久々にディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んで気付いたのは、インターネットとそれに接続された各種端末はまさにエンパシー(共感)ボックスなのだということ。携帯なしでは孤独でいたたまれない人々と本書の登場「人」物は完全にオーバーラップしている。たとえそれがかりそめであり虚構だとしても、人は人とのリンクを求めるものらしい。
まぁ、このネタ自体はもはや言い尽くされた感もあり、現実はというと「インターネットは人類補完計画の夢を見るか?」に至ろうとしている。人は人であるために人の姿を捨てなければならぬという命題の真偽値が判明するまであと最低6年は待たなければならないはずだったが、昨今の状況を見ると前倒しもありかもという気がしないでも無い。
2009年8月28日金曜日
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