2008年12月31日水曜日

[37signals] 話題にされない億万長者

(原文: The untold millions)

メディアというものは、人々の話題になるようなネタに関しては、えこひいきして報道するものだ。特にWebの世界ではそうだ。FacebookやGoogleやYoutubeと言った、世間が注目し、そそるネタが豊富で、みんなが話題にするような記事は書くのが簡単だからだ。

ビジター数が多い!
広告売り上げが多い!
資金が多い!

はったりというものは、市場公開される時、ベンチャー投資家からより多くの資金を引き出すことを狙っている時、でかいパラシュートをつけて飛び降りる時に重要だ。だから企業がジャーナリズムの働き蜂どもを、そのしたたる蜜でおびきよせるのは当然であるし、その結果我々が目にするのは、若い起業家が年齢不相応な金を手にしているといったたぐいのくだらん記事ばかりになるのだ。

その一方で、決して語られる事の無い多くの現実がある。ユーザ数の公開や成功談の発表をどちらかというと控えめにしているような小規模チームにより達成された、静かなる成功がそれだ。競合他社や無用の勘繰りを誘引しないようにするために彼らはそうする。にこにこしながら製品を利用している顧客のもたらす巨万の富を手に、その幸運を静かにかみしめるだけで良しとしているのだ。

私的にこういった起業家と対談することが多く、彼らのやり口の上手さに衝撃を受ける事がしばしばあった。そのたびに、1)なんで気付かなかったんだろう?、そして、2)みんなにも教えてあげられたらなぁ、と心の中で思ったものだ。

こういったことは成功を収めたオンラインビジネスに関する議論で特にはっきり見受けられる。みんなは巨大メディアといった類いの物の記事にしか注意を払わないし、ここで述べているような人たちのことをみくびっている。世間にアピールするメディアの寵児のうちの一人にでもならない限り、宇宙旅行とかいったものには縁遠いというわけだ。くだらねぇな。

成功を収めているオンラインビジネスの世界というものは、レポーターが見出した氷山の一角程度のものより遥かに広いということを知れ。水面下では想像を絶するほどの富が創造されているのだ。確かに何十億ドルとまではいかない(そこまでいったら沈黙を保つのは困難)けど、人々の話題にされない億万長者はたくさんいる。

2008年12月28日日曜日

[scobleizer] 12seconds.tv で収録した30分のビデオは「現実に即した」技術系スタートアップ企業の未来を垣間見せてくれる

(原文: 30 minutes at 12seconds.tv shows future of “reality based” tech startups)

クリスマスも終わったね。昨日、写真家のMarc Silberとその仲間達を収録するためにサンタクルーズの12seconds.tvを訪問した。

駄目かなというのが12seconds.tvの第一印象だったんだけど、Twitterの時も大半の人がそう思ったはずだ。ということで、この第一印象は昨日もらったクリスマスプレゼントの包装紙と一緒にゴミ箱へ放り込もう。

それはどんなもの?かというと、一回の投稿につき12秒までのビデオをアップロードもしくは録画出来るようにしてくれるサービスだ。ビデオ版Twitterといった感じ。世界中で熱心な支持者を獲得した。

まぁそれは置いとくとして。

この30分のビデオインタビュー収録を通じて、このチームとその提供するサービスに注目すべき理由と、この会社が勃興しつつある「現実に即した」経済における技術系スタートアップ企業のありようを示しているということが私には判った。(ビデオは2部に分けた。第一部はこちら。第二部はこちら
  1. このサービスは彼らの本業ではない。彼らは皆、日中は別のところで勤務し、夜間や週末を使ってサービスを構築している。クリスマスあけに訪問した理由というのも実はこの点にある。
  2. 彼らは勃興しつつある「reality economy(現実に即した経済)」すなわち食っていけるだけの収入源が見つかるまでは自己資本でしのぐというやり方を採用している経済システムの一員である。ベンチャーキャピタルの資本に頼るのは、そういった収入源が結局見出せなかった場合だけだ。
  3. 彼らは「クラウドバースト」アーキテクチャを利用している。ビデオの全ては自社サーバにて管理されるが、人気のあるビデオはAmazon.comのWebサービスへファイルを移動し、トラフィックをそちらに移すことで自社サーバが過負荷になることを避けている。これにより非常に効果的かつ安価に、多くの人にサービスが提供出来る。
  4. 何事もTwitterで済ますというのが彼らのやり方だ。顧客サービスやコミュニティ作りといったものもだ。画面上にはTweetDeckが表示されているし、クリスマス当日であってもiPhoneから質問に解答してくれた。
  5. 財源の不足こそが、彼らに一つの事業、たった一つの事業への集中へと向かわせた(Podtechもこういった点について学んでくれればいいのに)
  6. ビデオの第二部では「みんながお金を払ってくれるようなサービスでなきゃ構築する意味ないじゃん」という考えに基づいて、課金型の新作iPhoneアプリをデモしている。
とりあえず見てみてよ。ビデオ中ではMarc Silberが写真を撮る様子やJeremy Toemanがどのようにして12seconds.tvの広告活動や企業戦略について手助けしているかについても見る事が出来る。12seconds.tvを始めたSol LipmanとDavid Beachと一緒に仕事をしている主席開発者のJacob Knobelも出ているよ(ビデオでは3人とも登場している)

彼らが「現実に即した」という表現を通じて言わんとする事は何だろう? うん、彼らはもう気付いているんだ。投資家連中が収益化出来そうなアイデアを血眼になって探しているということを、コミュニティサポートを視野に入れていないサービスは彼らの眼中には無いということを、そして彼ら自身、2年やそこらで収益化出来るような素晴らしいアイディアの持ち合わせは無いということを。

勃興しつつある「現実に即した」技術系スタートアップ企業の世界へようこそ。他にもこういった例は無いかな?


訳者コメント:
37signalsの言う"Getting Real"の好例。ちなみにrealには今のところ2つのコンテキストがありそうだ。
  1. virtualの対義語としてのreal。real economy=実体経済/virtual economy=金融経済とみなしてよい。課金ベース=real/広告ベース=virtualという図式も成り立ちそうだ。
  2. reality TVなどに見られるreal。新聞などの従来マスコミでは見られないrealということで、ミクロでパーソナルな視点のメディアにより提供されるものとみなしてよい。

2008年12月24日水曜日

[37signals] 万歳! CNNの画面下端を這いずり回っていたニュース表示が消えた

(原文: PHOTO: Huzzah! The crawl, the unending stream of)

Matt が2008年12月23日に目撃:


万歳! CNNの画面下端をえんえんと這いずり回っていたニュース表示が月曜日から消えた(現在オンエア中のニュースと関連する、静止して流れない文章表示に置き換えられた)。視聴者はこれで一息つけるようになるし、CNNが「少なきは善」というやりかたで他社との競争に取り組んでいるというのがまた良い。MITの神経科学教授であるEarl K. Miller は、視聴者達は画面上に表示されるものについて同時に処理出来ると考えているかもしれないがそれはまやかしだと言っている。「マルチタスクで処理しているように思えても、実際は1〜3の事柄について注意を向ける先を切り替えているだけに過ぎないというのが大半だ」

2008年12月22日月曜日

[メモ] 「メディア」と「あいだ」

メディア(mediumのpl.)についてOnline Etymology Dictionary
  • mediaがmass media(1923年に広告用語として用いられ始める)から派生して新聞・ラジオ・テレビの意味として使われだしたのは1927年ということなので、今日的な意味合いでの「メディア」の歴史はまだ100年にも満たない。
  • intermediate agency(媒介・仲介)としてのmediumは1605年が初出。mediumにshermanの意味が付け加わるのは1853年。肉の焼き方としてのmediumの初出は1939年。
  • Happy medium(妥協点・折衷案)は、ホラチウスのaurea mediocritas = gold mean(黄金の中庸)から来ている
  • 語源をたどると、PIE(Proto-Indo-European Language: インド・ヨーロッパ祖語)における *medhyo- から、medhyah(サンスクリット語)、mesos(ギリシャ語)、medius(ラテン語)が派生しており、これらはmedialや接頭辞のmid-として残っている。音楽用語として日本人にも膾炙しているmezzo(イタリア語)も根はここにある。
  • 以上から見られるように、メディアにはもともと何かと何かの「あいだ」とそれをつなぐものとしての意味が根にある。
「あいだ」については常用字解にて「間」を参照
  • 「間」はもともと門と月の会意。内田百閒の閒(U+9592)に残っている。この月は日月の月ではなく「にくづき」すなわち祭肉であり、宗廟の門に祭肉をそなえる儀礼のことを指し、そこから「内外を隔てる」という本義が生じた。
  • 「間」には(1)内外を隔てる(2)あいだ、ま、すきま(3)しずか、やすらか、の義がある。
  • (3)はmeditation(瞑想)を連想させる。meditationはPIEにおける *med-(measure,limit,consider,advise)からの派生とのことで、音韻的にmidとmedとのつながりはありそうに感じるがどうなのだろう。つながっているとすれば「間」と同様の演繹過程がPIEでもあったと考える事が出来て面白い。

2008年12月19日金曜日

[37signals] 景気後退時には月払い型の収益モデルが有利だ

(原文: The benefits of a monthly recurring revenue model in tough economic times)

37signalsではWebベース製品を月次サブスクリプション型で販売している。また、最初の一ヶ月についてはお試し期間として無料で提供している。

このモデルはどんな時であっても有効であると我々は考えているが、景気の悪い時には特に上手く機能する確信している。状況が厳しくなると人は支出を抑えるものだということは誰の目にも明らかだが、人々が支出を抑えるにあたってどう振る舞うかを理解する事もまた、どのビジネスモデルがより有利であるかを判断する際に重要になる。

ソフトウェア産業におけるビジネスモデルは多様だ。良く知られたものをいくつか挙げてみよう
  • 無料
  • 無料(広告ベース)
  • 一回払い(無料アップグレード)
  • 一回払い(有料アップグレード)
  • 月次サブスクリプション型
  • 年次サブスクリプション型
人は既存の費用よりも新たな費用の発生をまず抑える

通常、人々は現在支払っているものをカットする前に、新たな支出をカットするようだ。すでに支払いを始めているものについては、それが何であれそのまま支払い続けるという状況がしばしば見られる。新規支出を排除する方が既存支出を排除するより容易だからだ。

例えば何か新しいものの導入を検討していた場合であれば、導入は保留される。無くてもどうにかなるものであれば、大抵の場合は、無いままで済ますようだ。大規模アップグレードが出た場合であっても、なんだかんだと理由をつけて先延ばしするか、もしくはただ単に不要と見なして導入しないものだ。

だが、すでに導入し支払いを行っているサービスであれば話は別で、大抵はサービスの利用を継続するようだ。料金プランが安い方にダウングレードしたり値切ったりする事はあるかもしれないが、サービスが有用なものである限り人々はサービスを継続利用してくれるものだと考える方が理にかなっている。

一回払いには問題がある


一回払いの問題は、ひとたび料金が支払われたらそれっきり、という点にある。人々が財布のひもをきっちり締めている苦しい状況下において、新規顧客の減少は収入の減少を意味する。極端かもしれないが新規顧客ゼロということもあり得るのだ。すなわち収入ゼロということだ。3ヶ月間にわたって新規顧客が得られなかった場合、3ヶ月間にわたって収入はゼロとなるわけだ。資金が十分であれば話は別だが、3ヶ月も収入ゼロで会社を運営すれば経営悪化は免れない。

年次サブスクリプション型は中途半端

年次サブスクリプション型は一回払いよりマシである。新規顧客が得られなくても定期的な収入が見込めるからだ。だが、年次更新という形態は月次更新に比べて初期費用が高くつくので、企業は契約更新について慎重になるかもしれない。契約更新の際に価格の折り合いがつかなかった場合、顧客は交渉の場において強気で出たり、契約破棄をちらつかせて脅したりするだろう。単なるはったりかもしれないが、不景気ともなれば、顧客を失うリスクをあえて取るのはしんどい。

月次サブスクリプション型の利点

新規支出というものは往々にしてカットされるので、新規顧客ゼロという期間がありうるのに対し、月次サブスクリプション型のビジネスモデルであれば、既存顧客から毎月定期的に収入を得られる。

もし10ドル/月のサービスを利用する顧客が5000人いれば、たとえ新規顧客登録がゼロであっても毎月50000ドルの収入が見込める。既存顧客のうちの何人かが支出抑制の為に契約をキャンセルし始めたとしても、月々の収入は他の顧客から依然として入ってくるのだ。月次サブスクリプションに基づくキャッシュフローは選択肢のうちでフローの将来予測に最も役立つものだ。

月次サブスクリプション型には他にも、新規顧客にとって導入コストがより安く済むという利点がある。年次サブスクリプションは長い目で見れば月次サブスクリプションより安くなるが、この不況下においては年次サブスクリプションの初期支出の大きさに多くの人が躊躇するだろう。人々の願うのは支出削減であり、年次サブスクリプションは確かに一面ではそれに合致するものの、人々の念頭にあるのは短期支出であり長期支出ではない。不況下においてものをいうのは短期的視点のもとで削減をするほうであり、ゆえに月次サブスクリプション型は何よりも安全なのである。

複合型はどうか?

いくつかの料金プランを組み合わせて顧客に提供する企業もある。月次サブスクリプション、年次サブスクリプション、もしくは終身サブスクリプションといった巨額の前払いを行うもの。私の見るところでは、月次サブスクリプション型さえあれば人々は良しとするようだ。37signalsでは支払い形態のオプションに年次サブスクリプション型は無いが、登録時にアカウントに関してまとめ払いをする事が可能だ。このやり方であれば、あらかじめ500ドルまとめ払いしておけば毎月のクレジットカード請求書にびくつく必要はなくなる。ひとたび支払いを済ませてしまえば年度予算の残りを気にする必要もないし、来年も引き続き、新たな追加支出をすることなく利用出来るから、という理由でこの支払い形態を好む人もいる。

これはあくまでも助言

以上述べたような考え方は大げさなものでもなんでもなく、あくまでも、顧客に提示する支払い形態の如何が不況下における企業の生存可能性について重要な意義を持つ、ということを諸君に思い起こしてもらうための助言にすぎない。

2008年12月18日木曜日

[一言居士] もしかしたら ...

もはや「小さい事は良い事だ」ではなく「小さくなければ生き残れない」というところまで来てしまったのではないか?

今世紀の課題として、国や企業についてだけじゃなく、おそらく個人レベルでそれが求められるようになるのではないか?

それも個人のライフスタイルといったレベルではなく、文字通り、物理的に小さくなる事が未来において求められるのではないか?

ブラックジャックの「ちぢむ!」というエピソードを思い出した。

2008年12月17日水曜日

[scobleizer] ブロガーとソーシャル・ネットワークは大規模な展示発表会というものを死へと追い込むのか?

(原文: Are bloggers & social networks killing the big shows?)

この傾向に気付いたのは最近の事だ(実際に気付いたのはMicrosoftで勤務していたころのこと。上司が割に合わないからという理由でカンファレンスにブース出展するのを拒み続けていたんだ。当時はあまり気に留めなかったけど、こういった傾向はその後どんどん強くなってきたわけだ)。大企業は大きな展示発表会に自社人員を投入して世間にアピールする。昨夜、Facebookの1億4千万ユーザ達成発表パーティに出席した。パーティ自体はブログのネタ程度でしかないけど、その一方で私たちはこのブログ上で展示発表会というものが音を立てて崩壊しつつあるということを議論してる訳だ。

今年の始めころに、Electronic Artsがブローガー達を招いて同社の『Dead Space』というゲームを紹介する一日がかりのイベントに参加した。プロデューサーとのやり取りを収録したビデオはこちら

私はAppleが数百名のブロガーおよびジャーナリストを、金のかかる展示会場にわざわざ出向かせるのではなく、クパチーノの本部にある会議室に招いて報道を行ったというのも目にした。

こういった変化をもたらしたのは何か?

ブログとオンライン動画なんだ。

大企業は今や、ブース出展に伴う何百万ドルという支出(従業員派遣費用は含めずにだよ)に関する見直しを行い、また出展の見返りが期待した程のもんじゃないということを知り始めている。

ウチのスポンサーであるSeagateは、CESでの出費を抑えるつもりだと語っていた。AMDもDelphiも同様だし、私の聞いた範囲では、他の多くの企業も今回は、出来れば2010年も、出展停止もしくはブースの縮小という方針だった(契約上、企業の求めに応じてほいほいと出店ブースを縮小するのは難しいのだ)

Appleの「来年でMacWorld Expo出展は終わり」という報道はあらゆる紙面を飾った。この件についてはFriendFeedでも大いに議論された。この投稿における私の主張には約1時間で40以上ものコメントが付いた。

私はこれで全てを理解出来た。おいおいなんでだよ?MacWorldには44,000もの人々が赴くんだぞ。やれやれ、それより遥かに多くの人がEngadgetのレポートを観るんだよ。えらい安上がりな会議室で行われる発表に基づいたレポートをね。

それにAppleはApple Storeを通じて、顧客個人に接触する手段を既に入手してる。顧客と接触するためにバカ高い金を払ってブース出展する必要はもはや無いし、率直に言って、そんなやり方は良い顧客体験たりえないんだ。

それじゃ来年はどう? 大規模展示会に関しては悪いニュースだらけになるだろうね。

何が大規模展示会というものを死に追いやるのか? インターネットだよ。君たちは今や、製品紹介のライブ中継を自宅の居間にいながらにして世に送り出す事が出来る。Stickam・Ustream・Qik・Kyte・YouTube・Flixwagon・Viddler・Vimeo・SmugMugといった動画サービスやブログを利用することでね。

Facebook住民に何かネタを投下し、それについて議論し、そこでおもむろに君の製品について持ち出せば、すごいことになるよ。

CESを見に行くのは2009年が最後になるかもしれないなぁ。Comdexの時もそう思ったのを今でも憶えているよ。あの時はみんな思っていたな、こんなでかい展示会がなくなるわけないだろ、って。

2011年のCESを見に行く事はまずありえないな。なんでだよって? 文句はブロガー連中に言ってくれよ。

今言えるのは、このUpcoming.orgカレンダーにある私の予定表に書かれている通り、CESで行われる数々のイベントに参加し・追跡調査する(そのうちのひとつがMacWorldなんだけど)ってことだけだ。現地で会えたらいいね。今回で最後かもしれないしね。


訳者コメント:
37signalsが言うところの「金をかけずにマーケティングする」というやり方が浸透してきている。不景気もこういった企業姿勢の見直しにつながるのであれば歓迎だ。いいもんでしょ、ミニマリスムって。死して屍拾うものなし、でもあるんだけどねw

2008年12月16日火曜日

[一言居士] ご冗談でしょう、池田さん

ネタ元: [池田信夫 blog] ハンコ・元号・縦書きをやめよう
(私はヘタレなのでトラバはいたしません)

どう考えても釣りだとしか思えない。話の持って行き方から見ても、当たるを幸いに言い掛かりをつけているとしか考えられない。

確かにこれまでも2chやはてなに対する粘着ぶりから、氏の「坊主憎けりゃ」的スタンスは世に知られて来たし、それもまた氏の持つ味わいであると、私などは考えてきた。

本件に関しても、好意的に捉えるならば「たぶんタイトルが大雑把すぎるのだ」という見方もあるわけで、氏の言わんとするところは「公文書において」ハンコ・元号・縦書きをやめよう、というだけのことなのかもしれない。それならば同意出来る。

でももし本気でタイトル通りだとしたらかなり困った事だ。

縦書きについては、認知科学領域での議論にも見られるように、日本というシステムが長年育んできたリテラシーそのものに関わる問題を含んでいるし、そもそも「PCで見づらいから」というのは何の理由にもならない。いつまで現状のアーキテクチャにしがみついているつもりだ? 何故我々日本人の最大の資産である日本語を最大限に表現出来るアーキテクチャを作るという方向に思考が向かないのだ?

元号にしてもハンコにしても同様の問題が待ち構えている。「面倒だから」「意味が無いから」「過去の遺物だから」「邪魔だから」といった一見もっともらしい理由のもと、切り捨ててはならないものまで切り捨てた結果がどうなったか、知らない訳じゃなかろう。中共による簡体化促進・維新期の廃仏毀釈・戦後の漢字制限。枚挙にいとまがない。

過去とは捨てるべきものではなく、無かった事にするべきものでもない。粛々と保存し記憶するべきものだ。保存し記憶する事すら忘れてしまった文明の末路は不毛だ。ミューズ九女神の母はムネモシュネーであるということをお忘れか?

オッカムの剃刀は非常に便利だが、切り捨てられたものの屍累々たるありさまについても考慮しなきゃダメだろう。切り捨てるならば切り捨てるで構わないが、それを実行するのは代替品が十分に成熟してからだ。日本人はそういった成熟をじっくりと腰を据えて、それこそ数百年のオーダーでやってきたではないか。

まぁ、こんな事書くと「保守派」とか「旧守派」とか「文化をふりかざす輩」と呼ばれちゃう訳だが。

ということで、氏の卓見と玲瓏を愛するものの一人としては、今回のエントリから窺えるような氏の一側面はざっくり切り捨てられないものかと心底思った。「全肯定も全否定も大雑把過ぎ。別に完璧でなくたっていいじゃん」というのが持論の私ですら、今回ばかりはそう感じたのだ。

[Dion Almaer] シリコンバレーにもまだ男女差別主義者がいるのか? Marissa は誠実さというものを我々に示しているだけなのに


(原文: Still sexist in the valley? Marissa shows that to be true)

Valleywagが記事を書いている。彼女が「格下と結婚」するという記事だ。

なんでそんなことが言えるんだよ? Valleywagは結婚相手について、こんな事実無根の主張をしている「(彼の行っている業務は)富裕層向けアパートの購入/管理業務、そして彼が図々しくもPE業務と称するものだ(訳注: 日本ではハゲタカ・ファンドと目される事が多い)。"Montara Capital Partners" というのが彼の会社で、社名から彼はベンチャー投資家であると思われる。彼は弁護士でもあるのだが、弁護士と言えばシリコンバレーの社会階層で言えば最上段から数えて明らかに数段下にあるという類のものだ」

あまりにも不愉快な書き方だと思わないか? 母親は子供が弁護士になることを誇りに思わないものだと世間では認識されている、とでも言うつもりかよ :/

Valleywagは明らかに男女差別主義者だ。周りを見ても「とあるビジネスマンXが格下の相手と結婚した。なぜ格下かと言うと、財政状況がX氏ほどでないからだ」といった報道を目にした事があるか? ねぇよ。んなもん見たことねぇ。結婚相手が同業者であったり稼ぎが同等でないと格下だなんて誰も思わねぇよ。

生涯の伴侶を見つけるのは大変な事だ。もしMarissaが、マクドナルドでハンバーグをひっくり返すのが仕事という人と出会い相思相愛になったとしても私は二人を祝福するよ。この野郎うまいことやりやがったな、ともね。

彼は実にうまいことやってのけたと誰もが言わざるを得ない、それだけのことだ。魅力にあふれ・お金持ちで・力強い。頑張ってね御二人さん!

ちなみにMarissaに関してはこっちの記事を読む方がずっとマシだよ。


訳者コメント:
Marissa MayerはGoogleの検索・UX事業部長。CrunchBaseでの紹介はこちら。ご存知かとは思いますが、一応。

DionがValleywagの元記事へのリンクを張らなかったのは、Valleywag自体がNoScript(Firefoxプラグインのことね)でXSS警告が出るような代物だからだろう。いまのところ記事名の"Google exec Marissa Mayer engaged”でググればトップに出てくるので、対策済なかたはどうぞ。

Valleywagは、TechCrunchでマイクが書いたぶち切れ記事からも窺えるように、自らゴシップ紙を名乗り下衆っぷりをアピールしていた訳だが、先日活動停止の報があった。久々にメシウマな話だったのに、まだこんな記事を垂れ流しているわけだ。

[37signals] 引用: 製品の目指すところは

(原文: QUOTE: The goal with products is to give people)

製品の目指すところは素晴らしい物語、すなわち知人に話したくなるような物語を人々に提供することだ。そしてその物語はさらに他の知人へと伝えられていく。目新しさというものはこういった面から見て最も有効なものだ。知人にペプシについて語ろうと思うだろうか?ありえない。身近なものになってからもうだいぶ経つからだ。ダビデとゴリアテの物語におけるダビデのようになることが、こういった有効性につながるのだ。
Mark Hughes, 『Buzzmarketing』著者

2008年12月14日日曜日

[映画] 『カリガリ博士』の対訳

(原文: Das Kabinett des Doktor Caligari ( The Cabinet of Dr. Caligari ) (1919) )

[00'01"]
FILM RENTERS, INC.
Presents
"THE CABINET OF DR. CALIGARI"
Copyright MCMLII by
The Attorney General of the United States of America
Distributed by FAMOUS FILMS PRODUCTIONS, INC.

[00'15"]
THE CAST
Dr. Caligari --- WERNER KLAUS
The Somnambulist --- CONRAD VEIDT
The Girl --- LIL DAGOVER
The Student --- HANS FEHER
His Friend --- HANS V. TWARDOWSKY
出演
カリガリ博士 ——— ウェルナー・クラウス
夢遊病者(チェーザレ)——— コンラート・ファイト
少女(ジェイン)——— リル・ダゴファー
学生(フランシス)——— ハンス・フィハー
彼の友人(アラン)——— ハンス・フォン・ツワルドフスキ
[00'28"]
Scenario --- KARL MAYER and HANS JANOWITZ
Settings --- HERLTH & ROEHRIG
HERMANN d'WARMM
Photography --- KARL FREUND
Produced by ERICH POMMER
Directed by ROBERT WIENE
脚本 ——— カール・マイヤー、ハンス・ヤノヴィッツ
美術 ——— ハールス & レーリッヒ、へルマン・ド・ワルム
撮影 ——— カール・フロイント
製作 ——— エーリッヒ・ポンマー
監督 ——— ロベルト・ヴィーネ
[00'41"]
A TALE of the modern re-appearance of an 11th Century Myth involving the strange and mysterious influence of a mountebank monk over a somnambulist.
夢遊病者を操るいかさま修道士の奇怪にして神秘なる力についての、現代に蘇った11世紀の伝説にまつわる物語。
[01'13"]
Sprits surround us on every side --- they have driven me from hearth and home, from wife and child.
悪霊たちが我々を取り巻いています———彼らが私を追い立てたのです、家族の団らんや愛しの我が家、妻や子といったものから。
[01'49"]
My betrothed ...
僕の婚約者です。
[02'01"]
What she and I experienced is yet more remarkable than the story you have told me. I will tell you ...
彼女と僕が体験した事は、あなたが語ってくれた話よりさらに奇怪なものなのです。お話しいたしましょう ...
[02'14"]
In Holstenwall, where I was born ...
僕の生まれ故郷のホルシュテンウォールに ...
[02'28"]
... a traveling fair had arrivred.
... 移動遊園地がやってきました。
[02'46"]
With it, came a mountebank ...
とあるいかさま師も一緒に ...
[03'15"]
My friend, Alan ...
友人のアランが ...
[04'09"]
Come to the
HOLSTENWALL FAIR
WONDERS !
MARVELS !
MIRACLES !
SIDESHOW --- ALL NEW
ホルシュテンウォール遊園地へ来たれ
不思議!
驚異!
奇跡!
余興も一新せり
[04'28"]
Come, Francis --- let's go to the fair.
来いよフランシス———遊園地に行こうぜ
[04'56"]
The Town-Clerk is in a bad mood today.
今日の書記官殿はご機嫌斜めでいらっしゃる。
[05'08"]
Dr. Caligari
カリガリ博士
[05'21"]
Wait !
待ってろ!
[05'43"]
Sit Down fool !
座ってろ馬鹿野郎!
[06'08"]
I want a permit to operate my concession at the fair.
遊園地での私の出展に関して営業許可をいただきたいのですが。
[06'19"]
What kind of show is it ?
どんな見せ物なんだ?
[06'25"]
A somnambulist.
夢遊病者です。
[06'29"]
FAKIR !!
けっ、大道芸人か!!
[08'21"]
Step up ! Step up ! See the amazing CESARE, the SOMNAMBULIST !
ござっしゃれ!ござっしゃれ!驚異の夢遊病者チェーザレをご覧あれ!
[08'35"]
That night the first of a strange series of murders occured.
その夜が奇怪な連続殺人の始まりだった。
[08'53"]
... and the first victim was the Town-Clerk.
... 最初の犠牲者は書記官だった。
[09'38"]
Step up ! Step up ! Cesare who has slept for 25 years is about to wake. Don't miss this.
ござっしゃれ!ござっしゃれ!チェーザレが25年の眠りから、今まさに目覚めんとしておる。これを見逃す手はないぞよ。
[10'16"]
The cabinet of Dr. Carigari.
カリガリ博士の箱
[11'18"]
Wake up Cesare ! I, Caligari, your master, command you !
目覚めよチェーザレ! 汝の主人たる我、カリガリが命ずる!
[12'33"]
Ladies and gentlemen ! Cesare knows all secrets. Ask him to look into your future.
皆の衆!チェーザレは全てお見通しじゃ。未来について聞いてご覧じろ。
[13'02"]
How long shall I live ?
僕はどのくらい生きられる?
[13'13"]
The time is short. You die at dawn !
お前に残された時間は少ない。お前は夜明けに死ぬ!
[13'54"]
MURDER REWARD
殺人鬼には懸賞金がかけられた
[14'48"]
On the way home ...
帰り道でのこと ...
[15'07"]
Alan, we both love her, but no matter how she chooses, let us remain friends.
ねぇアラン、僕たち二人とも彼女のことを愛しているけど、たとえ彼女がどちらを選んだとしても、僕たちずっと友達でいようね。
[15'25"]
Night ...
その夜 ...
[16'10"]
Mr. Francis ! Mr. Francis ! Master Alan is dead --- murdered !
フランシスさん!フランシスさん!アランさまがおなくなりになりました———殺されたのです!
[17'11"]
The prophecy of somnambulist !
夢遊病者の予言が当たった!
[17'54"]
There is something frightful in our midst !
僕たちは何か恐ろしいことの渦中にある!
[20'17"]
Your suspicion of the somnambulist seems justified. I shall ask the police for permission to examine him.
君が夢遊病者を疑うのはもっともだ。彼を取り調べる許可をもらえるよう、警察に働きかけてあげよう。
[20'32"]
When the shadows lay darkest ...
影が闇に溶け込む頃 ...
[21'03"]
Help ! Help ! It is he ! The killer !
助けて!助けて!彼よ!殺人鬼よ!
[23'42"]
Wake him !
彼を起こすんだ!
[23'55"]
HOLSTENWALL MURDER CAUGHT
Attempts Third Killing
ホルシュテンウォールの殺人鬼逮捕さる
3度目の犯行を試みたものの未遂に終わる
[24'26"]
Anxious about the long absence of her father ...
父の帰宅が遅いので、何かあったのではと不安を感じている
[24'58"]
It's true that I tried to kill the old woman ...
俺があの婆さんを殺そうとしたというのは確かでさぁ ...
[25'11"]
... and I thought they would blame the mysterious murderer again ...
... 今回の殺人も例の奇妙な殺人鬼のせいにされるだろうと考えたんでさぁ ...
[25'18"]
.. but I swear I had nothing to do with the two other murders, so help me God.
... でも、他の2件に関しては神に誓って無関係なんでさぁ。ですから、神様、お助けくだせぇ。
[26'18"]
I thought I might find my father, Dr. Olsen, here ...
こちらに父がお伺いしているかと存じまして、オルセン博士なのですが ...
[26'29"]
Oh yes --- the doctor. Won't you come in and wait for him ?
ああ、そうそう———博士のことですな。よろしければ中に入ってお待ちになっては?
[27'45"]
After the funeral ...
葬儀の後 ...
[28'04"]
Night again ...
再び夜がきた ...
[32'36"]
CESARE !
犯人はチェーザレよ!
[32'50"]
It can't have been Cesare. I've been watching him for hours, asleep in his box.
チェーザレであるわけがない。僕は何時間も、彼が箱の中で眠っているのをずっと見ていたんだ。
[33'43"]
Is the prisoner safe in his cell ?
囚人は独房で大人しくしていますか?
[33'57"]
I hope so. Let me see him.
そうであればいいのですが。彼の様子を見せてください。
[34'49"]
He must not be disturbed !
彼を目覚めさせてはならぬのじゃ!
[36'20"]
Have you a patient named Caligari ?
カリガリという名の患者はおりませんか?
[36'48"]
Only the head of institute can divulge the identity of our patients. Would you care to see him ?
所長の許可無しに患者の身元に関して外部の方に明かす事は出来ません。よろしければ所長にお会いになりますか?
[37'48"]
But ... HE is Caligari !
まさか...彼こそがカリガリです!
[38'02"]
While Caligari slept ...
カリガリの就寝中 ...
[38'45"]
Somnambuli---
A Collection from Upsala University (*1)
Published in the year 1156
夢遊病者
ウプサラ大学からの収蔵品
1156年出版
[38'53"]
This has always been his special study.
これは彼がずっと行ってきた特別研究です。
[39'16"]
In the year 1093, monk named Caligari visited the small town of northern Italy traveling around with his somnambuilist named Cesare, whom he carried in a rough wooden case (*2)
1093年、カリガリという名の修道僧が、粗末な木の箱に入れられたチェーザレという名の夢遊病者とともにイタリア北部の小さな街を巡り歩いていた
[39'45"]
He ordered his somnambulist, whom he had completely forced into his power to carry out his adventurou plans. For months he caused in town after town great panic by repeated occurences of murder committed always under the same circumstances.
彼は、彼の大胆不敵なる計画を実行する為に完全に支配下に置いた夢遊病者に対し、命令を下した。彼は何ヶ月にもわたり、常に同じ状況のもとで起こる殺人事件を何度も引き起こし、街という街全てを大きなパニックに陥れた。
[40'14"]
Case Histories and Notes
既往歴および臨床記録
[40'26"]
March 12th
A somnambulist was admitted to the asylum this morning. At last --- !
3月12日
今朝、例の夢遊病者の施設収容が許可された。遂にこの日が来たのだ ——— !
[41'49"]
Now nothing stands in the way of my long cherished ambition. At last I can put the Caligari theory to the test --- I now shall soon know of this patient can be compelled to perform deeds he would shrink from in his normal waking state. Can he be made to commit murder ? (*3)
もはや余が長きにわたって心中に秘め続けた野望を阻むものは何も無い。遂にカリガリの理論を試すことが出来るのだ。この患者に対し、平常の目覚めた状態では尻込みするようなことを実行するよう、余の命令に服従させる事が可能であるかどうかが間もなくわかる。彼に殺人を犯させる事は可能であろうか?
[42'24"]
Temptation
誘惑
[42'47"]
I must know --- I will become Caligari !
私は知らねばならぬ———私はカリガリになるのだ!
[43'08"]
(カリガリになるのだ!という強迫観念を示すかのように CALIGARI の文字が画面に表示され始め、次第に画面を覆う)

[44'00"]
The sleeper has been found dead in the ravine.
例の夢遊病者が谷あいで死んでいるのが発見されました。
[45'03"]
The circle is closing in --- DOCTOR CALIGARI !
年貢の納め時ですな———カリガリ博士!
[47'08"]
Today he is a raving madman chained to his cell.
現在、彼は独房に拘束され、わけのわからないことをまくしたてる気違いになっています
[48'09"]
See, there is Cesare. If you let him prophesy for you, you will die !
ご覧なさい、チェーザレがいます。彼にあなたのことを予言させた日にゃ、お陀仏間違い無しです!
[48'44"]
Jane, I love you --- when will you marry me ?
愛しているよジェイン———いつになったら僕と結婚してくれるんだい?
[48'55"]
We who are of royal blood may not follow the wishes of our hearts.
高貴な血統を持つ者は、心の欲するところに従う事は許されないのよ。
[49'32"]
You fools, this man is plotting our doom ! We die at dawn !
馬鹿め、この男は僕たちを死に追いやろうと企んでいるのだ!夜明けに僕たちは死ぬのだ!
[49'42"]
He is Caligari !
彼はカリガリだ!
[50'34"]
At last I recognise his mania. He believes me to be the mythical Caligari. Astonishing ! But I think I know how to cure him now.
遂に彼の躁鬱病の正体がわかった。彼は私の事を伝説のカリガリだと信じ込んでいるのだ。驚くべき事だ!だがこれでもう彼の治療法は判った。
[50'56"]
THE END
A FAMOUS FILM PRODUCTIONS, INC.


*1: 文字が判読不能だったのでUpsala Universityと推測した。なお、スウェーデンのウプサラ大学の正しい綴りはUppsalaである。また、埼玉大学の八木氏によると、この部分は Uppmals となっている
*2: 最下行は判読不能
*3: この手書き部分についても何点か判読不能な部分があり、推測で補った。正確な文面についての情報がありましたら御教示いただきたく、よろしくお願いいたします。

2008年12月12日金曜日

[一言居士] ご冗談でしょう、ノーベルさん

本件はMacユーザ限定ネタなのだが、とりあえずこちらのサイトに行ってみて欲しい。ノーベル財団のホームページにアップされた、物理学賞受賞者である益川敏英氏の受賞記念講演動画だ。

益川敏英氏の Nobel Lecture

そうなのだ。基本的にMacユーザは無視なのだ。WindowsMediaPlayerもしくはbadwareとの呼び名も高きRalPlayerでないと見れないのだ。ちなみに私の環境ではWindows Mediaの方をクリックするとFlip4MacのFirefoxプラグインが起動するのだが、UIが化けてしまい再生出来なかった。

「せめてFlashにしてくれよ」と文句たれそうになったが「もしかしたら気を利かせてようつべに上げてくれたのかな?」と思い検索してみたが、どうやら、無い。

うむ。そういうことですか。前から怪しいとは思ってましたが。そういうことですか。うむ。こういうことやってると「所詮は人殺しとその一味が道楽でやってるだけってことかよ!」とか言いがかりつけちゃうよオレw

ちなみにWeb上では "masukawa" でなく "maskawa" で認識されているようで、ヒット件数が一桁ちがう。表音文字圏と表意文字圏の壁がこんなところにも!ってのは言い過ぎかねw。でもSEO/SEM的にはネタになりそうだな。

2009/06/03 追記:
いま行ってみたら、Flashベースのプレイヤーに置き換わっていました。最初からそうしてくださいよー、お願いしますよー

[37signals] 美しくデザインされたもの: Olivetti社 Lettera 22

(原文: Beautifully designed: The Olivetti Lettera 22

最近、ここシカゴでお宝を手に入れました。Post 27に出品されていた新品同様のOlivetti社 Lettera 22です。これがですね、畏敬の念を胸に毎日しげしげと眺め回さずにはいられない逸品なのです。

持ち運び出来るタイプライタの典型として作られたこの品は、堅牢かつ軽量な鋼で作られ、ミニマルかつシンプルなデザインになっています。キー下部には、重りや金属板といった追加物はひとつも無く、あるのは空気だけ。タイプライターが入ったケースさえもが一切無駄な場所を取らず、底部は平らでタイプライタ底部と水平に合わさっており、蓋部はタイプライタとぴったりな位置にチャックが付いています。

このタイプライタは私に、80年代に祖母が使っていた電子式タイプライタのことを思い起こさせました。大きくかさばっているために机の半分を占拠していた、1トンはありそうに見えたタイプライタの事を。もちろん、役には立ったんでしょう。修正液で固まってしまったバックスペースキーとかがあったにせよね。でも、それらのうち本当に必要なものがどれだけあったでしょうか?行末を知らせるベル・笛や電子式修正液は創作心を台無しにするだけのものであり、最もシンプルでエレガントな解決法たりえないものなのです。

(訳注: Lettera 22の画像がいくつか紹介されています。原文の方でご覧ください)

[37signals] 最後にビジネスプランについて考えたのはいつ?

(原文: When was the last time you looked at your business plan?

ビジネス運営において成功している人と話し、こう尋ねるとする「最後にビジネスプランについて考えたのはいつ?」まず間違いなく彼らはきょとんとするだろう。

『3つのスタートアップ企業と、その一年』[NY Times]は、設立当初のビジネスプランが現実に直面するといかに無意味になってしまうかという点についての具体例である。

Tina Ericsonは先日、ノースカロライナ州ウィルミントンにあるオンラインのTシャツ販売店、Mamaisms Gearを閉店した。会社運営に関わる重圧に押しつぶされてしまったのだ。「初年度に10万ドルの収入を得るプランについて議論したのがまるで昨日のことのように思える」とEricsonさんは言う。「代償は高く付きました...」

彼女は「めそめそするな」に似た「ママのお小言」というスローガンをかかげることで同社のTシャツその他の製品を広くアピール出来るとの意図のもと、2008年の売り上げを10万ドルと見越していた。彼女はまた、女性向けWebサイトを作ることと、金融サービスに関するコンサルティング会社を始めることを企画していたと話した...

しかし6月には経済成長鈍化の影響を受け、3社のオーナーはともに事業拡大の規模を縮小してしまった。EricsonさんはTシャツを小売店に売り込む事に専念するため、インターネット上に女性向けコミュニティを作り出す事とコンサルティング会社を始める事については断念した。

紹介されている他の2社は現在も存続しているものの、ほぼ完全に設立当初のプランを見直している。会社が集中すべきこと・サービス内容・給料・提携関係といったものを変えたのだ。

もちろん不景気のせいにしても良いだろう。だが、こういったことは、物事が上手く運んでいる時においても、同じくらい的を射たものだ。軍事と同様、ビジネスというものも常に現実に即して方向修正しなければならない。もしこれらの企業の将来予測が1年をはるかに越える長期のものだとしたら、彼らの3年先(もしくは5年先)の予測が以下に無意味であるかわかるだろう。

このことはこんな疑問につながる「ビジネスプランというものが、明らかに現実に即していない夢物語になってしまっているとしたら、その主眼は何であろうか?もしこれらの予測が空疎な状況判断からもたらされたものだとしたら、そんなものに配慮する必要はあるのだろうか?」希望的観測というものは、どうみても真に利益をもたらすものではない。

どうやら大半の人々にとって、ビジネスプランを書く理由は、書かなければならないものと思い込んでいるからにすぎないようだ。彼らはビジネスプランというものが、「現実的な」ビジネスを進め、うまく事を運ぶのに必要なものだと教えられてきた。そして現実に直面すると、そういったものは雲散霧消してしまうのだ。

もちろん将来について考慮する事が助けになることもある。が、それをわかりやすく書いたり網羅的に書いたりするのは馬鹿げている。実際に着手するまでは、自分が何をすればいいのか皆目検討もつかないというのが本当のところなのだ。

2008年12月9日火曜日

[37signals] 何故ちゃちなスピーカーでミキシングすべきなのか

(原文: Why you should mix records on crap speakers



Highriseの顧客でもある録音プロデューサーのBill Moriarty(ケーススタディはこちら)が、他のプロデューサー達に向けて、ブログの『ちゃちなスピーカーでミキシングせよ』という記事で興味深いアドバイスを提供してくれた。

「最適化された録音システム上でしか作業を行わないのは、ケツの青いプロデューサーってもんだ」- Brian Eno

諸君の作ったレコードを買う人々が、普通のステレオ・大型ラジカセ・カーステレオ・iPodといったものより良い機材を所有しているというのはまずありえない。もし彼らがスタジオモニター用スピーカーを持っているかどうか賭けをするとしたら、私なら持っていないという方に賭けるね。

レコーディングとミキシングの際、専らスタジオモニターで作業を行うというのは馬鹿げている。ギターの最低音まで全部聴けないとダメだって?。そんなものは小さなスピーカーでは無意味だ。スタジオモニターというのは、ベース・ドラム・オルガン・中音域の楽器等が占める周波数領域を付加するためのものなんだよ。諸君のレコードをあらゆるスピーカーでガンガン鳴り響かせるためには、不要な周波数領域というものは断固として取り去られなければならない。大半の人が音楽を聴くのに使っているのはちゃちいスピーカーなのだから、そんなスピーカーでもはっきりと聴こえるようにすることだね。後でわかったんだが、こうすることによって、より良いスピーカーで再生した場合でも、同様によく鳴るものなんだ。
いいねぇ。道具なんて問題じゃないってことだ。実際のところ道具というものは、専念すべき作業の本質から注意を逸らさせてしまうことがある。今やっている事について、むき出しの本質が出てくるまで諸事をはぎ取り、それらについて吟味してみることだね。それが上手く行けば、よく鳴るようになったり成長が始まったりといったあらゆる結果をもたらしてくれるだろう。(Webデザインにおいても、使用帯域幅とそれに基づく速度・画面サイズといった点において、このことは間違いなく当てはまる)

2008年12月8日月曜日

[37signals] 伝説の鯨

(原文: A whale of a tale

週末にお隣さんの家を訪問した。彼は私の両親と同年代(いわゆる中年)なのだが、誰もが認める脱線王、つまり話をどんどん膨らませる人なのだ。どんな問いを投げかけても、彼はあらゆる手練手管を用いて5〜10分くらいの法螺話を仕立て上げるのだ。その法螺話がもし素晴らしいものでなかったとしたら、迷惑千万といったところだろう。

彼のもとを訪れたのは、彼の苗字の正しい発音を聞きたかったからなのだが、この苗字というのがまた実にユニークなものだった。彼は私の質問にあっさりと一言だけ答え、その後こんな由来を語ってくれた。

彼のあだ名は、周知の事なんだが、Portuguese(ポルトガル人)だ。彼の父方の曾祖父はアゾレス諸島からニューイングランドへやってきた移民で、移住後に捕鯨を始めた。(お隣さんは、当時、捕鯨は完全に合法なものとされており、いかに多くの人が家の灯りとして用いるために鯨から取れる油を必要としていたかについて、脱線王の名に恥じぬ抜け目の無さを以て指摘した。脱線に次ぐ脱線といったところだね!彼がこの手のすべに長けていることはこれでおわかりだろう)

彼の曾祖父は銛打ちとして乗船していた。ある日のこと、セミクジラ(この鯨は彼の話によると、その名(訳注: right whale)の通り、まさに"right"、つまり「当たり」な鯨なのだそうだ。セミクジラからは莫大な量の油が採れるからだ)漁を終えた時に、ある一頭の鯨を見出し、それを打つために船を進めた。その鯨がセミクジラでなく大きなマッコウクジラであることに気付いて彼らは愕然とした。というのも、その大きなマッコウクジラがものすごい速さで彼らのボートを引きずっていたからだ。その鯨はボートを沖あいにまで引きずり回した後、海に潜って銛綱を引きちぎり、それからボートの真下から飛び上がって真っ二つにし、その巨身を宙に躍らせた。(誰がどう見ても『白鯨』だよね?)

このボートは14フィートほどの長さの櫂を備えた大きめのものだったが、彼の曾祖父はこの櫂のうちの一本に縋り付いて三日半にわたって漂流した後、とある無人島(これ重要ね)に流れ着いたのだった。捜索隊が彼を見つけ出し救助するに至るまでの更なる数日間を、彼は口に出来そうなものなら何でも食べて生き延びたのだった。

苗字の正しい発音を聞いただけなのに、返ってきた話はこのありさまなんだ!

家族にまつわる言い伝えというものの大半がそうであるように、私はこの話にも少なからぬ誇張があり、あやしいもんだと話半分で受け取った。でも実は、私はこんな感じの、家族の歴史に関する話を聞くのが好きなのだ。本を読んで歴史を知るという手もあるが、数世代にわたって家族の間で語り継がれてきた話を聞くという手もあるのだ。どういうわけか、こっちのほうが生き生きとしている。

みんなの家族にはどんな言い伝えが残されているのかな?(全然知らないということであれば、両親かじいちゃんばあちゃんに聞いてみるといいよ。存命中であればだけどね。どんな話を彼らが共通して知っているかを目の当たりにしたら、君はびっくりするだろうね)

[一言居士] 寒い寒いと言ってても暖かくはならないよ

もういい加減、不景気不景気とアホのように繰り言するのはやめてくれないかな。

不景気、大いに結構じゃないですか。不景気により無駄が排除され、生活が、そして社会がよりシンプルになるという期待感を持っているのは私だけですか? そんな無駄のひとつがオレだという可能性も含めて、ワクワクしてるんですがね。

不景気で車が売れない? 結構な事じゃないですか。車なんてもともと一般人にとって必需品じゃないでしょ。物流分野や車以外の交通手段に乏しい地方に暮らす人等、車を必需とする人々が買えば良いだけのものです。二酸化炭素排出量や交通事故の減少等にとどまらず、我々の社会から不要な車が減るという事は色々な意味でポジティブな影響をもたらすと思いますよ。

新聞・雑誌が売れなくなる? あぁ、君たちもう要らないからw。フローとしてもストックとしても、グローバルとしてもローカルとしても、ソーシャルとしてもパーソナルとしても中途半端なメディアはどんどん潰れていただきましょう。社会が必要とする、真に優れたアーチスト・エディタ・ジャーナリストはどんなメディアであっても自分の居場所をきちんと作りますから、系列がひとつやふたつ(あるいは全部?)潰れたところで屁でもないんじゃないでしょうか。

福祉が削られる? 仕方ないでしょうね。どうやら国の方針は「金づる以外はどんどん死んでください」ですから。たぶん政権交代程度ではこの方針は変わらないでしょう。それに、郵政民営化をはじめとする「小さな政府」なるものへの流れを是とした国民がいまさら言う台詞じゃないでしょ。

まぁ「オッカムの剃刀」が複雑性の過剰を戒めているように、不足というもの、言い換えればシンプル性の過剰というものもまた戒められなければならないということは了解しています。ただ、針が複雑性の過剰の方に振れすぎた現在、ある程度の揺り戻しは必要でしょう。不景気というものがこういった揺り戻しとして作用してくれると、私は期待しているんです。

2008年12月6日土曜日

[一言居士] コンピュータと「空」

私が「コンピュータとは何か?」について定義するとしたら、松岡先生が言うところの「空(うつ、うつろ、うつろひ、うつつ)」の概念が一番しっくり来る。それ自体は銅鐸のように空っぽで虚しいハードウェアなのだが、ソフトウェアが「おとづれ」ることによって始めて息づき始めるという意味でだ。コンピュータは銅鐸のような呪具すなわち「工」の現在形なのだろう。

コンピュータにおける「おとづれ」のありようは、まさに文字通りのコーディング、すなわち結線(ムスビが発生している!)によるロジック構築に始まり、時を経てアセンブル・コンパイルへと進み、そのメディアも物理媒体によるインストールからダウンロードそしてクラウドに至っている。Microsoftはクラウド への取り組みに関しAzure(蒼天・天空)を発表したが、その中味と将来性は置くとして、その名前の意図するところは深遠にして示唆に富んだものになっているわけだ。深読みし過ぎかなw

「色即是空」にも見て取れるように「空」はコンピュータの定義というよりは、もともと人間の定義に用いられて来た。なぜコンピュータの定義にもなりえるのだろう? それは多分、コンピュータは(というより、おそらく人の作りしものはみな)人の子であるからなのだ。ココネさんはそれに気付いたし、アルファさんも「知ってるよ〜」と寝言で(これ重要)答えていた。

たぶん、この事に気がつかないと、人とコンピュータの関係はいつまでたっても改善されない。人とコンピュータの関係が主従関係からパートナーシップへと変わるのがいつのことか、私にはわからない。だが、確実に言えるのは「人間に奉仕するものとしてのコンピュータ」という人間中心の捉え方では限界があるという事だ。今後は(今後も?)「コンピュータに好かれる」術(すべ)を身につけた人間だけが、コンピュータといい関係になれるのだろう。

「コンピュータに好かれる」術とは、従来はプログラミング能力のことを意味してきたが、ソフトウェアの層が厚くなってきたこんにちでは、プログラミング能力に留まらず「コンピュータに好かれる」術が色々と存在する。表記ゆらぎの正規化や手書き認識における筆順の遵守などもそれにあたるだろう。配慮・思いやり・信頼関係というものは、人間とつきあう場合もコンピュータとつきあう場合も、同じくらい重要になってきたのだ。

付喪神はそんな「人とモノのつながり」を良きに付け悪しきに付け背景として持っているものが多い。巫術という観点では、たとえば豢竜氏は人と竜の相互信頼関係があって始めて成り立つ職掌である。符術もまたスクリプティングという観点から捉える事が出来よう。そういう意味で、やはりコンピュータもまた呪具なのである。「工」なのである。

なお、白川先生が常用字解に記すところでは、空は穴に声符の工を付けた形声字であり、この工は「虹(にじ・コウ)のような弓なりに曲がった形」を意味するとのことで、呪具の「工」そのものではない。工を声符に持つ虹は、虹のような形としての工となって空にまた現れてきたわけだ。そういう意味では「空」の持つ字義、すなわち「うつ、うつろ」まで遡らないと「コンピュータ=空」という私の論は成り立たないという事を付記しておく。

2008年12月5日金曜日

[37signals] ビッグスリーのこと: まずは販売店をきれいにせよ

(原文: Big Three: Clean up your dealerships

みんなと同様、私も自動車産業ビッグスリーの抱える問題について目を通している。多くの再生案が飛び交っている。燃費の向上、デザインの刷新、車種の削減、経営陣の刷新、合併、潰しちまえ、などなど。

これら提案された解決案のうちのいくつかは良い影響を与えるかもしれないが、私としてはむしろ、あまり議論されている様子が見られないちょっとした点について述べたい。自動車販売店において車を購入した際に私が体験した事についてだ。

Webの世界では顧客体験に関する多くの議論がなされている。それは使いやすさと利便性に関する議論であるが、議論は結局のところ、顧客体験全般についてあてはまるポイントに帰結するようだ。「ブラウジングしたり調査を行ったりサイトで何か買う際にどんな印象をあたえるだろうか?」とか「体験したことについて顧客はどう感じただろう?」といったポイントに。

販売店について

私はクルマ好きだ。ここ数年でたぶん15件くらいの販売店に足を運んでいる。多くのクルマをチェックし試乗してきた。ドイツ製も、日本製も、イギリス製も、スウェーデン製も、アメリカ製も。顧客体験について考える際のネタとなりそうな多くの顧客体験を積んできたのだ。

例外無く言える事だが、顧客体験という点においてアメリカ製自動車の販売店は最低だ。小汚く、机の上はごちゃつき、装飾品は古臭い。販売店そのものが中古車のような雰囲気なのだ。商談のやり方は押し付けがましく、販売員はクルマに関する興味も知識も欠如している、ということにも私は気付いた。

直接の関係は無いのだが、的を射た例をあげておこう。最近Audiの販売店に行った事はあるかな? 美しいのだこれが。モダンで、風通しが良く、清潔で、友好的で、自然光にあふれ、木の床は明るく、見て回れるショールームがいっぱいある。そのうちでいいからAudiの販売店に行ってみて、それから地元のCadillac販売店に足を伸ばしてごらんよ。

市場にて

最近、オフロード向けのトラック/SUV(スポーツ多目的車)を見に、市場へ足を運んだ。私が合格点をつけたのはToyotaのFJ CruiserHondaのRidgelineJeepのWrangle。結局、目的と用途に一番ぴったりなWranglerを買う事にしたのだが、その時の販売店での体験について話をさせて欲しい。

まずJeepの販売店に足を運んだ。結局のところ2店、全く別の販売店に足を運ぶはめになった。2店ともにエンジンのオプションについて私に誤った情報を伝えた。馬力といった類の基本的な点についてだ。販売員のデスクに向かい椅子に腰かけたのだが、その机はごちゃつき、整理整頓されておらず、書類や付箋紙や引き裂かれた紙が地層のように重なっていた。天井は低く、照明はひどく人工的な冷たいものに感じられた。全てのものが古びており、そのうちのいくつかは完全に放置されていた。ビジネス向けの快適なセッティングとはお世辞にも言えない。

Toyota販売店はモダンで、活気があり、きれいだった。販売員は、彼らのプレゼンを思い起こせばわかるように、服装を統一していた。内装は配慮が行き届いた快適なものだった(レンガ舗装の床、むき出しになった木の梁、等)。顧客を歓迎する心に満ちた明るい空間がそこにはあった。Jeepの販売店とはうってかわって、Toyotaの販売店は私に窮屈さを感じさせる事は皆無だった。Jeepの販売店では、クルマを良く見ずに決めろとでも言うかのように室内にクルマが何台も押し込められていた。Toyotaの販売店ではぶらつきながらクルマの品定めが出来るようショールームが準備されていた。Toyotaの販売員そのものはJeepよりちょっとマシかなという程度だったが、少なくとも彼らの机はきれいで、誰に見せても恥ずかしくないものだった。

Hondaの販売店にも2店行ってみた。ともに積極性に富み、若々しさを感じさせた。活気があった。そこにクルマを見に来る人は、Hondaのクルマが見たいからこそ、そこに来ているのだ。販売員はHonda車を売る事に意欲を燃やしているというのが私にはわかった。販売員は生き生きとし、かつ熱心であったが、押し付けがましくなる事はなかった。Toyotaの販売店と同様、ショールームの天上は高く、開放的で風通しの良いものだった。大きな窓から充分に自然光が差し込んでいた。商談にあたっても、急き立てられる感じは全くなかった。現場で応対してくれた販売員にはさしたる印象は持てなかったが、彼らはちゃんと私に正しい情報を提供してくれた。

結局私はFordの販売店で中古のWranglerを購入した。セールスマンは良い人で、私の特注にもわざわざ足を伸ばして対応してくれたのだが、彼の机はごちゃついており、販売店の壁はここ10年というもの清掃やペンキの塗り直しが行われていないように見えた。味気ない灰色の12x12インチタイル貼りの床はひどくへたっており、新装当時のそれとはおそらく比べ物にならない状態だった。全てが二流であると感じさせた。

これが問題なのだ

もちろん人それぞれに体験は異なってくるだろう。完全なフランチャイズではない販売店もいくつかはあるだろう。しかし、ブランド間の差ははっきりしている。ToyotaとHondaには配慮というものが感じられる。それはデザインの中にも見て取れる。一方、JeepとFordの販売店は、もともと商用目的で作られたものでは無いんじゃなかろうか?という印象すら与える。私の行った事があるオフィスビル全てについて言える事かもしれないが、印象に残るものが皆無なのだ。入り口に立ち、見て回り、情報を入手し、実際に椅子に腰掛けて購入を考える、といった顧客体験全般についてだれも考慮していないように感じた。

これが問題なのだ。これは大きな影響をおよぼす。特に、競争の激しいビジネスにおいて。アメリカ車の販売店は古臭く、日本車のそれは若々しい。アメリカ車の販売店は小汚く、日本車のそれはきれいだ。アメリカ車の販売店は暗く陰気で、日本車のそれは明るく(ほとんどが自然光によるもの)風通しが良い。こういった、顧客が購入行動を行う場の状態が問題なのだ。食品を買う場合も、電化製品を買う場合も、衣類を買う場合も、そして車を買う場合もこういったことが問題になるのだ。

ビッグスリーが製品に関してしなければならないことは山積みだが、同様に、ショールームに関してもしなければならないことが山積みだ。せっかく製品を改善しても、ぼろぼろの店舗に置くというのでは問題の解決にはつながらないだろう。

2008年12月3日水曜日

[37signals] 『他に比べてAppleのインタフェースが優れている理由』からの引用

(原文: QUOTE: Rather than survey a bunch of users on every ...

Macの開発チームは、意思決定をユーザ調査に基づいて行うのではなく、最もユーザを楽しませ喜ばせる選択肢を常に目指しつつ、彼ら自身の判断に基づいて行った。そんな姿勢がMacに個性というものを吹き込んだのだ。

『他に比べてAppleのインタフェースが優れている理由』からの引用。良いユーザインタフェースと「楽しさ」を結びつけたNickの考え方は素晴らしい。ユーザビリティを論じる場で「楽しさ」という観点から語られることはあまり無いし、実は私も「楽しさ」についてはiPhoneでSporeをプレイしてみた時から考えていたからだ。2D Boyのおふたりさんもこの点については多少ながらも気付いているようだ。彼らの作ったWorld of Gooというゲームでマウスを動かしてみるだけで、それがよくわかる。マウスの移動速度や慣性の法則に従って、ぐにゃぐにゃした生き物のようなカーソルがびよーんと伸びたりぺちゃっと潰れたりする。ゲームデザインの詳細に関する良く出来た分析記事であるDavid Rosenによるゲーム紹介を見てみてほしい。

このTechRadarの記事からおいしいところをもうひとつ引用しておこう。「苦痛を伴わないという事と楽しいという事は同義ではない」。言い換えれば、複雑性を取り去るだけでは不十分だということだ。楽しいものにするためには、苦痛を伴うものを含んだ混合物を包み込む、薬の糖衣のようなものが必要なのだ。

2008年12月2日火曜日

[37signals] 世界に影響を与えるんだ

(原文: Put a dent in the universe

真に感動的な作品に出会ったら、それにより変化した自分というものを認識しなきゃならない。自分が世界に良い影響を与える存在であるという事を認識しなきゃならない。自分が世界に良い影響を与える存在の一部であることを、そしてそこで自分の果たす役割の重要性を認識しなきゃならない。

でかいことをやれと言うわけじゃない。がんの治療法を探せとかいうわけじゃないんだ。ご近所のカフェに勤める、地元のアーチストに受けのいいウェイトレスさんとかでも出来そうな事なんだ。重要なのは、君がそれを辞めたら苦労は水の泡になり、お客さんもがっかりするということなんだ。

もし君に目的意識が欠けているならば、仕事の喜びというものはそのうち薄れ、結局は虚しい思いを味わうことになる。私はそんな思いを一度ならず味わった。たとえツールやテクノロジや同僚とともに楽しく仕事をしていたとしても、最後までやり遂げさえすればその道のりも正当化されるというわけじゃ無いんだ。

出来る事と言えば、情熱が薄れ始める前に、状況の陰にずっと隠れ潜んでガクブルする事ぐらいだ。「でも、すごく儲かるんだ」とか「少なくとも、誰よりも早く仕事を片付けているよ」とか「こうして私はRuby on Railsを使うようになったんだ」とか言った言い訳を、プレイリストが頭に戻って同じ言い訳を繰り返し始めるまで続ける事ぐらいだ。

時間には限りがあるという事を忘れないでほしい。自分がもうすでにガス欠になっていて惰性で生きているだけなんだということに気付く頃には、自分を見つめ返す鏡に映った自分自身の青白い顔は正視に耐えないものになっていることだろう。

私には忘れられないのだ。ずっと前、朝起きて鏡を見た時の自分のそんな顔を。そして「この6ヶ月、俺がいてもいなくても世界には何の影響も無かったんだろうな」と思った事を。後悔の念に打ちのめされたよ。

でもまぁ、そう捨てたもんでもないんだ。思い立ったが吉日とも言うしね。居心地のいい職場も手に馴染んだツールも、仕事を進めるにあたって関係が無いのだとしたら投げ捨てたってかまわない。君もそうしなよ。

[Dion Almaer] アプリケーション実行における信任のありかた; Webアプリケーションでサンドボックスの関門を越える

(原文: Application trust models; Expanding Web applications out of the sandbox



数年前にWeb開発者達は、ちらっとしか見れなかったのが残念だけど、あの美しい冬景色を称賛したんだった。あれは、我々のうちのベストメンバーが、Ajaxを手に入れる前の先史時代の日々から我々を抜け出させるために作業を行った時のことだった。



希望に満ちた年月は矢の如く過ぎ、我々はWebプラットフォームの爆発的増大を目にする事になった。作業領域はWebにとどまらずモバイルへと拡大し、今やデスクトップアプリケーションの領域に及んでる。

Prism、Fluid、Gears、AIRといったテクノロジの登場により、我々はデスクトップアプリケーション作成のためにWeb関連スキルを利用するようになった。数多あるゲームをプレイしてみて、ちゃんとしたWeb対戦型ゲームをネイティブアプリケーションの形で書く人がどの程度の数であるかを認識すれば、Webというものがブラウザという枠をはるかに越えて今や最も優勢なアプリケーションプラットフォームになったということがわかる。

でもその一方で、Webサンドボックス(訳注:アプリケーションを特定の範囲内のみに限定して動作させるセキュリティモデル)の関門を破るにはどうすればいいんだろう? 我々はアプリケーション作成において大量の「セキュリティのため」と称する関門(このことはCrockford(訳注:たぶんDouglas Crockfordのこと)には言わないでね)を否応無しに押し付けられ、それを打ち破れずにいる。

問題は、何か良い手を思いつかない限り「詰まらん事に関してユーザにいちいち確認を求めるなんていうやり方は私には出来ないよ。だから、ネイティブアプリを書けばいいじゃん、と考えたんだ」という結論にいつもなってしまうということなんだ。

もちろんこのやり方であっても現実にはユーザの生活におけるセキュリティ向上の助けになる訳じゃない。というよりむしろネイティブアプリでも「はい。私はそれがインターネットからダウンロードされたものだということを認識してます」という例のダイアログのOKボタンを押すのと同等のことをしなければならなくなるんだ!

それは置いといて、私はどれくらいの人が
 a) Webから何かをダウンロードし
 b) 実行し
 c) 例のダイアログを目にし
 d「おいおいOKじゃだめだろ」と言う
のか知りたい。どっちに賭ければいいかは先刻承知さ ;)

現状のWebサンドボックスにある弱点を取り除き、より強固なものにするって言ったら君はどう思う? 実行中の事に関して割り込みをかけられるようなプラットフォームがあって、アプリケーションが何をしているかを正確に伝えるなんらかの尺度があったらなと考えてみてほしいんだ。Chromeではこの点に関して、タブのメモリ使用量を表示するという、ちょっとした手を打ってる。これは偉大なる一歩だ。さらに進めてiStatMenuをブラウザのどこかに表示するというのはどうだろう。



これなら全てのブラウザベースアプリケーションに関して、メモリ使用量だけではなく、アプリケーション起動状況、ネットワーク利用状況、ローカルDB利用状況、ファイルシステム利用状況さえも見る事が出来る。「このアプリケーションに実行を許可しますか」と聞く代わりに、より詳細な問いかけをユーザに対して行う事も可能だし、ユーザが何に関してOKと言ったのか忘れてしまったとしても、現状に関する詳細なフィードバックを示す事が可能だ。

アプリケーションデバッグを進める際に有用な、ヒープ(訳注:個々のアプリケーションに割り当てられたメモリ領域)利用状況のビジュアル表示も付いたパワーユーザモードというのもアリだ。詳細なネットワーク通信状況の表示、その他もろもろ。

もちろん一番良いのは、こういった表示がさりげないユーザインタフェースによって行われる事だ。Google検索における「現在地の近くのものを探す」チェックボックスがわかりやすい例として挙げられる。

確かに微妙な問題ではあるけど、私はWebテクノロジーはより広範に拡大するべきだし、この問題については切り抜けなきゃならないと信じてる。みんなはどう思う?

2008年11月30日日曜日

[一言居士] やめとけ。諸君のやろうとしているのは漢字の再発明だ。

元ネタ: Google Japan Blog: 絵文字のユニコード符号化: 符号化提案用のオープンソースデータ

一言で言うと「つまんねぇことすんな」

理由はとりあえず4点

(1)標準化など不要だから

標準化というものを全否定するつもりはない。アドホックな標準化作業の積み重ねでしか達成し得ない事もあるというのは理解している。だが「どっからどうみても売れそうに無い製品を作らなければならなくなったエンジニアの悲哀」と同じ臭いを、俺はUnicodeに感じている。UTF8などの成果物を常用しつつも、その根底にあるのがいかにも中途半端なコード表でしかないということを意識してしまうと慄然とせざるをえないのだ。

そもそもUnicodeコンソーシアムに何かを期待する方が間違っているのかもしれない。「全ての文字をコード表にマッピングすりゃいいんだろ」という安易な発想が根底にある以上、見込める成果など知れたものなのだから。そんな姿勢はサロゲートペアという、目的と手段が完全にひっくりかえった醜悪な実装にもよく現れている。

本当に必要なものであれば、ユーザは自ら発明し利用し広める。標準化機構の出る幕など無い。というか、標準化機構の仕事って「ユーザの足を引っ張ること」になっちゃってねぇか?

(2)標準化など不可能だから


絵文字の表現力は「笑アイコン」ひとつ取ってもそれが「莞爾」なのか「冷笑」なのか「微笑」なのか「嘲笑」なのかわからないお粗末なものだ。これらひとつひとつについてアイコンを一個一個定義していくのか? 漢字が、少なく見積もっても三千年かかってやってきたことを一からやり直すのか? 正気の沙汰じゃねぇ。

「いやいや、その数を限定するのが今回の目的なんだよ」というのが本件の主眼であることは理解している。何を取り込み何を切るかについて、何らかの権威のもとで定義しておこうというわけだ。

よろしい。あえて挫折を繰り返すというのだね。所詮完璧なものなどできないのだから目先の事だけでも片付けようと言うのだね。私は手を動かす事それ自体には何の価値もないという考えの持ち主だが、諸君がやるというならば、その意志は尊重されねばならぬ。

だがそれでもなお問わずにはいられないのだ。その先にはさらに苦しい道のりが待っているということを理解した上で言ってますか? と。

なぜなら、絵文字・アイコン、というかその本来の姿である「イコン」というものは、それに関する十分なコンテキストが提供されていなければユーザ間のコミュニケーションに利用出来ないものだからだ。リテラルコミュケーションですらそういったコンテキストは不足しがちなのに、全く新しい記号体系に関してそれを提供する覚悟はおありですか?

あぁ、そういったアイコンとコンテキストのペアは既にユーザによってネット上に日々アップされてるから不要だと申されるのですね。じゃ、君達いらないじゃんw。おっと、このwもemoticonだったね。失敬失敬。

(3)絵文字自体の重要度が低いから

上でも述べたように、本件はまさに「漢字の再発明」であり「もっと他にやることあるだろう」と言わずにはいられない。自然言語処理、コーパス利用条件の緩和などいくらでもやるべきことはあるはずなのに。

なぜ絵文字のユニコード符号化などというしょうもないことにGoogle(もしかしたらGoogle Japanだけ?)が血道をあげるのか不思議でならない。おおかた「他がやってるからウチも」というレベルなんだろう。頭の悪い営業戦略を見ているようで笑える。

まぁそこは世界のGoogleということで「心配すんな。今回はうるせーやつがいたからちゃっちゃと片付けただけなんだよ。本道もきちんとやってるぜ。そのうち見せてやるから楽しみにしてな」という頼もしい声明が出てくる事を期待している。

余談だがDave Winerの記事に絵文字が出てきた時には茶ぁ噴いた。やっぱりこのおっさん、本当は何もわかってないんじゃなかろうか?

(4)日本人の、つまり日本語のためにならないから

ネガティブと呼ばれるのは百も承知の上で言う。

本件について「日本発の文化が世界に!」とか言ってる連中は全然ダメだ。この程度のことを日本の文化と呼ぶようではご先祖様が泣く。日本の文化、そしてその精華でありプラットフォームである日本語を築くために死闘をくりひろげた先人達がうかばれない。

「ことのは」「ことだま」をないがしろにしておきながら、こんな出来損ないを世界に輸出するというのは日本の・日本人の・そしてなによりも日本語の未来のためにならない。実際、BUKKAKEとかHENTAIとかと同じくらい恥ずかしいレベルだぜ、こいつはよ。

ちなみに本件は、先日の日本人ノーベル賞受賞者濫発と同じ臭いがする。日本人もなめられたものだ。まぁ仕方ないか。それこそUnicodeというお仕着せのアーキテクチャの上でしかその存在が認められていないんだからな。

いい加減なんとかしようや。

2008年11月28日金曜日

[Steely Dan] Black Friday and Bad Sneakers

Black Friday
ブラックフライデーになったら
ドアのそばに立ってやる
受け止めてやるんだ
灰色の男が14階から飛び降りるのを

ブラックフライデーになったら
貸した金の全てを取り立ててやる
通りに出てやるんだ
やつらが俺の来た事に気付く前に

ブラックフライデーが来た日にゃ
そういうことになるんだよ
くわばらくわばら

ブラックフライデーになったら
マスウェルブルック峡谷に行って飛び降りてやる
地べたにでかく真っ赤な字で殴り書きしてやるんだ
俺というちっぽけな黒い本の中の単語全てを

心を満たしてくれる事以外には何もしない
靴下も靴も要らない
することといえば
国中のカンガルーに餌をやることだけ

ブラックフライデーになったら
俺はあの丘の上に立ってやる
そういうことさ

ブラックフライデーになったら
自分を埋める穴を掘ってやる
心行くまで居てやるんだ
そこに身を横たえて

弔問客なんざ無視してやる
大司教様は清めの儀式を行う
もし彼が俺の意図を理解しなかったとしたら
その時は放っておくさ

ブラックフライデーになったら
俺は求め訴えてやる
名前を変えてやるんだ

Bad Sneakers
5つあるんだ
耳にするのが我慢ならない名前が
その中には君と俺の名前が
そしてもうひとつ、どっかにいるエテ公の名前が

奥様方が話してる
酷い時代ですわねぇとか
あのおぞましき出土品のことを
マグノリア大通りで

***
まったく、頭がおかしくなりそうだぜ
凍てつく雨を嘲笑い
孤独に苛まれる
ねぇハニー、あいつらいつになったら俺をうちに帰してくれるんだろう

ぼろぼろのスニーカーと
一杯のピナ・コラダだけが俺の友達
のし歩くのさ
電気屋のある通りを
トランジスタラジオを手に
どか買いする金をたんまり懐に入れて

おまえは通りを駆け上がる
あの白いタキシードを着て
息急き切らせて

俺をアホだとでも思ってるんだろう
俺が知らないとでも思ってるのか
谷にあるあの溝は
この俺を埋めるためのものだって事を

***


訳者コメント:
どうやらRed Fridayになりそうな今日この頃、どう見てもワンセットな、このKaty Liedの冒頭2曲を訳さずにはいられなかった。

もう15年近く前、まさにBad Sneakersな私がいた。
クソ遅ぇ98と
symdebだけが俺の友達
のし歩くのさ
ポン橋を
エロゲを手に
トレカをボックス買いする金をたんまり懐に入れて
火の消えたsorcerを捨ててsymdebだけでビットのダンジョンをうろつき、exezipを解き、展開ルーチンをファイルにダンプし、画像ローダからルーチンをcallする。私の86アセンブラの知識はこうして身に付けたのだった。

FirebugとXPath Checkerを友にWebのダンジョンをうろつく今の私にとって、当時得た知識はもはや化石でしかない。それでも、あの時と同じときめきが今の私を支えているのだ。

与太話はさておき、いまだに判明していない点がいくつか。普通Radio CityといえばNYのRadio City Music Hallのことだろうが、私にはどうしても片田舎にある電気屋、それも当時人気のあったアマチュア無線関連の品揃えが充実した電気屋が思い起こされるのだ。そうそう、いかにもこんな感じの。

他にも「出土品とは具体的に何?」とか「名前を変えるって何?生まれ変わって洗礼名を変えるとかですか?」とか「Bad Sneakersは人間としての自分と犬としての自分がオーバーラップしているように見えませんか?」とか、いろいろあるんですが、このあたりの内情をご存知の方は是非教えていただきたく、よろしくお願いいたします。

2008年11月27日木曜日

[Dave Winer] 汝罪人らよ、悔い改めよ!


(原文: Repent ye sinners!

経済崩壊の原因は、今まさに崩壊のさなかにある銀行の全てが置かれている New York という都市にある。馬鹿げているというのは百も承知だが、市が野球場を取り壊した時に、これから起こるのは悪い事以外の何ものでもないということを確信したのだ。例としてシアトルのキングドームを見よ。もはや何も言うまい。これの意味するところは明白である。

さて、今年ニューヨーク市は2つのスタジアムを取り壊した。2つもだ! 共に大いなる歴史的価値を持つものだ。ああ、確かにそのうちのひとつはもうひとつに比べればそれほど歴史的価値はないと思われているんだろう。しかしだ、ヤンキー・スタジアムではもう何年にもわたって、わくわくするゲームは数える程しか無かったのに対し、シェイ・スタジアム、あの60年代、お荷物球団と呼ばれた不遇の時代にメッツがプレーし1969年のメッツの奇跡でワールドチャンピオンの栄光を手に入れた地であるシェイ・スタジアムの歴史はかけがえのないものなのだ。Mookie Wilson と1986年度のメッツの選手達がワールドシリーズでBill Buckner(訳注: 第6戦で痛恨のトンネルをした)のレッドソックスを破ったスタジアムなのだ。

寒い時代だと思わんか?

証拠を見せろと言うのなら、議論の余地のない証拠がある。取り壊しの後に新しく出来るスタジアムの名前を見よ。

そうなのだ。Citi Fieldなのだ。ひどい話だ。

神は神秘にして確固たるすべもてわれらにつげたまふ

汝罪人らよ、悔い改めよ!



訳者コメント: 阪神優勝のもたらす経済効果といったような側面とはまた違った切り口であり、面白いっちゃ面白いのですが、それにしてもトンデモのそしりは免れますまい。床屋論議が世界に響きわたるというのがブロゴスフィアのいいところだとは思いますが。

[37signals] 「37signalsの主成分はLotusとiPhoneとDisneyで出来ています」

(原文: "37signals is the (Lotus, iPhone, Disney) of software"

先日「20秒以内で37signalsについて述べよ」にてみなさんにコメントを求めました。いただいたコメントを要約すると以下のようになります:

多くの人がアナロジー(〜に似ている)のかたちで返答してくれました。そんな「37signalsは〜に似ている」パターンの幾つかを以下に示しますと...

「コンピュータにOutlookをインストールしなくてもGMailを使えばメールが出来るというのと同じで、あなたが小規模ビジネス運営のために私たちの製品を利用する場合、コンピュータに何もインストールしなくても利用出来る」

「もしSteve Jobsがオンラインアプリケーション市場にいたとしたら、彼の会社は37signalsになるだろう」

「宙に浮かぶ巨大なシステム手帳だ」

「私たちはビジネスソフトウェア業界におけるLotus(車の方の)です。私達はビジネスの現場で求められている、無駄の無いコンパクトなソリューションを構築しています。まさにLotusがそうしているように、私たちはあなたの求めるもののみに注力し、あなたにとって不要なガラクタはすべて投げ捨てることにしています。」

「GoogleやAmazonやeBayといったような、Webベースの製品を作っています。私たちはとりわけプロジェクト運営・TODOリスト・ドキュメント共有・共同作業といったものを管理するためのツールに焦点を絞っており、多くの人々およびビジネス現場が必要としているシンプルなものを提供しています。37signalsにとって重要な事はシンプルであるという事。すばやく起動し、実行し、成果を出す事です。」

「iPhoneを知ってる?すごくエレガントで実用的でしかも使ってて楽しいということで注目を集めてる。仕事で使ってるソフトもこんな感じだったらなぁと考えてごらん。ほら、プロジェクト管理ツールとか組織運営ツールとかのことさ。ごちゃごちゃしていないメニュー、より良い成果、使ってて楽しい。私たちの作っているのはそんな感じの、Web上で動作するソフトなんだ」

「我々はソフトウェア業界におけるDisneyである」
辛辣なもの(訳注: というか機知に富んだもの?)も多かったです
「俺たちは『管理なんかくそくらえ』という感じの管理ソフトを作ってる」

「37signalsは人々のほにゃららを統合管理するお手伝いをしています」
(訳注: $#!+(ほにゃらら)とはshitとかfuckのこと?)

「我々はITからshを取っている」
(訳注: shit(クソ)からshすなわちシェル・殻を取ると中味のITが出てくるという洒落か?)

「37signalsは日々のコミュニケーションから『不要なもの』を除去して真のコミュニケーションが出来るようにするための製品を作っている」

「正しいプロジェクト管理
誰でも使えるイントラネット
使い物になるメッセージングツール
人々の動向を追う(訳注: n'utherというのはアーサーの父ウーサーに関する言い回し?)
現実に即したシンプルさ」
(訳注: 縦読みぽい。PIMPSとはポン引きのこと)
数は少ないものの簡潔な回答もいただき、共感すること頻りです
「我々は会議を不要のものとする」

「生き方そのもの」

「あなた方の製品は我々を時間の無駄をもたらすものから守り、目の前にある仕事に専念させてくれる」

「37signalsは人々に簡単な方法を以て大きなことを成せるよう手を差し伸べる素晴らしいソフトを作っている小さな会社だ」

「オンラインで利用出来る、TODOリスト・備忘録・日記・コンタクトリストといったものをひっくるめた統合ツールだ」

「より少ない時間で仕事を片付けるためのお手伝いをいたします」

「あなた方は情報および対人関係を組織化する手助けとなるWebソフトを書いている。あなた方のソフトは、紙を減らし、電話での応対を減らし、そして、これが一番大きいんだが、会議を減らしてくれた」
回答してくれた皆さんありがとう。思考のための糧をたくさんいただく事が出来ました。

2008年11月26日水曜日

[一言居士] ダメだこりゃ

元ネタ: 日本のケータイは本当にガラパゴス化なのか!?

いまだに高画質・ガジェット・機能と言ったものを競争ファクターとして臆面も無く挙げるあたり、なんかもう「ダメだこりゃ」としか言いようが無い。
すでに先人達は世界に戦いを挑みに海を渡っているのです。その当時世界は日本の進みすぎたシステムを受け入れることが出来なかったのではないでしょうか。文化は押し付けるものではありません。求められて広がっていくものです。
というくだりは至極ご尤もなのだが、ご尤もなだけで情報価値としてはゼロだ。「その当時求められていたものを日本のメーカーは見抜けなかった」と言った方が、薬効成分があるだけまだマシだ。

「お家芸復活」とか、いつまで右肩上がりのころの夢をみているのか。成功体験という害毒に侵された人の良い見本である。

「すでに優位性がなくなった」とぶっちゃけるあたりは正気を疑うしかなく、もし本気だとしたら職務放棄も甚だしい。こうした人物がご意見番になっているのが日本のモバイル業界なのだとしたら、これからもお先真っ暗ということで間違いない。

2008年11月24日月曜日

[一言居士] 末期的?

元ネタ: $500 million in advertising??? Did I use the Jump the Shark joke already?

Daring Fireball にて「Microsoft論壇も堕ちたもんだ」と John Gruber に言わしめたこの記事。たしかにこれはひどい。こういうのが出てくると「MS陣営必死だなw」としか思えなくなってくる。

コメント欄も見事な炎上ぶりで「林檎の旬は過ぎたってか? 寝言は寝て言えや、Paulさんよ」を始めとする微笑ましいコメントであふれている。顔を真っ赤にして殴られ続けている Mike と、殺る気満々の Lindy が互いに「かかってこんかい」と挑発するあたりは、もうたまりません。

2008年11月23日日曜日

[Dion Almaer] パワーユーザであるという事が糞いまいましくなる事が時々あるものなんだとiPhone 2.2で思った

(原文: Being a “power user” really sucks sometimes as iPhone 2.2 reminds me

君がたいていの場合は少数派に属するというのであれば、パワーユーザ(上級者)であるという事は糞いまいましい事だ。販促の人たちは釣鐘状曲線(訳注: ユーザスキルに関する正規分布曲線のことかと思われる)の中央に到達するとウハウハして喜び、一方、君はわずかな仲間たちとともに端っこの方で群れを作ることになる。

私に再びこんなことを思い起こさせたのは、iPhone 2.2 アップデートがこんなものをつきつけてきたからだ:




なるほどな、検索アイコンが画面右側でえらく表示スペースを食っているということを認識していないやつがいるということか。「ふつうの」ブラウザと同じように表示し、これでみんな理解してくれると踏んだのだろう。でも私はこう思ったのだ、再読込/読込中止アイコンの付いたURL欄が、私に取っては何の意味も無くそしてばかでかいだけの検索ボックスによってぶちこわしにされている、とね。

もし諸君がこの状態を元に戻せるならば問題ない。about:config は不要だ(訳注: Firefox では隠し設定を行うための about:config という URL があるが、そういったものは不要ということ)。しかし Apple は我々にそういったことをしてくれない。我々はジョブス教徒の社会に住んでおり、教祖の見るものと我々の見るものは一致している。今回のアップデートでもまだ改善されていないもう一つの不満点は...これは開発陣に対してずっと期待し続けてることなんだが、あの糞キャッシュをなんとかしてくれということだ。たのむから私のページを保持する程度の容量は割いてくれよ! 貧弱な回線を利用するモバイル版ブラウザでは何にも増して必要な事じゃないか。もっとがんがんキャッシュしてくれよ! JavaScript とスタイルシートもキャッシュしてくれよ! 百歩譲って、少なくとも「戻る」ボタンを押すとまた全部取得し直すまで待たされるというほとほと厄介な仕様はなんとかしてくれよ、頼むわマジで。なんで about:config でキャッシュ容量とキャッシュルールを設定出来ないんだよ? :(

こうした常識(訳注:変な常識)は Apple 製品のいたるところに見られる。Apple はしばしばこういった点に関して、技術者連中が一般ユーザでも手を出せる Apple prefs 画面からそういった設定項目を隠してしまうからなんだ、と言い逃れをする。UNIX ならばこういった点に関してはいくらか光明がある。開発陣は他にもいくつかの設定項目、J 氏が綿密に調べたユーザインタフェースには出ていなかった設定項目について、こっそりと我々に打ち明けることが出来るのだろう。

あーあ、やめたやめた。同じように感じた人はいないかな? Linuxを試してみる時が来たということなのかな? いやいや、私はそれほどトチ狂っちゃいないよ ;)

2008年11月22日土曜日

[一言居士] かわらぬもの

ネタ元: [CNET Japan] ITベンチャーの生きる道とは?

エリック松永氏、クロサカタツヤ氏は相変わらずのブレない姿勢が素晴らしく、西山圭氏の回答もとぼけた風味の中に皮肉が効いた逸品です。

で、その他ですが、とりあえず「不況下でよくがんばった!感動した!」という感じの間抜けな回答を寄せたパネリストは全員不合格というかマイナス点を付けてもいいでしょう。

不況下だからこそベンチャーでしょうが!

経済状況がどうであろうと、誰も知らない and/or 誰もやっていない仕事を創造するのがベンチャーでしょうが!

ベンチャーの生きる道というものは今も昔も変わらないはずでしょうが!

9月くらいまではベンチャーの特徴のひとつであるフットワークの良さとその重要性について喚き立てていた方々も、周りが不況不況と騒ぎだすとこういったところで馬脚を現すわけです。

一方 Jason Fried とその一味は「不景気?なにそれ?それっておいしいの?」とでも言わんばかりの相変わらずのベンチャーぶり。これじゃ勝てんわなw

[37signals] 「仕事してるふり」はやめよう

(原文: Stop pretending

開発を進めているふりをするという悪い習慣があることに最近気付いた。開発はもう数ヶ月にわたって続いており、悪癖に陥っていると気付くたびに断ち切ろうとしているにもかかわらず、断ち切るのは著しく困難だった。

私は社内のQueen Beeというアプリケーションを拡張する仕事を続けており、今回の課題は「より容易にJob(ある程度長期の仕事)掲示板とGig(短期単発の仕事)掲示板の実行状況をトレース(追跡調査)できるようにする」というものだった。変更自体は非常に単純なものだったのだが、実際にUI(ユーザインタフェース)を作る段階になるとハマってしまうのだ。

私はどうやら自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回り続けていたようだ。他の製品向けに作った既存の通知用UIを眺め、これをJob/Gig掲示板の通知用UIへと適用するのに必要な変更点について考え始めた。私は今後のUI変更(実はこれは想像上のものでしかない)をサポートするために、プログラム内に潜在するリファクタリング(プログラムの内部構造を改善すること)要素についてまで考え込んでしまったようだ。リファクタリングについて考えるうちに、UIの見た目のインパクトにまでリファクタリングが及び、UIについてまた考えるという堂々巡りになった。うんざりした。

「現実的になれ」というメッセージをほぼ毎日、もう4年近くも吸収し続けているというのに、「真の解決方法は『くよくよと考え込むだけで仕事をしているようなふりをする』ことではなく『実際に手を動かして何かを作る』ことなのだ」ということを忘れてこんな罠にハマるとは皮肉なものだ。私の場合は「椅子に座り、ページのモックアップ(模型)を作り、でっちあげのデータを入れたHTMLファイルをいくつかテキトーに作り、どんな感じがするか眺めてみる」というやり方で解決した。これによりわかったのは、既存のUIやプログラムに手を入れようと考える必要などまるでなく、今回作るものが実は既存のUIとは全く別個のもので、いちから作るべきものなのだということだった。あぁ、なんたる苦々しき皮肉! もともと問題でもなんでもなかった事に丸2日近くの時間を無駄につぎ込んでしまったのだ。

そんなわけで、もし自分が心理ゲームにうつつを抜かしていると気付いたら直ちにやめ、実際に手を動かして何かを作ることだ。「仕事してるふり」というのは害毒だ。飲むなかれ。



訳者コメント: この記事は、同じくJamisが書いたこちらの記事と同様「思い込みという罠」についての警告がベースとしてある。Wikipediaの記述にも見られるように、マネジメントの世界で「ほにゃららcreep」は一般的なものらしい。「3大クリープ」とかあったりするのだろうか。

2008年11月21日金曜日

[37signals] 語源学ネタ:One について

(原文: Etymology: One

語源学に心魅かれている。つい最近 one の歴史的変遷に関する文献を読んだ。諸君は何故 one の発音が own と同韻になる「オウン」でなく「ワン」なのか不思議に思った事はないか? 私の読んだもの(あの素晴らしき online Etymology Dictionary も含む)によると、もともとは「オウン」だったようだ。じっさい only の発音に今でも残っているし、もとをたどれば同じ根に行き着く。この変遷は14世紀にイギリス南西部で始まったようで、18世紀に至って一般化した。

関連事項: "one night stand"(ひと夜限りの恋人)はもともと舞台演劇用語であるというのはご存知か? 性的な意味で用いられるようになったのは1960年代に入ってからだ。また"one-of-a-kind"(独特な、ユニークな)というのも同様に1960年代になって使われるようになった。一方、"one fell swoop"(一網打尽)の起源はシェークスピアの『マクベス』にまで遡る。



訳者コメント:

This is no one night stand. It's a real occasion. Close your eyes and you'll ...
...ばぁびろんしすたぁーず、しぇいぎっ!

最近の日本語であっても、ちょっと考えただけで「適当」「情けは人のためならず」「確信犯」といった、意味的変遷をみてとる事が出来る言葉がぽこぽこ出てくる。印欧語の語源学はこの記事に見られるように、音韻の変遷と意味の変遷に焦点をあてれば根っこが見えてくるようだが、日本語の場合は和漢のことや漢字の字形的変遷のこともあり、ひと筋縄では行かない。だが、それがいい。それを単なる煩雑と捉えるか豊穣と捉えるかで日本人の幸福度はずいぶん違ってくる。

景気後退などどこ吹く風とばかりにこういった「しょーもない」ネタをポンと出してくる37signalsが私は大好きだ。彼らのミニマリスムを支えているのは、知の最大化に対する渇望、すなわちマクシマリスムなのだろう。やはりミニマリスムとマクシマリスムもフィードバック関係にある。

私も世間に「しょーもなー」と言われるよう精進せねば。

2008年11月20日木曜日

[37signals] Drudge ReportがWebにおける最高のデザインのひとつだと思う理由

(原文: Why the Drudge Report is one of the best designed sites on the web

2週間前Twitterでこう発言した「私はいまだにDrudge ReportはWebにおける最高のデザインのひとつだと思っている。もう何年にもわたってだ」。同意してくれたのは数人にとどまり、大半はそうではなかった。悪い冗談だと考えた人もいた。私は冗談を言っているつもりは無い。

まずはっきりさせておきたいのだが、私のデザインに関する定義は見た目についてだけではなく、メンテナンス性・製作コスト・有益性・スピード・ページの趣旨といった領域におよんでいる。だがDrudge Reportは、その不細工さ加減を考慮に入れてもなお、見た目という点において匠の逸品だと私は思っている。良いデザインとは不細工なものなのだろうか? Drudge Reportがそのことを証明している。

以下に、何故私がDrudge ReportをWebにおける最高のデザインの一つだと思うのかについて、順不同で幾つか理由を述べる。



変わらないということの持つ力

人々はいつも、時代を超えたデザインというものについて議論する。だがそこで指摘されることの大半は、時代を超えていると思われているものも結局は時代の烙印を押されるものなのだということだけである。だがその一方でDrudge Reportは、時代を超えるものがあるのだということを立証してきた。等幅フォントで・大文字で・白と黒だけで書かれた見出しの集まり、という何の変哲も無いリンク集が、いかなるトレンドをも、いかなる一時的流行をも、いかなる世間の動向をも、いかなる時代をも、いかなる「デザインべからず集」をも乗り越えてきたのだ。古臭くはないが新しくもない、Drudge流とでも言うべきものなのだ。そのデザインは、少なく見積もっても1997年以来変わっていないし、私が思うに、そのデザインの源流はさらに古くまで遡るだろう。10年にわたって不変のままで生き延びそして繁栄出来るサイトは幾つあるだろう? Drudge Reportは他に例を見ないものなのだ。

直球勝負

ここには込み入った仕掛けなど無く、欄ごとの分割も無く、入り組んだリンクも無く、閲覧にあたって何ら特別なテクノロジを必要としない。ページ上には、あるべきものがあるべきところにあるだけだ。「だけどごちゃついてるじゃないか!」と諸君は言うかもしれない。ならば私はこう言いたい「ごちゃついて見えるけど余計なものは一切無い」と。私はこういった直球勝負の姿勢を過小評価しようとは全く思わない。

独自性

諸君がDrudge Reportにいるとき、諸君はDrudge Reportにいる(訳注:わけわかんないかもしれませんが、読み進めるとわかります)。どこにいるかについて疑いの余地はない。Drudge Reportにおいて、サイトデザインはもはやイコンと化しているのだ。他のニュースサイトでこう主張出来るものがいくつあるだろう? CNNMSNBCFOX NewsABC NewsCBS News、その他もろもろの著名なニュースサイト/ニュースネットワークから社名ロゴを取り去ったら、どれがどれであるか判別するのは困難だろう。これらはどれも同じような、ニュースサイトの標準的ルックアンドフィール(訳注:見た目や操作感)にて詰め合わされた類のものなのだ。異彩を放つものも無くはないが、NYTWSJですらこれほどの独自性はない。Drudge Reportのデザインには比類なき独自性がある。

重要度の明記

多くのニュースサイトはもはや腑抜けてしまった。大きな話題に関して心底から主張する事を恐れているからだ。要約文があっても明解さに欠けていたり他と食い違いがあったりする。大きく書かれてはいても確信を持って書かれてはいない。彼らは断言することを避けているのだ。一方、Drudgeは大きな見出しを付けてこう言う「旬の話題」。これによりニュースに関して今現在何が重要で何がそうでないかが示される。Drudgeは独断的編集者と呼ばれる事を怖れておらず、サイトのデザインがそのことを完璧なまでに強調している。大胆かつリスキー、そして心底純真であること。それがDrudgeのデザインなのだ。

良き混乱

通常、Drudge Reportの記事はArialフォントで"font size=+7"と大きくスタイル指定された全て大文字で書かれた見出しで始まる。時にはイタリック書体になることもある。あの悪名高きサイレンを付けて、大文字化を解除し、もっとでかでかと表示することもある。

その下には3本の縦組になった見出し列がある。見出しは大文字だけで書かれたり、そうでなかったりする。写真付きの見出しもあればテキストだけの見出しもある。通常よりも喧嘩腰であったり扇情的である見出しについては赤で表示することもある。通常は一番上に大きな広告があり、他のわずかな広告達は欄内にばらまかれる。

記事の配置方法については、たぶんこの記事は読者がより興味を持つだろうと編集者が考えた記事が上の方に来るというのがあるだけで、記事がグループ化されたり組織立てて構成される事は無い。それだけなのだ。諸君の視線は、何か面白そうな記事を目がけて画面中を飛び回ることになる。このデザインはページ上をうろつき回り、思いがけぬ発見をすることを奨励しているのだ。

このサイトは、新聞の切り抜きがむき出しの床に散乱した、混沌然としたニュース編集室に感じが似ている。これがわくわく感を、そして良いデザインを作り出しているのだと思う。

Breaking News(ニュース速報) がニュースをぶちこわし(break)にしている

諸君は最近MSNBCやCNNのニュース速報を見たことがあるだろうか? 今や、あらゆることがニュース速報で流されるようになった。ニュース速報は「ほにゃららが報道に発表したところによりますとあーだこーだです」と言うだけのものになってしまっている。本来ニュース速報とは非常に大きな、重要もしくは人目をひくような今まさに起こっているニュースを意味していた。しかし著名なニュースサイトはニュース速報の重要性に水を差して薄めてしまった。MSNBCやCNNのページに行くとニュース速報の印(通常、赤や黄色で表示される)があるのだが、これによりこの記事は無視してもいいというのが容易にわかる。オオカミ少年のように、あまりに何度も速報・速報と叫び続けているからだ。だがDrudge Reportでは、サイレンをひらめかせ赤い大文字でがなり立てる大きな見出しを見つけたら、それがニュースと呼ぶに値するものであるということがわかるのだ。

一人で出来るということ

このサイトは、たまにパートタイム投稿者に助けを求める時以外は、Matt Drudgeがフルタイムで張り付いて運営している。もしこのサイトが5ページ、10ページ、30ページといった大規模なものであったら、彼はそれをこなしていくために人員の追加やテクノロジの導入を余儀なくされた事だろう。

ニュースがないのは良いニュース

Drudge Reportは見出しを集めたサイトだ。いわゆる「コンテンツ」はサイト上には存在しない。だが、それがいい。見出しそのものもニュースたりえるのだ。Drudgeは記事を書かずして記事を伝える。実際、Drudge ReportはWebにおいて、見出しと写真だけで記事を伝える事の出来る唯一のサイトかもしれない。そういったことがデザインという形をとって正しくやりとげられている。

人々が戻ってくるよう、ひとまず追い出せ

実際のところ、Drudge Reportにコンテンツ自体は一つもない。時々メールやメモをサイトに投稿する事もあるが、そのうちの99%は他のニュースへのリンクだ。彼のサイトは諸君に再びサイトに戻って来させるために、ひとまずサイトから追い出すようデザインされている。どこか他のサイトへ行くために彼のサイトを訪れる頻度が上がればあがる程、更に他のサイトへ行くために彼のサイトへ戻ってくることになる。諸君が頻繁にDrudge Reportを訪れるのは、諸君が頻繁にDrudge Reportから追い出されるからなのだ。「人を追い出せば追い出すほど、彼らは戻ってくる」というのがトラフィックを産む秘訣なのである。

表示が軽い

諸君がDrudge Reportを訪れたとき目にするのはDrudge Reportだけだ。隙間を埋め尽くす広告は無い。ページの読み込みは一瞬だ。バッファリング(訳注:動画等の円滑な再生のためにあらかじめファイルの一部を読み込んで蓄えること)も無い。今すぐ必要なもの以外はなにもない。Drudge ReportはGoogleやCraigslistのように高速だが、これは、たった一人で3百万人/月のユニークユーザを持つサイトを運営しているという点から見て相当な離れ業だと言える。なお3百万人/月のユニークユーザという数字は、ビジター数にすれば数億人/月にのぼると解釈して良い(ソースはこちら: CNN

維持コストが小さい


Drudge Reportのデザインは凝ったCMSを必要としていない、というかCMS自体必要としていない。全て手書きだからだ。経費は最大でもおそらく$2000/月程度だろう。年間数千ドルの経費で数百万ドルの収入を産む。実に良いデザインじゃないか。

単一ページ構成

Drudge Reportは1ページだけである。訪問してくるユーザの関心はその1ページ、大見出しと3本の縦組になった見出し列で出来た1ページに絞られる。人々が何をどうやって見ようとするかについて、彼は正確に把握している。そこにはデザイン変更が済んでいないとかスクリプトでエラーが発生するといったような怪しいページは存在しない。見るページがひとつなら作業するべきページもひとつ。そのまんまだ。あるべきでないものをあらしめるために苦労する必要はない。

これが彼をして偉大なる生命体たらしめている

公表された広告有効率やトラフィックの数値によれば、Matt Drudgeは「年間100万ドル以上」を生み出しているとされている。インターネット上にある、白黒の1ページとしては悪くない数字だ。

以上、私がなぜDrudge ReportをWebにおける最高のデザインのひとつであると思っているのかという点について理由をいくつか述べた。じゃ、いってみようか。

2008年11月18日火曜日

[一言居士] いまどきの生産性ツールとは何か?

[ars technica] Most users don't office in the cloud: 1% use Google Docs

この手の話題が出るたびに思うのが「生産性ツールという既に小さくなりつつあるパイを死守しようとしているMicrosoftに対し、本業のオマケとしてやってるだけのGoogle」という図式と、その点を理解せずに数字だけ並べて「Microsoft盤石」と鬼のクビをとったようにはやしたてる人々のことです。

彼らは「Microsoft OfficeやOpenOffice.orgといったOffice suites=生産性ツールである」という考え方自体がもはや前世紀の遺物なのだということに気付いていないようです。GMailやブログやFlashは生産性ツールではないとでも言うのでしょうか? Officeは無くてもなんとかなりますがzoteroなしではやっていけないんですけど、駄目ですか?

生産性ツールとは何か?というカテゴリ分類の問題でもありますから一概には言えないにせよ、生産性ツールの概念が変質しつつある、もしくは生産性ツールについて真に「生産性」が求められるようになってきている、というのは同意いただけるところでしょう。単なる清書・出力アプリとして「現状の」Microsoft Officeは残るのかもしれませんが、いまどきそんなものを生産性ツールと呼ぶのは気が引けます。

この記事のタイトルには、景気後退と並んで今一番のバズワードであるクラウドも登場しており「クラウド対スタンドアロンのアーキテクチャ比較ネタかな?」と期待を胸に読んでみましたが、それらしきストーリーは皆無。ええ、勝手に期待した私が悪いんです。

というわけで、DocsとOfficeを並べて比べる事自体ナンセンスだってことです。ars technicaもこんなくだらない提灯記事載せちゃ駄目ですよ。

[Dave Winer] 報道業は崩壊の途にある

(原文: On the collapsing news industry

2008年11月17日(月)by Dave Winer

Steve Outingの記事:『新聞はあと6ヶ月もつか?』

私はこの記事に以下のようなコメントを投稿した。

いくつかの点において、おそらく彼らは報道業の息の根が完全に止まる前に、個人ブロガーを、彼らの生態系から幾つかのアイディアを手に入れるべく取り込もうとするだろう。もはやなりふりかまっていられない時代が到来し、報道のプロがやってきたことに関してアマチュアにバトンを渡す、それも恩着せがましい態度でではなく、あたかも我々の文明は諸君の行動如何にかかっているといった態度でバトンを渡す時代が到来したのだ。

この人たち(訳注:ブロガーのことか?)は自分の事しか頭に無い。彼らは自分の果たすべき責務について考え始める必要がある。これは私がブログの勃興について考えてきた際に、常に頭にあった事だ。彼らは、報道業者がブログを盗用するからもうブログには寄稿しないと考えている。だが、この考え方は間違っている。たしかに報道業は凋落する。ひどい凋落ぶりになるだろう。だが、報道システムというものは報道業が崩壊した後も残っていなければならない。


訳者コメント: いわゆる「頭の良い人」の発言に多く見られる事の一つに「マクロ展開しないまま話す」というのがある。Dave Winer氏のこの短いコメントを読んで、文の内容以前にまず思ったのがそのことだった。自分の読解能力の無さを棚に上げて言ってしまうが、正直言って後半段落の主語が何なのか自信が無い。報道業者のことなのかDave Winerを含むブロガー達のことなのか世間一般のことなのか。この件に関しては、アメリカ人一般に通用するコンテキストがあるのだろうか? それとも「Dave氏、省略し過ぎ」なのだろうか?

それはさておき元ネタの『新聞はあと6ヶ月もつか?』に、現状打開策をマンハッタン計画になぞらえる記述があるのですが、この辺り『勝つには原爆落とすしかねぇ!』というメリケンなメンタリティが感じられて面白いです。コメントでCharles Batchelor氏も「んなアホな。そんなもんで勝てると思ってんのかw」と言っていますが、そもそもこんなたとえ自体が日本では絶対ありえないよね。「不謹慎だ」とか言われてw。さすがは戦勝国だなぁとしみじみ思ったのでありました。

[Dion Almaer] Flashプラットフォームについて: 〜に挑戦するためにAdobeはいかにしてオープンWeb陣営に参加するか

(原文: The Flash Platform: How Adobe could join the Open Web to take on…

本日発表されたAdobe MAXに関しPDCを振り返りつつ並べて比べてみよう。

Flash、AIR、FlexといったAdobe製品におけるFlashプラットフォームの新たな位置付けについての声明があった。これらはもともとAdobeのプラットフォームビジネス部門に存在していたので、目新しい点ではない。

Adobeは(Macromedia時代も通じて)一貫してWebデザイナーの会社だったが、プログラム開発者が同程度の深みにまで踏み込む事は無かった(原注:すごい成功をおさめたというわけじゃない、とまでは言わないまでも)。私が思うに、現状認識はこんな感じになっている:



Silverlightに関して言えば、私が危惧しているような、「Sileverlight+IE環境向けに表示が最適化されています」(実際は「Silverlight+IEでないと表示されません」)という世界をもたらすと激しい非難を呼び起こしているが、一方「でもFlashも同じようなもんだろ?」と言う人もいる。

この点については、Adobeに好機が巡ってきた。上図の右側に移動してFlashをオープンWeb陣営の一大勢力とすることが可能だからだ。そして我らオープンWeb陣営はSilverlightに対抗するにあたり、より強大な勢力となるだろう :)

話が結局のところFlashのオープンソース化の件に行き着きがちではあるけれど、これについては必要性という観点からしてもそのうち実現するだろうし、早ければ早いほど良いと私は思っている(それがみんなのためだ)。Flexは忠誠心あふれるユーザを支持基盤とし、一部についてオープンソースの支援を受けてはいるものの、オープンソースでない土台の上に成り立っているという理由から、本来なら得られるべきユーザの愛好心を獲得していない。単一企業が独占しているプラットフォームの上に構築されたオープンソース技術が盛り上がるとは考えにくい。

Flashのオープンソース化以外にもAdobeが打てる手は多い。オープンWebを支援するツールを提供する事だ。もしFlexがHTMLプラットフォームに対しても描画できるようになったとしたら、どう?

私はキーノート講演で、そしてMAXでは更に多く見られたこの未来予想図に関するかすかな光明を見出したいと願っている。一緒に仕事をしたことのあるAdobe社員の全てに対して私は大いなる尊敬の念を抱いており、そして同時に、実現には時間を要するだろうが、オープン陣営の勝利を願っている。

私は心底、Flash Catalystが世に出たらオープンWeb開発者にとっても助けになるものと期待している :)

2008年11月17日月曜日

[Dave Winer] もはやオンライン広告は死んだ

(原文: Online advertising is now dead

2008年11月13日(木)by Dave Winer.

人々がWeb広告に依存したビジネスを始めてこのかた、私はずっと言ってきた「長くは続かないよ」と。我々は今やどん詰まりに来ている。

現今の景気後退・不景気から復帰出来たとしても(いつ復帰出来るのか誰もわからないのだが)我々は広告から手を引くだろう。

Webは今後も商用目的で利用されるだろうし、人々もAmazonその他でモノを買うだろうが、広告をクリックして買ったりページにリンクが張られたモノを買うのではなく、今や誰もが行っている検索やみんなの評価といったものを通じて商品に関する情報を捜し出し、買うようになる。

もはや誰も広告を必要としていないし、商品を売るのにはもっと良いやり方があるということなのだ。

商売が干上がってきた時、会社が最初に切り捨てるのが広告というものだし、景気が持ち直した時には広告の事などきれいさっぱり忘れ去られている。企業の成長というものは、商品を欲する人々が目にし、人々が何の負担もなしで入手出来るような宣伝を提供することによりもたらされる。

客に対して完璧に狙いを定められる広告とは、客の求める情報以外の何ものでもない、ということを忘れないでほしい

例を示そう。

先日、カシナート社製コーヒーメーカーのガラス瓶が割れてしまった。Amazonで型番を探し、関連商品(「この商品を買った人はこんな商品も買っています」)を見つけ...あー、あったあった。ガラス瓶が割れてから「今すぐ買う」ボタンをクリックして注文するまで、取引に要した時間はしめて5分。この間、広告の出番は一切なし。

今あるコーヒーメーカーを買ったとき、カシナート社がこんなガラス瓶まで作っているとは思いもよらなかった。もちろんブランド名は知っていたが、広告にはそんなことまで載っていなかったよね? 確かにというわけではないが広告に載っていたという記憶は無い、たぶん他のどこかで広告していたのだろう。こういった従来通りの広告にもある程度の将来性はあるかもしれない。しかし、私がこのブランドのコーヒーメーカーを選んだのは、これを使っている人がこの商品を心底気に入っていると言っているのに対し、他のブランドでは人々はさほど気に入っていないようだったからだ。ホットコーヒーはいつまでも淹れ立ての状態であって欲しいし、そのためなら喜んで割り増し料金を払ってもいいと私は思っている。本来ならば、メーカーはわざと割れやすいガラス瓶を作り交換部品でぼったくっているのだと考えるべきなのだろうが、彼らは私の淹れ立てコーヒーを愛する気持ちをよく理解している。(訳注:だから私はほいほい買ってしまった。わかってるねぇこの会社、ということ)

2008年11月15日土曜日

[37signals] 37signalsに問う:「現実的になれ」というやり方は今の経済状況のもとでうまくいくのか?

(原文: Ask 37signals: Does "Getting Real" work in this economy?

David はこう問う:
最近の景気後退が私にこんな疑問を投げかけている...37signalsがやっているような「現実的になれ」という考えに基づく小規模ビジネス形態は、景気後退に対抗するためにより有効なものなのか、それとも劇的な変化といった点において、何10億ドルもの損失や何千件にものぼる雇用削減といったものには遥かに及ばない無力なものなのか? 君の知る範囲で、成長の鈍化やキャンセルの増加といった面での直接的な影響はあった?
一般企業は不景気にどう対処するだろう? 支出に目を光らせ、雇用を削減(もしくはクビに)し、時間の浪費を抑え、コア事業に集中し、複雑性の排除を進め、長期にわたって結果の出ていないプロジェクトを縮小する代わりに、決算表の純利益の部分に速攻でインパクトを与えられるような、手っ取り早く利益の得られるプロジェクトに集中し、職務を統合して贅肉をそぎ落とす。

実はこういったことが「現実的になれ」の全てなのだ。小規模である事、質素倹約を旨とする事、少数のコア事業だけに専念する事、手っ取り早く利益を上げる事、意思疎通を妨げ複雑さをもたらす抽象性については排除する事、やれる事では無く、するべき事をやれという事、等々。我々は、こういった考え方が根付いている会社はどんな時でも金回りが良いものなのだと信じている。困難な時代ならなおさらだ。

課金する方がより確実

「現実的になれ」のもうひとつの信条は、製品について課金する事だ。あなたは何かを作り、客はそれに対価を払う。収入と客を結びつける事により、お金を払って製品を買ってくれる客にとって本当に意味のあるものを作ることに専念できるようになる。これが、困難な時代を乗り切るための(企業とユーザの)健全なる協力体制のあり方なのだ。

広告主が出資者だったころとは違うのだ。製品ユーザが金を出すわけでは無かったころは、君たちは開発戦略的に不利な状況にあったのだと言うことが出来る。ユーザを視野に入れた製品改良だけでは済まず、広告主をも視野に入れなければならないからだ。そのため、開発パワーを2つの異なるグループを満足させるために分散せざるを得なくなる。広告主とユーザの目指すところが一致することはたしかにあるが、確率は低いだろう。君たちは今、私が「人々」を「ユーザ」と呼んでいることに気付くだろう。製品に金を出さない人は客ではなく単なるユーザなのだ。開発原動力はこの違いにより大きく変わってくる。

広告ベースのビジネスについてもう一点付け加えると、このビジネス形態は景気後退の際に大きなリスクになる、というのがある。事が悪化した場合、真っ先に削減されるのが広告予算だからだ。ビジネスが広告予算に基盤を置くものであった場合、落ち込んだ市場において、非常につらい状況に身を置く事になるだろう。

人員削減と社員の士気

もう一つ言うと、必要以上に大きくて末端まで管理が行き届かない(訳注:組織が大き過ぎて人心把握が出来ていないということ)会社が困難に直面した場合、人員削減はより深刻なものになる。1%の人員削減程度ではなく10%、20%あるいはそれ以上となるのだ。人員削減は従業員の間に恐怖と不信を産むが、それは企業にとって他の何よりも重荷となる。人員削減は時にプラスとなることもあるが、通常は、社員の士気に計り知れないダメージを与えるという点でマイナスとなるものだ。同僚が去り、チームは解散、プロジェクトは停止。人々は職探しを始め、会社への忠節心にひびが入る。他の仕事を探している状態で眼の前の仕事に身を入れるのは困難というものだ。

金を使わずにマーケティングする

「現実的になれ」というのは開発競争において、共有をやめる事(訳注:すみません。sharingの具体例が思いつきません)、ユーザ教育に金をつぎ込むのをやめる事(訳注:会場を借りて製品説明会をするような事はやめろということか?)、ユーザの貢献に頼るのをやめる事(訳注:くちコミ等においてユーザに頼るのでなく開発者自ら発言せよということか?)、といった事とも関係がある。広告費と販売促進費に金を注ぎ込む泥沼のような戦争にはまり込むのは、我々としてはお薦めしない。そんな冷戦はみんなも願い下げだろう。それに、広告費がカットされたらどうなる? どうやって広告以外の場所で製品の売り文句を出せば良い? たぶん思いつかないだろう。

聴衆に製品について教えたり共有したりコミュニティへの貢献に頼るかわりに、ドキュメントを書き、Twitterで発言し、可能であればどこででも発言する事だ。きみが直接語り、耳を傾けさせる事の出来た相手というものは、金を注ぎ込まなければメッセージが届かないような人々よりも、はるかに忠節心に富んでいるわけだから。

どうすればいい?

ここ数年、我々の成長は少し鈍ったが、ビジネスはこれまでになく順調だ。2004年以来毎年収入は倍増してきたという背景もあり、多少の鈍化があってもまだまだ大きな成長が可能だ。まだまだ利益が見込めるし、借金も無いし、人員削減の必要は無いし、開発費削減の必要は無いし、プロジェクト破棄の必要も無い。

昨年来、当社の製品はそれぞれ良好な成長ぶりを示している。2月にリリースしたマルチユーザ版のおかげで、今年のBackpack月次収益は倍に増えた。Highriseで新規に立ち上げたDeals機能についても同様に、売り上げに実に好ましいインパクトをもたらした。Campfireも地味ながら成長を続け、Basecampも5歳の誕生日を迎える2009年2月4日に向け、健全に成長の途上にある。

結局そんな感じで、現状のもたらしている事態とは関係なく、我々はうまくやっている。外で何が起こっているかについて何の注意も払っていないという訳ではない。外は荒れてるなぁ、と感じる程度だ。そして、もっと荒れるだろうなぁ、とも感じている。しかし同時に、我々は他の多くの企業よりも上手くこの嵐を切り抜ける事が出来ると確信している。スタッフは少数だし、経費も小さいし、借金も無いから。そして、よろこんでお金を払ってくれる多種多様な顧客がもたらしてくれる収益によって成長を続けるだろう、ということも。

このつらい時期だからこそ「現実的になれ」という原則、つまり、責任ある支出管理、経費節減、コア事業への集中、無駄の排除、抽象的にしないという事、複雑性の排除、明確な考え、オープンなコミュニケーション、といったものにこだわっているのだ。

2008年11月13日木曜日

[37signals] それなら、ひねらずに話せよ

(原文: Then just say it like that

意識の流れの語るままに:

「あれこれ説明するのはしんどいんだよね...」と話し手がぼやくに至る打ち合わせや会議や討論会があまりにも多い。くどくど言った後でようやく彼らはこう言う「私が言いたいのは...」。ここまで来てようやく話の内容が明瞭簡潔でわかりやすいものになる。

でもこれって、彼らは今言った事についてすぐまたどう言えばいいか考え直しているということに他ならず、彼らはまるで自分自身の発言さえ聞いていないかのように見える。いまさら必要以上に入り組んだ話にしようとしているだけかのように。一分前に言った時と同じように言うだけで良いのに。

我々は皆、誰かが話をしているときはちゃんと耳を傾けるよう教えられたが、自分が話をしているときにも同様に、良き聞き手であるよう勤めるべきだ。そうすれば、今話した内容の中に答は既に出ているのだ、ということがわかるかもしれない。

[37signals] iPodキラーがiPodを打倒出来ない理由

(原文: Why an 'iPod killer' will never kill the iPod

競合他社がiPodキラーと称して自社の新しいMP3プレイヤーの広告を出すたび、Appleはほくそ笑んでいるに違いない。こういった広告が出るたびに、人々は市場のリーダーは誰なのかということを思い起こし、Apple製品を使ってみたいとそそのかされるのだから。

もしiPodキラーになろうと、単なる良く出来た音楽プレイヤーではなくiPodキラーになろうとするつもりならば、まず第一にAppleという言葉から離れることだ。結局のところ、Appleという言葉がiPodを他のプレイヤーとは違う何か特別なものにしているのだから。よって、卓越した工業デザイン、iTMSをも圧倒するコンテンツカタログ、iTunes以上のUXといったもので勝負するしかないということになる。

でもこいつはまず無理な高望みというものだ。いまだにそんな結構なものは世に出ていないという事からしてそれは明らかだし、近い将来そういった状況になるということもないだろう。

他社の音楽プレイヤー部門にもはや参入の余地は無い、と言っているわけではない。市場リーダーであるAppleのまねをしてそのポジションを得ようとか、そのためには「ウチのはAppleのより良い」とでも言っときゃ良いとか考えてるようではひどい目にあうよ、と言っているだけだ。

AppleやiPodといった記述を、gorillaやblockbusterといった感じの、君の関与している分野のものに置き換えてみてごらん。君だってZuneみたいにはなりたくないだろ?

2008年11月11日火曜日

[Dion Almaer] 死のcronデーモン;Web版「あの世からの声」という、身の毛もよだつ発想

(原文: The death cron; Morbidly thinking about speaking from the dead

今日、奇妙にして奇怪なことを思いついた。ブログ、Twitter、FriendFeed、Facebookの世界でまさに今、君が断末魔のしわがれ声をあげたらどうなるだろう? 君のフォロワーやフレンドが「何事だ?」と訝しむまでどのくらい時間がかかるだろう?

この思いつきは、お年寄りが半日に一度ボタンを押して「うむ。まだ生きとるよ」と伝えるサービスのWeb2.0版へとつながった。

一連のプログラムをセットアップすれば、死後であってもこんな感じの薄気味悪いことを実行させる事が出来る:

・愛する人に本当の気持ちを電子メールで伝える

・未来において「俺はもう死んでいる。でももし生きてたら、今日は君の誕生日だなぁ、とか思っていることだろう」といった感じの電子メールをみんなに出す

・Amazonで何か買ってみんなに贈る

・「俺、ホントはこう思ってたんだ」とぶっちゃける電子メールを出す

・日々のTwitterカキコに、最後のつぶやきを書く

このプログラムが一日に一度沸き出そうとするのを、オンライン通知ボタンをクリックして「そこまでだフランク、俺はまだ生きてるぜ」と伝える事で、水際で食い止めるのだ。

ふむ、死者からの声ドットコムというのは悪くない。これでもう勝ったも同然だ!

[Dion Almaer] 期待

(原文: Expectations

未来に対する期待・予測というものを統合・管理する作業について考えていた。テクノロジー面からみても、未来予測がいかに重要であるかを考えるのは面白い事だ。嘗てGoogle Mapsが世に出た時、地図関連プロジェクトについての未来予測は即座に変化した。地図上を動き回ったり、直接的に双方向でやりとりするのが可能になったという事は非常に大きなことだった。Benと私は、映画やゲーム(PongからWorld of Warcraftに至るまで)の変化について、冗談を交えながら話したものだ。

大きな変化のひとつとして私が断言したのは入力機器のことだ。以前こう言ったことがある「我々は未だ石器時代にとどまっている。我々に出来る事といえば文字を入力する事とカーソルを持っていって突つく事だけだ。猿のように。ウホウホ」

タッチスクリーンは我々をより器用な動物にしてくれたが、音声認識や動作認識ってのもあるよ、どうだい? こういったテクノロジはすぐそこまでやって来ている。このことは、こういったテクノロジーが遂に実用に足るものになったあかつきには、我々が使うAPIも根本的に変わるということを意味している。開発者にとっては、開発競争においてぶっちぎりでライバルを追い抜くチャンスが来たということだ。

オバマについては期待することが多過ぎて、どうなるものかと気をもんでいる。彼がうまいことやって(現時点では難しそうだが)不景気から国民を救い出してくれれば国民は彼を賞賛するだろう、という期待がある一方、現実はと言えば、その程度ではすまされないほどの期待を、私は彼にしている。

純粋に結果に基づいた判断をすることが不可能だとしたら(訳注:ここのつながりは不明。諸姉諸兄の御知恵をお貸しいただきたく候)、私は彼に何を期待しているか? 私は彼が約束を果たすことを期待している。私はより透明な政治を求めている。私はChange.govこそ、彼と国民を結ぶコミュニケーション手段の未来形を示していると思っている。彼の関心はそこにこそあるのだ!とも。彼はTwitterに顔を出したりBlogを書くことで、何故ビラを配るだけでは駄目なのか、本当は何をすべきなのかという点について、考えを述べる事が出来る。人々に直接語る事で、彼はリポーターや偏向報道といったものを回避する事が出来る。人々の求めるのは「相変わらずの政治」ではないのだから、彼らに真の変化を見せてやることだ。

何の違いも出てこなかったら人々は不快を示すだろう。オバマは私をわくわくさせた最初の政治家だ。もし彼が国民のために最善を尽くさず、我が身かわいさのため保守的になってしまったとしたら、私は心底悲しくなるだろうし、今回のように期待を胸に誰かを支持するというのは難しくなるだろう。うわ、何というやっかいな事に首を突っ込んでしまったんだろうねぇコイツは。

深刻になっても仕方ないので、口直しということで『オバマに関する50の真実』を見てほしい。彼がやばいクスリをやってたというのは面白い。我々の社会は、黒人候補に投票することが出来るようになるまで成熟したというだけでなく、より急を要する問題をさしおいて「吸った?」(訳注:マリファナのこと)といったような下らないことを問い糾す愚はしなくなったのだ。



訳者コメント: 引用のタイトルが "The 50 facts you might [not] know" から "The 50 facts you might [now] know" に変化している点については、単なるタイポなのかそれとも意図があるのか不明。でも意図的にnowにしたと考えるとちょっと面白い。

[37signals] アンカンファレンスとでも呼べばいいのかな?

(原文: Unconferences?

フロリダ州オーランドで行われたRubyConf 2008から戻ってきたとこです。本当に素晴らしいカンファレンスでした。カンファレンスは成功裡に終わり、演目は全て一級品でした。最も良かったのは、普段はオンラインでしかやりとりできない世界中の人々と、会場に座ってだべったりハックすることによって、コミュニティとのつながりを取り戻せたことです。

今回わかったのは、私が真に参加したいと望んでいるのは『アンカンファレンス』、すなわちみんながお金を払って出席し、著名なコミュニティメンバーによるキーノート講演を一つ(もしくは二つかも)聴くんだけど、その後の残り時間についてはみんなで寄り集まってゴマンとある他のプロジェクトの人たちと共同で作業を行う、形式張らないハッキング大会として費すようなカンファレンスなんだということ。カンファレンスではマイクの前に立ってみんなが興味を持っていることを話せる、これ自体は素晴らしい、でもカンファレンスの焦点はプレゼンにあるのではなく、面白いプロジェクトに参加して一緒に手を動かすことにあるんだ。

Barcampというのが似たような感じなんだけど、これもまだプレゼン偏重なようだ。誰かこんな感じのカンファレンスに出席した事はないかな?

2008年11月9日日曜日

[一言居士] 理の産んだ陥穽を理で埋めようとするの愚

[404 Blog Not Found] 今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき

自らの業績を「あくまで延命策」と謙遜し、その上で、最も必要とされながら未だ世に存在しない「日本語をコンピュータ上で扱うためのきちんとしたアーキテクチャ」への指向を垣間見せる良エントリ。

とでも書いておけば万事丸く収まるのだろうか。

小飼弾氏に関して「所詮マッチョだから」カードと「所詮自慢話だから」カードのコンボが面白いように決まる理由は、このエントリからも見出す事が出来る。理という筋肉を過剰なまでに鍛え上げ、見せつけるボディビルダー。そしてその汗臭さ。合理への道は神経症への道でもあるということは、彼ほどの知見があれば気付かぬはずが無いのだが。

「水村美苗のように文化論的に語る事は出来ないが、文明論的に語る事なら出来る」という言からは、著者に対する謙遜というよりは、自らが摂取してきたものに対する過信と思い上がりが窺える。

彼の文明論が、武将の名前をずらずらと並べるだけの三国志厨と同水準であるということは、これまで披露されたエントリからも明らかなのだが、それに気付かないもしくは気付かないふりをしているという状況が見受けられるのは、彼および彼の周辺に裸の王様とその取り巻きという物語類型が成立しているからであろう。

彼の誤謬、彼の文明論の底の浅さは、彼の依拠するところであるコンピュータ・サイエンスの人文に対する洞察の未発達性、底の浅さに根を持つ。必要なのは「いまだコンピュータ・サイエンスはサイエンスたりえていない」ということを謙虚に認め、そしてそのさらに奥にある「サイエンスは『サイエンス』たりえない」という、今から丁度1世紀ほど前に噴出した諸事について再検討する事であろう。

シャノンもノイマンもチューリングも、自身の言説を不磨の大典として扱われる事には反対するに違いない。彼らもまた、積み重ねられた人文の深みに到達せんとしてコンピュータ・サイエンスの道を拓き、後事を我々に託したのだから。完成した体系としてでなく、我々の手で構築し続けるものとしてのコンピュータ・サイエンス。彼の意識にもそれはあるはずである。

だが彼は今や、自分自身が「瑣末な実装に血道を上げる奴ら」の一員であることを露呈してしまっている。人文をも理の構成要素として喰い散らかす彼は、相変わらず理の餓鬼道を逝くしかないようだ。

[一言居士] 厨発言

もういい加減「全否定か全肯定か、どちらかしかない」というのはやめにしないか?

少なくとも俺たち日本人は、多神の国という土壌が育んだ伝統の上に魂を置いている。それを否定して原理主義を持ち込んだ結果、どうなった? 唯一の結論が出せない、白黒付けて安堵することが出来ない、というのがそんなに苦痛か?

いいじゃねぇか、迷い続けたって。

だって俺たち「死すべき人の身」は、嫌でもその時点その時点での結論を出し、その結果を引き受けなければならない存在なのだから。

それに、単に「考える」という事以上に、「考え続ける、悩み続ける」という事が人生の無聊を慰めるものだということは、諸君も良く御存知のはずだ。どうせ暇つぶしなんだ。暇つぶしのネタとしてはもってこいじゃないか。原理主義という麻薬がもたらす虚構に安住し、考える事を放棄するなんてのはご免蒙るよ。

俺たちの住むこの世界は、天国の持つ地獄的なまでの安穏と地獄の持つ天国的なまでの波瀾万丈とを併せ持つ、実にエンターテインメント性に富んだ、煉獄という名のテーマパークだ。楽しもうや。

2008年11月8日土曜日

[37signals] Dionが示す、良い対談の仕方

(原文: Dion shows how to give good interview

ミュージシャンとの対談の多くは、話よりも曲を聴けというアーティストの意図がモロバレで、骨抜きになってしまうというのがオチだ。しかし、NPR (National Public Radio)ホームページに掲載された『Dionがギター・ロックの巨人達に捧げるオマージュ』というインタビューは、こういったありがちな対談とは正反対のものだ。Dionが音楽について、仲間について話したくてたまらないのだという事を、君はこのインタビューから感じ取るだろう。

Dionの発言なんて興味ないね、と君は思うかもしれないが、まぁ聴いてごらん。魅了される事受け合いだ。実際、このインタビューは「教育を通じてプロモーション(販売促進)を行う」という事に関する素晴らしい実例なのだ。彼は、時代遅れになったレコードをかけるかわりにこのインタビューを通じて、君に何かを与えてくれるだろう。彼はギターを手に幾つか歌を織り込みながら、彼が追いかけてきた音楽の巨人達や練習方法といったものについての逸話を披露してくれる。

彼は "Summertime Blues" をカバーし、3番の歌詞に見られるユーモアのセンスを彼がいかに愛しているかを語る。"Ruby Ruby"(訳注: "Ruby Baby"のこと)に関しては「リトル・リチャーズのおふくろさんが『わかってるねぇ、あんた』と言ってくれて、これはまさに我が生涯最高の賛辞だよ」と語る。Johnny Cashの"I Walk the Line"については、彼がいかにして6回にも及ぶ転調をやってのけているかについて語る。"Born to Cry"については、16歳のころ、シナゴーグ(訳注: ユダヤ教の礼拝堂のこと)のそばを通り過ぎた時に流れてきた祈祷者の歌を聴いて書いたと語っている。彼はこういった逸話について、たったの数分で、流れるように語っている。

このインタビューは販売促進を行う全ての者にとって重要な教材だ。宣伝文句を並べるだけでは、客は耳を貸さない。しかし、客が聴きたがっている話をし、また/そして、何か面白いことを教えてやれば、客は熱心に耳を傾けてくれることだろう。



訳者コメント: Dion DiMucciが"Ruby Baby"をカバーしたのが1962年だから、1948年生まれのDonald Fagenは14歳前後ということになる。厨真っ盛りだ。「Nightflyは青春時代の俺の肖像だ」とDonaldは言っていた。惚れた腫れたはガキの特権、思えば俺も若かったwといったところか。

2008年11月7日金曜日

[TechCrunch] おそらくMicrosoftは、本気でIEをWebKitベースにしようなんて考えてない

[TechCrunch] Microsoft Probably Not Really Considering WebKit For IE

今日はバルマーの日か何かなのか? とりあえずIEなんてどうでもいいので、ふーん、で済ませたかったところなんですが、ソースのTechworld記事にあるバルマーの発言
"That's cheeky, but a good question, but cheeky,"
に痺れました。これ、まじすか? cheekyには「生意気だ」と「(生意気だけど)面白い」の両面あるけど、この場合はどう見ても、
「生意気だぞゴルァ。まぁ、良い質問ではある。でもやっぱり生意気だよオメーはよ」
ということでして、バルマー、あんたやっぱりクッパ大王でしょw

それにしても、質問した学生さんはどんな顔してたんでしょうね、こんな言われ方して。なんか邪推しちゃうですよ「イベント会場はまるでカルトの集会みたいな雰囲気で、教祖様のお言葉には誰も逆らえなかった」みたいなw

ちなみにPower to Developersイベントに関する公式ページが、これまた強烈です。ステキ過ぎます。"Liberation Day"って、それは何の洒落ですかw

[一言居士] 厨妄想

どうやら様々な点において「遊んでる場合じゃない」フェーズが終わり「仕事なんてしてる場合じゃない」フェーズに入ったらしい。「逃げて〜」とでも言っておこうか? まぁ何はともあれ、これでようやく捩れが解消される。これでいいのだ。

といったような妄想が、『カブのイサキ』を読み『ヨコハマ買い出し紀行』を読みかえして、浮かんできた。いや〜SFって、ホントにいいもんですね。

[cnet] バルマーがGoogleのAndroidをはねつける

[cnet] Ballmer dismisses Google Android

ここでもバルマーの芸風は健在で「安心して」見ていられるんだが「GoogleがAndroidでやってることは、株主総会で『収益モデルは無いけど製品を作ったよ』と馬鹿面下げて言っているだけのことに過ぎない」という箇所は気になった。

というのも、このところの景気後退に便乗してVC連中が「収益モデルを明確にせよ」と騒ぎ立てている事と、バルマーのこの発言は同じ根を持っているからだ。

Ventureの気概はどこに行ってしまったのだ? どうやら彼らにとってVentureとは「未来のため、敢て眼前のリスクを取る」ことではなく「手っ取り早く確実に現金化する」というものらしい。収益化の具体策までスタートアップに書かせるつもりか? その手助けをするのが諸君の勤めだろう。職務放棄も甚だしい。

まぁそれはそれとして、cnet掲載のツーショットは実に良いです。バルマーの悪党面とトルヒーリョのマリオ面のコラボ、夢の競演です。バルマーがクッパ大王に見えてきます。

2008年11月6日木曜日

[TechCrunch] MicrosoftのBizSparkは無料のソフトウェアとサービスでスタートアップ企業を「抱擁」する

(原文: Microsoft BizSpark Embraces Startups With Free Software, Services

Microsoftはスタートアップ企業向けにMicrosoft製品に基づいたサービス構築を支援するBizSparkというプランを発表した。

Webサービス構築を必要とするスタートアップ企業が求めるほぼ全てのものが、3年間無料で提供される(提供されるツールとソフトの多くは、MySQL等のオープンソースプロダクトと競合関係にあるものばかり)。戦略的新規事業推進部長であるDan'l Lewinが運営するこの計画は包括的なもので、これによりスタートアップ企業はフル機能版の開発ツールやサーバ製品ライセンスに関し、何の先行投資もなしに利用出来るようになる。BizSparkは必要なテクニカルサポートについても無料で手を差し伸べる。

契約書には小さい字でこう書かれている:  BizSparkによるサポートを希望するスタートアップ企業は、ベンチャー投資家やコンサルタントといった専門家ネットワークを通じて、前途有望な会社であるとして話題に上っていること。認可にあたって、最低3年の業務期間と企業収入が百万ドル未満であることが求められる。

スタートアップ企業が手にするもの: 無料かつサポート付きの、Microsoft勤製、オープンソースソフトウェア代替品。Microsoftは自社のソフトとサービスを利用するエンジニアの群れを調教し、3年の無料期間が終了して支払いが生じたあかつきには、こいつらを囲い込むことが可能になる。スゲー。



訳者コメント: この件に関しては、なんかもう「MS必死だなw」ということで片付けちゃっていいんじゃないでしょうか。ていうか、もしかしてここは笑うところですか?「はなしませぬぞ〜」って、源平討魔伝の鬼姫かw

2008年11月5日水曜日

[一言居士] 猫も杓子もクラウド

「雲を掴んだような話」ってか? そりゃそうだ。クラウドだもの。

[VentureBeat] Salesforce.comがMicrosoftについて言及: 「彼らはみんなを憎んでいる」

(原文: Salesforce.com on Microsoft: “They hate everybody”

CEOのMarc Benioffによると、Salesforce.comの戦略は「愛」の一言に集約されるという。もちろんこれは、今日サンフランシスコで行われたDreamforceカンファレンスの席での、アナリストやレポーターからの質問に対する、冗談半分の回答である。しかしながら彼は、いかにしてSalesforce.comがソフトウェアの巨人であるMicrosoftをクラウドコンピューティング市場において打ち負かすか、という点に関する現実的な議論を我々に示した。

Benioffは言う「他にMicrosoftがユーザに提供しているものと同様、新たに発表されたMicrosoftのクラウドコンピューティング向けアプリケーションプラットフォームであるWindows Azureは、結局のところ、人々をMicrosoftの製品やサービスに縛り付けるためのものだ」「一方、Salesforceは、CRMサービスとビジネスアプリケーション構築プラットフォームであるForce.comの両面に関し、よりオープンで協力的である」「Salesforceが関心を持っているのは、複数のクラウドやプラットフォームや機器をつなぐことであり、今日行った『FacebookおよびAmazonウェブサービスとの連携』や『Google Appsとの連携』という発表がこのことを証明している」

Benioffが言うには「MicrosoftとSalesforceを比較すると、彼らはみんなを憎んでいる、我々はみんなを愛している。これは大きな違いだ。我々はMicrosoftのことすら愛している。これこそが我々の戦略の中心にある『愛』というものだ」

観客の一人が、Benioffのオープン性に関する発言は誇大に過ぎるのではないかと詰め寄るとBenioffは、自分が言っているオープン性とは他社との協力性のことであり、オープンソースそれ自体のことではない、ということを強調した。彼はまた、Force.comにクローズドな面、すなわちForce.com上で動作するアプリケーションを構築し、他のプラットフォームへ接続するのは可能だが、そのアプリケーションを他のクラウドへ完全移行するのは不可能であるということについても認めた。

「我々の業界において、コードの移植性は必須というわけではない」とBenioffは言い、AppleのApp Storeを、多少クローズド(今となってはこれも控えめな言い方ということになるが)なプラットホームではあるが、何はともあれ繁盛しているとして例に挙げた。

Benioffはまた、なぜ他のネットワーク、なかでも特にビジネス指向の強いLinkedInといったネットワークではなく、Facebookを最初の提携先としたのかという点について語った。Force.comはそのうちLinkedInやMySpaceとも提携する計画になっているが、ユーザ面およびプラットフォーム基盤と言った面から見て、Facebookを第一とすべきなのはどう考えても明らかだった、というのがその理由だ。

最後にBenioffは、Salesforceが現今の景気後退にどう対応していくかという質問についていくつか取り上げた。共通するテーマは「今後も我々の今持っている戦略にこだわっていきたい」というものだった。例えば、OracleのCEOであるLarry Ellisonが「景気後退によりバーゲン価格で企業を買収する好機が訪れた」と言ったのに対し、BenioffはSalesforceの企業買収計画を変えるつもりは無いと述べた。もう一人の質問者は、Salesforceの拡張アプリケーションを販売するベンダーのうちのいくつかは景気後退により職を失う事になるだろうが、これはSalesforceの顧客にとっては良くない事だと指摘した。これに対しBenioffは、Salesforceは今までずっと顧客にブリッジ(訳注:ソフトウェア間の橋渡しをするもの)を提供することに努めており、ベンダーが職を失ったとしても顧客が損害を受ける事は無いと答えた。

「この件に関する私の考え方は実に単純なもので」と彼は言う。「今のところ、ビジネスの本質に関わる部分の大幅変更はしたくない」

[37signals] 20秒以内で37signalsについて述べよ

(原文: Describe 37signals in 20 seconds or less

我々は問題を抱えている。37signalsがしている事を一般の人にどう説明するか、思いつかないのだ。

カクテルパーティで誰かにこう聞かれたとする「37signalsって何やってる会社?」。典型的な回答は「WEBソフトを作ってる会社でね」で始まり「小規模な会社向けの、情報統合ソフトでね」と続き、聞いている人のいびきで終わる。

一般の人の興味をひくものは何だろう? 技術オタクではない人でも眠くならないよう、手短に37signalsのやってることを説明する良い方法はないものか? 37signalsは面白い事やってるなと人々に思わせるにはどうすればよいだろう?、、、20秒以内で。



訳者コメント: この記事そのものより「俺に聞かれてもなぁ。てめぇのケツはてめぇで拭けや」といったものも含め、読者コメントが味わい深い。「汝自身を知れ」というネタは、古今東西を問わず人を引きつけるものらしい。

2008年11月4日火曜日

[37signals] 過激なアイディア: 有料化せよ

(原文: A radical idea: Charge people for your product

Farhad Manjooが『Facebookの過激なビジネスプラン:有料化という道』[Slate]で、企業はサービスを有料化すべきだという「いささかまともではない」提案をしている。

David(訳注: 37signalsの従業員で、Ruby on Railsの作者として知られるDavid Heinemeier Hansson)はインタビューを受け、なぜ「利益を上げために代価を取るということが、みんなはそう思ってないだろうが、本当はクールな事」なのか? という点について説明している。
[Hansson:] 「客が君の製品やサービスに対して金を払う、それで利益をあげるんだよ! 単純極まりないけど、これでうまくいくんだ」。もちろん37signals自身がこの考えを思いついた訳ではない。「こういったやり方は長年にわたって、実際もう何百年にもわたって我々が耳にしてきたやり方であり、たいがいの企業はこうして稼いできた。でもなぜかWebの世界では、そういう考え方が失われてしまったんだ」という点についてもだ。

「人は勝算というものについてきちんと考えるということをしないものだ」とHanssonは言う。「宝くじを当てる人は常に存在する。けど、宝くじを山ほど買いに出かけるというのが良い財政戦略だということにはならない」

Hanssonは言う、Web起業家は、いつの日かどかんと回収することを夢見てベンチャーキャピタルから大量の資金を調達する(宝くじを山ほど買い込む)のではなく、大多数の非Web起業家が行っているのと同じやり方、すなわち小額の元手で、まずは良い製品、客が喜んで金を払うような魅力的な製品を作るというやり方で始める方が良い、と。その後、時間をかけて、客から得たお金を使ってより多くの客を生み出せるよう製品の改良や他の製品の開発を行う、これがビジネスに対するより多くの投資を産む。これは、人類が経済活動に携わってきた何千年にもわたって非常にうまく機能してきたことが証明されているサイクルなのだ。
記事全文はこちら

なお『Die Kraft des Mittelfingers』[brand eins] に、37signalsに関する最近の記事(ドイツ語)がある。ドイツ語が話せなくても要点は掴めるだろう
David Heinemeier Hansson ist vulgär, und das ganz bewusst. Seine “Fuck you! ”- und “That’s bullshit”-Sprüche setzt er dosiert ein, wenn er Gesprächspartnern seine Sicht der Dinge nahebringt.
関連記事: The Secret to Making Money Online [SvN]