2008年11月1日土曜日

[ars technica] クトゥブントゥの呼び声

(原文:The Call of Cthubuntu)



暗く底知れぬ深淵に、時を超越した異界より来りし恐怖が住み着いている。それは嘗て、我らの運命の星たる地球において生命を構成する要素が原初の海の中で凝固し生じ始めた時代に、宇宙の虚空をさまよっていた。はるかなる星々を経巡って彼らは我々の世界に至り、彼ら以外の何者も生存し得ない、我々が到達し得ない地に、堂々たる巨大建築物を作り上げ、そこで無限の時にわたり、夢に満ち満ちた眠りについている。

こうした旧支配者(グレート・オールド・ワン)の存在は人々に対してひた隠されてきたが、彼ら、いつの日か目覚め深淵より立ち上がり我ら弱々しき存在を地上から抹消する隠然たる恐怖についての、我らにはそれと知れぬしるしやきざしが、我々を取り巻いている。そういった旧支配者の、身の毛もよだつ帰還を予言する古の品が、私の所有するところとなった。おぞましきクトゥブントゥLinuxディストリビューション。それは我々の理解をこえた暗黒の時代に源を発する、筆舌に尽くしがたい力を持つ神秘の聖遺物。それは現代科学では知る術なき錬金術の技法により作り上げられた異界の器具。

それは古の伝承をよく知る古参のUNIXシステム管理者である我が師の突然の死により我が手にもたらされた。彼はミスカトニック大学IT学部長であり、コンピュータ・サイエンスの歴史に関するエキスパートとして多くの人に一目置かれていた。死因は、眼に見えぬ攻撃者により投げつけられた椅子が頭にぶつかったというもので、彼の突然の死に関するこの奇怪な状況は、彼の友人や同僚たちのあいだにさまざまな憶測を呼び起こした。彼には妻子がなかったので、彼の教え子たる私が彼の遺言執行に関する監督業務を依頼された。

厚紙で出来た箱にひそむ恐怖

彼のオフィスはさながら古代の聖遺物箱といった様相を呈しており、部屋の隅々やちょっとした隙間に至るまで、彼が長年にわたって蓄積してきた歴史的価値のあるお宝で占められていた。彼はいつも、彼のコンピュータサイエンスに対する愛着を将来の世代と分かち合えるようにするため、この膨大なコレクションで博物館を作ることを計画していた。その願いが果たされたかを見に行くという意図のもと、私はアーカムのミスカトニック大学へ赴いた。彼の収蔵室におかれたガラクタ達の中に、私はPDP-4、AppleのLisa、うず高く積み上がったパンチカード、「ガラス窓が割れる原因の相対頻度」と題されたチャールズ・バベッジの1857年の研究に関する手書き草稿とおぼしきものを見出した。

私の眼は棚の並びを下方へとふらふらと動いていき、積み重ねられたADBケーブルを通り過ぎ、光の差し込まない隅に控えめに収まっている、茶色い厚紙で出来た箱に行き着いた。それは気を滅入らせるような圧迫感を持った、部屋を満たす不吉なオーラをにじませていた。歩み寄ると、その表面に装飾が施された奇妙な記号を見る事が出来た。私は箱を開け、中身を引っ張りだすために指をのばすまでしばし躊躇した。中から現れたものは、私が最後の息をひきとるその日まで、我が夢につきまとうことになるものであった。それは比類なきグロテスクさを持った外観により飾り立てられた黒いCDケースであった。

ケースの絵は人外の獣を描いており、その最も目立つ特徴は、のたうつミミズの群れに似た触手に覆われた、歪んだ顔であった。その獣には鱗のある翼と暗黒をたたえた死んだような眼と恐ろしい爪があった。いかなる記述をもってしても、この陰惨なるものの恐ろしさと堕落の程を満足に伝える事は出来ない。私はすぐに、この悠久にして地上のものとは思えない邪悪なるものが、いかなる人の想像の産物でもありえないことを認識した。私の手は震え始め、胃がむかつき始めた。のどに生暖かいものがこみあげるのを感じ、昼食に烏賊のシチューをおかわりした事を苦々しく思った。

私は急いでそのおぞましきCDケースを厚紙の箱に戻し、のこりの中身を調べ始めた。引っ張りだされた、日焼けして切れ切れになった大量の紙には書き込みがなされていた。几帳面な筆跡は、かの古参UNIXシステム管理者の手によるものであることを窺わせたが、書かれたもののうち判読出来たものはきわめて少なかった。彼は手でページをずたずたに引き裂き、残りは火にくべることで、この覚え書きが他人に読まれることのないようにすることを試みたとみえるが、その作業はひどくあわてた状態で行われたものと見える。

彼は聖遺物に関わる何か重大な暗黒の秘密を明らかにし、それが彼を完全なる恐怖に陥らせたがため、彼は研究を進める事をやめ、発見した事についても、他人がそれを知る事についてもそれを不本意とするに至った。私は「禍々しき運命」「絶滅」といった単語を判読する事が出来た。もうひとつ、彼が破棄した文書を通じて規則正しく繰り返される単語があり、それは「クトゥブントゥ」というものであった。

私にはその単語の意味を解読する事も、正しい発音を思いつく事すらも出来なかったが、それは重りのように私の心にぶらさがり、不安と恐怖で満たした。破壊を免れたページの切れ端のうちの一枚に、上隅に日付が書かれたものがあった。日付から、そのページは彼の死の前の一週間以内に書かれたものであり、当時の彼の心をこの研究が占めていたことを意味している。

助手の狂気

私は師の研究所の助手がこの奇怪な事件にいくばくかの光をもたらすものと考え、彼を捜すことを企てた。学部生から聞いて驚いた事に、その助手は発狂し、今はアーカムの療養所に拘留されているとの事だった。私は独房にこの憐れむべき魂を訪ね、筋の通った話をしてくれるよう説いたが無駄に終わった。

彼と向き合い、あのぼろぼろになったノートについて聞いたとき、彼は体を震わせ始めた。体を詰め物のされた壁に何度も打ち付け、耳をつん裂き背筋を寒くさせる、人とは思えぬ泣き声を発した。その泣き声には、壊れたファックスと、地獄へ通じる穴からわき出す不快な風がたてる不協和音の叫びが入り混じっていた。その泣き声は私に、タルタロスの深奥に棲み、その金切り声により呪われし魂を狂気へと導くという、翼持つ復讐の神、ギリシャ神話のエリニュエスを思い出させた。彼の眼は執拗なる恐怖によってどんよりと澱み、筆舌に尽くし難いトラウマによって心を打ち砕かれた者が見せる、苦痛に満ちた表情をしていた。

彼の咆哮は狂人のような笑いへと変わり、それからリズミカルな詠唱へと変わった。彼はUNIXのsedコマンドのマニュアル全文を暗唱し、その後、あたかもこの試練に精魂尽き果てたとでも言うように、床にばったりと倒れた。私は彼の暴走に動揺したが、彼そして我が師が見出したものについて知りたいという願いは消えなかった。私は彼の腕をとり、壁にもたれ掛かることが出来るよう引っ張り上げた。私の更なる説得により、彼はひそひそ話し始め、私が今回発見するに至った秘密に関するいくばくかを語った。彼の話は謎めき、狂気に満ちた笑いが句読点となるが如きありさまであったが、私は切れ切れの断片を組み立て、彼のわかりづらい与太話から筋の通った話を導きだすことが出来た。

彼の語った話は、人類の黎明を遥かにさかのぼる太古より巣喰いし恐怖と宇宙戦争の物語であった。それはあまりにも荒唐無稽かつ動揺を呼ぶものであったので、私はそれ以上の詮索をやめた。この物語のほんの一部について話すだけで、私の心は暗いおののきに満たされてしまう。以下は私が知るに至った話の一部である。

2つの相反目しあう異界の種族が地上の支配を巡り、互いに由々しき弱体化に陥るに至るまで戦いを繰り広げた。最終戦争は互いの町を沈める大洪水によって頂点に達した。双方ともに深淵へと退却したが、我ら人間を操る事により代理戦争が続けられている。かの狂える助手は、その2つの派閥の真の名は、人間には発音出来ないものだと主張した。派閥の一方を「ネピリム」もう一方を「スター・スポーン」と彼は呼んだ。ネピリムは地球の内奥深く、人知れぬ要塞を、現在はレッドモンドとして知られる地の下に築いた。スター・スポーンは沈める都市ルルイエ、CDケースを飾る怪物じみた図像が示している彼らのあるじが眠るルルイエに居を構えた。



何世紀もの時が過ぎ、ネピリムは人間性の腐敗を目論んで巧妙なトリックを使うようになった。彼らは市場を支配する強大な力と、人が利用する最も有用なテクノロジーを操作する能力を手にした。一方、スター・スポーンの足取りはゆっくりしたものだったが、まもなく人間の先兵達に、ネピリムによる奴隷支配からの解放を可能にする新技術を与える事によって逆襲を始めた。あのおぞましいケースに入っていたCDはそんな道具のひとつだった。その名はクトゥブントゥLinuxディストリビューション。何世代に渉り受け継がれ、スター・スポーンの眷属によって振りかざされてきた強力な古の品。

こういった新たな知識を得た後、私は療養所を発ちホテルへ戻った。その夜の夢は、いつ終わるとも知れぬ戦いに明け暮れる悪魔達の、魂を打ちひしぐようなイメージがつきまとって離れなかった。私は化け物じみた大きさを持ったサイクロプスの街と、いかなる描写も困難な者どもにより構成される、莫大な数の軍隊とを目にした。翌日目覚めたとき、私は熱に浮かされたような状態であり、そんな窒息死しそうな恐怖の重圧のもとにあって、調査を続ける意志がゆっくりと崩れていくのがわかった。私は助手への質問を続けるために療養所へ戻ったが、彼は独房の中で死んでいた。彼は手首を切り、こと切れる前にその血でPerl言語による数行のひどく読みにくいプログラムを独房の壁に書きなぐっていた。

独房は彼の、すでに初期の死後硬直の段階に入った亡骸の放つ悪臭に満ちていた。私は吐き気を催しながらもそのPerlプログラムをPDAに書き留めてやっとその部屋から解放された。私は急いでミスカトニック大学の師の研究室へ戻り、彼のコンピュータでこの常軌を逸したプログラムを実行した。私はプログラムの仕組みというものは知らなかったが、実行してみると以下の文章が端末に映し出された。

ぺんぎん むぐるうなふ くとぅぶんとぅ るるいえ うぐふなぐる ふたぐん

調査を次の段階へ進める決意を固めたのは、まさにこの時だった。私はおぞましいケースに入ったCDを取り出し、それでコンピュータを起動することを試みる必要があった。一体、いかなる愚かしさと傲慢さが、まっとうな人間をかくも不健全なミステリーの探求に駆り立てたのだろう?人知の及ばぬ事象に相対した時、私は科学に対する好奇心と真理の解明に対する抗いがたい欲求とにたぶらかされてしまったのだ。

クトゥブントゥLinuxの起動

CDケースに再び触れ、その表面の画像を目にした時、私はこれから起こる事の予兆を感じ慄然としたが、勇気を振り絞って作業を進めた。CDを取り出し、CDドライブに入れ、起動した。画面が明るくなった時、突如部屋全体が奇怪な緑色の輝きに満たされた。触手のある獣が、星々が渦巻く中、ディスプレイに現れた。私の恐怖はシステムが起動を終えユーザインタフェースが描画されるまで、しだいに募った。その画面は平凡なLinuxディストリビューションのそれと似通っていたが、そこにはそれの持つ異界の出自を反映した、不安を感じずにはいられない異常さがあった。

私はそれらを見なかった事にしようと心に決めたが、どうしても記憶から抹消出来ない細かい点がいくつかある。カーソルは触手のようにのたうち、ウィンドウは非ユークリッド幾何学にもとづいた畸形を呈し、私がそれをドラッグすると画面にグロテスクな模様がにじみ出た。ファイルを捨てるゴミ箱の代わりに、血まみれになった生け贄の祭壇があった。OpenOrificeと呼ばれる、ひと組になったアプリケーションからプレゼン用アプリケーションを起動すると、眼前でアプリケーション内の一枚のスライドがまたたき、私は気を失った。これはスター・スポーンが大地を汚し、ネピリムを打倒し、人類を堕落させるためにたてた計画だったのだ。

クトゥブントゥLinuxディストリビューションが自ら行った、この悪夢の開顕も、私をあの哀れな助手のような、たわ言をまきちらす精神異常者へと変えるには至らなかったが、最後に見たスライドは私をそんな異常の瀬戸際まで追い詰めるものだった。堂々たる宇宙船に乗ったスター・スポーンの眷属達がまもなく地球へと至り、計画の実行を開始する。答えが出ていない事はまだ多いが、まちがいなくこの最後のスライドが示した、我々にとって不可避な事実があまりにも秘密と恐怖とに満ちたものであったため、その代償として我が師を死に至らしめ、彼の助手から正気を奪ったのだ。スター・スポーンの襲撃を止める術はないことを知りながらも、わたしはここに真実を開示する。彼らはやって来る。

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