2009年8月31日月曜日

[旧メモ] こしかたゆくすゑおもひやりて

2006/10/14
  • ピタゴラそうちを作れるようなレベルまでインタフェースが抽象化されないと、ソフトってのはいつまでも石器時代のままということですわ。
  • Open SourceからOpen Soulへ
  • 知への渇望が人を動かす
  • 知にまつわる価値でなく知そのものの価値を定量化できなければ知の経済はなりたたない。
  • 知が持つエネルギーの変換効率をもっともっと上げる必要がある。
  • 勝つことが重要なのではない。バランスを保つことこそが重要なのだ。勝つことによってバランスが崩れるのならば、絶対に勝ってはならない。
  • 結局「価値とは何か?」という問題にいきつく
  • 放送は通信から生まれ、そしてまた通信に還ろうとしている。
  • もはや機械に人間の真似をさせる時代ではない。人間が機械に歩み寄る必要がある。
  • 機械に愛されるには人間に愛されるために必要な努力とはまた違った努力が必要になると思われがちだが、たぶんそれは間違いだ。どちらも人の子なのだから。
  • 機械に自然言語を理解させるよりは、人間が機械語を話すほうがはるかに現実的だ。さすがに直接バイナリを出力できる人間はいない(むかしはいた)が、プログラミング言語というツールでもって、我々は機械にあゆみよってきた。
  • いつまでアップデートという無間地獄で生きていくつもりなんだおまいらは

2009年8月30日日曜日

[メモ] 失われた100年にむけて

戦争はまだ終わっていない。今回の選挙ではっきりしたのはこの一点のみだった。

終わりの始まりという形でしかこの結果を受けとれなかった歯痒さはあるし「もはや次は無いんだろうな」という恐怖はさらに大きい。

されど国民はかく選択せり。

いちぬけたが出来ればなぁと思うと同時に、失われること自体が「失われる」という、笑えないジョークにも似た状況を目にするにつけ、ひっそりと生きていこうという決意を新たにする者がまた増えるのだろうなと思った葉月つごもり。

2009年8月28日金曜日

[メモ] インターネットはエンパシーボックスの夢を見るか?

久々にディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んで気付いたのは、インターネットとそれに接続された各種端末はまさにエンパシー(共感)ボックスなのだということ。携帯なしでは孤独でいたたまれない人々と本書の登場「人」物は完全にオーバーラップしている。たとえそれがかりそめであり虚構だとしても、人は人とのリンクを求めるものらしい。

まぁ、このネタ自体はもはや言い尽くされた感もあり、現実はというと「インターネットは人類補完計画の夢を見るか?」に至ろうとしている。人は人であるために人の姿を捨てなければならぬという命題の真偽値が判明するまであと最低6年は待たなければならないはずだったが、昨今の状況を見ると前倒しもありかもという気がしないでも無い。

[メモ] 新型インフルエンザ 〜学校という名のタコ部屋〜

[sanspo.com] 新型インフル、甲子園応援で集団感染か

わざわざ感染リスクを増やして児童を危険にさらす馬鹿ども、それが学校というシステムである。

効率を高めるという、一見もっともらしい美辞麗句の陰にはこういった悲惨が満ち満ちている。学校というタコ部屋、満員電車というタコ部屋、スーパーマーケットというタコ部屋、イベント会場というタコ部屋。きりがない。本件に関しては学校と大規模イベントのコンボが見事に決まったわけだ。

こういった効率重視がもたらす人間疎外の原因となっているものの中心には、おそらく都市というシステムがある。都市生活という麻薬は、まるでヒモやDV夫のように、切り離し難いしがらみとなって現代人にまとわりついている。

2009年8月24日月曜日

[メモ] 「2.0」をどう訳すか

・所詮はマーケティング用語でありバズワードに過ぎないというのは論を待たないところであるが、便利な言葉であるというのは確かで、そして便利の通った後は屍累々である。

・本来の「バージョンアップ」という意味合いからは「漸進的な変化」を想起させるが、似たような語感を持った「change」「政権交代」を見ればわかるように、それは「破壊的な変化」を意味している。「破滅的な変化」というのも言い過ぎではないかもしれない。

・「2.0」がバブルであったように「change」「政権交代」もバブルで終わるのだろう。

2009年8月11日火曜日

[旧メモ] ググルカス

2006/10/19

・写真という外部記憶からしか思い出を引き出せないレプリカントが増えた。写真撮るくらいなら、自分の目でしっかりと見て脳に焼き付けろってこった。

・おいおいお前ら忘れてねぇか?利便性というのは何らかのリスクと引き換えに手に入れるものだってことを。はやいはなし、ネットで得たものとひきかえに俺らはすげえリスクをしょいこんだということに気付けってこと。

・もはやネット無しでは何も出来なくなり、自分のアタマで考えるのではなくググった結果をコピペするだけの人生。これが地獄以外の何だというんだね?


何があったんだこの日?

[旧メモ] 源平討魔伝? ラブクラフト? フレイザー? 八雲?

2006/09/28
いまやこの世には人間しかいないというのか?
なんというつまらん世界だ!
神も悪魔も妖精もいなくなってしまった。
俺が盲ただけなんだよな?
頼むからそうだと言ってくれ!

2009年8月7日金曜日

[37signals] 「平均」はあてにならない

(原文: The problem with averages)

ビジネス実践において我々は「平均」というものに重きを置き過ぎている。平均レスポンスタイム、平均コンバージョン率(訳注: 商用サイトにおける、訪問者数と実際に購入した人との比率)、平均顧客生涯価値(訳注: 一人の顧客から生涯にわたって得られるであろう損益の累計。LTV)、その他海千山千の「平均」がある。

これら「平均」というものは、実態に即した情報を全然伝えてくれない上に誤った全体像をもたらすことすらある、という問題を抱えている。

New Relic によると、Basecamp の現状平均レスポンスタイムは 87ms である。申し分の無い数字だよね。数字を見る限り、万事上手くいっており、パフォーマンス改善のための最適化作業に時間を費やす必要は全くないように見える。

ところがそうじゃないのだ。この平均値はリクエストやキャッシュ内データを流す際の超高速なレスポンスにより完全に歪められた値なのだ。1000 リクエストについて 5 ms でレスポンスを返せる時と、200 リクエストについて 2000 ms でレスポンスを返す時があったとしても、これらを平均してしまうと 170 ms というまずまずの数値が出てきてしまう。つかえねー。

必要なのは平均ではなくヒストグラム(度数分布)の方だ。これにより事象集団を摘出し、その事象についての改善に着手すべきか否かを判断するのが容易になる。例外的事象を必要以上に重視してしまうこともなくなるので、データに基づく判断はより良いものになると思われる。

追伸:標準偏差は事象の幅が大きい場合はほとんど役に立たない。リクエストの処理に 5 ms で済む場合もあれば 5000 ms 掛かる場合もあるという状態においては標準偏差は意味が無い。

2009年8月1日土曜日

[メモ] やっとAlienの続編が観られる?!

'Alien' prequel takes off
Ridley Scott attached to return as director


すでに3本も続編が出てるだろってか? あんなのAlienじゃねぇよ。

良くもまぁ恥ずかしげもなくあんな下らないドンパチ方向にAlienをねじまげたもんだ、キャメロンは。まぁ、そういうことが出来る奴だからこそ『タイタニック』のような駄作を世に出しても平気なのだろう。続く2作に関しては、まぁ仕方ないのでしょう。いったん変な方向に行ってしまったものをあるべき方向に戻すのは大変ですからね。

いずれにせよAlienをリプリー中心のドラマに仕立てたのは間違いだ。オバノン、ギーガー、R.スコットの三つ巴はAlienにおいて、文明の衝突・相克というものをサスペンス・スリラー仕立てで描き出した。それを人間文明マンセーという、いかにもハリウッド的な下らないものにねじ曲げたのがアレというわけだ。何度でも言う、あんなのAlienじゃない。

ということでようやく真の続編が出てくる。それも御大自らの監督で。30年の溜飲を下げるべく今からワクテカしている次第。