2009年11月29日日曜日

[Programming][メモ] スケールするってそんなに重要か?

どうも世の中「まずスケールありき」といった感じになってきている。とにかくスケールするように作れ、という発想がスタート地点になっているのだ。

でもね、スケールする必要があるサービスって全体の何%だ? そりゃユーザ数が10kともなりゃスケールせざるを得ないし、最初からそれを見越したアーキテクチャと実装が必要だよ。でもね、ユーザ数が数百程度であれば、それこそ「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」であり、大袈裟だと思うよ。

何も最初からスケールを考える必要なんて無いんだよ。その時が来てから考えれば良いだけだし、数百ユーザ程度で収益の柱とできるような運営体質でやっていくという方が、特にこの御時世では正解だと思うんだけどね。

どうも目的と手段が入れ替わっている様な気がする。その前にやる事があるだろうに。

[TechCrunch] 工作員乙

[TechCrunch] Smartbook Says Bloggers Can’t Use The Word Smartbook Anymore. Smartbook.

TechCrunchの増長ぶりについては、アクトン卿の言葉を引くまでもない。大きくなりすぎるとこうなるという良い見本であり、マスゴミと何ら変わらない。この記事が出た翌日にも傘下のCrunchGearで相手のSmartbook AGを"patent troll(特許ゴロ)"と罵る粘着ぶりを見せている。

本件については「Netbook商標騒ぎの再現か?」という視点から夏頃に話題になっていたが、Psion vs. DELLのNetbook商標争いとは事情が異なっている事を認識しておく必要がある。Netbook作りについては「まったくやる気がございません」だったPsionと違い、Smartbook AGは実際に製品作りに取り組んでおり、何よりも社名という代紋がかかっているのだ。

おおかた、商標使用料なんて払いたくねぇよwというQualc○mmがドイツでの訴訟にビビってTechCrunchに手を回しているのだろう。気になるのはTechCrunch Japanでは未だにこの記事の訳出が無いという点だ。日本においては「目の付けどころ」辺りがこの係争自体に蓋をしようと画策しているのだろうか。

やれやれ、メディアが紙からビットに変わっても「ヤクザ vs .ヤクザ」という図式は変わらんね。たけしの挑戦状かよw


追記: Geek And Pokeでもこの件が取り上げられている。これってSmartbook AGに対するホメ殺しにも見えるんだが・・・文字通りに受け取って良いのだろうか?

2009年11月26日木曜日

[37signals] 「いいとこどり」は物事の核心を損なう

(原文:Cherry picking is the enemy of soul

“A Talking Head Dreams of a Perfect City,” という記事でデビッド・バーンは、異国の街に対する愛着をこう記している
シェフがイタリア人でエンジニアがドイツ人という国があったらそこは天国だ、という古いジョークがある。逆だったら地獄というのもね。試しに、完璧な街ってどんなものなのかと考えてみたところ、それぞれの街の最も良質なところを混ぜ合わせたような場所、というのを思い付いた。組み合わせは無限だ。私なら多分、夜遊びはニューヨークなんだけど場所的にはシドニーで、そこにはバルセロナにあるようなバーや、メキシコシティにあるような屋外のレストランでシンガポール風の料理を楽しむ、ということになる。京都における人々のもてなしと上品さを基盤に、スペインにおけるユーモアのセンスという層を重ねるというのもありかもしれない。もちろん現実には、こんないいとこどりなんてありえない。街の持つクオリティというものは街の持つコンテキストすなわち背景や状況なしには発展し得ないものなのだから、というのがその大きな理由だ。その土地の料理・建築・言語というものは何らかの要因により相互に絡み合っており分かち難いものだ。だがそれでも、人はそんな街を夢みる。
バーンの記事は実に魅力的だが、最初に彼が警告している通り、個々の要素をばらばらにして取り出す「いいとこどり」という考えは夢物語にすぎない。クオリティはコンテキスト無しには発展し得ない。全てのものは相互に絡み合っているのだ。

人参の核心にあるもの

これに関連した事例として(Michael Pollanにより広められた)"the soul of carrot(人参の核心にあるもの)" がある。科学者達は人参から健康に有益な成分を分離抽出する試みを続けている。彼らは人参に含まれる15のカロチンを識別したが、カロチン錠剤では実際に人参を食べることでもたらされる健康上の有効性は得られないという結果に終わっている。Pollan は、食物科学者達の還元主義のどこに問題があるかをこう述べている:
私達は人参が体に良いと知ってます、そうでしょ? 長いこと食べて来ましたし、癌予防に役立つ成分はベータカロチンだという仮説も立てられるに至りました。人参がオレンジ色に見えるのはベータカロチンのせいです。私達はそこで、ベータカロチンを抽出してサプリメント錠剤を作って人々に投与したところ、うーんと頭をひねることになりました。一定数の人について、より多くのサプリを飲んだ人の方が病状が悪化したのではないかとかベータカロチンによって癌の発症率が上がったのではないかと思わせる結果が出て、この結果に頭を掻きむしる科学者を見るに至ったのです。解釈としては2通りあります。どっちが正しいかはわかりません。でも、ベータカロチンが癌予防のための主成分では無いというのは、解釈の一つとして間違いなくあります。人参には他に50種類ものカロチンが含まれているというのは御存知の通りです。

食べ物というのは非常に複雑なものです。それは、えーとですね、未開の荒野のようなものであり、私達は人参の核心部分の奥底で一体何が起こっているのかを理解していないのです。そして私達は、そんなものは化学物質というものに単純化出来るなんていう考えによって、我々自身を欺くべきではないのです。それはまた、異なる物の間に起こる何らかのシナジー(訳注: 相異なる物が協同して起こる作用)なのかもしれません。ベータカロチンは葉緑素との複合体という形でも見つかっており、健康に寄与するのはこの組み合わせなのかもしれません。重要なのは、人参を食べる者としての視点からすれば、人参の効能をもたらすものは何か?を知る必要なんて無いのだ、ということなのです。私達は人参を食べる事が出来、それは美味しくて体に良い。それだけの事です。
健康に有効な成分を分離するというのは思った以上に困難だ。未だ明らかになっていない組み合わせによりもたらされる効能があるのだ。我々がまだ完全に理解出来ていない核心がそこにはある。

全体というものは部分の総和よりも大きくなる事がしばしばある

こんにちの、ばらばらにしてからカット&ペーストするというのが主流の世界では、物事の一番良い部分だけを選り抜こうという考えになりがちだ。クライアントにデザイン提示する際の "show three comps(見本を3つ提示せよ)" 訳注:comp とは comprehensive layout のことで、広告・印刷業界ではカンプと呼ばれる。製作物の仕上がりを具体的に顧客へ提示する為の見本のこと)という手法について考えて見てほしい。同じ様な事がこの場合でも間違いなく起こる。顧客がデザイン#1からいくつかデザイン要素を抜き出し、デザイン#2からは2つ抜き出し、デザイン#3から数個抜き出す。そしてデザイナーはこれらの部品からフランケンシュタインでも作るように継ぎ接ぎして「完璧な」合成物を作り上げようとするのだが、その結果は完璧にはほど遠いものになってしまう。「いいとこどり」が全体のまとまりをぶちこわしにしてしまうというのはそういうことなのだ。出来上がった製品は、統一感を欠いた寄せ集めのコラージュのように見えてしまう。

いいとこどりをするという事は、対象の完全無欠生を損なうという事にほかならない。対象を偉大なものたらしめている目に見えない側面を失ってしまう事になるのだ。全体をつなぎ止めている目に見えない糸を切ってしまう事になるのだ。魂のこもった物ではなく雑多な寄せ集めを手にするハメになってしまう。

改良する・洗練する・アイディアを組み合わせるといった努力をすべきではないなどと言うつもりは無い。仕事を進めるにあたって出費に見合う見返りがあるかどうか考えてみる、という事だけ心に留めておいてほしいのだ。

2009年11月25日水曜日

[Geek And Poke] 全プログラマが泣いた

[Geek And Poke] Every Line Is A Child Of Mine

バージョン管理してるんだからいつでも戻せるだろ、消せよ、とか言う奴は人でなしw

2009年11月21日土曜日

[37signals] 私は仕立て屋さんです

(原文: I'm a tailor

あなたは一日中何をしているのと人に聞かれると、私は自分の言いたい事をまとめるのに苦労する。設計したり、編集したり、考えたり、検証したり、助言したり、教えたり。私が台無しにしてしまうものもあれば、私がうまくまとめるものもある。

でも私が一日の大半を費やすのは、生地のふちを落としたり、裾を折り込んだり、アイロンをかけたり、切ったり、プレスしたり、ぴったり合わせたり、といった作業だ。私はソフトウェア仕立て屋さんなのだ。

そして私は、これこそ私の天職なのだと思うようになった。私のチームは素晴らしい。これをしろなどと彼らに言う必要は無い。もしソフトウェア版ファンタジーリーグ(訳注: 自分の思い通りの選手を選んで野球やフットボールのチームを作るシミュレーションゲーム)があったとしても、私のチームは誰も入れ替えるつもりはない。

だが開発・設計を進める中では、作ったものが思ったほどしっくり来ない時もある。その文は短くならんかなとか、その造形要素は切り詰められないかなとか、その処理ではこのステップを省略出来ないかなとか、アイロンをかけて頑固なしわを伸ばすようにUX全般にアイロンをかけてこまごまとした問題を解決できんかな、と言った感じで。

仕立て屋さんはテーラーメードの服をあつらえることも出来るのだが、それよりも他の仕立て屋さんが作った服をお客さんに合うように仕立て直す方に大半の時間を費やしている。これはまさに私が大半の時間を費やしている事、すなわち私のチームが作ったソフトをお客さんに合わせて仕立て直すのと同じ事だ。

こういった作業の事を「編集」と呼ぶ人もいるが、私は「仕立」のほうが近いと思う。ということで、これから私は自分の仕事についてこう説明することにする。

私はソフトウェア仕立て屋さんです。


訳者コメント:
ソフトウェアのコモディティ化というのは、こういった姿勢から産まれてくるんじゃないかと思うわけです。確かに仕立てというのは生地によるエンジニアリングですしね。

そういう観点からすれば、書というのは平安時代においては最も重要なエンジニアリング対象だったと言えるでしょう。書き順の最適化や省略記法といった、日本流の書というシステムにおける基本ライブラリが空海から行成にいたるエースプログラマ達によって開発されたわけです。

2009年11月20日金曜日

[メモ] 使い捨てコンピュータ

DARING FIREBALL で取り上げられていた、Alex Payne の「クラウドコンピューティングというより使い捨てコンピューティングじゃね?」というChrome OSについてのつぶやきには思わず頷いてしまった。ムーアの法則の行き着くところを考えれば当然そうなるし『写ルンです』という他業種の前例もある。

Tim O'Reilly の "3. Data is the Next Intel Inside" というフレーズが思い起こされる。またこいつらの一人勝ちかよw

Alex Payne と言えば Twitter の Scala への移行ネタで始めて名前を知ったのだが、記事の出た日が4月1日だったためエイプリルフール乙で済ませてしまい、後で慌てた記憶がある。

[37signals] ユニコーンと経済予測

(原文: Unicorns and projections

"Off the Chart" は、最近の失業率が予測と大きくかけ離れている事が判明したと述べている。理由はこうだ「現実が現実に即した値を提示したのだ」

経済予測がはらむ問題はここにある。現実とは、やっかいな相棒のようなものだ。諸君がいかに現実とうまくやっていこうとしても、現実というやつは自らの考えを押し通すだけなのだ。現実というやつは諸君の言う事に耳を傾ける気など無い。

もうひとつの理由として、ドゥームセイヤー(訳注: 不吉な予言をする人のこと)になるよりはチアリーダーになるほうが楽だからだ、というのがある。予測の結末が諸君に特権をもたらしてくれるような場合は、特にそうだ。人々がお花畑のような明るい未来像に騙される理由はここにある。「このプランは上手く行かないでしょう」と言いながら投資家にビジネスプランを提案するような奴にはこれまで一度もお目にかかったことが無い。

今度諸君が、予測に基づいて作成されたビジネスプランやチャートを持参してきた奴と会う事になったら、そこにはユニコーンとドラゴンが内包されているんだと考える事だね。同様のことが言えるのだから。

2009年11月18日水曜日

[メモ][Microsoft] こんな職場はいやだ



お客さん放置でなにやってんのw

2009年11月17日火曜日

[37signals] Rodrigo and Gabriela は Getting Real の音楽版

(原文: Getting Real (the musical way) with Rodrigo and Gabriela

Signal vs. Noise の読者であり JobChoy の創立者でもある Mark Meeus の投稿:

Rodrigo and Gabriela と彼らに関する逸話について諸君が御存知かどうかは私にはわからないが、もし御存知であればこれ以上は読まなくても良いよ ;-)

私が彼らについて諸君にかいつまんで説明したいというそのワケは、彼らが、WEBアプリケーション以外でもあてはまる Getting Real の良い例だからだ。

Rodrigo and Gabriela はメキシコシティでヘビメタバンドのギタリストとして活動を始めた。音楽だけで生計を立てるというのが彼らの人生における目標だったのだがそれは上手く行かなかった。二人ともメキシコシティ音楽院の入試は不合格となり、バンドも思ったほど伸びなかった。

そこで彼らはアコースティックギターのみを手元に残し、残りの機材全てを売り払うことにした。彼らはダブリンに移り、そこでバー・ストリート・地下鉄の駅での演奏を始めた。

最初のうちは Metallica のカバー曲を演っていたが間もなくして物足りなさを感じるようになり自らの曲も演るようになった。

彼らはお金を稼ぐ必要があったので、音楽を「最適化」しなければならなかった。曲を書いたら、それがどの程度の稼ぎになるかを見極めるためにライブでテスト演奏し、ちょっと書き換えてそれがどの程度の稼ぎになるかを見極め、さらにちょっと書き換えて・・・(これって A/Bテストの音楽版だね)(訳注: A/BテストはSEM業界などで知られている手法で、既存のものをA、修正を加えたものをBとして比較テストするという手法)

しばらくして、彼らはお金をやりくりして他の街にも行くようになり、それにつれて、より多くの聴衆と名声を訪れた先々で得るようになった。

2006年にアルバム『Rodrigo y Gabriela』をリリースし、アイルランドのヒットチャートを席巻したが、これはインストバンドとしてはかって例を見ないものだった。

さて、この話のどの辺りが 'Getting Real' なのだろう?

彼らは「ギター2本だけなんて無茶」と説く連中の言葉には一切耳を傾けなかった。
  • チーム構成員は2人だけ!
  • 外部からの出資は一切なし(今となっては珍しくもないが、彼らは2000年以前にこれをやってのけた)
  • ギター2本だけの構成なのでメンバー間の意地の張り合いが普通のバンドよりも抑えられる
  • 情熱
  • お金もギター以外の楽器も一切無い、という制約
  • 彼らの音楽にふさわしい聴衆を集め、聴衆の求める音楽に的を絞った
  • 「自分の音楽」というものへのこだわり
  • 曲を書いたらすぐにストリートで演奏するという、無茶苦茶といえば無茶苦茶な、テストドリブンな曲作りを武器に出世競争に臨んだ
こういったことを抜きにしても彼らの音楽は本当に素晴らしいんだけど、このことを頭の隅に入れておけば、またひと味違ってくるんじゃない?



訳者コメント:
バカテクなのに全然バカテク臭くない。豪快なのに濁りが無いのはミュートが完璧だからですね。エレアコ2本でこれだけシンフォニックな響きを出すには、必要なノイズを積極的に取り込む姿勢が要るわけですが、逆に不要なノイズは極力排除しなければならないわけで、その結果、この完璧なミュートが自然と身に付いたんでしょうね。呼吸するように、当たり前のように精進している人々の好例です。


シメがスペインってのがこれまた。

2009年11月12日木曜日

[メモ] あれからもう2年経つのに、この国は・・・

[Official Google Blog] Googlers receive prestigious ITOJUN Service Award

『IPv6ネットワークプログラミング』には本当にお世話になった。マルチキャスト関連の案件だったので MLDv2 については結局のところこの本ではなく RFC3810 を読むしか手が無かったんだが、それ以上に itojun の protocol independent なコードへのこだわりに惚れてしまう一冊だった。

そう言えば Itojun Fund の設立が ISOC で承認された時はスラドでも話題になったが「itojunが生きてる時にこそ、こんな基金が必要だったのに」というコメントには思わず泣いてしまった。

彼ほどの人物ですら使い捨てにしたこの国を俺は呪う。いまこの瞬間にもすりへらされ、疎外されているハッカーがいるのだ。このことを忘れちゃいけない。

[37signals] Chipotle や Pinkberry といった会社が「的を絞る」ことで大成功を収めたワケ

(原文: How Chipotle, Pinkberry, and others win big by doing just a few things well

シンプル性というやつには「簡単そうで実は難しい」という隠し事がある。たいがいの人が複雑怪奇な製品を作り出してしまう原因はここにある。大多数の企業に欠けている深慮遠謀・規律・忍耐といったものが、シンプル性の実現においては求められる。諸君が付け入る隙はここにある。競合他社よりシンプル性において勝ることが、多くの顧客を勝ち取る事になる。

Chipotle のメニューにはブリトー・タコス・サラダという、たった3つの主要品目しか載っていない。Chipotle’s Secret Salsa という記事で、創業者兼CEOの Steve Ells 氏は「的を絞り、他の誰よりもそれをうまくこなす」 というひとことで Chipotle のビジネスモデルを要約している。

Chipotle のメニューにはデザートが見当たらない。レストラン経営アナリストは、クッキー等のデザートを食後に出せばすぐに売り上げが10%以上のびるのに、と言っている。でも Ells 氏は歯牙にかけない。「ウチはこの10年、連続して二桁台の成長を遂げている、クッキーなしでね」と彼は言う。「なんで今更? クッキーをメニューに追加することで生じるマイナス面しか思い付かないんですけどね」

ヨーグルトのチェーン店である Pinkberry は、オリジナルとグリーンティーという、たった2つのフレーバーだけで商売を始めた。これには、商品の種類を多くする事で在庫表・製造機器・レシピといったものがややこしくなってしまうのは避けたい、という意味合いがあった。同社は今や何ダースものチェーン店と、同社のヨーグルトを "Crackberry"(訳注: crack すなわち麻薬のように中毒性があるという褒め言葉)と呼ぶ熱烈なファンを抱えている(自分の製品名の頭にcrackを付けるとどんな感じがするか、ってことを考えた事ある?)

こういった話はレストランだけにあてはまるわけではない。Nintendo は他社よりもスペックを絞り込むことで大成功を収めた。Flip(訳注: Flip Video 社機能を絞り込むことで家庭用ビデオカメラ市場において大きなシェアを得た。固定ギアの自転車(訳注: ピストバイクとも呼ばれる。ニューヨークのメッセンジャー達がノーブレーキのトラックレーサーを使い始めたのが皮切り。ストリートカルチャーの一環として日本でも2000年代半ばあたりから見かけるようになった)も、そのシンプルでメンテナンスが容易なデザインにより人気を上げてきている。

諸君が、ありとあらゆるものを顧客に提供するという「機能てんこもり競争」に手を出すことは、確かに不可能なことではない。それが嫌なら、少数の事に的を絞り、それを上手くやってのけ、諸君のそういった姿勢を心から愛しその結果諸君の製品に愛着を持ってくれるような顧客を獲得する事だ。小規模事業者にとっては、これが賢明な道というものだ。

この道を選ぶことで諸君は明解さというものを手にする事になる。万事がシンプルになる。製品説明も、人々に製品を理解してもらうのもシンプルな言葉で済む。変更を加える際も、メンテナンスをする際も。人々が製品を利用し始める場合もシンプルで面倒が無い。原材料・包装・サポート・マニュアルもシンプルになる。見積もりもだ。そして最も重要なこととして、成功への道がシンプルになるのだ。


訳者コメント:
Crackberry って‥‥ブラックカレーみたいなもんか?

2009年11月11日水曜日

[メモ] atMonitor 2.1.4

Top の表示を外していると、暫くして落ちる。今のところ再現率 100%。オフィシャルブログの11月6日の記事によると Snow Leopard で全面的に書き換えられた toplib に原因がある模様。2.0 に戻してみてとのことだが、Top の表示さえしていれば問題はなさそうなので 2.1.4 のまま使っている。

[メモ] いまふうに言うと

清少納言 →腐女子
紫式部 →スイーツ(笑)
和泉式部 →ビッチ

藤原行成 →キモオタ
藤原実方 →DQN

「夜をこめて〜」は婦女子とキモオタの微笑ましきツーショットということになりますな。

2009年11月10日火曜日

[メモ] 銀の弾丸なんて無い

[CNET Japan] ネットの選挙活動解禁の動きをどう見る?

結局のところ、候補者に関するえげつない SEO が行われるようになるだけでしょ。メデイアバイアスがネットバイアスになるだけのこと。

[メモ] わかってないね

まずはその「日本は資源に乏しい国」という間抜けな認識をなんとかしろ。ここは豊葦原瑞穂国なんだから石油なんて基本的に要らんだろ。あと、大陸とはさっさと縁を切れ。もはや彼らから學ぶ事など何も無い。菅公も1100年以上前にそう言ってるじゃないか。

[メモ][石清水八幡宮] 昔の人の方向感覚


「右は なら(奈良)かうや(高野山) への道ですよ」ということなのだが、これをもの凄く大雑把と感じる理由は、やはり時代の差というものなのか。今風に言えば「右 リオデジャネイロ ブエノスアイレス みち」とでもなるのだろう。「たしかに方向は同じだけどさ...もう少しなんとかならんの?」という感じで。

[37signals] 怪しい伝説「市場には一番乗りしなきゃダメ」

(原文: The first-to-market myth

懸念: 他の誰かが私を打ち負かすべく市場に参入してくるので(もしくはすでに参入済みなので)私は現在の地位を失うだろう

実情: ビジネスの世界では、どんなニッチな市場であれ、多くの勝者が共存しうる。成功を収めている靴屋・イタリアンレストラン・家具メーカーの数を見れば一目瞭然。どんぐりの背比べから抜け出すための何らかの策を諸君が実行していれば、競合他社がひしめく分野でも上手くやっていける。その何かとは、価格設定・スタイル・原材料・人間的魅力・経営姿勢・語り口の見事さといったものかもしれない。諸君の会社を比類なき会社として確立する方法は山ほどある。

一番乗りについても同様のことが言える。こだわることはない。大当たりするビジネスの定石は「残り物に福がある」ということだ。Google は世界初の検索エンジンではなかった。VHS は遅れて市場に参入したのにも関わらずベータを引きずり降ろした。一番乗りする事よりも重要な事がいっぱいあるのだ。

2009年11月5日木曜日

[メモ][石清水八幡宮] 萬象盡蔵一笈中


石清水八幡宮に何本か存在する大楠。そのうちの一本の根元にこの石碑はあった。「ばんしょうことごとくいっきゅうのうちにぞうす」と訓めば良いだろうか。銘から、都山流尺八流祖である中尾都山の書と思われる。名曲『岩清水』にまつわるエピソードにここ石清水八幡宮が登場するが、17歳にして虚無僧修行に出、後に功なり名遂げた都山の若き日の気概がこの言から窺える。

笈という字は芭蕉の、というか川井乙州によるアンソロジーである『笈の小文』で知られている。今風に言えばリュックサックか。西行からこのかた日本文学の一翼を担ってきた漂泊者達の旅の共となってきた。

厨二病に付き物の「自分探しの漂泊」も、それがアウトプットを産むかどうかで世間の評価はえらく変わってくる。「森羅万象全てをこのリュックに詰めこんできたぜ」という厨がかった、というかDQNそのものな大言壮語も、宮城道雄らとともにアウトプットしまくった都山の言となれば妙に納得してしまう私であった。