多くの企業が従業員管理というものを追求している。管理手引書や管理方針といったものを完備し、電子メールを監視し、容認事項と禁止事項に関するルールを作製している。
だが「管理」というものは一筋縄ではいかないものだ。手綱を引き締めれば引き締めるほど、会社に対する不信感を生み出すことになる。「これは俺達と奴等の戦いなのだ」という心理が定着してしまう。この瞬間、管理システムを無駄に弄ぶというゲームが始まることになる。
だからこそ職場管理に携わる人々には、鈴木俊隆師が Zen Mind, Beginner’s Mind(邦題『禅へのいざない』)で以下のように述べていることについて、じっくりと考えてみてほしい。
人々を管理するための最善手は、彼らに「管理なんて糞食らえ」という姿勢を奨励することである。こうすることで彼らは広い意味での「管理」下に入ることになる。羊や牛を管理したいならば、広大な牧草地を与えることだ。人とて同じこと。まずは、やりたいようにやらせて様子を見守る。この方針が一番だ。見て見ぬ振りはよろしくない。見て見ぬふりは最悪の方針であるからだ。次いで最悪なのは、彼らを管理しようとすることだ。最善は見守ること。管理しようとするのではなく、ただひたすら見守ることだ。管理手引書にはただ一言「我々は諸君を信頼している。管理なんてイラネ」とあるだけ。そんな状況を思い浮かべてみてほしい。
訳者コメント:自生的秩序というのはこういった背景のもとで生まれるわけです。秩序を求めるならばまずは混沌を、というのは言い過ぎかも知れませんが、世をつらつら見るに、どうみてもこの逆は真ぽいので、結構うまく行くんじゃないでしょうか。こういった混沌と秩序の相補性という観点は、未だに「東洋の智慧」みたいな感じで西洋においては魅力的に映るようです。ちょっと不思議なところではあります。まぁ確かに合理主義の半面がもたらす害毒に、ここ数百年というもの、地上は蝕まれ続けてきたわけで、それは我々日本人にも及んでいるわけで、結局のところ我々日本人にとっても忘れられた智慧になりつつあるわけですがね。
それにしても、大拙師といい俊隆師といい、禅宗のお坊さんはプレゼンが上手いです。マーケットの選択もバッチリですしね。「新鮮味を感じさせる」という観点からすれば東洋より西洋の方がニーズをより多く喚起出来るわけですから。
たしかに宗教と言うマーケットでは昔から「説法即プレゼン」なわけで、釈尊のカリスマ性も、土台としてのプレゼンの上手さがその構成要素のひとつとしてあるようです。説く法の魅力だけでなく、説き方の魅力(方便などのメソッド)や説く人の魅力(イケメンかつ王子様w)もトータルでプレゼンが構成されているというわけですな。
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