2009年12月13日日曜日

[メモ] だめぽこそは人の人たる所以なれ

[DARING FIREBALL] ‘The Tortoise Lays on Its Back, Its Belly Baking in the Hot Sun, Beating Its Legs Trying to Turn Itself Over, but It Can’t, Not Without Your Help. But You’re Not Helping. Why Is That?’
[DARING FIREBALL] Google Coyly Acknowledges New Android Phones Given to Employees
[DARING FIREBALL] Google Hands Out Unlocked Android 2.1 ‘Google Phones’ to Some Employees

昨日、John GruberがGoogle Phoneをネタに一気に3つも記事を書いている。その中で
Mozilla/5.0 (Linux; U; Android 2.1; en-us; Nexus One Build/ERD56C) AppleWebKit/530.17 (KHTML, like Gecko) Version/4.0 Mobile Safari/530.17
というユーザエージェント文字列が出ている(Nexus One を赤にしてみたら、オープニングで表示されるバックストーリーの "Known as a Replicant" みたいで気に入ったw)

この記事自体は「ふーん」程度で済ませて良いのだが、リンクされているWikipedia(E)のReplicantの項にはロイ(Nexus-6)の弟としてのデッカード(Nexus-7)というPaul Sammonの所見なんかもきちんと載っており、好感が持てる。写真で一杯なデッカードの部屋が映し出された段階で、それとなく伏線が張られていたわけだが、最終版でユニコーンのカットが出てくるまではデッカードもまたレプリカントであると言う確証は得られなかった。FAQを見てもわかる通り昔から議論されていた問題ではあるけれど、原作至上主義者からの反論を覚悟の上で「デッカードもレプリカントだ」と "Future Noir: The Making of Blade Runner (1996)"(邦題『メイキング・オブ・ブレードランナー』)で言ってのけたPaul Sammonの卓見は素晴らしい。

ちなみに、Wikipedia(J)のレプリカントの項で紹介されている『撰集抄(松平文庫版)巻五第一五 作人形事・於高野山』は、「反魂」として知られる日本におけるホムンクルスやネクロマンシーの嚆矢であるが、西行が死者の復活方法について源師仲に相談した折に師仲が「四条大納言公任の流を受けて人を作り侍りき」と述べているあたりが実に面白い。藤原公任といえば文人としての側面しか現在では伺い知れないが、実は文人かつマッドサイエンティストであった。道長のもとで政務に当たった公任は、ほぼ同時代にブワイ朝ペルシアの宰相を務めた大錬金術師アヴィケンナ(イブン・シーナ)を彷彿とさせる。

ちなみついでに言えば、最後に出てくる「呉竹の二子は、天老と云ふ鬼の、頻川のほとりにて作出せる賢者とこそ申伝たるなれ」という部分は、実はガンダムSEEDへと繋がってくる。呉竹の二子とはすなわち伯夷・叔斉のことであり、『論語』や『伯夷列伝』に見られるこの二人の「おまいらはちよちゃんですか?」と言いたくなるほどの完璧超人ぶりはそのままコーディネイターのエリートぶりに繋がってくる。黄門様の人生を変えたのはコーディネイターの生き様だったというわけだ。人造人間については丁度いいタイミングでこんなトンデモ的ニュースも流れてきており、やはり富野御大は正しかったということかw

閑話休題。

で、思ったのは「人間の駄目さ加減を取り入れなければ、アンドロイドはいつまでたっても機械のまま」なのだということ。ロイとプリスが、J.F.セバスチャン言うところの "You are so perfect." なカップルであるが故にNexus-6であることを隠せなかったのに対し、ヘタレなデッカードにツンデレなレイチェルというNexus-7のカップルが、ぎこちなさや素直になれないもどかしさといった「人間らしさ」を我々に感じさせるあたり、やはり人間の本質は「不完全性」や「駄目さ加減」にあるんだということを我々に再確認させてくれる。

関連記事: [メモ] 『BLADE RUNNER』 と『ヨコハマ買い出し紀行』

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