなかった歯痒さはあるし「もはや次は無いんだろうな」という恐怖はさらに大きい。
されど国民はかく選択せり。
いちぬけたが出来ればなぁと思うと同時に、失われること自体が「失われる」という、笑えないジョークにも似た状況を目にするにつけ、ひっそりと生きていこうという決意を新たにする者がまた増えるのだろうなと思った葉月つごもり。
2009年8月28日金曜日
[メモ] インターネットはエンパシーボックスの夢を見るか?
久々にディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んで気付いたのは、インターネットとそれに接続された各種端末はまさにエンパシー(共感)ボックスなのだということ。携帯なしでは孤独でいたたまれない人々と本書の登場「人」物は完全にオーバーラップしている。たとえそれがかりそめであり虚構だとしても、人は人とのリンクを求めるものらしい。
まぁ、このネタ自体はもはや言い尽くされた感もあり、現実はというと「インターネットは人類補完計画の夢を見るか?」に至ろうとしている。人は人であるために人の姿を捨てなければならぬという命題の真偽値が判明するまであと最低6年は待たなければならないはずだったが、昨今の状況を見ると前倒しもありかもという気がしないでも無い。
まぁ、このネタ自体はもはや言い尽くされた感もあり、現実はというと「インターネットは人類補完計画の夢を見るか?」に至ろうとしている。人は人であるために人の姿を捨てなければならぬという命題の真偽値が判明するまであと最低6年は待たなければならないはずだったが、昨今の状況を見ると前倒しもありかもという気がしないでも無い。
[メモ] 新型インフルエンザ 〜学校という名のタコ部屋〜
[sanspo.com] 新型インフル、甲子園応援で集団感染か
わざわざ感染リスクを増やして児童を危険にさらす馬鹿ども、それが学校というシステムである。
効率を高めるという、一見もっともらしい美辞麗句の陰にはこういった悲惨が満ち満ちている。学校というタコ部屋、満員電車というタコ部屋、スーパーマーケットというタコ部屋、イベント会場というタコ部屋。きりがない。本件に関しては学校と大規模イベントのコンボが見事に決まったわけだ。
こういった効率重視がもたらす人間疎外の原因となっているものの中心には、おそらく都市というシステムがある。都市生活という麻薬は、まるでヒモやDV夫のように、切り離し難いしがらみとなって現代人にまとわりついている。
わざわざ感染リスクを増やして児童を危険にさらす馬鹿ども、それが学校というシステムである。
効率を高めるという、一見もっともらしい美辞麗句の陰にはこういった悲惨が満ち満ちている。学校というタコ部屋、満員電車というタコ部屋、スーパーマーケットというタコ部屋、イベント会場というタコ部屋。きりがない。本件に関しては学校と大規模イベントのコンボが見事に決まったわけだ。
こういった効率重視がもたらす人間疎外の原因となっているものの中心には、おそらく都市というシステムがある。都市生活という麻薬は、まるでヒモやDV夫のように、切り離し難いしがらみとなって現代人にまとわりついている。
2009年8月24日月曜日
[メモ] 「2.0」をどう訳すか
・所詮はマーケティング用語でありバズワードに過ぎないというのは論を待たないところであるが、便利な言葉であるというのは確かで、そして便利の通った後は屍累々である。
・本来の「バージョンアップ」という意味合いからは「漸進的な変化」を想起させるが、似たような語感を持った「change」「政権交代」を見ればわかるように、それは「破壊的な変化」を意味している。「破滅的な変化」というのも言い過ぎではないかもしれない。
・「2.0」がバブルであったように「change」「政権交代」もバブルで終わるのだろう。
・本来の「バージョンアップ」という意味合いからは「漸進的な変化」を想起させるが、似たような語感を持った「change」「政権交代」を見ればわかるように、それは「破壊的な変化」を意味している。「破滅的な変化」というのも言い過ぎではないかもしれない。
・「2.0」がバブルであったように「change」「政権交代」もバブルで終わるのだろう。
2009年8月11日火曜日
[旧メモ] ググルカス
2006/10/19
何があったんだこの日?
・写真という外部記憶からしか思い出を引き出せないレプリカントが増えた。写真撮るくらいなら、自分の目でしっかりと見て脳に焼き付けろってこった。
・おいおいお前ら忘れてねぇか?利便性というのは何らかのリスクと引き換えに手に入れるものだってことを。はやいはなし、ネットで得たものとひきかえに俺らはすげえリスクをしょいこんだということに気付けってこと。
・もはやネット無しでは何も出来なくなり、自分のアタマで考えるのではなくググった結果をコピペするだけの人生。これが地獄以外の何だというんだね?
何があったんだこの日?
[旧メモ] 源平討魔伝? ラブクラフト? フレイザー? 八雲?
2006/09/28
いまやこの世には人間しかいないというのか?
なんというつまらん世界だ!
神も悪魔も妖精もいなくなってしまった。
俺が盲ただけなんだよな?
頼むからそうだと言ってくれ!
2009年8月7日金曜日
[37signals] 「平均」はあてにならない
(原文: The problem with averages)
ビジネス実践において我々は「平均」というものに重きを置き過ぎている。平均レスポンスタイム、平均コンバージョン率(訳注: 商用サイトにおける、訪問者数と実際に購入した人との比率)、平均顧客生涯価値(訳注: 一人の顧客から生涯にわたって得られるであろう損益の累計。LTV)、その他海千山千の「平均」がある。
これら「平均」というものは、実態に即した情報を全然伝えてくれない上に誤った全体像をもたらすことすらある、という問題を抱えている。
New Relic によると、Basecamp の現状平均レスポンスタイムは 87ms である。申し分の無い数字だよね。数字を見る限り、万事上手くいっており、パフォーマンス改善のための最適化作業に時間を費やす必要は全くないように見える。
ところがそうじゃないのだ。この平均値はリクエストやキャッシュ内データを流す際の超高速なレスポンスにより完全に歪められた値なのだ。1000 リクエストについて 5 ms でレスポンスを返せる時と、200 リクエストについて 2000 ms でレスポンスを返す時があったとしても、これらを平均してしまうと 170 ms というまずまずの数値が出てきてしまう。つかえねー。
必要なのは平均ではなくヒストグラム(度数分布)の方だ。これにより事象集団を摘出し、その事象についての改善に着手すべきか否かを判断するのが容易になる。例外的事象を必要以上に重視してしまうこともなくなるので、データに基づく判断はより良いものになると思われる。
追伸:標準偏差は事象の幅が大きい場合はほとんど役に立たない。リクエストの処理に 5 ms で済む場合もあれば 5000 ms 掛かる場合もあるという状態においては標準偏差は意味が無い。
ビジネス実践において我々は「平均」というものに重きを置き過ぎている。平均レスポンスタイム、平均コンバージョン率(訳注: 商用サイトにおける、訪問者数と実際に購入した人との比率)、平均顧客生涯価値(訳注: 一人の顧客から生涯にわたって得られるであろう損益の累計。LTV)、その他海千山千の「平均」がある。
これら「平均」というものは、実態に即した情報を全然伝えてくれない上に誤った全体像をもたらすことすらある、という問題を抱えている。
New Relic によると、Basecamp の現状平均レスポンスタイムは 87ms である。申し分の無い数字だよね。数字を見る限り、万事上手くいっており、パフォーマンス改善のための最適化作業に時間を費やす必要は全くないように見える。
ところがそうじゃないのだ。この平均値はリクエストやキャッシュ内データを流す際の超高速なレスポンスにより完全に歪められた値なのだ。1000 リクエストについて 5 ms でレスポンスを返せる時と、200 リクエストについて 2000 ms でレスポンスを返す時があったとしても、これらを平均してしまうと 170 ms というまずまずの数値が出てきてしまう。つかえねー。
必要なのは平均ではなくヒストグラム(度数分布)の方だ。これにより事象集団を摘出し、その事象についての改善に着手すべきか否かを判断するのが容易になる。例外的事象を必要以上に重視してしまうこともなくなるので、データに基づく判断はより良いものになると思われる。
追伸:標準偏差は事象の幅が大きい場合はほとんど役に立たない。リクエストの処理に 5 ms で済む場合もあれば 5000 ms 掛かる場合もあるという状態においては標準偏差は意味が無い。
2009年8月1日土曜日
[メモ] やっとAlienの続編が観られる?!
'Alien' prequel takes off
Ridley Scott attached to return as director
すでに3本も続編が出てるだろってか? あんなのAlienじゃねぇよ。
良くもまぁ恥ずかしげもなくあんな下らないドンパチ方向にAlienをねじまげたもんだ、キャメロンは。まぁ、そういうことが出来る奴だからこそ『タイタニック』のような駄作を世に出しても平気なのだろう。続く2作に関しては、まぁ仕方ないのでしょう。いったん変な方向に行ってしまったものをあるべき方向に戻すのは大変ですからね。
いずれにせよAlienをリプリー中心のドラマに仕立てたのは間違いだ。オバノン、ギーガー、R.スコットの三つ巴はAlienにおいて、文明の衝突・相克というものをサスペンス・スリラー仕立てで描き出した。それを人間文明マンセーという、いかにもハリウッド的な下らないものにねじ曲げたのがアレというわけだ。何度でも言う、あんなのAlienじゃない。
ということでようやく真の続編が出てくる。それも御大自らの監督で。30年の溜飲を下げるべく今からワクテカしている次第。
Ridley Scott attached to return as director
すでに3本も続編が出てるだろってか? あんなのAlienじゃねぇよ。
良くもまぁ恥ずかしげもなくあんな下らないドンパチ方向にAlienをねじまげたもんだ、キャメロンは。まぁ、そういうことが出来る奴だからこそ『タイタニック』のような駄作を世に出しても平気なのだろう。続く2作に関しては、まぁ仕方ないのでしょう。いったん変な方向に行ってしまったものをあるべき方向に戻すのは大変ですからね。
いずれにせよAlienをリプリー中心のドラマに仕立てたのは間違いだ。オバノン、ギーガー、R.スコットの三つ巴はAlienにおいて、文明の衝突・相克というものをサスペンス・スリラー仕立てで描き出した。それを人間文明マンセーという、いかにもハリウッド的な下らないものにねじ曲げたのがアレというわけだ。何度でも言う、あんなのAlienじゃない。
ということでようやく真の続編が出てくる。それも御大自らの監督で。30年の溜飲を下げるべく今からワクテカしている次第。
2009年7月25日土曜日
[メモ] 源氏物語がどうしても好きになれない
源氏物語厨である定家は好きなのに、何故なのだろう? ゴシップ誌か芸能人ブログとしか思えない源氏物語と幽玄有心を結ぶものは何なのだろう?
モーツアルト、ビートルズに続いて3つめだ。世評と私観がこんなにもかけ離れているのは。
かくなるは唐変木の業なるや松真木もみぢあはれとぞ思せ
モーツアルト、ビートルズに続いて3つめだ。世評と私観がこんなにもかけ離れているのは。
かくなるは唐変木の業なるや松真木もみぢあはれとぞ思せ
2009年7月23日木曜日
[メモ] 正徹こそは人文系男子のロールモデルなれ
學びえよこひねがはしきみな月の風のすがたを大和ことのは
6月の風の姿という「目に見えないもの」の中にこそ真実があると見抜いた恐るべき民族が住む国、それが日本なんだ、という誇りがこのうたには満ちています。これに比べたら核兵器もアポロも屁のようなものです。
6月の風の姿という「目に見えないもの」の中にこそ真実があると見抜いた恐るべき民族が住む国、それが日本なんだ、という誇りがこのうたには満ちています。これに比べたら核兵器もアポロも屁のようなものです。
2009年7月20日月曜日
[メモ] 業即是業
訓読するなら「ギョウはすなはちこれゴウなり」で、意味的には「business とは karma そのもの」とすれば理解しやすいと思われる。「何らの罪も犯さずして生きる事など不可能」「生きるとは即ち、自らが罪業にまみれている事を悟りそれでもなお進むという瞬時ゝゝの決断を積分していくことに他ならない」といったところか。
『常用字解』によると「業」は象形で「楽器を並べて懸ける器」とある。この「業」に似た道具で土を搗き固める作業を行った事から「業」に作業・仕事の意味が生じたらしい。business の意が最初に生じたわけだが、では「業」から karma の意が演繹されたのはいつころなのだろう?
この疑問を持ったとき「日本っていったい何なんだろう」という感慨が同時に湧いた。なぜかというとこの疑問に関し「キリスト教には元々『原罪』というアイディアがあったし、仏教でも四大苦の初っ端は『生』だからね」といった借り物の概念を思索の取っ掛かりにしている自分に気付いたからだ。
もちろん契沖・宣長等を入り口に、借り物でない概念を古代に遡って求める事も出来る訳だが、その途中にはやはり和漢朗詠集や本地垂迹といった「ハイブリッド化」のキーワードが転がっている。さらに遡る事も出来るのだろうが、その先にあるものは日本固有なのかそれとも人類普遍なのか?
きりがない。今のところ私が確信を持って言えるのは「日本人として生きること即ちハイブリッド化作業を通じて生きるということにいつのまにかなっちゃった」という程度のことだ。
松岡先生はハイブリッド化などといったケチな了見でなく、広く『編集』という観点から編集的日本人とでもいうべき日本のメソドロジーを探求・紹介しておられます。私にとって果てしなく思える道を往く先生の後ろ姿が遥か遠くに見える。
『常用字解』によると「業」は象形で「楽器を並べて懸ける器」とある。この「業」に似た道具で土を搗き固める作業を行った事から「業」に作業・仕事の意味が生じたらしい。business の意が最初に生じたわけだが、では「業」から karma の意が演繹されたのはいつころなのだろう?
この疑問を持ったとき「日本っていったい何なんだろう」という感慨が同時に湧いた。なぜかというとこの疑問に関し「キリスト教には元々『原罪』というアイディアがあったし、仏教でも四大苦の初っ端は『生』だからね」といった借り物の概念を思索の取っ掛かりにしている自分に気付いたからだ。
もちろん契沖・宣長等を入り口に、借り物でない概念を古代に遡って求める事も出来る訳だが、その途中にはやはり和漢朗詠集や本地垂迹といった「ハイブリッド化」のキーワードが転がっている。さらに遡る事も出来るのだろうが、その先にあるものは日本固有なのかそれとも人類普遍なのか?
きりがない。今のところ私が確信を持って言えるのは「日本人として生きること即ちハイブリッド化作業を通じて生きるということにいつのまにかなっちゃった」という程度のことだ。
松岡先生はハイブリッド化などといったケチな了見でなく、広く『編集』という観点から編集的日本人とでもいうべき日本のメソドロジーを探求・紹介しておられます。私にとって果てしなく思える道を往く先生の後ろ姿が遥か遠くに見える。
2009年7月14日火曜日
[メモ] 先生、心中お察し申し上げます
寺田寅彦先生が『連句雑俎』にて、俳諧味という物は日本固有の物だと主張しておられます。
文脈的には、とある論文でチャンバレーン博士(同じ「お雇い外国人」である小泉八雲とも親交のあったBasil Hall Chamberlainのことかと思われる)が言ったとされる言葉を引きつつ日本人は独創能力に乏しいという主張が述べられる一節について、俳諧連句を解せぬ毛唐人どもに何がわかるかと寺田先生が噛み付くという流れ。
文明の普遍と個別を吟味し尽くした寺田先生をして毛唐人どもにありがちな原理主義に陥らしめ「俳諧味は日本にしかない」と逆上させるに至らしめたチャンバレーン博士の暴言はまさに断罪されるべきではありますが、彼と同様の冥府魔道に堕つるは先生の本懐とするところではありますまい。
米国には米国の、独国には独国の、ジンバブエにはジンバブエの俳諧がある、という俳諧味の普遍性を我々に示唆してくださったのは他ならぬ先生であります。その先生が敢て俳諧の独自性を主張するに至る心的環境的経過を察するに、当時の、そして現在に至る「俳諧味を蔑ろにする日本人」のありようが思い起こされ、忍びない物がございます。憂国の士はただ銃刀を手に闘うもののみに非ず。
何にでもケチャップかける國なりとしみじみ笑ふこれも俳諧
松林をオークの森に置き換へてブルックナーは墺の等伯
文脈的には、とある論文でチャンバレーン博士(同じ「お雇い外国人」である小泉八雲とも親交のあったBasil Hall Chamberlainのことかと思われる)が言ったとされる言葉を引きつつ日本人は独創能力に乏しいという主張が述べられる一節について、俳諧連句を解せぬ毛唐人どもに何がわかるかと寺田先生が噛み付くという流れ。
文明の普遍と個別を吟味し尽くした寺田先生をして毛唐人どもにありがちな原理主義に陥らしめ「俳諧味は日本にしかない」と逆上させるに至らしめたチャンバレーン博士の暴言はまさに断罪されるべきではありますが、彼と同様の冥府魔道に堕つるは先生の本懐とするところではありますまい。
米国には米国の、独国には独国の、ジンバブエにはジンバブエの俳諧がある、という俳諧味の普遍性を我々に示唆してくださったのは他ならぬ先生であります。その先生が敢て俳諧の独自性を主張するに至る心的環境的経過を察するに、当時の、そして現在に至る「俳諧味を蔑ろにする日本人」のありようが思い起こされ、忍びない物がございます。憂国の士はただ銃刀を手に闘うもののみに非ず。
何にでもケチャップかける國なりとしみじみ笑ふこれも俳諧
松林をオークの森に置き換へてブルックナーは墺の等伯
2009年7月13日月曜日
[メモ] 業務改善に向けての取り組み
- 次世代OS模索の一環として、OSを筆硯と料紙に戻す
- 業務報告はやまとうたフォーマットで提出する 例)春の夜の夢ばかりなるブレストに かひなく立たむデスマ惜しけれ
- 女子社員は就業中、御簾をおろしておくこと
[メモ] トンデモにつき注意
Googleの大企業病が進行している。某OSのようなラインナップ乱立の萌芽が見え、企業コンピタンスが、多角化とか競争力といった美名のもと、曖昧になり始めている。これは「Googleがテクノロジー指向の会社ではなく営業指向の会社になった」ということの現れでもあり、良く言えば「大人な会社」になったということを示している。
残念なのは日本のWebではなくGoogleの方なのかもしれない。ChromeOSに某社の椎茸栽培と同様の匂いを感じるのは、多分、私の嗅覚がおかしいからなんだろう。そう願いたい。
残念なのは日本のWebではなくGoogleの方なのかもしれない。ChromeOSに某社の椎茸栽培と同様の匂いを感じるのは、多分、私の嗅覚がおかしいからなんだろう。そう願いたい。
2009年7月9日木曜日
[メモ] 入れ喰いですな、Googleさん
[Google Operating System] Google Chrome Operating System
正直言って新規的要素は全くなく、マーケティング要素しか見当たりません。
「Webアプリケーションフレームワーク・関係代数の黄昏・分散オブジェクトの最終進化形といった既に公表済みの要素技術群をパッケージングし、それに『OS』という人口に膾炙した名前を付けてプレゼンを行いました」といったところでしょうか。
これを見てパラダイムシフトとか言ってる人は「OS Doesn't Matter」というか「OSなんてとっくの昔にコモディティ化してる」という事実に気付いてないのでしょうか。だいいちクラウドOSなるものが直接ハードウェアアクセスを行うわけなどなく、その下位にはこれまでと同様のクラシカルなOSカーネル(そういやgOSなんてのもありましたな)が存在するわけでしてね。
まぁ、経営・コンサル寄りの方々からすれば「主戦場はクラウドへ」といった感じの美味しいバズワードが振りかざせる訳で、その気持ちもわからんわけではないんですが、実装・アーキテクチャ寄りのedgyな方々からすれば相変わらず単なるフレームワーク取捨選択の問題でしかないわけで「何も変わってねーよ。それよりErlangやろうぜErlang」といった感じなのではないでしょうか。
Googleの先走り汁であるところのGearsもClient-side Storageという観点からすればlocalStorage/sessionStorageへと収束しそうですし、見た目(aesthetic)についてもcanvas,audio/videoタグがGeckoを始めとする先進的エンジンに着々と取り込まれつつある現状を見るに、少なくともクライアント側についてはこれまで同様の「HTML5への流れ」でしかないわけで「大勢に変化無し」ということでよろしいのではないでしょうか。
いつの時代にも存在するパフォーマンスや実行セキュリティといった問題についてGoogleがどう手を打つかという技術的興味はありますが、そういった定量的側面については、V8などを例に挙げるまでもなく、ただ粛々と事を進めて下さるものと存じます。
それにしても「UbiquityこそOSだ」という指摘が皆無なように見受けられるのはまことに遺憾であります。operationの現場をWebレイヤに引き上げ、CUIという実にOS然としたかたちで示しているというのに。
ということでChrome OS単体ではさほど興味をひかなかったのですが、タイミング的に重なったことでちょっと状況を面白くしてくれたものがあります。Amazonがモバイル環境でのAPI利用制限を開始した事と、これに関するマッチポンプ的施策のことです。これには「そこまでやるか」感と「普通そうくるわな」感が同時に胸中に湧き、まことに興味深い物がありました。
こういった各社の動向を見るに、どうやら垂直統合への流れは変えようも無く、Webにおけるブロック経済圏成立が目の前に迫っているようです。私見といたしましては
レッドオーシャン上等な勇者の皆様方におかれましてはどちらに転んでも関係無いっすね。御武運を。私はヘタレなので、ちまちまやらせてもらいますわw
正直言って新規的要素は全くなく、マーケティング要素しか見当たりません。
「Webアプリケーションフレームワーク・関係代数の黄昏・分散オブジェクトの最終進化形といった既に公表済みの要素技術群をパッケージングし、それに『OS』という人口に膾炙した名前を付けてプレゼンを行いました」といったところでしょうか。
これを見てパラダイムシフトとか言ってる人は「OS Doesn't Matter」というか「OSなんてとっくの昔にコモディティ化してる」という事実に気付いてないのでしょうか。だいいちクラウドOSなるものが直接ハードウェアアクセスを行うわけなどなく、その下位にはこれまでと同様のクラシカルなOSカーネル(そういやgOSなんてのもありましたな)が存在するわけでしてね。
まぁ、経営・コンサル寄りの方々からすれば「主戦場はクラウドへ」といった感じの美味しいバズワードが振りかざせる訳で、その気持ちもわからんわけではないんですが、実装・アーキテクチャ寄りのedgyな方々からすれば相変わらず単なるフレームワーク取捨選択の問題でしかないわけで「何も変わってねーよ。それよりErlangやろうぜErlang」といった感じなのではないでしょうか。
Googleの先走り汁であるところのGearsもClient-side Storageという観点からすればlocalStorage/sessionStorageへと収束しそうですし、見た目(aesthetic)についてもcanvas,audio/videoタグがGeckoを始めとする先進的エンジンに着々と取り込まれつつある現状を見るに、少なくともクライアント側についてはこれまで同様の「HTML5への流れ」でしかないわけで「大勢に変化無し」ということでよろしいのではないでしょうか。
いつの時代にも存在するパフォーマンスや実行セキュリティといった問題についてGoogleがどう手を打つかという技術的興味はありますが、そういった定量的側面については、V8などを例に挙げるまでもなく、ただ粛々と事を進めて下さるものと存じます。
それにしても「UbiquityこそOSだ」という指摘が皆無なように見受けられるのはまことに遺憾であります。operationの現場をWebレイヤに引き上げ、CUIという実にOS然としたかたちで示しているというのに。
ということでChrome OS単体ではさほど興味をひかなかったのですが、タイミング的に重なったことでちょっと状況を面白くしてくれたものがあります。Amazonがモバイル環境でのAPI利用制限を開始した事と、これに関するマッチポンプ的施策のことです。これには「そこまでやるか」感と「普通そうくるわな」感が同時に胸中に湧き、まことに興味深い物がありました。
こういった各社の動向を見るに、どうやら垂直統合への流れは変えようも無く、Webにおけるブロック経済圏成立が目の前に迫っているようです。私見といたしましては
- こういったブロックはプロダクトレイヤ(インフラとプラットフォーム)でのみ見られ、ユーザが直接触れるサービスレイヤでは、サービスの相互接続性確保により、ブロック経済化による影響は出ない(プロダクトとサービスがそう綺麗に分けられるのか?という疑問は置いといて)
- Webにおける関税障壁とでもいうべき『何か』が発生する
レッドオーシャン上等な勇者の皆様方におかれましてはどちらに転んでも関係無いっすね。御武運を。私はヘタレなので、ちまちまやらせてもらいますわw
ラベル:
cloud computing,
Google,
programming,
メモ
2009年7月7日火曜日
[メモ] 木苺ちまり、缶崎匠太郎、エレン・オーレウス
『よみきりもの 第8巻』のなかがき(p. 152)で示されているように、ちまりと匠太郎は同じ魔法世界に属している。同ページの「設定が同じなだけで、登場人物はかぶったりしてません」という記述や、匠太郎の世界がノームやドラゴンが当たり前のように存在する世界であるのに対しちまりの世界はそうではないという点から見て「共通の魔法体系を持った2つのパラレルワールド」と見るのが妥当かと思われる。
この魔法世界における魔法は月の魔法と星の魔法の2つであり、ちまりは月の魔法、匠太郎は星の魔法という分類になっている。『ちまりまわるつ』所収『3/4くるく ちまりまわるつ』の p. 12 [ミッシイコミックスDX] では、この月と星の2分類とそれぞれの等級をあらわすシンボルステッキが示されている。匠太郎はこのページで示されているトゥインクルスター級(最高位のひとつ手前)シンボルステッキの保持者であることが『よみきりもの 第8巻』所収『こげたトンネル事件』の p. 116 で示されている。
『ちまりまわるつ』所収『ちまちまじっく』第1話、及び『きいちご魔法店へようこそ』で出現する「きいちご魔法店」の看板(p. 41 及び p. 86 [ミッシイコミックスDX] )にみられる「マハリク教会派」という記述から「マハリク教会派=月の魔法」という分類を行う事は当初から可能だったのだが「それなら星の魔法はなに派?」といった点も含め、この分類の妥当性はいわゆる『出し直し版ちまりまわるつ』[朝日ソノラマ]の出現まで疑問符が付いたままであった。
同書で追加されたなかがき(p.123)では星の魔法と月の魔法に関し「基礎を覚えたあとは、どちらかに進みます。適性がどうとかじゃなくて流派みたいなもの」という明確な記述が行われており、マハリク教会派と対を為す組合教会派の存在と、さふらんかえでが組合教会派に属する事が併せて示されている。これにより「マハリク教会派=月の魔法」「組合教会派=星の魔法」という分類の妥当性はほぼ確立された。
匠太郎が組合教会派に属するという明確な記述は今のところ無いし、『ちまりまわるつ』の外伝的存在である『世の中なまほう』でも、ちまりはまだ3級(かえではおそらく2級)であり未だ上級シンボルステッキを持つに至っていないので、今後のエピソード展開によりこの星と月の2分類に関する詳細が明らかになってくるであろう。
なお、星の魔法の最高位がゴールドサンであることからみて、この分類は月と太陽すなわち我々の世界における陰陽という観点から捉えることも可能であるという点は興味深い。
ふわふわエレンことエレン・オーレウスは、流石に不老不死を得た伝説の魔法使いだけあって、こういった魔法分類の範疇から逸脱した別格の存在であるように見える。
シンボルステッキや『MAGIxES』における魔法道具のような触媒的物質なしに魔法を発動するその能力は、ちまりと匠太郎の魔法世界や『MAGIxES』の魔法世界に見られる「工業化・コモディティ化した魔法」とは異なる「プリミティブな魔法」を色濃く反映している。
この点において、エレンの世界は我々の世界だと言う事が出来る。つまり魔法がファンタジーたりえる世界である。
この魔法世界における魔法は月の魔法と星の魔法の2つであり、ちまりは月の魔法、匠太郎は星の魔法という分類になっている。『ちまりまわるつ』所収『3/4くるく ちまりまわるつ』の p. 12 [ミッシイコミックスDX] では、この月と星の2分類とそれぞれの等級をあらわすシンボルステッキが示されている。匠太郎はこのページで示されているトゥインクルスター級(最高位のひとつ手前)シンボルステッキの保持者であることが『よみきりもの 第8巻』所収『こげたトンネル事件』の p. 116 で示されている。
『ちまりまわるつ』所収『ちまちまじっく』第1話、及び『きいちご魔法店へようこそ』で出現する「きいちご魔法店」の看板(p. 41 及び p. 86 [ミッシイコミックスDX] )にみられる「マハリク教会派」という記述から「マハリク教会派=月の魔法」という分類を行う事は当初から可能だったのだが「それなら星の魔法はなに派?」といった点も含め、この分類の妥当性はいわゆる『出し直し版ちまりまわるつ』[朝日ソノラマ]の出現まで疑問符が付いたままであった。
同書で追加されたなかがき(p.123)では星の魔法と月の魔法に関し「基礎を覚えたあとは、どちらかに進みます。適性がどうとかじゃなくて流派みたいなもの」という明確な記述が行われており、マハリク教会派と対を為す組合教会派の存在と、さふらんかえでが組合教会派に属する事が併せて示されている。これにより「マハリク教会派=月の魔法」「組合教会派=星の魔法」という分類の妥当性はほぼ確立された。
匠太郎が組合教会派に属するという明確な記述は今のところ無いし、『ちまりまわるつ』の外伝的存在である『世の中なまほう』でも、ちまりはまだ3級(かえではおそらく2級)であり未だ上級シンボルステッキを持つに至っていないので、今後のエピソード展開によりこの星と月の2分類に関する詳細が明らかになってくるであろう。
なお、星の魔法の最高位がゴールドサンであることからみて、この分類は月と太陽すなわち我々の世界における陰陽という観点から捉えることも可能であるという点は興味深い。
ふわふわエレンことエレン・オーレウスは、流石に不老不死を得た伝説の魔法使いだけあって、こういった魔法分類の範疇から逸脱した別格の存在であるように見える。
シンボルステッキや『MAGIxES』における魔法道具のような触媒的物質なしに魔法を発動するその能力は、ちまりと匠太郎の魔法世界や『MAGIxES』の魔法世界に見られる「工業化・コモディティ化した魔法」とは異なる「プリミティブな魔法」を色濃く反映している。
この点において、エレンの世界は我々の世界だと言う事が出来る。つまり魔法がファンタジーたりえる世界である。
[メモ] もののなふしもの
『みみだったりみみだったり』が『世の中なまほう』の系列に属するということについては、メイキングで先生が明らかにしてくださった時点でようやく気付いた。制服を見た時点で気がつかなかった私はまだまだ未熟者であります。「あんたはホロですか」とか言ってる場合じゃなかった。
で、コマ間装飾で犬が列挙されているのに既視感を感じて『世の中なまほう』を引っ張りだしてみたら、ことごとく同様の事が行われていて驚いたわけです。先生の御心配り深甚にて、なかがきでタイトルまで銘記して下さっています。
以上の点から観るに、どうやら先生は、先生が分類するところの「魔法もの」のうち「ちまり系(これは私の勝手な分類)」すなわち木苺ちまりが存在する世界を描いた作品ではコマ間装飾で遊ぶというルール設定をされているようです。同じ「魔法もの」であっても、ふわふわエレンや匠太郎の世界とはこういった点で差別化を図っておられたというわけです。
流石は先生。名は体を表すということで、ちまり系ではちまちまと描き込むということなんですね。
で、コマ間装飾で犬が列挙されているのに既視感を感じて『世の中なまほう』を引っ張りだしてみたら、ことごとく同様の事が行われていて驚いたわけです。先生の御心配り深甚にて、なかがきでタイトルまで銘記して下さっています。
- 『魔法使いなきっかけ』→ 鳥類大図鑑
- 『魔法使いはねぼけてる』→ 夏の風物詩
- 『魔法少女はウィンク』→ 冬の風物詩(なかがきでは銘記されてないけど明確ですな)
- 『3/4くるく ちまりまわるつ』→ 動物大百科
- 『ちまちまじっく 第1話』→ 仔猫の冒険
- 『ちまちまじっく 第2話』→ うさぎのちまり観察日記
- 『ちまちまじっく 第3話』→ 世界の楽器大集合
- 『きいちご魔法店にようこそ』→ ねこめーわく進化論 (モノリスってのがまたw)
以上の点から観るに、どうやら先生は、先生が分類するところの「魔法もの」のうち「ちまり系(これは私の勝手な分類)」すなわち木苺ちまりが存在する世界を描いた作品ではコマ間装飾で遊ぶというルール設定をされているようです。同じ「魔法もの」であっても、ふわふわエレンや匠太郎の世界とはこういった点で差別化を図っておられたというわけです。
流石は先生。名は体を表すということで、ちまり系ではちまちまと描き込むということなんですね。
[メモ] ふわふわエレン復帰記念
しみづわく たけのもとなる いづみかな
うじやうじやこそは そのこはねなれ
そう言えばサーカスの話で、昔はロケットショーとかもあって云々という言及があり、これってつぐみのハイジことロケットガールだよね、ということで久々に『はたらきもの』を引っ張りだして確認しましたわ。
関係ないけど「声音=こはね」という正仮名振りには未だに違和感がある。「声=こゑ」なんだから「声音=こわね」じゃないのか、と思ってしまうのだ。
うじやうじやこそは そのこはねなれ
そう言えばサーカスの話で、昔はロケットショーとかもあって云々という言及があり、これってつぐみのハイジことロケットガールだよね、ということで久々に『はたらきもの』を引っ張りだして確認しましたわ。
関係ないけど「声音=こはね」という正仮名振りには未だに違和感がある。「声=こゑ」なんだから「声音=こわね」じゃないのか、と思ってしまうのだ。
[メモ] 世遷れどかはらじとて
思うに、仏名会もアイドルのコンサートも参集者のメンタリティは変わらない。
三千仏の御名前も「ジュリー!」(古いねどうもw)という黄色い叫びも、声を発することで対象との一体感を増進せしめんとするメンタリティは変わらないのだ。
三千仏の御名前も「ジュリー!」(古いねどうもw)という黄色い叫びも、声を発することで対象との一体感を増進せしめんとするメンタリティは変わらないのだ。
2009年7月6日月曜日
[メモ] ESRの化けの皮がはがれてきたってことだろ?
とかいうとマイクロソフトの回し者とか思われるんだろうが、逆で
オープンソースなんていうわけのわからんオレオレ定義を使うのは止めて、フリーソフトウェア運動に還れ
ってことなんですわ。
伽藍とかバザールとかいった開発形態の違いなんて「自由」とは何の相関も持たないし、第一 openness なんてものは「自由なソフトウェア」成立の為の必要条件にはなり得るけど十分条件には絶対になり得ないだろ。
まぁ、銃ぶっぱなすのが大好きなタカ派野郎が作り出したマーケティング用語に皆さん上手く乗せられたってわけだ。RMSは最初から言ってたじゃん「あんなのと一緒にすんなボケ」って。
2009/07/10追記: どうにも言葉足らずで「オープンソースプロダクトおよび支持者そのものに対して噛み付いているような印象を世間に与える」内容だったので、タイトルも含めてreviseしました。
オープンソースなんていうわけのわからんオレオレ定義を使うのは止めて、フリーソフトウェア運動に還れ
ってことなんですわ。
伽藍とかバザールとかいった開発形態の違いなんて「自由」とは何の相関も持たないし、第一 openness なんてものは「自由なソフトウェア」成立の為の必要条件にはなり得るけど十分条件には絶対になり得ないだろ。
まぁ、銃ぶっぱなすのが大好きなタカ派野郎が作り出したマーケティング用語に皆さん上手く乗せられたってわけだ。RMSは最初から言ってたじゃん「あんなのと一緒にすんなボケ」って。
2009/07/10追記: どうにも言葉足らずで「オープンソースプロダクトおよび支持者そのものに対して噛み付いているような印象を世間に与える」内容だったので、タイトルも含めてreviseしました。
ラベル:
programming,
メモ
2009年7月4日土曜日
[メモ] ごめんね要領わるくて
最初はフルスクラッチでごりごり書く。それが俺のジャスティス。
あとでライブラリとかフレームワークを使い始めると、車輪の再発明しまくりだった自分に気付く。
だが、それがいい。
あとでライブラリとかフレームワークを使い始めると、車輪の再発明しまくりだった自分に気付く。
だが、それがいい。
ラベル:
programming,
メモ
2009年7月1日水曜日
[メモ] 自戒、もしくは宣戦布告
手段と目的を混同してしまっているようだ。手段、すなわちテクノロジーやツールやソリューションの追求というものはそれ自体が麻薬のような快楽をもたらすので、ついそのレベルで拘泥してしまうのだ。らっきょの皮を剥き続ける猿のように。
言うまでもないが、ビジネスというものも目的ではなく手段である。確かにビジネスを囲碁や将棋と同様の「ゲーム」と捉え、我々はそれをプレイしているのだと考えれば目的そのものだと言う事も出来る。だが「生きることそれ自体は目的ではない。手段だ」という観点からすれば、やはりビジネスもまた手段なのだ。
「IT托鉢の分際で、でけぇ口叩くなw」と我ながら思うが、なりふりかまわずIT小作を18年やったおかげで、ある程度のタマは蓄積出来た。さすがに「あと10年は戦える」というのは無理だが、5年くらいは暴れてみせましょう。
言うまでもないが、ビジネスというものも目的ではなく手段である。確かにビジネスを囲碁や将棋と同様の「ゲーム」と捉え、我々はそれをプレイしているのだと考えれば目的そのものだと言う事も出来る。だが「生きることそれ自体は目的ではない。手段だ」という観点からすれば、やはりビジネスもまた手段なのだ。
「IT托鉢の分際で、でけぇ口叩くなw」と我ながら思うが、なりふりかまわずIT小作を18年やったおかげで、ある程度のタマは蓄積出来た。さすがに「あと10年は戦える」というのは無理だが、5年くらいは暴れてみせましょう。
2009年6月17日水曜日
[37signals] 注意書き:目的を明確に
(原文: Reminder: Know what you're measuring)
昨日Davidと私は、カスタマーサポート/カスタマーサービスの状況について把握する為に Sarah と Michael をまじえて、ちょっとした打ち合わせを行った。最近我々はカスタマーサポート/カスタマーサービスを Gmail から HelpSpot へと移行したのだが、この変化がどう思われているか興味があったのだ。つまり、ワークフローはどうか?学ぶべき事はあったか?といったことだ。
なぜ移行したのか?
HelpSpot へ移行した理由のひとつは、要望及び問題点が最も多かったジョブトラッキング(訳注: 進捗管理表のようなもの)について改善するため、というものだった。カスタマーサポート担当者から「みんなにとって、今週ぶんの進捗ファイルをアップロードするというのはしんどいことなんです」という発言が出る事があるかもしれないが、この「みんな」というのがくせ者だ。2人なのか? 10人なのか? 何ダースもの人なのか? アプリケーションに変更を加えればサポート需要や顧客の苛立ちを減らせるのか? Gmail ではこういった点についての詳細は把握出来ないが HelpSpot なら可能なので我々は移行したのだ。
知ると学ぶは別物
昨日の打ち合わせでわかったのは、我々は詳細について漏れなくトラッキング(訳注: ここでは、顧客アクションの詳細に関する動向調査と言った意味)する事が出来るようになったが、そこから何も学んでいないということだった。何故こんな事に? 我々はトラッキングの為のトラッキングをしていたにすぎず、何かを学び取る為にトラッキングをしていたわけではなかったからだ。実際のところ、なぜトラッキングをするのかを把握しないまま作業を続けていた。なぜこんなことになったかというと、えーとだな、惰性というものは強い影響力を持つからなんだ。今回の件は、真に必要なことがあるにも関わらずそれを放ったらかして組織運営を進めてしまうことがあるのだという事を目の当たりにしてくれたので、良い勉強になった。
我々の行ったカテゴリとタグの拡張およびカスタムフィールドとプルダウンメニューの導入は我々に多くのレポート然とした情報をもたらしてくれたが、真に役に立つ情報をもたらしてはくれなかった。洞察無き情報はゴミだ。我々が手に入れたのがそれだ。山ほどの。
シンプル性へと立ち返る
といった経緯があって、我々は全てを御破算にすることにした。舳先をシンプル性に向けよう。企業として我々が犯した全ての過ちは、あまりにも多くの事をやってのけようとした点にあるわけで、われわれの力不足が原因というわけじゃない。というわけで今回の教訓を、どうやってサポートリクエストのトラッキングを行うか、という問題に当てはめてみよう。
真に意義があるのは何か?
リクエストの全てについてきちんと分類するのではなく、ごく大雑把に分類するようにしてみる。そのため「マイルストーン>編集>他のプロジェクトにマイルストーンを移動するには?」といった複数階層を持ったカテゴリ全てについてではなく、このカテゴリ階層でいうところの「他のプロジェクトにマイルストーンを移動するには?」カテゴリについてのみトラッキングするようにした。「マイルストーン」「編集」カテゴリでトラッキングする意味なんて無いからだ。階層構造や UI 構成に関する拡張なんて必要なかったのだ。トラッキングする意義があるのは「質問/問題点の報告」という肝心要のところだけだったのだ。
基本戦略は「質問/問題点の報告」が生じた際には「質問/問題点の報告」の内容を言い換える形で新規の長いタグを生成するというものだ。そしてタグと大体同じ内容の「質問/問題点の報告」が他に生じた場合はそのタグでまとまることになる。こうすることでカウントをまとめるとともに「パスワード変更はどうやればいいの?」「プロジェクト間で情報を移動するには?」といった質問をする人が何人いるのかを根本的に把握する事が出来る。
やろうと思えば、今週良く出た質問トップ10といったシンプルなレポートを我々に提出させることも可能だ。同様に、先週のトップ10は? 何かパターンがある? 増えたのは? 減ったのは? というのもありだ。これによって、では我々はどんな手をうつべきか?という行動基準が得られるようになった。前はどうだったかというと「マイルストーン」タグで60個の質問が出ているといった数字は把握出来たものの、我々がその数字を元にどういった行動を起こすべきかという判断には役立たなかった。だが今や「いっぺんに10個以上のマイルストーンを追加するには?」という質問が23個、「プロジェクト間でマイルストーンを移動出来る?」という質問が21個、「マイルストーンに時刻設定出来る?」という質問が16個といった状況が把握出来るようになった。これでようやく顧客の声から何かを学べるようになったのだ。
自明は不明
自明だと思われる事も再検証すべし。我々もスタート時点からそうすべきだったが、他の多くの物事と同様、この再検証作業はほったらかしにされてしまった。今回の新しいツールはあらゆる種類のジョブトラッキング用オプションを備えていた。カテゴリ・タグ・カスタムフィールド・検索・等々。我々はこの新しいツールに夢中になってしまい、結果、熱心に作業する事と優先して作業するべき事を混同してしまった。作業に忙殺されるだけで、何ひとつ学び取っていなかった。
ということで注意書き:目的を明確にせよ。データの為のデータは知的訓練という点においては楽しいものたりえるが、それが実用性のあるものになるのは諸君の吟味を経たあとなのだ。
訳者コメント:
Know what you're measuring. は逐語的には「何を測定しているかを知れ」なのですが、ぴんと来ないので「目的を明確に」と意訳しました。
昨日Davidと私は、カスタマーサポート/カスタマーサービスの状況について把握する為に Sarah と Michael をまじえて、ちょっとした打ち合わせを行った。最近我々はカスタマーサポート/カスタマーサービスを Gmail から HelpSpot へと移行したのだが、この変化がどう思われているか興味があったのだ。つまり、ワークフローはどうか?学ぶべき事はあったか?といったことだ。
なぜ移行したのか?
HelpSpot へ移行した理由のひとつは、要望及び問題点が最も多かったジョブトラッキング(訳注: 進捗管理表のようなもの)について改善するため、というものだった。カスタマーサポート担当者から「みんなにとって、今週ぶんの進捗ファイルをアップロードするというのはしんどいことなんです」という発言が出る事があるかもしれないが、この「みんな」というのがくせ者だ。2人なのか? 10人なのか? 何ダースもの人なのか? アプリケーションに変更を加えればサポート需要や顧客の苛立ちを減らせるのか? Gmail ではこういった点についての詳細は把握出来ないが HelpSpot なら可能なので我々は移行したのだ。
知ると学ぶは別物
昨日の打ち合わせでわかったのは、我々は詳細について漏れなくトラッキング(訳注: ここでは、顧客アクションの詳細に関する動向調査と言った意味)する事が出来るようになったが、そこから何も学んでいないということだった。何故こんな事に? 我々はトラッキングの為のトラッキングをしていたにすぎず、何かを学び取る為にトラッキングをしていたわけではなかったからだ。実際のところ、なぜトラッキングをするのかを把握しないまま作業を続けていた。なぜこんなことになったかというと、えーとだな、惰性というものは強い影響力を持つからなんだ。今回の件は、真に必要なことがあるにも関わらずそれを放ったらかして組織運営を進めてしまうことがあるのだという事を目の当たりにしてくれたので、良い勉強になった。
我々の行ったカテゴリとタグの拡張およびカスタムフィールドとプルダウンメニューの導入は我々に多くのレポート然とした情報をもたらしてくれたが、真に役に立つ情報をもたらしてはくれなかった。洞察無き情報はゴミだ。我々が手に入れたのがそれだ。山ほどの。
シンプル性へと立ち返る
といった経緯があって、我々は全てを御破算にすることにした。舳先をシンプル性に向けよう。企業として我々が犯した全ての過ちは、あまりにも多くの事をやってのけようとした点にあるわけで、われわれの力不足が原因というわけじゃない。というわけで今回の教訓を、どうやってサポートリクエストのトラッキングを行うか、という問題に当てはめてみよう。
真に意義があるのは何か?
リクエストの全てについてきちんと分類するのではなく、ごく大雑把に分類するようにしてみる。そのため「マイルストーン>編集>他のプロジェクトにマイルストーンを移動するには?」といった複数階層を持ったカテゴリ全てについてではなく、このカテゴリ階層でいうところの「他のプロジェクトにマイルストーンを移動するには?」カテゴリについてのみトラッキングするようにした。「マイルストーン」「編集」カテゴリでトラッキングする意味なんて無いからだ。階層構造や UI 構成に関する拡張なんて必要なかったのだ。トラッキングする意義があるのは「質問/問題点の報告」という肝心要のところだけだったのだ。
基本戦略は「質問/問題点の報告」が生じた際には「質問/問題点の報告」の内容を言い換える形で新規の長いタグを生成するというものだ。そしてタグと大体同じ内容の「質問/問題点の報告」が他に生じた場合はそのタグでまとまることになる。こうすることでカウントをまとめるとともに「パスワード変更はどうやればいいの?」「プロジェクト間で情報を移動するには?」といった質問をする人が何人いるのかを根本的に把握する事が出来る。
やろうと思えば、今週良く出た質問トップ10といったシンプルなレポートを我々に提出させることも可能だ。同様に、先週のトップ10は? 何かパターンがある? 増えたのは? 減ったのは? というのもありだ。これによって、では我々はどんな手をうつべきか?という行動基準が得られるようになった。前はどうだったかというと「マイルストーン」タグで60個の質問が出ているといった数字は把握出来たものの、我々がその数字を元にどういった行動を起こすべきかという判断には役立たなかった。だが今や「いっぺんに10個以上のマイルストーンを追加するには?」という質問が23個、「プロジェクト間でマイルストーンを移動出来る?」という質問が21個、「マイルストーンに時刻設定出来る?」という質問が16個といった状況が把握出来るようになった。これでようやく顧客の声から何かを学べるようになったのだ。
自明は不明
自明だと思われる事も再検証すべし。我々もスタート時点からそうすべきだったが、他の多くの物事と同様、この再検証作業はほったらかしにされてしまった。今回の新しいツールはあらゆる種類のジョブトラッキング用オプションを備えていた。カテゴリ・タグ・カスタムフィールド・検索・等々。我々はこの新しいツールに夢中になってしまい、結果、熱心に作業する事と優先して作業するべき事を混同してしまった。作業に忙殺されるだけで、何ひとつ学び取っていなかった。
ということで注意書き:目的を明確にせよ。データの為のデータは知的訓練という点においては楽しいものたりえるが、それが実用性のあるものになるのは諸君の吟味を経たあとなのだ。
訳者コメント:
Know what you're measuring. は逐語的には「何を測定しているかを知れ」なのですが、ぴんと来ないので「目的を明確に」と意訳しました。
2009年6月13日土曜日
[37signals] まず計画を立てなきゃというのは間違った考え方だ
(原文: The planning fallacy)
デンバー国際空港やボストンの The Big Dig(訳注: 高速道路網を地下トンネルに置き換える都市再構築プロジェクト)といったプロジェクトが何年も遅滞したり数十億ドルの予算にふくれあがるのを見るにつけ、これだからお役所的なやり方は無駄が多いし時間もかかりすぎるんだ、と我々は批判する。だが、プロジェクトを台無しにするような計画立案を行うのは巨大組織や国家機関に限らない。誰もがその愚を犯す。これが "plannning fallacy" というものだ(訳注: まず計画ありきといった感じの誤った認識のこと)。我々は、物事について計画を立てることが可能だと思い込んでいるが、実は計画を立てるなんて不可能なのだ。
調査によると、人に「それは現実を見据えた上でのシナリオか、それとも希望的観測に基づいたトントン拍子で進むシナリオか?」と問うのは無意味だということが明らかになっている。どっちみち出てくるのはトントン拍子に進む方のシナリオだけだからだ。これは案件の大小を問わず成り立つ。
我々はなかなか現実的になれない。計画通りに物事が進むと思い込んでしまうのだ。予期せぬ病気・ハードディスクのクラッシュ・マーフィーの法則的諸々を計算に入れて考えるなんてことは絶対にしない。
もし諸君が大げさな事前計画というものに全幅の信頼を置いているのであれば、これはすなわち諸君が諸君自身を偽っているという事に他ならない。まぁ「自由になれる」という良い側面もあるけどね(訳注: 計画という絵空事によって、現実を直視するという苦役から解放されるという皮肉か)。ものごとの進捗を遅らせ君が現実的になることを妨げるこのやっかいな計画作業というものは大概、時間の無駄だ。だからそんな作業は飛ばしてしまえ。もし諸君が本当にプロジェクト遂行に要する時間と開発資源を見積もりたいのであれば、まずは手を付けてみる事だ。
訳者コメント:
37signalsの記事を読む場合に限らないのだが、ものごとには必ずdarksideとlightsideがあるということはしっかり認識しておく必要がある。
この記事は一見、計画というものを全否定しているように思われるかもしれないが、そうではない。世間一般が計画というもののlightsideしか見ていないことに関し、きちんとdarksideを、すなわち計画というものが現実逃避の道具になってしまったり、プロジェクトの足枷にしかなっていなかったり、計画と遂行が本末転倒しているといった例を紹介しているだけの事だ。
また、lightsideとdarksideが不可分であるという事も認識しておく必要がある。メリットだけ得てリスクは切るなんていう御都合主義などありえない。
デンバー国際空港やボストンの The Big Dig(訳注: 高速道路網を地下トンネルに置き換える都市再構築プロジェクト)といったプロジェクトが何年も遅滞したり数十億ドルの予算にふくれあがるのを見るにつけ、これだからお役所的なやり方は無駄が多いし時間もかかりすぎるんだ、と我々は批判する。だが、プロジェクトを台無しにするような計画立案を行うのは巨大組織や国家機関に限らない。誰もがその愚を犯す。これが "plannning fallacy" というものだ(訳注: まず計画ありきといった感じの誤った認識のこと)。我々は、物事について計画を立てることが可能だと思い込んでいるが、実は計画を立てるなんて不可能なのだ。
調査によると、人に「それは現実を見据えた上でのシナリオか、それとも希望的観測に基づいたトントン拍子で進むシナリオか?」と問うのは無意味だということが明らかになっている。どっちみち出てくるのはトントン拍子に進む方のシナリオだけだからだ。これは案件の大小を問わず成り立つ。
我々はなかなか現実的になれない。計画通りに物事が進むと思い込んでしまうのだ。予期せぬ病気・ハードディスクのクラッシュ・マーフィーの法則的諸々を計算に入れて考えるなんてことは絶対にしない。
もし諸君が大げさな事前計画というものに全幅の信頼を置いているのであれば、これはすなわち諸君が諸君自身を偽っているという事に他ならない。まぁ「自由になれる」という良い側面もあるけどね(訳注: 計画という絵空事によって、現実を直視するという苦役から解放されるという皮肉か)。ものごとの進捗を遅らせ君が現実的になることを妨げるこのやっかいな計画作業というものは大概、時間の無駄だ。だからそんな作業は飛ばしてしまえ。もし諸君が本当にプロジェクト遂行に要する時間と開発資源を見積もりたいのであれば、まずは手を付けてみる事だ。
訳者コメント:
37signalsの記事を読む場合に限らないのだが、ものごとには必ずdarksideとlightsideがあるということはしっかり認識しておく必要がある。
この記事は一見、計画というものを全否定しているように思われるかもしれないが、そうではない。世間一般が計画というもののlightsideしか見ていないことに関し、きちんとdarksideを、すなわち計画というものが現実逃避の道具になってしまったり、プロジェクトの足枷にしかなっていなかったり、計画と遂行が本末転倒しているといった例を紹介しているだけの事だ。
また、lightsideとdarksideが不可分であるという事も認識しておく必要がある。メリットだけ得てリスクは切るなんていう御都合主義などありえない。
2009年6月10日水曜日
[メモ] IEは原則としてサポート外とする
マスというか「烏合の衆」を相手にしていられるほどヒマじゃないんでね。
サポート比重としては
Firefox > Safari > Chrome > Opera
でいく予定。
サポート比重としては
Firefox > Safari > Chrome > Opera
でいく予定。
2009年6月5日金曜日
[メモ] 案の定
[CNET Japan] 絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」第4回--絵文字が引き起こしたUnicode-MLの“祭り”
このエントリに記されている状況を見て「これだから西洋中心主義は!」などと的外れな主張をする似非愛国者が出現するんでしょうな。それ以前の問題でしょw
本件に関しては
[一言居士] やめとけ。諸君のやろうとしているのは漢字の再発明だ。
に書いた通り。ちなみにヘタレな私にしては珍しく、このエントリではトラバを付けたのですが、すぐに外されました。あれですか、不都合な真実ってやつですかw
絵文字そのものの是非に関する議論も無しに「まず標準化ありき。リーダーシップさえ手にすりゃ、あとはこっちのもんだぜw」で突っ走ったGoogle(というかもしかしてGoogle Japan?)の迎えるクライマックスや如何? というわけで次回に期待大であります。
このエントリに記されている状況を見て「これだから西洋中心主義は!」などと的外れな主張をする似非愛国者が出現するんでしょうな。それ以前の問題でしょw
本件に関しては
[一言居士] やめとけ。諸君のやろうとしているのは漢字の再発明だ。
に書いた通り。ちなみにヘタレな私にしては珍しく、このエントリではトラバを付けたのですが、すぐに外されました。あれですか、不都合な真実ってやつですかw
絵文字そのものの是非に関する議論も無しに「まず標準化ありき。リーダーシップさえ手にすりゃ、あとはこっちのもんだぜw」で突っ走ったGoogle(というかもしかしてGoogle Japan?)の迎えるクライマックスや如何? というわけで次回に期待大であります。
2009年6月3日水曜日
[メモ] Project Natal
Xbox.com | Project Natal:
なるほど。Xboxがエロゲに手を出している理由は、こんな先行開発があったからなのか。Natalを差別化要素としてエロゲプラットフォームを制覇するという目論見に違いない。
該分野においてはビジュアル表現だけでなく入力デバイスの変革が重要である事をいち早く認識したMicrosoftは、リアルタイムモーションキャプチャーによりまさにnatalな状態でのプレイを可能にする。
コントローラ等の夾雑物を介する事のないエロゲプレイを実現することで対象との一体感を劇的に高めることが可能である、というMicrosoftの先見の明には感服するほか無い。
なお、モーションキャプチャについては特に腰部分について精度が求められると予想されるが、サッカーのPKを再現している部分を見る限り、問題はなさそうである。
天下のMicrosoftのことだ、Natalの適用はゲームに留まらず、現在のコンピューティングにおいてないがしろにされがちな「身体性」の復権を視野に入れ、あらゆるプラットフォームにおいて推進される事であろう。
って、厨房じゃないんだからさ、いいオッサンがこんな妄想垂れ流してどうすんだよw
で、真面目な話、期待しております。
私自身は「ゲームとは目を開けたまま見る夢」という理想形がありますので、身体を動かすなどもってのほかなのですが、Natalの根本にある「人間に備わったファンクションそのものをI/Oデバイスとする」というコンセプトは、神経接続を始めとする未来のコンピューティングにおけるキーパーツへとつながる可能性を多く含んでいます。Windows 7 なんてどうでもいいから、こっちを進めてくださいよ。Bingも発表時点で「波」に押し流されちゃいましたしw
それにしてもMSって、こういった反主流的(というか社内outsider的)取り組みしか見るべきものがなくなっちゃいましたね。
でも、それって実はいいことなんすよ。我々にとってもMSにとっても。
なるほど。Xboxがエロゲに手を出している理由は、こんな先行開発があったからなのか。Natalを差別化要素としてエロゲプラットフォームを制覇するという目論見に違いない。
該分野においてはビジュアル表現だけでなく入力デバイスの変革が重要である事をいち早く認識したMicrosoftは、リアルタイムモーションキャプチャーによりまさにnatalな状態でのプレイを可能にする。
コントローラ等の夾雑物を介する事のないエロゲプレイを実現することで対象との一体感を劇的に高めることが可能である、というMicrosoftの先見の明には感服するほか無い。
なお、モーションキャプチャについては特に腰部分について精度が求められると予想されるが、サッカーのPKを再現している部分を見る限り、問題はなさそうである。
天下のMicrosoftのことだ、Natalの適用はゲームに留まらず、現在のコンピューティングにおいてないがしろにされがちな「身体性」の復権を視野に入れ、あらゆるプラットフォームにおいて推進される事であろう。
って、厨房じゃないんだからさ、いいオッサンがこんな妄想垂れ流してどうすんだよw
で、真面目な話、期待しております。
私自身は「ゲームとは目を開けたまま見る夢」という理想形がありますので、身体を動かすなどもってのほかなのですが、Natalの根本にある「人間に備わったファンクションそのものをI/Oデバイスとする」というコンセプトは、神経接続を始めとする未来のコンピューティングにおけるキーパーツへとつながる可能性を多く含んでいます。Windows 7 なんてどうでもいいから、こっちを進めてくださいよ。Bingも発表時点で「波」に押し流されちゃいましたしw
それにしてもMSって、こういった反主流的(というか社内outsider的)取り組みしか見るべきものがなくなっちゃいましたね。
でも、それって実はいいことなんすよ。我々にとってもMSにとっても。
ラベル:
Microsoft,
Project Natal,
メモ
2009年6月2日火曜日
[メモ] クロサカタツヤ氏のエントリにニヤリ
[CNET Japan] twitterヒッチハイクガイド
内容もさることながら、最後の部分に思わずニヤリ。これってどうみてもこれへの当て付けだね。自分の思い通りにならないと言って駄々をこねているだけの御仁にとって、このクロサカタツヤ氏のエントリは良い刺激剤となること請合。
それはそうと、なんで銀河ヒッチハイクガイドなんだろ? これがCNET Japanでは42番目のエントリになるからかな、と思って数えてみたがそうではないようだ。
「毎日ピリピリしている」自分と「ぽかんと口を開けて突っ立ったまま、事態が無事に自分の上を通り過ぎていくのを待っている」アーサー・デントを対比しているのかなあ、とか、ダグラス・アダムスの命日は5月11日だったなあ、でもその日の近辺には別エントリが既にあるしなあ、とか考えてはみたんだが、結局のところ謎である。
内容もさることながら、最後の部分に思わずニヤリ。これってどうみてもこれへの当て付けだね。自分の思い通りにならないと言って駄々をこねているだけの御仁にとって、このクロサカタツヤ氏のエントリは良い刺激剤となること請合。
それはそうと、なんで銀河ヒッチハイクガイドなんだろ? これがCNET Japanでは42番目のエントリになるからかな、と思って数えてみたがそうではないようだ。
「毎日ピリピリしている」自分と「ぽかんと口を開けて突っ立ったまま、事態が無事に自分の上を通り過ぎていくのを待っている」アーサー・デントを対比しているのかなあ、とか、ダグラス・アダムスの命日は5月11日だったなあ、でもその日の近辺には別エントリが既にあるしなあ、とか考えてはみたんだが、結局のところ謎である。
2009年5月31日日曜日
[メモ] Google Wave
Google Wave Preview:
Google Code Blog: Hello World, Meet Google Wave:
私がGoogle Waveに筋の良さを感じる理由は、大見出しであるリアルタイムコラボレーションという題目の持つ魅力ももちろんだが、それ以上に
n人(n > 1)のコラボレーションというモデリングは実に当たり前だが、これがn==1でも有効であるということを明確にしているわけだ。
実際、現在のアプリケーションでは入力と出力が別マシン・別プロセス・別タブであるというのが普通になっているので、入力側と出力側がオブジェクトをIPベースでリアルタイムに共有するAPIの出現は実にうれしい。アプリケーション間通信の近未来形を示したという意味では、これでやっとIPベース分散オブジェクトの最終進化形が見えてきたと言って良いのかもしれない。
こういった有望なパラダイムが出てきたことで、コラボレーションツールという意味でかぶる部分が多いCMS界隈などは特に刺激を受け、Google Waveを取り込んだり改良したりすることで更なる進化を遂げるのだろう。
RPCとか疎結合とかがチンプンカンプンな上司にレポートする際には「オプション4つ付けて、ヒャッホー!俺様無敵!な感じを個人でも味わえるようになるんですわ」とでも言っておけば良いかもしれない。まぁ相手も強化するわけで、パターン覚えないとサクっと死ぬというのは共通なんだけど、不都合な真実は隠しておこうw
いずれにせよこれで「GoogleがTwitterを買収」とかぬかしていた「いま目の前にあるニンジンしか追いかけられないITパパラッチ」も口を閉ざすことだろう。めでたしめでたし。
それにしても今回改めて思い知らされたのは、江島健太郎氏のテクノロジ目利きとしての腕の良さだ。
Lingrを単なるリアルタイムコミュニケーションツールとしてしか捉えられなかった事に関する責は運営側にもユーザ側にもあるわけで、単に機が熟していなかったというだけのことだ。特に想像力(COMET応用性の発見)欠如という意味では、やはりTwitterのような前座が必要だったのだろう。
今回Google Waveの発表を目にして脊髄反射的に「うはwwwwエジケン涙目wwww」と思ってしまったのだが肚の底では、いち早くCOMETに賭けた氏の見識の確かさと度胸に感服していた。
氏は今回の発表を聞きアブサンで苦い祝杯をあげた、というストーリーをふと思いついた皐月の終わり。
Google Code Blog: Hello World, Meet Google Wave:
私がGoogle Waveに筋の良さを感じる理由は、大見出しであるリアルタイムコラボレーションという題目の持つ魅力ももちろんだが、それ以上に
- これぞ私が今まさに欲しいテクノロジだから
- Twitter?あんな中途半端なもん買収してどうすんだよ、one of Google Wave clientsとして扱うだけで充分じゃんwという技術者としての矜持がにじみ出ているから
- ボットをわらわら動かしてコラボレートに参加させる
n人(n > 1)のコラボレーションというモデリングは実に当たり前だが、これがn==1でも有効であるということを明確にしているわけだ。
実際、現在のアプリケーションでは入力と出力が別マシン・別プロセス・別タブであるというのが普通になっているので、入力側と出力側がオブジェクトをIPベースでリアルタイムに共有するAPIの出現は実にうれしい。アプリケーション間通信の近未来形を示したという意味では、これでやっとIPベース分散オブジェクトの最終進化形が見えてきたと言って良いのかもしれない。
こういった有望なパラダイムが出てきたことで、コラボレーションツールという意味でかぶる部分が多いCMS界隈などは特に刺激を受け、Google Waveを取り込んだり改良したりすることで更なる進化を遂げるのだろう。
RPCとか疎結合とかがチンプンカンプンな上司にレポートする際には「オプション4つ付けて、ヒャッホー!俺様無敵!な感じを個人でも味わえるようになるんですわ」とでも言っておけば良いかもしれない。まぁ相手も強化するわけで、パターン覚えないとサクっと死ぬというのは共通なんだけど、不都合な真実は隠しておこうw
いずれにせよこれで「GoogleがTwitterを買収」とかぬかしていた「いま目の前にあるニンジンしか追いかけられないITパパラッチ」も口を閉ざすことだろう。めでたしめでたし。
それにしても今回改めて思い知らされたのは、江島健太郎氏のテクノロジ目利きとしての腕の良さだ。
Lingrを単なるリアルタイムコミュニケーションツールとしてしか捉えられなかった事に関する責は運営側にもユーザ側にもあるわけで、単に機が熟していなかったというだけのことだ。特に想像力(COMET応用性の発見)欠如という意味では、やはりTwitterのような前座が必要だったのだろう。
今回Google Waveの発表を目にして脊髄反射的に「うはwwwwエジケン涙目wwww」と思ってしまったのだが肚の底では、いち早くCOMETに賭けた氏の見識の確かさと度胸に感服していた。
氏は今回の発表を聞きアブサンで苦い祝杯をあげた、というストーリーをふと思いついた皐月の終わり。
2009年5月30日土曜日
2009年5月21日木曜日
[メモ] デッカードのセダン?
Citroën Karin
trapezoidal(台形の)という表現がぴったりな、シトロエンが1980年のパリサロンにて展示専用車として公開したこの一台。どう見てもデッカードのセダンだ。ミード御大はここからインスピレーションを得たのだろうか?
trapezoidal(台形の)という表現がぴったりな、シトロエンが1980年のパリサロンにて展示専用車として公開したこの一台。どう見てもデッカードのセダンだ。ミード御大はここからインスピレーションを得たのだろうか?
ラベル:
BLADE RUNNER,
メモ
2009年5月20日水曜日
[メモ] やればできる子
NHK、創作用映像素材の無料公開サイト開設へ--10月にスタート
期待大。つまんねー上に著作権処理という複雑で虚しい作業が重くのしかかるコンテンツ(韓流とかなw)は後回しでええやんという英断が窺える。
我らが日本放送協会様におかれましてはこの流れを推進し、ようつべやニコ動のような玉石混淆のカオス(これはこれで好きだけどね)ではなく、Vimeo のような、ちんまりとした佇いを残しつつも製作者の思いはダイレクトに伝わってくるコンテンツが集積されたポータルになってほしいと切に望むものであります。
期待大。つまんねー上に著作権処理という複雑で虚しい作業が重くのしかかるコンテンツ(韓流とかなw)は後回しでええやんという英断が窺える。
我らが日本放送協会様におかれましてはこの流れを推進し、ようつべやニコ動のような玉石混淆のカオス(これはこれで好きだけどね)ではなく、Vimeo のような、ちんまりとした佇いを残しつつも製作者の思いはダイレクトに伝わってくるコンテンツが集積されたポータルになってほしいと切に望むものであります。
[メモ] 裁判員制度に反対する
出廷義務に関する過料ひとつ取っても「それって庸? 日本はいつから律令制に戻ったの?」と呆れるしか無いしろもの。
問題点しか見当たらないし、公共心の涵養がこんな「司法の職務放棄」としか言い様のない制度で実現されると考えるのであれば頭悪過ぎ。だいいち「日常感覚や常識といったものを裁判に反映する」ってのは罪刑法定主義の、ひいては法治主義の否定にほかならないだろ。
あ、そうか。これって「これまで、立法権は議会制民主主義を通じて国民が行使するというシナリオのもと法治国家指向で運営して参りましたが、今後徐々に人治国家に移行しまっせ」という方針転換の表明なわけか。
なるほどね。でも、うはw、またファッショかよw
まぁ選出されたら、運が悪かったと思って素直に過料を支払い、出廷を拒否させてもらいますわ。
追記:
「裁判員保険というビジネスが成立するかもしれん。まさかの時に備えるという意味では交通事故と同じだからね」と思ってググってみたら既に同様の事を提唱している方々がけっこうおられる。日本もまだまだ捨てたもんじゃない。
問題点しか見当たらないし、公共心の涵養がこんな「司法の職務放棄」としか言い様のない制度で実現されると考えるのであれば頭悪過ぎ。だいいち「日常感覚や常識といったものを裁判に反映する」ってのは罪刑法定主義の、ひいては法治主義の否定にほかならないだろ。
あ、そうか。これって「これまで、立法権は議会制民主主義を通じて国民が行使するというシナリオのもと法治国家指向で運営して参りましたが、今後徐々に人治国家に移行しまっせ」という方針転換の表明なわけか。
なるほどね。でも、うはw、またファッショかよw
まぁ選出されたら、運が悪かったと思って素直に過料を支払い、出廷を拒否させてもらいますわ。
追記:
「裁判員保険というビジネスが成立するかもしれん。まさかの時に備えるという意味では交通事故と同じだからね」と思ってググってみたら既に同様の事を提唱している方々がけっこうおられる。日本もまだまだ捨てたもんじゃない。
2009年5月19日火曜日
[メモ] DoCoMoオワタ
[CNET Japan] NTTドコモ夏モデルはJavaScript対応、ヱヴァケータイなど18機種
[CNET Japan] ついにAndroidケータイが日本上陸--写真で見るドコモの最新PRO/SMARTシリーズ
[CNET Japan] 薄さ9.9mmの高性能スマートフォン、写真で見る「T-01A」--NTTドコモ2009夏モデル
[CNET Japan] 映画にも登場、限定3万台の販売--写真で見るヱヴァケータイ
「なにを今更、とっくに終わっとるがな」という周囲の声もあった。それでも「禿電話よりはマシじゃ」と、心のどこかで信じていた。
だが今度ばかりは愛想が尽きた。
まさに大企業病。この御時世に於いて尚、幕の内弁当的「あれもこれも」戦略を採るとは正気の沙汰とは思えない。
Android/Windows Mobileに関しても相変わらず「一応最大キャリアとしてはやっておかないとね」的やる気の無さが爆発してるし、小手先のフィーチャーアップにしてもキャラクタ商品化にしても、もううんざりだ。
博打を打てない経営陣などもう要らん。
[CNET Japan] ついにAndroidケータイが日本上陸--写真で見るドコモの最新PRO/SMARTシリーズ
[CNET Japan] 薄さ9.9mmの高性能スマートフォン、写真で見る「T-01A」--NTTドコモ2009夏モデル
[CNET Japan] 映画にも登場、限定3万台の販売--写真で見るヱヴァケータイ
「なにを今更、とっくに終わっとるがな」という周囲の声もあった。それでも「禿電話よりはマシじゃ」と、心のどこかで信じていた。
だが今度ばかりは愛想が尽きた。
まさに大企業病。この御時世に於いて尚、幕の内弁当的「あれもこれも」戦略を採るとは正気の沙汰とは思えない。
Android/Windows Mobileに関しても相変わらず「一応最大キャリアとしてはやっておかないとね」的やる気の無さが爆発してるし、小手先のフィーチャーアップにしてもキャラクタ商品化にしても、もううんざりだ。
博打を打てない経営陣などもう要らん。
ラベル:
NTT DoCoMo,
メモ,
大企業病
2009年5月17日日曜日
2009年5月16日土曜日
[メモ] 分割し得ぬものを分割するの愚
客観的主観主義もしくは主観的客観主義という表現について形容矛盾だとしてしまった時点でもう終わってるんだよ。
自分という他人もしくは他人という自分について思い至らない限り、個人も社会も、主観も客観も、矜持も共感も生じ得ないのに。
多分、自他の区別というものについてその半面しか評価していないからこういったことになるんだろう。
自分という他人もしくは他人という自分について思い至らない限り、個人も社会も、主観も客観も、矜持も共感も生じ得ないのに。
多分、自他の区別というものについてその半面しか評価していないからこういったことになるんだろう。
2009年5月15日金曜日
[メモ] 血塗れの神話
創造神話ならぬ「創造性神話」とでも言うべきものが存在するのだが、こいつと「生産性神話」はまるで双子の兄弟のように良く似ている。
「子供の創造性」とか「生産性の向上」といったとっつきやすい美辞麗句に騙されて、創造や生産といった行為が本来背負っている業 (karma) には目が行かなくなっているようだ。
創造=生産=善という一面的な捉え方は、創造や生産に携わったことのない、創造や生産がある種の悲惨の上にしか成立し得ないということを知らない脳天気によく見られる。
そして真の創造者・生産者は、そういった脳天気どもの思いをよそに、粛々と創造・生産の持つ業をその身に引き受け、血を吐きながら、その血を絵具にし、表現する=生きる。
「子供の創造性」とか「生産性の向上」といったとっつきやすい美辞麗句に騙されて、創造や生産といった行為が本来背負っている業 (karma) には目が行かなくなっているようだ。
創造=生産=善という一面的な捉え方は、創造や生産に携わったことのない、創造や生産がある種の悲惨の上にしか成立し得ないということを知らない脳天気によく見られる。
そして真の創造者・生産者は、そういった脳天気どもの思いをよそに、粛々と創造・生産の持つ業をその身に引き受け、血を吐きながら、その血を絵具にし、表現する=生きる。
2009年5月10日日曜日
[メモ] ロジックとは虚構である
脳は考えてなどいない。ましてや論理的思考などしていない。
脳はパターンマッチングしているだけだ。
走光性などにみられるような、入力パターンに応じた出力(行動)パターンの最適化、すなわち個体の生存に関して状況に応じた最適化を行い得たものが生き残るというシステムを延々と運用してきたのが我々、生命体だ。
ロジックとは膨大な数のパターンマッチング処理の重なり合いが垣間見せる蜃気楼に付けられた名前である、といった程度の認識で充分かと思われる。
おそらく、我々が意識と呼ぶものも同類であろう。
脳はパターンマッチングしているだけだ。
走光性などにみられるような、入力パターンに応じた出力(行動)パターンの最適化、すなわち個体の生存に関して状況に応じた最適化を行い得たものが生き残るというシステムを延々と運用してきたのが我々、生命体だ。
ロジックとは膨大な数のパターンマッチング処理の重なり合いが垣間見せる蜃気楼に付けられた名前である、といった程度の認識で充分かと思われる。
おそらく、我々が意識と呼ぶものも同類であろう。
2009年5月8日金曜日
[メモ] 『BLADE RUNNER』 と『ヨコハマ買い出し紀行』
ポジティブな『ブレードランナー』として『ヨコハマ買い出し紀行』を読む、または逆に、ネガティブな『ヨコハマ買い出し紀行』として『ブレードランナー』を観る、というのが私の基本姿勢になっている。
一般に、かたやディストピアこなたユートピアという分類になっているようで、確かに、雷鳴轟き酸性雨のふりしきる2019年のロサンゼルスがディストピアを、自然がその本来の力を取り戻したことを示すムサシノの並木道がユートピアを、それぞれ視覚的に上手く描写しているというのは理解出来る。
しかし、そこに留まるのは皮相的に過ぎるのではないかと思うのだ。
私は、デッカードがレプリカントであることを明確に示したディレクターズ・カットでようやく、この物語が「闇黒のユートピア」とでも言うべきテーマの上に成立しているという事を確信した。
ガフの折ったユニコーンが「おまえは乙女に心を許しちまったユニコーンだ」という意味から「おまえはユニコーンの夢を見る」という意味に変わった事で、デッカードが蜘蛛の記憶を持ち出してレイチェルに彼女自身がレプリカントである事を確信させたのと同様のことが起こった。これによりリドリー・スコットは(というかハンプトン・ファンチャーは)、ディックが人間とレプリカントの関係を描くことで示した「人間とは何か」というテーマを、レプリカントとレプリカントの関係という形に翻案する事によって深化させたと言える。
リドリー・スコットの意図は、エンディングを陽光の下を車で飛ばす二人ではなく、エレベータの暗がりに消えていく二人に置き換えた点にも見て取れる。二人はまるで闇黒の未来へと乗り出すアダムとイブだ。楽園追放こそが人を人たらしめたのと同様に神の子ならぬ人の子たるレプリカントをレプリカントたらしめるという主張を明確にすることで、この物語はレプリカント版の創世記であるという事を示している。
一方『ヨコハマ買い出し紀行』は「陽光のディストピア」だと言える。
地球上にほんの一瞬だけ繁栄した種が迎えた黄昏と、その種が自らの姿に似せて作ったアルファ型ロボットをとりまく世界を描いたこの物語を単なる「ゆるい」ユートピア論として読むのは、ちょっともったいないと私は思っている。
アルファ型にとってのユートピアは即ち人間にとってのディストピアであるという点について意識が及ばないと「わたしたち、人の子なんですよ(10,p86)」というココネさんの独白の持つ重みを知る事は不可能だろう。『ヨコハマ買い出し紀行』はホーガンも真っ青なハードSFであり文明論なのだ。
というわけで私にとってこの2つの作品は、同じテーマのもとでそれぞれネガ・ポジというカタチで描き出されたものなのだ。
余談:
人はありのままの世界を見ているのではなく自分の見たいように見ているのだと申しますが、本当にそうだなと思う。
私もこの記事を見て「ターポンだ!すげー!」と思ったり、アルファさんとココネさんが互いに知っているはずの無い歌を歌うエピソード(3,p19)を読んで「これこそ生成文法」と妙に納得したことがあったりするんでね。
でもいいじゃないすか。楽しいし。
一般に、かたやディストピアこなたユートピアという分類になっているようで、確かに、雷鳴轟き酸性雨のふりしきる2019年のロサンゼルスがディストピアを、自然がその本来の力を取り戻したことを示すムサシノの並木道がユートピアを、それぞれ視覚的に上手く描写しているというのは理解出来る。
しかし、そこに留まるのは皮相的に過ぎるのではないかと思うのだ。
私は、デッカードがレプリカントであることを明確に示したディレクターズ・カットでようやく、この物語が「闇黒のユートピア」とでも言うべきテーマの上に成立しているという事を確信した。
ガフの折ったユニコーンが「おまえは乙女に心を許しちまったユニコーンだ」という意味から「おまえはユニコーンの夢を見る」という意味に変わった事で、デッカードが蜘蛛の記憶を持ち出してレイチェルに彼女自身がレプリカントである事を確信させたのと同様のことが起こった。これによりリドリー・スコットは(というかハンプトン・ファンチャーは)、ディックが人間とレプリカントの関係を描くことで示した「人間とは何か」というテーマを、レプリカントとレプリカントの関係という形に翻案する事によって深化させたと言える。
リドリー・スコットの意図は、エンディングを陽光の下を車で飛ばす二人ではなく、エレベータの暗がりに消えていく二人に置き換えた点にも見て取れる。二人はまるで闇黒の未来へと乗り出すアダムとイブだ。楽園追放こそが人を人たらしめたのと同様に神の子ならぬ人の子たるレプリカントをレプリカントたらしめるという主張を明確にすることで、この物語はレプリカント版の創世記であるという事を示している。
一方『ヨコハマ買い出し紀行』は「陽光のディストピア」だと言える。
地球上にほんの一瞬だけ繁栄した種が迎えた黄昏と、その種が自らの姿に似せて作ったアルファ型ロボットをとりまく世界を描いたこの物語を単なる「ゆるい」ユートピア論として読むのは、ちょっともったいないと私は思っている。
アルファ型にとってのユートピアは即ち人間にとってのディストピアであるという点について意識が及ばないと「わたしたち、人の子なんですよ(10,p86)」というココネさんの独白の持つ重みを知る事は不可能だろう。『ヨコハマ買い出し紀行』はホーガンも真っ青なハードSFであり文明論なのだ。
というわけで私にとってこの2つの作品は、同じテーマのもとでそれぞれネガ・ポジというカタチで描き出されたものなのだ。
余談:
人はありのままの世界を見ているのではなく自分の見たいように見ているのだと申しますが、本当にそうだなと思う。
私もこの記事を見て「ターポンだ!すげー!」と思ったり、アルファさんとココネさんが互いに知っているはずの無い歌を歌うエピソード(3,p19)を読んで「これこそ生成文法」と妙に納得したことがあったりするんでね。
でもいいじゃないすか。楽しいし。
ラベル:
BLADE RUNNER,
P.K.ディック,
メモ,
ヨコハマ買い出し紀行,
芦奈野ひとし
2009年5月6日水曜日
[37signals] プランというものは歩みを進めてみて始めてわかるものだ
(原文: The only plan is to learn as you go)
プランという言葉を現実に即した呼び方に改めようよ。「あてずっぽう」とね。占い師でもないかぎり、ビジネスの長期予測なんて夢物語にすぎないんだから。市場の情勢・競合他社・顧客・経済状況・等々、あまりにも多くて把握しきれないほどの数の要因が存在するんだしね。プランを書くなんてのは、実際にはコントロール出来ないものをあたかもコントロール出来そうな気分にさせるためのものだ。
実際、ビジネスプラン・財政プラン・戦略プランという呼び方についても同様に「あてずっぽう」に変えた方がいいかもしれない。そうすれば多分、こういった絵空事に過度の重きを置く事をやめるようになるだろう。
ペンシルバニア大ウォートンスクールでイノベーション・アントレプレナーシップ部門の教授を務めるIan MacMillanと、コロンビア・ビジネススクールで教授を務めるRita Gunther McGrathは「プランというものは歩みを進めてみて始めてわかるものだ」と確信している。彼らはこう述べる 1) 紋切り型のアプローチやプランというものは新しい分野に取り組もうとする際には役に立たない。2) 大概の企業は虫の良い将来予想によってトラブルに引きずり込まれる。3)企業が回避するべきものは失敗ではなく「高く付く失敗」である。
訳者コメント:
いつも思うんだが「設計しないという設計手法がある」ことを理解している人は少ない。
アジャイルやiterativeな開発手法がこれだけ普及した(ように見える)わりには、ウォーターフォールにせよボトムアップにせよ「まずアーキテクチャをしっかりしなきゃ」といったような前提というか先入観が、まるでしがらみのようにチームの足を引っ張っている。
この先入観の根にあるのは、近年殊に多く見られるようになった「過剰コンプライアンス」の根にあるものと同様、「きちんとしなさい」がとてつもなく肥大化したあの実体の見えない怪物なのだろう。
「きちんとしなさい」を「合理主義」とか「一神教」とおきかえてもいいわけだが。
プランという言葉を現実に即した呼び方に改めようよ。「あてずっぽう」とね。占い師でもないかぎり、ビジネスの長期予測なんて夢物語にすぎないんだから。市場の情勢・競合他社・顧客・経済状況・等々、あまりにも多くて把握しきれないほどの数の要因が存在するんだしね。プランを書くなんてのは、実際にはコントロール出来ないものをあたかもコントロール出来そうな気分にさせるためのものだ。
実際、ビジネスプラン・財政プラン・戦略プランという呼び方についても同様に「あてずっぽう」に変えた方がいいかもしれない。そうすれば多分、こういった絵空事に過度の重きを置く事をやめるようになるだろう。
ペンシルバニア大ウォートンスクールでイノベーション・アントレプレナーシップ部門の教授を務めるIan MacMillanと、コロンビア・ビジネススクールで教授を務めるRita Gunther McGrathは「プランというものは歩みを進めてみて始めてわかるものだ」と確信している。彼らはこう述べる 1) 紋切り型のアプローチやプランというものは新しい分野に取り組もうとする際には役に立たない。2) 大概の企業は虫の良い将来予想によってトラブルに引きずり込まれる。3)企業が回避するべきものは失敗ではなく「高く付く失敗」である。
こんな例がある: プロジェクトの為に資金調達が必要だとする。詳細に関する補足やスプレッドシートの入った100枚のスライドをパワポでまとめ上げ、資金を持ってる人のところならばどこにでも出向いてこの大物をぶつけてみる。相手は言う「うん。いいよ」銘記すべき素晴らしいやり方だ: 不確実性の塊であるこの世で、自分は正しいなどと勝手に思うのは止めろ。立てるべきプランは、その場をしのぐためのプランだけでいい。
プロジェクトを開始し2・3ヶ月も経つと、市場の情勢や要求定義が予想と異なっており、製品をいじり直す必要があることに気付く。今や君には出資者の期待に応えるという大いなる責務がのしかかっている。そういうわけで、まるで型にはまったように失敗する企業によく見られるジレンマの第一は、この世は不確実性の塊であるにもかかわらず、自分は正しいと思い込んでしまう点にある。この考え方が諸君を逆効果しかもたらさないような行動へと駆り立てるのだ。
訳者コメント:
いつも思うんだが「設計しないという設計手法がある」ことを理解している人は少ない。
アジャイルやiterativeな開発手法がこれだけ普及した(ように見える)わりには、ウォーターフォールにせよボトムアップにせよ「まずアーキテクチャをしっかりしなきゃ」といったような前提というか先入観が、まるでしがらみのようにチームの足を引っ張っている。
この先入観の根にあるのは、近年殊に多く見られるようになった「過剰コンプライアンス」の根にあるものと同様、「きちんとしなさい」がとてつもなく肥大化したあの実体の見えない怪物なのだろう。
「きちんとしなさい」を「合理主義」とか「一神教」とおきかえてもいいわけだが。
2009年5月2日土曜日
[37signals] ミュージシャン/発明家は、痒いところに手が届くようなものを自分で作る
(原文: Musician/inventors who scratched their own itch)
Vic Firth 氏はボストン交響楽団でティンパニを叩いていた時、もっといいドラムスティックを作ろうと思い立った。店で売られているスティックは仕事で使うには物足りないので、家の地下室でスティックの製作を始めた。そんなある日、彼は床におびただしい数のスティックをぶちまけてしまった際に、スティックがみんな違う音高を発するのを耳にした。彼がスティックの水分含有度・重量・密度・音高を考慮して、ぴったり同じものをペアにするようにし始めたのはその時からだった。その結果、彼の製品のタグには「完璧な組み合わせ」という謳い文句が記されるようになった。現在は、一日に85,000本のスティックを売り、市場シェアの62%を占めるに至った。
Les Paul 氏がソリッドボディのギターを発明した理由は、バーベキュー会場のお客さんに彼の演奏が聴こえなかったからだ。
我々は偉大なるアイディアを雷のごとき天啓と考えがちだ。しかし偉大なる発明の多くは「何かもどかしい感じ」とでも言うべきものがもたらしてくれるというのが本当のところだ。困ってる原因は何? どうすれば治る? 多くの人もまた解決策を求めているかもしれないよ。
Vic Firth 氏はボストン交響楽団でティンパニを叩いていた時、もっといいドラムスティックを作ろうと思い立った。店で売られているスティックは仕事で使うには物足りないので、家の地下室でスティックの製作を始めた。そんなある日、彼は床におびただしい数のスティックをぶちまけてしまった際に、スティックがみんな違う音高を発するのを耳にした。彼がスティックの水分含有度・重量・密度・音高を考慮して、ぴったり同じものをペアにするようにし始めたのはその時からだった。その結果、彼の製品のタグには「完璧な組み合わせ」という謳い文句が記されるようになった。現在は、一日に85,000本のスティックを売り、市場シェアの62%を占めるに至った。
Les Paul 氏がソリッドボディのギターを発明した理由は、バーベキュー会場のお客さんに彼の演奏が聴こえなかったからだ。
Goerke's Corner(訳注: ここ)と呼ばれる屋外で演ってたんだ。ワウケシャとミルウォーキーの間にあるんだが、ここはみんながバーベキューサンドイッチやルートビアといったものを食べるために車で立ち寄るというのが面白いとこでね。みんなに聴かせる為に演ってたんだが、車の後部座席に座っていたある男が私宛に一筆書いて給仕のねえちゃんに渡したんだよ。彼女が渡してくれた紙にはこう書いてあった「おまえは舞台に上がって何をしてるんだ...声とハーモニカは良く聴こえるけどギターの音量が足りねぇよ」。これを見て私は家に帰って考えたんだ、で、私なりのシンプルなやり方ではこういう結論になった「んー、じゃ、ギターについて研究させてくれや」。最初は布切れを詰めてみたんだが最終的に石膏にしたよ。MUTEK(訳注: モントリオールで行われている音楽フェスティバル)の創設者・監督である Alain Mongeau 氏は Robert Henke 氏がどうやって Ableton Live を思い付いたかについてこう語る:
MONOLAKE(Robert Henke が techno producerとsound artist を務めている)のようなアーチストが良い例だ。例えば、彼は常に頭の中で思い描いている音楽をカタチにしたいと思ってたんだが、実現する手段が無かった。それで彼は本当にがんばってがんばってがんばりぬいて、遂にそういった音楽を制作する為のツールを作り、そのツールは Ableton Live というソフト、ここ10年間にわたり業界に途轍も無い衝撃を与えてきたことが誰の目にも明らかなソフトになったんだ。以上挙げたミュージシャン達はそれぞれ問題を抱えていた。問題に注力し、解決した。そして彼らは同じような問題を抱えて解決策を求めていた多くの人々を救ったんだということも明らかだ。
我々は偉大なるアイディアを雷のごとき天啓と考えがちだ。しかし偉大なる発明の多くは「何かもどかしい感じ」とでも言うべきものがもたらしてくれるというのが本当のところだ。困ってる原因は何? どうすれば治る? 多くの人もまた解決策を求めているかもしれないよ。
2009年4月28日火曜日
[37signals] デザイン: 世界の商標登録証
(原文: Designed: Trademarks, Worldwide)
この件に関しては日本に軍配を挙げなきゃ。今日、厚手の紙にきらびやかな金箔と朱印が押されたウチの商標登録証が送られてきた。この傑作のことをいいふらしたいんだよねワタシ、とまわりに話し続けている:
ずば抜けてる。というのも、日本以外では世界中を見わたしてもこんな感じだから:
オーストラリア政府に感謝いたします。格別につまらない事例として上がってくれたことにね。
訳者コメント:
わざわざ手間暇かけてこういったことをする点にこそ日本文化の本質があるということ。文化をはかるメトリックのひとつに、どれだけ無駄を許容出来るか、というのがあるけど、システム構築における冗長性確保と同様、文化の懐の深さというものはこういった一見無駄に見えるものを大切にするところから産まれるらしい。
何が無駄で何が無駄でないか。この難しい問いに取り組んできた日本人は多い。侘び茶にしても俳諧にしてもこの問題に関する回答例として鍛え上げられ、こんにちの日本人も利用出来るオブジェクトになっている。含まれるメソッドのうちのいくつかはそのまま手軽に使えるけど、中にはvirtual宣言されたものもあり、こいつの実装はおまえがやるしかねぇんだよ、と利休がにやにやしている。
それにしても「クールジャパン」という言い方は勘弁してほしい。日本には「数寄」という、まさにこういったことを表現するのにぴったりな言葉があるのに。
この件に関しては日本に軍配を挙げなきゃ。今日、厚手の紙にきらびやかな金箔と朱印が押されたウチの商標登録証が送られてきた。この傑作のことをいいふらしたいんだよねワタシ、とまわりに話し続けている:
ずば抜けてる。というのも、日本以外では世界中を見わたしてもこんな感じだから:
オーストラリア政府に感謝いたします。格別につまらない事例として上がってくれたことにね。
訳者コメント:
わざわざ手間暇かけてこういったことをする点にこそ日本文化の本質があるということ。文化をはかるメトリックのひとつに、どれだけ無駄を許容出来るか、というのがあるけど、システム構築における冗長性確保と同様、文化の懐の深さというものはこういった一見無駄に見えるものを大切にするところから産まれるらしい。
何が無駄で何が無駄でないか。この難しい問いに取り組んできた日本人は多い。侘び茶にしても俳諧にしてもこの問題に関する回答例として鍛え上げられ、こんにちの日本人も利用出来るオブジェクトになっている。含まれるメソッドのうちのいくつかはそのまま手軽に使えるけど、中にはvirtual宣言されたものもあり、こいつの実装はおまえがやるしかねぇんだよ、と利休がにやにやしている。
それにしても「クールジャパン」という言い方は勘弁してほしい。日本には「数寄」という、まさにこういったことを表現するのにぴったりな言葉があるのに。
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