2010年1月29日金曜日

[Apple] 纏・絶・練・発

覚えているだろうか SONY のエアボードを。発表は2000年の夏だった。802.11b がじわじわと浸透しつつあった頃だ。あれから約10年。何故エアボードは iPad になれなかったのか。何故 SONY は Apple になれなかったのか。

一見、タイミングの違いだけのように思える。「先取りしすぎただけ」とか「運が悪かっただけ」というやつだ。だがそれ以上に大きいのは、やはりこの10年における両社のCE開発体質の違いなのだろう。
Apple
「リソースを集中し、密かに事を進め、洗練させた上で、タイミングよく発表する」というイテレーションが、「製品作り」というミクロなサイクルと「世界作り」とでもいうべきマクロなサイクルの両方において、絶えること無く繰り返される。P.A. Semi 買収という、当時は奇妙に思われた施策も A4 という形できちんと全体像の中に現れてきた。さながらフラクタルにおける自己相似性のように部分と全体が呼応しているのだ。
SONY
ミクロにおいては「その場しのぎの製品作り」マクロにおいては「大局観の欠如によるランダムウォーク」ということで、見事に部分と全体が「負の調和」を見せている。2005年にエアボードの名称をロケーションフリーに改めたのは、こういった開発体質を如実に物語っていた。これは、名称の変更というだけではなく、エアボードの大きなコンセプトをロケフリという単一フィーチャーに矮小化する、という意思表明に他ならなかった。まぁ、お上に誉められた時点で「もうだめぽ」というのは明らかだったわけだが。
布石を軽んじて詰碁ばっかりやってるから負ける。全部勝とうとするから負けが込む。どうしてこうなった‥‥(AA略

2010年1月28日木曜日

[Apple] やっぱり DORÉ かいw

Apple Special Event のムービーを見て茶ぁ噴いた(00:05:33 あたりから)

こんな小学生のイタズラ描きじゃなくてちゃんとしたコラ作っときゃ良かったw。やっぱりギュスターヴ・ドレのこの絵って、キリスト教文化圏においてかなり人口に膾炙した、こういうシチュエーションでは使い易い絵なんだな。

さて、iPadについては真面目な方々が真面目な議論をしてくださると思いますので、「小さなつづらを選べ」を座右の銘といたしております私といたしましては、ニッチな視点を2つ紹介させていただくに止めることに致します。
  1. iTunes LP / iTunes Extra の再評価
  2. 良いソファが欲しくなる
1. については iPod / iPhone での利用価値がそれほど無かったので TuneKit についても放置状態だったんだが、これでぐっと株が上がった。使い勝手のいいオーサリングツールが見当たらない状態なので、パッケージングサービスの構築を含め、参入の余地はけっこうあるんでないかな。まぁ、こういう話もあるくらいだから Apple 側ではもう既に、アップロード・パッケージ化・ストリーミング利用というシナリオが出来てそうな気もしますけどねw

2. については「風が吹けば桶屋が云々」ぽいのだが、利用スタイルの変化という点から言えば、あながち笑い話でも無いような気がする。UX ってのは機械と人間のインタラクションが成り立つことではじめて生まれるわけですが、マシン側の要件は出揃いつつあるので、あとは人間側ということですな。

2010年1月27日水曜日

[Apple] こうですか? わかりません


MOSES BREAKING THE TABLES OF THE LAW

And it came to pass, as soon as he came nigh unto the camp, that he saw the calf, and the dancing: and Moses' anger waxed hot, and he cast the tables out of his hands, and brake them. (Exodus 32:19)

モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板をなげうち、これを山のふもとで砕いた(出エジプト記 32:19)

2010年1月25日月曜日

[メモ] 印象操作はもっと上手にやるべきです

[CNET Japan] (再)Google中国撤退情報のおかしさ

「VeriSignと中国政府、どっちを信じる?」と聞かれたら間違いなく「VeriSignを信じる」と答える私はヘンなのでしょうか。ハニートラップとか朝日とかいったバイアスを感じずにはいられない記事で、CNET Japanはもう見る価値なしかなぁと思わざるを得ません。

ちなみに、記事中に
のせられた人、のっている人は気の毒としかいいようがない。というか、単に中国批判をしたかっただけかもしれないが…
という一節があるんだが、まさにそうなんですよ。私なんか特に「単に中国政府を批判したいだけ」なんですわ。気の毒かどうかはちょっとわかりませんけど。

漢字簡化方案あたりから始まり文革で決定的になった伝統破壊の結果、中国は荀子一門が見たら泣いて喜びそうな「法」治国家になったわけで、そんなアバズレになってしまった中国を見るに忍びず「俺たちの愛した中国たんを返せ!」と中国政府を批判したくなるのは私だけじゃないと思いますが如何?

「単なる経済の問題じゃね? そもそも論ぶちあげてどうすんだよw」と仰られるかもしれませんが、いや、愛憎を離れて経済面だけ見ろってのはしんどいっすよ。まぁその経済面とやらも怪しいもんなんですけどね。察しのいい二人は未練がましいオッサンに愛想を尽かしつつあるようですしw

2010/01/26追記:一語変更。もはや武士の情けとか言ってる場合じゃないようだ。

2010年1月24日日曜日

[メモ] なぜ気付かんの?

自生的秩序があるならば自生的混沌もあるに決まってるでしょ。集合知があるならば集合愚もあるに決まってるでしょ。作用のみに目を取られ反作用に気付かない(or 気付いてない振りをする)なんてのが許されるのは小学生までだよねー

関連記事: [37signals] 広い意味での「管理」というもの

2010年1月23日土曜日

[メモ] Googleの言葉狩り

[REUTERS MediaFile] Google’s Nexus One muzzles the foul-mouthed
今北産業するとこんな感じ
  1. Nexus One の音声認識機能を使って文字入力すると、FUCK とか SHIT といった curse word (悪態・罵りの類)は "####" といった伏字になる。
  2. Googleのスポークスマンはこの点に関し「エチケットの強制というよりは、音声認識の不具合により攻撃的な言葉がひょっこり出てきてしまうのを避けるため」との声明を出している。
  3. 記事ではこういった Googleの姿勢を prig (糞真面目)と揶揄している。
中国での検閲はもう止めますという男気を見せた一方でコレですか? こんな Twitter サイトもあるんですけど、ヤメレってことですか?

過保護と言うか、過剰コンプライアンスと言うか、Google もすっかりオトナな会社になっちゃったのね、おいちゃんは寂しいよw。まぁ、音声認識で入力した後、伏字を手で修正すりゃいいんでしょうけど、なんだかねー。

そういえば英語圏において「氏ね」「厨」「クリゲー」といった「NGワード回避のための表記法」ってあるのかね。もともと婉曲的表現自体があまり必要とされないストレートな文化圏だから、そういったことを気にすること自体なかったのかね。

2010年1月22日金曜日

[メモ] わかるよ、わかるけどさ

『ツンデレ相対性理論』なんですが、やはり数式そのものに萌えてこそだと思うわけです。そこにツリ目や貧乳というイコンを置くことで達成されるのは、目的(理論)への接近ではなく手段(イコン)への接近でしかないと思うわけです。カスガさんが描く『虚航船団』に萌え狂っている私が言うのもなんなんですけどねw。虫ピンの話なんかもうね、いい歳したオッサンが夜中にボロボロ泣いてしまったわけでして。

筒井御大の目的は、物語云々より記号そのものに対する感情移入の可能性を問うことであり、それは充分に達成されているのですが、カスガさんの目的は、最初から萌え絵という感情移入しやすい記号を用いることで物語を掘り下げることにあるように思えます。その姿勢は DADoES を BLADE RUNNER に仕立て上げた HAMPTON FANCHER を私に思い起こさせるんですわ。オマージュってのはこうでなくちゃね。

2010年1月21日木曜日

[Firefox] 蚊帳の外

[YouTube] Introducing YouTube HTML5 Supported Videos
it requires a browser that supports both the video tag and h.264 encoded video (currently that means Chrome, Safari, and ChromeFrame on Internet Explorer).
→ videoタグとH.264コーデックの両方に対応しているブラウザが必要です(今のところ Chrome と Safari と ChromeFrame 拡張入りの IE ということになります)

いちはやく video タグに対応したという実績があってもコーデックが theora じゃねー。先頭を走っていたつもりが、実はコースを間違えていましたと言うパターンです。オープンソースという夢に捉われすぎましたな。

Flash の地位はまだ当分揺るがないから大丈夫とはいえ、こういう敗戦って、結構、リーダー不信を初めとする開発陣の士気低下に繋がってくるんですわ。まぁ去年の夏の時点ではっきりしていたことでもあり、気持ちの切り替えはとうの昔に済んでいるとは思いますが。

[Geek And Poke] 見込み客は最大で0.0001%ってとこかな

[Geek And Poke] It Is That Easy

"BUSINESS IN CHINA?" ということで、実にわかりやすい一品です。やっぱり何処にでも居るんでしょうね、こういう、目先の数字に踊らされる間抜けって。せいぜい逃げ遅れてお陀仏になってくださいねー、ということでw

2010年1月18日月曜日

[Wozzeck] クリーゲンブルクは単なるバカ

[新国立劇場HP] オペラトーク「ヴォツェック」の模様を掲載①
[新国立劇場HP] オペラトーク「ヴォツェック」の模様を掲載②

「おさなごのわれにきたるをとどむな」(マルコ 10:14)に関してググっているうちにこのページに突き当たったわけだが、一読してひっくり返った。何なの? このクリーゲンブルクっていうアホは?

1幕3場をピアノ伴奏でヴォツェックとマリーが歌うという演し物(「舞台裏の軍楽隊〜マリーとマルグレーテの口喧嘩」は省略して子守唄からかな?)があったようなのだが、この部分に関するクリーゲンブルクの主張が、どう考えても狂っているのだ。
アンドレアス・クリーゲンブルク氏(以下、クリーゲンブルク):
私にとってこの最初にヴォツェックとマリーが一緒に登場するシーンというのは、家族がどういう意味を持っているかということを表すシーンです。常に痛めつけられ貧困にあえぎ、そして仕事に追われるつらい立場にいるヴォツェックにとって、家族というのは唯一庇護を与えてくれる最後の逃げ場です。この最初のシーンは作品全体を通して唯一、ヴォツェックの人物像に多少落ち着いた雰囲気とか、リラックスした表情が見られるシーンです。それは取りも直さず彼が自分の妻と子供に愛情を抱いているということの表れです。
はぁ? なにそれ? あんた本当に台本読んだ?

家に入るようマリーが言っても "Kann nit ! Muss in die Kasern.(駄目だ、点呼があるんだ)" と言った挙句、前場の黙示録的妄想を引きずったまま訳の分からないことを口走るヴォツェック。マリーはそんなヴォツェックに "Dein bub ...(あんたの子供だよ)" と子供の顔を見せて正気を取り戻させようとするが、ヴォツェックはその子供も目に入らない放心状態で "Jetzt muss ich fort.(もう行かなきゃ)" と足早に立ち去る。そんなヴォツェックを目にしたマリーは "Er schnappt noch über mit den Gedanken(考えすぎて気が狂ったんだわ)" と恐れ、挙句に "Wir arme Leut !(私たちは貧乏人なのよ!)" と叫ぶ。

1幕3場とはそんなシーンだ。それを「作品全体を通して唯一、ヴォツェックの人物像に多少落ち着いた雰囲気とか、リラックスした表情が見られるシーンです」ってアンタねw。

さすがに司会の長木 "セクハラ" 誠司センセイもおかしいと思ったようで
長木:
台本の中で、ヴォツェックは子供の顔を見ないで立ち去ってしまったりもしますが、これはどういうことなのでしょう。
と突っ込むのだがクリーゲンブルク大先生も負けじと返す
クリーゲンブルク:
ヴォツェックは子供に対して十分なことをしてやれないという罪の意識を常に抱えています。そして子供の方もまた、そういうつらい立場に置かれた父の姿を見ているわけです。そうした複雑な関係の父と子であるがゆえに、罪の意識を持っているヴォツェックはまともに自分の子供の顔を見ることができないのです。それはお金を稼ぐために家族を置いて出かけなければならないヴォツェックの非常につらい心情を表しています。
うはw、牽強付会じゃなくて本気で言ってるとしたら本物のデムパですな、このヒト。

「まぁ所詮は演出屋だし、しゃーないわな」で済ませて読み進めると、今度は指揮のヘンヒェンが変なことを言い出した
ハルトムート・ヘンヒェン氏(以下、ヘンヒェン):
 (途中省略)
非常にエキサイティングな瞬間として、先ほどの場面(1幕3場)の中にハ長調の和音が登場する箇所があります。それがまさにヴォツェックがマリーのところに戻ってきて、お金を持ってきたと伝える箇所です。その瞬間だけ「これで世の中がうまくいくんだ」という思いを抱かせるようなシーンです。ヴォツェックにとって唯一大切なことは、なんとか家族を養いたいということだけです。先ほどクリーゲンブルクさんがおっしゃったように、常にそれがうまくいかないからヴォツェックは良心の呵責を感じている。自分はいい夫ではない、子供にとっても良い父親ではない、そういう罪の意識に苛まれている。でも彼が求めているのは自分の小さな家族のなかでの、本当にささやかな幸せです。それが、彼がお金を持って帰ってきたときに一瞬だけうまくいっているように見えるのです。ただこのハ長調の和音というのも、周りにあまりにも色々な音が入っているのでハ長調とはほとんど気づきません。
突っ込みどころはとりあえず2点。
  1. クリーゲンブルクの珍妙な解釈を容認している
  2. そのハ長調って1幕3場じゃなくて2幕1場じゃね?
まぁ2については単なる勘違いだとして、さらに奇妙なのは一番最後の「ただこのハ長調の和音というのも、周りにあまりにも色々な音が入っているのでハ長調とはほとんど気づきません」という部分。

うそーん。そんなわけないやん。ということでスコア引っ張り出して確認しましたがな。2幕1場の小節番号で言えば116小節目、鳴ってるのは2番バイオリン(C)とビオラ(E,G)だけでっせ。他に何も鳴ってないやん。

変だなぁと思いながら読み進めたんだが、②ページ目に入ってから驚愕の事実が判明した
クリーゲンブルク:
舞台に張った水については、ふたつの意図があります。
ひとつは私たちが見るヴォツェックの世界が、非常に居心地の悪い、常に湿って汚れている、じめじめとした嫌な雰囲気であることを表しています。
もうひとつは音響的な面について、水を使うことで補足をしたいという意図です。ベルクの音楽は非常に構造を意識したもので複雑です。そこに水の撥ねる音、私たちが知っている自然に響く音を加えることにで、舞台の世界があまりにもかけ離れたものにな らないようにするという狙いがあります。誰もが知っている水の撥ねる音がすることによって、私たちの感情に近い、触れ合える世界にしたい。
これかい!この水音でぶちこわしになっとるんかい! なんかもう「ざけんな!」としか言いようがありませんな。カーテンコールでは演出スタッフが出た途端にブーイングの嵐だったそうですが、そりゃそうでしょう。この舞台に音楽は存在しなかったというのがまるわかりですね。

しかし、ヘンヒェンも良くこんなノイズの混入を認めましたな。あれですか、大人の事情ってやつですか。あはは、それじゃしょうがないですね。なわけねェだろボケ!

ここまで読んでイヤな予感がしたのでこのページを見たら「大絶賛」とのことw。はぁ、私ゃもう、単なる商品なんかにゃ興味ありませんよ。勝手にやっててくださいな。音楽をコンビニ商品レベルにまで引きずり下ろしたお前らに、ミューズの囁きなんか聴こえるわけもないんだしな。

2010年1月15日金曜日

[Google] 逃げよ逃げよ

こんなこと言うだけ野暮だから言わなかったが、Google は "Don't be evil" の理念だけで今回の撤退判断を下したわけじゃない。中国にもはや市場など無いし作り出すことも不可能だと踏んだからこその決断なのだ。沈没船から逃げ出すなら早い方がいいわけで、未練がましい鼠達は渦に飲み込まれるというだけのこと。現時点で武昌蜂起から98年ちょいってとこか。長く見積もってもあと1年半だね。多分前倒しになると思うけど。

クロサカタツヤ氏のエントリのような明確なアラートが IT 界隈ではあまりにも少ないので驚いているんだが、こちらのページに見られるような間抜けを目にするにつけ、おいおいそれでいいのかよと、ついカッとなって書いた。反省はしていない。

2010年1月14日木曜日

[37signals] 迷いを感じてもタイムボックスの時間枠内で済ませよう

(原文: When in doubt, timebox it.

新プロジェクトに取り組んだ際、そのプロジェクトで利用したいプラグインに互換性問題が出てきた。世間で良く知られている解決法はあったし、どうしてもそのプラグインでなければならないというわけではなかったが、多少の追加作業でそのプラグインを動かせるようならば、そのプラグインを使うことには相応の価値があった。イテレーション形の新しい勤務形態になったので我々に与えられた時間は限られており、時間が逼迫しているというプレッシャーを感じてはいるが、実はきちんとした判断を下せるだけの情報はまだない。

ここで即断するよりも、あと30分だけ時間をかけてこのプラグインを動かすことが可能かどうか見極めたいと Jeff は判断した。30分で互換性問題が解決出来れば、それは素晴らしき勝利であり、我々が利用したいプラグインを使い続けることが出来る。ぶっちゃけ、良く知られた解決法という保険もあった。たとえプラグインに関する問題が解決出来なかったとしても、たかだか30分を無駄にするだけのことであり、修正可能かどうかを見極めるためにちょっとだけ時間を割くというのは充分な価値がある。


訳者コメント:
5年くらい前になるのだろうか。アジャイル開発が現在のように地に足の着いた開発手法として成熟・定着する以前、アジャイルがあたかも銀の弾丸のようにもてはやされていた頃に耳にしたのがタイムボックスという考え方だった。

要は、仕事に時間を合わせるのではなく、タイムボックスと言う時間枠を設けて、時間に仕事を合わせるという考え方なのだが、当時アホほど残業・休日出勤(それも管理職扱いでw)せざるを得なかった私にとっては「馬鹿言ってんじゃねーよ」以外の何ものでもなかった。

IT小作から足を洗って一年ほど経った今、ようやくタイムボックスという考え方が理解出来るようになった。ごめんなさい。私がアホでした。

2010年1月13日水曜日

[Google] 男を上げるチャンス

[The Official Google Blog] A new approach to China
We have decided we are no longer willing to continue censoring our results on Google.cn, and so over the next few weeks we will be discussing with the Chinese government the basis on which we could operate an unfiltered search engine within the law, if at all.

(我々は、Googleチャイナにおいて行われてきた検索結果の検閲をもう行わないと決定し、これに伴い、法律の範囲内で検閲なしの検索事業運営を可能にする基本方針に関して、今後数週間にわたり中国政府と出来る限り協議することにした)
盛り上がってまいりました。それでこそGoogle。"Don't be evil" が本心であるということが明らかになった暁には、先日の憎まれ口についても喜んで謝罪させていただきます。状況的には中国政府が鉄砲玉を送り込んできたワケで、こうなってくると Google も「代紋賭けて受けたるわい!」と長ドス振り上げざるを得ませんな。

本件についてはコトがコトだけに、国内IT系サイトでも背景を含めてきちんと取り上げられている。
[ASCII.jp] Google、中国から撤退か Google.cn 閉鎖の可能性も
[ITmedia] Google、中国事業閉鎖の可能性 言論の自由の問題めぐり
[CNET Japan] グーグル、中国での検索結果検閲を廃止へ--同国から撤退の可能性も

実はCNET Japanに関しては上がアレなだけに「この件に関しては臭い物に蓋するんじゃね?」という懸念があったが、上に示す通りきちんと報道された。まぁ、事が大きすぎて蓋なんか出来そうもないし「外人記者による記事を翻訳しただけだから」という言い訳が上に通じると踏んだのだろう。おっと、また余計な憎まれ口を叩いてしまったw

2010年1月12日火曜日

[Dion Almaer] 2010年以降のテーブル・ステークス

(原文: The table stakes of 2010 and beyond



(訳注:テーブル・ステークスとはポーカーの掛金に関するルールの一つで「ゲーム開始時にテーブルに置いた掛金(チップ)だけを有効とする」というもの。つまり、どんなに良い手が入っても掛金を更に上乗せすることは出来ないし、席を立つまではその掛金を懐に戻すことは出来ないし、掛金が尽きたら退場となる。)


最初のドットコム・ブームを覚えているだろうか? 企業を作るとはウェブサイトを作ることに他ならないのだと人々が思い始めたあの頃を。ビジネスプランを確立するより、まずはドメイン登録をしようとしてたんじゃなかったかな? 企業自らが社名をドットコム版に変えるという、靴下人形劇さながらの馬鹿げた時代だった。このバカ騒ぎの背景にあったのは「マジでウェブサイト開かないとやばいっすよ」という考えがひどくはびこっていたという現実だ。ウェブサイト開設はテーブル・ステークスに他ならなかったわけで、これは現状として未だに続いている。

iPhone により、もう一つのゴールドラッシュがもたらされた。当初の勢いは今や終を告げ、AppStore にアプリを放り込んで後は「果報は寝て待て」というわけにはいかなくなった。世間の評判からすればまさかと思うかも知れないが、実際のところ成功を手にするためには、人々が納得し他とは違う何かを持ったものを作らなければならないのだ。お察し下さいってとこだね!

「手っ取り早く儲ける」という魅力は既にそこには無く、我々は次の成熟段階を迎えたということだ。iPhone というものを知ってしまったので、ユーザもまたテーブル・ステークスにさらなる上積みを迫る存在となった。

さて、諸君はもうウェブサイトと iPhone アプリについては作製済みで、Android アプリにも参入するのかな? Facebook は? 最近出た3次元テレビも選択肢の一つだけど? :) くわばらくわばら。



CES 会場をうろついた時に各種デバイスが大繁殖しているのを目にして、私の中の消費者魂が大いに駆り立てられた。全てのデバイスはネットワーク接続され、API が用意されているんだからね。

そして私の中の開発者魂は、こういったデバイスの普及がどれほど大きい広がりを見せ、全ての人に素晴らしい体験をもたらすのだろうかと驚きの目を瞠った。

Web は素晴らしき統一プラットフォームに成り得る、というのは私の「希望」だ。どんな環境であってもきちんと動作する Web アプリを構築するのは容易なことではない。各種デバイス向けに開発する際の苦しみと楽しみというのはまさに私が語ってきたことであり、今回目にしたデバイス群からは更に種々雑多な製品規格がもたらされることになるのだろう。


訳者コメント:
2段落目は through -> threw, hour -> our として訳しました。あと "quick buc" は "quick buck" でしょうね。なんかスペルミスが多いなと思ったんですが threw を through と打ち間違えるなんてありえないので、もしかしたら音声認識なのかな?

2010年1月10日日曜日

[メモ] 2つで充分ですよー

リスク回避やリスク分散といったもの自体が新たなリスクを生んでいるんですよー。わかってくださいよー。

[Wikipedia] 寄付金返せとは言わんけどさ

Wikipediaの道祖神の項なんだが
道祖神の「祖」の漢字のつくりの「且」は、甲骨文字、金文体上では男根を表している。
という記述があって参った。いまだに郭沫若どまりかいな。実際に金文を見てみろよ。お前のアレはドリルチン◯かよw

藤堂明保といい郭沫若といい、何かとエロに結びつけるってのは、まるでヤりたい盛りな厨房のようで、何でもリビドーで済ますフロイトの亜流と似たものを感じますな。安易なポピュリズムで間抜けホイホイってとこですか。さすがはお二方とも学問より政治がお好きというだけのことはある。

2010年1月9日土曜日

[Firefox] extensions.checkCompatibility.3.6

Firefox 3.6 RC1 が出たので早速アップデートしたわけですが、アドオンの互換性チェックがまたしても有効になってしまったわけで、めんどくせーとか言いながらも extensions.checkCompatibility.3.6r1 を新規で作って falseとしたわけですが無効にならない。extensions.checkCompatibility.3.6p とか extensions.checkCompatibility.3.6r とか幾つか試したんですが駄目みたいで、うへぇとなったわけですが、なんの事はない、extensions.checkCompatibility.3.6 だけでOKでした。

この記述仕様に関してはこのページくらいしかオフィシャルな情報が見当たらないわけですが、RC版については 3.6->3.6.1 扱いということですか。そんなのどこにも書いてないやん。nsExtensionManager.js見ろやとのことですが、そりゃちょっと御無体ってもんじゃないでしょうか。

あと、about:config ではコンテクストメニューから新規作成出来るんですから、削除も出来るようにしてほしいとこです。今回、無意味な extensions.checkCompatibility ほにゃららがたくさん入ってしまったし 3.6a や 3.6b のエントリも不要になるので prefs.js を直接編集して削除したんですが、これしか手が無いというのはちょっとねー。

[37signals] 「2010年は製品作りの年」そして「新しい勤務形態」

(原文: 2010: The year of the products + a new way of working

2010年は製品作りの年

37signals にとって2009年は明らかにインフラ整備の年だった。我々は舞台裏で、ハードウェア・ソフトウェア・セキュリティ機構の改善に多大な作業を注ぎ込んだ。これまでで最大のインフラ整備プロジェクトである 37signals ID も始動した。これは、大計画のうちの最低一つはものにしたというだけのことであり、インフラ整備は決して完了したわけではないのだが、2009年はインフラ整備の最前線における大いなる進展の年となった。

2010年は製品作りの年になるだろう。いくつかある大規模なインフラ整備プロジェクトを裏でこなしつつ、我々はエネルギーを製品改善へとさらに集中することが出来る。我々には新機能・機能統合・UI 設計/再設計・通常業務フローの簡素化に関する素晴らしいアイディアがすでにいくつかある。新製品に関するアイディアもいくつかあり、それに関する調査を進めることにも支障はなくなった。

新しい勤務形態

製品作りにおけるルネサンスの核心とも言えるのが新しい勤務形態だ。過去に於いて、37signals の各員はかなりバラバラ状態だった。みなが自分自身のプロジェクトにかなりの時間を割いていた。いくつかの点に於いて業務の重複がみられ、時には小さなチームとして共同して大物に取り組むこともあったが、業務の大半は自分自身のために時間が割かれていた。

我々にはまた、ちぐはぐな業務指示により人を朝令暮改状態に引きずり込むという傾向があった。ある人に作業Aを依頼した数日後に作業Bへの協力を依頼したり、その後またCというバグの修正を依頼するといった具合だ。これでは集中出来ない。

2010年はこの現状を変えるつもりだ。こんな感じで:

チーム

我々はチーム形式での勤務を開始する予定だ。

チームはデザイナー1名とプログラマー2名の合計3名から成る。必要に応じてシスアドがアシストを行う。

開始にあたって、2つの専任チームと1つの遊撃チームを結成した。遊撃チームは他のチームを支援したり、不測不可避な事態が起きた場合には追加人員を迎えることが可能である。3月には第3専任チームの結成を見込んでいる。

我々はさらに、バグ修正と処理最適化に関して顧客サポートチームと共同作業を行う専任プログラマを1名迎える予定だ。この人物はチームの再編成(これについては後で述べる)ごとに入れ替わることになるだろう。

時間

各チームは2ヶ月間(1ターム)まとまって作業を行う。2ヶ月経過後、チームは解散し別の人員により再結成される。これにより、各人員はこれまでと違う人員と作業を行うことになる。

2ヶ月の期間内に於いて、4回のイテレーションがある。1イテレーションは2週間となる。1イテレーション期間内は、一つのフィーチャーに取り組んだり、小規模フィーチャーをいくつか並行して取り組んだり、完成に数イテレーションを要する大規模フィーチャーの一部として取り組むことが可能である。

各チームは1イテレーション期間を通じ、同一製品について作業することが求められる。よって、チームAが1イテレーション期間を Basecamp に関する作業に従事するよう選択した場合、その2週間は Basecamp に専念することになる。2つのチームが同じ製品に同時に従事することは不可とされている。

もし2週間で作業が完了しなかった場合、そのネタはボツとなる。そういったネタは、別のチームが今後のイテレーションのネタとして拾い上げるか、さもなくばそのまま死に絶えることになる。これにより、1イテレーションの完了にあたって何か新たな売りになるものが出来たかどうか確認するよう、チームが促されることになる。年間を通じて2週間に一度、何か新しいものを顧客に売り込めるようにするというのが目的なのだ。

プロジェクト

チームは、彼ら自身のプロジェクトや我々が常にメッセンジャーで発信している現行プロジェクトのリストに載っているプロジェクトに取り組むことが可能だ。そういったリストを我々は Backpack で保守している。リスト内のアイテムは顧客要求に基づくものもあれば我々自身から出たアイディアだったりもする。プロジェクトには「Highrise のカスタムフィールド」といった未完のアイディアどまりのものもあれば、すぐに実装が始められそうな基本 UI まで揃っていて構想が具体化されているプロジェクトもある。我々は Backpack のコメント機能を使ってアイディアをめぐる議論を行い、リスト内のアイテムにファイルを添付するようにしている。

プロジェクトには一回の施行に付き1イテレーション期間が選ばれる。その選択はイテレーション期間の初日に行われる。イテレーション期間終了後、チームは次のイテレーションで従事するプロジェクトを選ぶことになる。2ヶ月のタームが終了すると一旦チームは解散・再編成され次のイテレーション期間で従事するプロジェクトを選択することになる。あとは繰り返しだ。

プロジェクト管理は Basecamp で行われる。1チームあたり1プロジェクトの割り振りにした。1イテレーション期間ごとにTO DOリストとマイルストーンが設けられる。各チームが考慮すべきは現行イテレーションについてのみなので、よって1イテレーションが終了し次のプロジェクトを選ぶ段になったら、チームは新たにTO DOリストとマイルストーンを作製することになる。2ヶ月タームの終には Basecamp 単体プロジェクトチーム用のイテレーションが全て出揃うことになるだろう。

実験

この勤務方式がどの程度うまく行くか、我々はわくわくしながら結果確認の日を待っている。我々は今まさに最初のイテレーション期間の1週目にあるが、喜ばしい現状を目にしている。アルファチームは Highrise に関する一連の改善に従事する一方で、ブラボーチームは全く新しいプロジェクトに取り組んでいる。遊撃チームは、あるものは Highrise に、またあるものは 37signals ID Launchpad にといった感じで色々なことに取り組んでおり、また BasecampCampfire 向けの新しいネタの幾つかについて考えを巡らしている。

何タームか経過した暁にはまた状況を報告したい。では2010年も諸君に成功のもたらされんことを。

(以上のアイディアは Meetup の Scott Heiferman によりインスパイアされたものである)

2010年1月7日木曜日

[Google] はした金やんけ、ポンと払いーやw

[WSJ] Nexus Name Irks Author's Estate
今北産業すると
  1. Nexus という商標を勝手に使うなと P.K.ディックの娘さんが怒っている
  2. 今のところ Google 側スポークスマンはコメントを拒否している
  3. かたや Verizon は Droid を出す際にちゃんとルーカスと話を付けている
という感じ。DARING FIREBALL でも取り上げられててワロタ。天下の Google なんやから、ちゃんとナシつけて商標使用料くらいポンと払ったりーな、としか言いようがありませんな。

ちうか、Google 法務は気ぃ付かんかったんか? ありえねーw

[Dion Almaer] Microsoft が SVG ワーキンググループに参加

(原文: Microsoft joins SVG Working Group

それが誰からのものであれ「グループに参加します」といった類の投稿を目にする時、私の心はいつだって「連絡どうもです、実装したら私に ping を打ってくださいね」という感じだ。

しかしながら Microsoft ほどの大物が「W3C の SVG ワーキンググループに参加する」とブログに書いたとなると、世間は警戒信号を出し始めることになる。願わくは、Microsoft が仕様策定プロセスの助けとなり、SVG がうまいこと進展し、より多くのユーザエージェントでその成果が目にされんことを。

が、私の友人がまさに口にしているように、この件に関して祝辞を述べるのは、SVG と Canvas が Internet Explorer に搭載されるのを確かめてからにしたい。

実際のところ、Maicrosoft の Canvas に関する言及の少なさに私は不安を感じている。


訳者コメント:
以前にもこんな感じのMicrosoftの出しゃばりがあったわけで、全く懲りない人たちであります。まぁみなさんオトナですから「お前の出番なんかねぇよ、引っ込んでろw」とか「お前は一生 Silverlight やってりゃいいんだよw」とか言わないんですね。

2010年1月6日水曜日

[37signals] "It Might Get Loud" と、なりたく「ない」自分を知ることの重要性について

(原文: "It Might Get Loud" and the importance of knowing what you don't want to be

Getting Real 所収の "Have an Enemy"(敵を作れ)というエッセイからの引用
喧嘩を売れ
時々あることだが、諸君のアプリケーションがどうあるべきかを知る最善の方法は、それがどうあるべきで「ない」かを知ることである。諸君のアプリにとっての敵について考えることが諸君の進むべき道に光を当てることになる。
Led Zeppelinのジミー・ペイジ、U2のジ・エッジ、White Stripesのジャック・ホワイトによるジャムセッションと討論をまとめた "It Might Get Loud(音でかくならんかなぁ)" という実に良くできたドキュメンタリーを見ながら、このことを思い出していた。このドキュメンタリーでは、彼らがそれぞれのギター演奏スタイルをどう発達させてきたかが明らかにされている。


敵を作ることから始めよ

彼らがそれぞれ自分のトレードマークとなったサウンドにどうやって辿りついたのかを語り進めるにつれて明確になってきたのは、彼らはどう聞こえて欲しく「ない」かを明確にすることから始めたのだという点だ。敵を作ることから始めたのだ。

ジミー・ペイジは自分のレコードではなく他人のレコード向けに演奏するセッションミュージシャンだったが、この仕事にはうんざりしていた。全てがあまりにもガチガチで自由がなかった。テンポも厳密に決められていた。ダイナミクス(訳注: 音量の大小)も皆無だった。画一的サウンドが全てだった。音楽とは呼べないような、たどたどしいオマケ的音楽だった。

だから彼はLed Zeppelinを結成した。彼は陰と陽の両方を使えるバンドが欲しかった。曲の中盤で速度や音量を上げたり出来るようにしたかった。曲を長く引き伸ばしたかった。バイオリンの弓で弾いたりとんでもない奏法をしてみたかった。

U2結成時にジ・エッジは、当時幅をきかせていた頭でっかちで自己満足的なプログレバンドとは正反対の存在になろうとした。彼は必要最低限の演奏を目指した。力仕事(訳注: 音の厚みを出すこと)の大半はエコー・エフェクターで済ませた。出来るだけ少ない音数でコードを弾く方法を考え出した。

White Stripesは「テクノロジーは創造性の敵だ」というジャック・ホワイトの考えから生まれた。ずらっと並んだエフェクターペダル、新品のギター、何tもの機材を積んだトラックといったものを彼は使おうとしなかった。生のままな、一期一会なものを目指した。

まず最初にどんな音を出したく「ない」かを明確にした彼らはそれぞれ、独自でソウルフルなサウンドを作り出すのに成功した。進むべき道を彼らに教えたのは彼らの敵なのだ。

諸君がうんざりしているものは何か?
以上全ての話に含まれていることが、ここかしこにはびこる流行というものが如何に成立したかを思い起こさせてくれる。服装についてだけでなく、音楽やビジネスやその他ゴマンとある事柄についても言えることだ。人々はトレンディなものならばそれが何であれ群がり集まる。そしてこれは、皆が同じものを求めている場合は違った方向に向かうことが好機をもたらすということを意味する。

世間が今まさにしていることで、諸君がくだらないと思っていることは何か?諸君の携わる分野における流行で、諸君が馬鹿げていると思っていることは何か?脚光を浴びることになっても諸君の思想は変わらずにいられるか?もしそうならば始めたまえ、自分は世間と逆なのだと明白にすることを。

2010年1月4日月曜日

[メモ] 書

書の面白さは記号性と身体性が同居している点にある。formとflowが同居しているということであり、静と動が同居しているということであり、outputとinputが同居しているという事であり、結果と原因が同居しているということであり、instanceとclassが同居しているということであり、現在と過去が同居していると言うことである。

概念と記号をむすぶものとしての身体というものが顧みられなくなったこんにちにおいて、ある種の驚きとともに慨嘆せざるをえないのは、身体性が記号性を生み出すように記号性が身体性を生み出すと言う一種の呪術が書記文化の背景として「あった」という事だ。「ある」ではなく「あった」と言わざるを得ないのは、式や藁人形やルーン文字に代表される、記号性が身体性を生み出すと言う側面が、今となってはファンタジーの世界に追いやられてしまったからだ。この傾向は自然科学(すなわちキリスト教でもある)の跋扈とともに進み、ソシュールのシニフィエ/シニフィアンというあまりにも人間中心主義・観念主義に偏った言語学が拍車をかけた。チョムスキーの肩を持つわけではないが、ソシュールの半分はざっくり切り捨てたくなる。

そういった意味では、アラビックカリグラフィは実に面白い。かたや神の身体性、こなた人の身体性という違いがあるくらいで、特に表音性の取り込みが多い日本の書とは似た部分が多い。表音文字の系統がおしなべてタイポグラフィに収束した一方でアラビックカリグラフィは書記文化の身体性を未だ保ち続けているようだ。

神とか人とかが出てきたついでなのだが「神のRuby、人のPerl」というのはあながち間違いじゃないと思う。「一神のRuby、多神のPerl」「秩序のRuby、混沌のPerl」と言った方が正しいかもしれない。だからなのだろうか、私は「Rubyは日本人向け」だとは全然思えないのだ。やはり、作者がクリスチャンであるということがもたらす諸々の事柄は、言語設計の面でも色濃く反映されるようだ。ちなみに私は本地垂迹派なのだが、サーバサイドに関して言えば完全にPythonistaである。なるほど「パワフル・見た目重視・ハイブリッド(つまみ食い)」というアナロジーからは頷けるものがあるような気がする。良い意味でも悪い意味でも「中庸」なのだろう。

2010年1月1日金曜日

[Greasemonkey] 千夜千冊の該当ページを開くスクリプト

連環篇になってから運営形態が変わったようで「1337夜」といった千夜千冊サイト内リンクは、公開後少したってからリンクが張られるようになったようだ。そういったリンクは連環リンクとして最後にまとめてあるし、少し待てばリンクも張られるようなのだが、それまでの繋ぎということで、書初めにも丁度良いのでグリモンのスクリプトを書いた。

やっていることは単純で「マウスで数字を選択してから Shift+Ctrl+クリックまたは Shift+右クリックすると千夜千冊の該当ページが開く」というもの。テキストの数字をダブルクリックすると数字部分だけ選択出来るので、そのまま Shift+Ctrl+クリックすればOK。前後に余計なものが入ってもmatch(/¥d+/)で取り除いているので選択はある程度大雑把でもいけるはず。全角半角処理やゼロ詰処理は車輪の再発明ぽいけど、まぁ書初めということで良しとしましょう。ちなみにaddEventListener('contextmenu')なので、Windowsでは Shift+右クリになるかと思われ。あと、ポップアップブロックをしていると最初の呼び出し(window.open)時に警告が出るので、許可してやればその後は出なくなります。

GitHubに上げましたので人柱上等な方はどうぞ。opensenya.user.js
// ==UserScript==
// @name opensenya
// @description 「1337夜」等の数字を選択して Shift+Ctrl+クリックまたは Shift+右クリックすると千夜千冊の該当ページが開きます。
// @include http://www.honza.jp/senya/1/matsuoka_seigow/*
// @version 0.0.5
// @author outZider
// ==/UserScript==

(function() {
function fz(num, digit) {
var s = String(num);
for (var i = 0; i < digit - String(num).length; i++) s = "0" + s;
return s;
}
window.addEventListener(
'contextmenu',
function(e) {
if (e.shiftKey) {
var selection = window.getSelection();
if (selection.rangeCount) {
var s = String(selection.getRangeAt(0)).replace(/[0-9]/g,
function (w) {
var z = "0123456789", h = "0123456789"; return h[z.indexOf(w)];
}).match(/\d+/);
if (s && (parseInt(s) != 0)) {
if (s < 1330)
window.open("http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya" + fz(s, 4) + ".html"); // 放埒・遊蕩篇
else
window.open("http://www.honza.jp/senya/1/matsuoka_seigow/" + fz(s, 4)); // 連環篇
}
e.preventDefault();
}
}
},
true);
})();


2010/01/07 追記:
コンテクストメニューが使えなくなっていたので Shift+Ctrl+クリック または Shift+右クリックで開くように修正しました。上のリンク先は修正済みのもの(version 0.0.5)になってます。
ちなみに年明けの1339夜は最初からリンクが張られていますね。1338夜はまだリンクが張られていないところを見ると、年末進行で編集作業が忘れられていたと言うだけのことなのかな。

[37signals] 「使えない:使える」比とは何か?

(原文: What's the suckage to usage ratio?

送料が決まらないうちは製品はまだ完成とは言えない(訳注:極端に言えばということ)。製品に万全を期すると、いつまでたっても製品が完成しないということになるだろう。幸いなことに、諸君はどちらのフィーチャーを選べばより完璧に近づけるのかを判断することが出来るし、ちょっと手を抜けるのはどっちなのかを判断することも出来る。Kindle DXがこのことに関する好例だ。Kindleで本を読みページをめくるのは素晴らしい体験をもたらしてくれる。だが一方、キーボードを使うのはしんどい。キーを押すのに苦労する。モディファイアキー(訳注:シフトキーやコントロールキーなど、他のキーと併用するキーのこと)には混乱させられる。しょっちゅう打ち間違えるし、カーソル移動はもたつくし、修正もしづらい。でも、こういった全ての問題にも関わらず、私は未だにこの電子機器が好きだ。

不具合のあるフィーチャーがあってもUX全体としてはユーザを納得させる良い方法として「使えない:使える」比がある。どんなフィーチャーであれ、それを「使えない」と槍玉に挙げることは可能だが、製品全体という観点からすれば、そのフィーチャーをどの程度頻繁に利用するかを計算に入れないことには何の意味も無い。科学的とはお世辞にも言えない表なのだが、これをご覧頂きたい



Kindleで本を読むという点については何の問題も無くて(5段階の0)、文字入力は全然使えなくて(5段階の5)、読む本の切り替えはちょっと使えない(5段階の1)だと仮定しよう。私がこの機器に費やす時間の90%がただ単に読むことだけであることを考慮すれば「使えない度」の重みは5段階のうちのわずか0.22ということになる。裏を返せば「使える度」は4.78と、ほぼ五つ星なのである。

Kindleのデザイナーにしてみれば、全てのフィーチャーを盛り込むには時間がかかりすぎるしその時間もわずかという状況下では、キーボードに関して手を抜くと言うのは合理的帰結である。キーボード入力がもっと重要になってきそうな第3世代や第4世代のKindleではキーボードの変更がなされるかもしれない。どこに重点が置かれるかはそのうち変わるものだが、今のところは公正な処置と言って良い。

製品の一部についてあえて標準的な仕様に従わないという姿勢を受け入れるのは、理屈の上では容易い。だが実際には、刀を捨てるのは辛い。改善の余地があることを知りながらそのフィーチャーを世に出そうなんて誰も思わないのだ。だからこういった状況に直面したら、完璧に仕上げることがそれに見合った価値を持つかどうかを見極めるため、方程式に利用頻度という要素を付け加えてみることだ。