2008年11月30日日曜日

[一言居士] やめとけ。諸君のやろうとしているのは漢字の再発明だ。

元ネタ: Google Japan Blog: 絵文字のユニコード符号化: 符号化提案用のオープンソースデータ

一言で言うと「つまんねぇことすんな」

理由はとりあえず4点

(1)標準化など不要だから

標準化というものを全否定するつもりはない。アドホックな標準化作業の積み重ねでしか達成し得ない事もあるというのは理解している。だが「どっからどうみても売れそうに無い製品を作らなければならなくなったエンジニアの悲哀」と同じ臭いを、俺はUnicodeに感じている。UTF8などの成果物を常用しつつも、その根底にあるのがいかにも中途半端なコード表でしかないということを意識してしまうと慄然とせざるをえないのだ。

そもそもUnicodeコンソーシアムに何かを期待する方が間違っているのかもしれない。「全ての文字をコード表にマッピングすりゃいいんだろ」という安易な発想が根底にある以上、見込める成果など知れたものなのだから。そんな姿勢はサロゲートペアという、目的と手段が完全にひっくりかえった醜悪な実装にもよく現れている。

本当に必要なものであれば、ユーザは自ら発明し利用し広める。標準化機構の出る幕など無い。というか、標準化機構の仕事って「ユーザの足を引っ張ること」になっちゃってねぇか?

(2)標準化など不可能だから


絵文字の表現力は「笑アイコン」ひとつ取ってもそれが「莞爾」なのか「冷笑」なのか「微笑」なのか「嘲笑」なのかわからないお粗末なものだ。これらひとつひとつについてアイコンを一個一個定義していくのか? 漢字が、少なく見積もっても三千年かかってやってきたことを一からやり直すのか? 正気の沙汰じゃねぇ。

「いやいや、その数を限定するのが今回の目的なんだよ」というのが本件の主眼であることは理解している。何を取り込み何を切るかについて、何らかの権威のもとで定義しておこうというわけだ。

よろしい。あえて挫折を繰り返すというのだね。所詮完璧なものなどできないのだから目先の事だけでも片付けようと言うのだね。私は手を動かす事それ自体には何の価値もないという考えの持ち主だが、諸君がやるというならば、その意志は尊重されねばならぬ。

だがそれでもなお問わずにはいられないのだ。その先にはさらに苦しい道のりが待っているということを理解した上で言ってますか? と。

なぜなら、絵文字・アイコン、というかその本来の姿である「イコン」というものは、それに関する十分なコンテキストが提供されていなければユーザ間のコミュニケーションに利用出来ないものだからだ。リテラルコミュケーションですらそういったコンテキストは不足しがちなのに、全く新しい記号体系に関してそれを提供する覚悟はおありですか?

あぁ、そういったアイコンとコンテキストのペアは既にユーザによってネット上に日々アップされてるから不要だと申されるのですね。じゃ、君達いらないじゃんw。おっと、このwもemoticonだったね。失敬失敬。

(3)絵文字自体の重要度が低いから

上でも述べたように、本件はまさに「漢字の再発明」であり「もっと他にやることあるだろう」と言わずにはいられない。自然言語処理、コーパス利用条件の緩和などいくらでもやるべきことはあるはずなのに。

なぜ絵文字のユニコード符号化などというしょうもないことにGoogle(もしかしたらGoogle Japanだけ?)が血道をあげるのか不思議でならない。おおかた「他がやってるからウチも」というレベルなんだろう。頭の悪い営業戦略を見ているようで笑える。

まぁそこは世界のGoogleということで「心配すんな。今回はうるせーやつがいたからちゃっちゃと片付けただけなんだよ。本道もきちんとやってるぜ。そのうち見せてやるから楽しみにしてな」という頼もしい声明が出てくる事を期待している。

余談だがDave Winerの記事に絵文字が出てきた時には茶ぁ噴いた。やっぱりこのおっさん、本当は何もわかってないんじゃなかろうか?

(4)日本人の、つまり日本語のためにならないから

ネガティブと呼ばれるのは百も承知の上で言う。

本件について「日本発の文化が世界に!」とか言ってる連中は全然ダメだ。この程度のことを日本の文化と呼ぶようではご先祖様が泣く。日本の文化、そしてその精華でありプラットフォームである日本語を築くために死闘をくりひろげた先人達がうかばれない。

「ことのは」「ことだま」をないがしろにしておきながら、こんな出来損ないを世界に輸出するというのは日本の・日本人の・そしてなによりも日本語の未来のためにならない。実際、BUKKAKEとかHENTAIとかと同じくらい恥ずかしいレベルだぜ、こいつはよ。

ちなみに本件は、先日の日本人ノーベル賞受賞者濫発と同じ臭いがする。日本人もなめられたものだ。まぁ仕方ないか。それこそUnicodeというお仕着せのアーキテクチャの上でしかその存在が認められていないんだからな。

いい加減なんとかしようや。

2008年11月28日金曜日

[Steely Dan] Black Friday and Bad Sneakers

Black Friday
ブラックフライデーになったら
ドアのそばに立ってやる
受け止めてやるんだ
灰色の男が14階から飛び降りるのを

ブラックフライデーになったら
貸した金の全てを取り立ててやる
通りに出てやるんだ
やつらが俺の来た事に気付く前に

ブラックフライデーが来た日にゃ
そういうことになるんだよ
くわばらくわばら

ブラックフライデーになったら
マスウェルブルック峡谷に行って飛び降りてやる
地べたにでかく真っ赤な字で殴り書きしてやるんだ
俺というちっぽけな黒い本の中の単語全てを

心を満たしてくれる事以外には何もしない
靴下も靴も要らない
することといえば
国中のカンガルーに餌をやることだけ

ブラックフライデーになったら
俺はあの丘の上に立ってやる
そういうことさ

ブラックフライデーになったら
自分を埋める穴を掘ってやる
心行くまで居てやるんだ
そこに身を横たえて

弔問客なんざ無視してやる
大司教様は清めの儀式を行う
もし彼が俺の意図を理解しなかったとしたら
その時は放っておくさ

ブラックフライデーになったら
俺は求め訴えてやる
名前を変えてやるんだ

Bad Sneakers
5つあるんだ
耳にするのが我慢ならない名前が
その中には君と俺の名前が
そしてもうひとつ、どっかにいるエテ公の名前が

奥様方が話してる
酷い時代ですわねぇとか
あのおぞましき出土品のことを
マグノリア大通りで

***
まったく、頭がおかしくなりそうだぜ
凍てつく雨を嘲笑い
孤独に苛まれる
ねぇハニー、あいつらいつになったら俺をうちに帰してくれるんだろう

ぼろぼろのスニーカーと
一杯のピナ・コラダだけが俺の友達
のし歩くのさ
電気屋のある通りを
トランジスタラジオを手に
どか買いする金をたんまり懐に入れて

おまえは通りを駆け上がる
あの白いタキシードを着て
息急き切らせて

俺をアホだとでも思ってるんだろう
俺が知らないとでも思ってるのか
谷にあるあの溝は
この俺を埋めるためのものだって事を

***


訳者コメント:
どうやらRed Fridayになりそうな今日この頃、どう見てもワンセットな、このKaty Liedの冒頭2曲を訳さずにはいられなかった。

もう15年近く前、まさにBad Sneakersな私がいた。
クソ遅ぇ98と
symdebだけが俺の友達
のし歩くのさ
ポン橋を
エロゲを手に
トレカをボックス買いする金をたんまり懐に入れて
火の消えたsorcerを捨ててsymdebだけでビットのダンジョンをうろつき、exezipを解き、展開ルーチンをファイルにダンプし、画像ローダからルーチンをcallする。私の86アセンブラの知識はこうして身に付けたのだった。

FirebugとXPath Checkerを友にWebのダンジョンをうろつく今の私にとって、当時得た知識はもはや化石でしかない。それでも、あの時と同じときめきが今の私を支えているのだ。

与太話はさておき、いまだに判明していない点がいくつか。普通Radio CityといえばNYのRadio City Music Hallのことだろうが、私にはどうしても片田舎にある電気屋、それも当時人気のあったアマチュア無線関連の品揃えが充実した電気屋が思い起こされるのだ。そうそう、いかにもこんな感じの。

他にも「出土品とは具体的に何?」とか「名前を変えるって何?生まれ変わって洗礼名を変えるとかですか?」とか「Bad Sneakersは人間としての自分と犬としての自分がオーバーラップしているように見えませんか?」とか、いろいろあるんですが、このあたりの内情をご存知の方は是非教えていただきたく、よろしくお願いいたします。

2008年11月27日木曜日

[Dave Winer] 汝罪人らよ、悔い改めよ!


(原文: Repent ye sinners!

経済崩壊の原因は、今まさに崩壊のさなかにある銀行の全てが置かれている New York という都市にある。馬鹿げているというのは百も承知だが、市が野球場を取り壊した時に、これから起こるのは悪い事以外の何ものでもないということを確信したのだ。例としてシアトルのキングドームを見よ。もはや何も言うまい。これの意味するところは明白である。

さて、今年ニューヨーク市は2つのスタジアムを取り壊した。2つもだ! 共に大いなる歴史的価値を持つものだ。ああ、確かにそのうちのひとつはもうひとつに比べればそれほど歴史的価値はないと思われているんだろう。しかしだ、ヤンキー・スタジアムではもう何年にもわたって、わくわくするゲームは数える程しか無かったのに対し、シェイ・スタジアム、あの60年代、お荷物球団と呼ばれた不遇の時代にメッツがプレーし1969年のメッツの奇跡でワールドチャンピオンの栄光を手に入れた地であるシェイ・スタジアムの歴史はかけがえのないものなのだ。Mookie Wilson と1986年度のメッツの選手達がワールドシリーズでBill Buckner(訳注: 第6戦で痛恨のトンネルをした)のレッドソックスを破ったスタジアムなのだ。

寒い時代だと思わんか?

証拠を見せろと言うのなら、議論の余地のない証拠がある。取り壊しの後に新しく出来るスタジアムの名前を見よ。

そうなのだ。Citi Fieldなのだ。ひどい話だ。

神は神秘にして確固たるすべもてわれらにつげたまふ

汝罪人らよ、悔い改めよ!



訳者コメント: 阪神優勝のもたらす経済効果といったような側面とはまた違った切り口であり、面白いっちゃ面白いのですが、それにしてもトンデモのそしりは免れますまい。床屋論議が世界に響きわたるというのがブロゴスフィアのいいところだとは思いますが。

[37signals] 「37signalsの主成分はLotusとiPhoneとDisneyで出来ています」

(原文: "37signals is the (Lotus, iPhone, Disney) of software"

先日「20秒以内で37signalsについて述べよ」にてみなさんにコメントを求めました。いただいたコメントを要約すると以下のようになります:

多くの人がアナロジー(〜に似ている)のかたちで返答してくれました。そんな「37signalsは〜に似ている」パターンの幾つかを以下に示しますと...

「コンピュータにOutlookをインストールしなくてもGMailを使えばメールが出来るというのと同じで、あなたが小規模ビジネス運営のために私たちの製品を利用する場合、コンピュータに何もインストールしなくても利用出来る」

「もしSteve Jobsがオンラインアプリケーション市場にいたとしたら、彼の会社は37signalsになるだろう」

「宙に浮かぶ巨大なシステム手帳だ」

「私たちはビジネスソフトウェア業界におけるLotus(車の方の)です。私達はビジネスの現場で求められている、無駄の無いコンパクトなソリューションを構築しています。まさにLotusがそうしているように、私たちはあなたの求めるもののみに注力し、あなたにとって不要なガラクタはすべて投げ捨てることにしています。」

「GoogleやAmazonやeBayといったような、Webベースの製品を作っています。私たちはとりわけプロジェクト運営・TODOリスト・ドキュメント共有・共同作業といったものを管理するためのツールに焦点を絞っており、多くの人々およびビジネス現場が必要としているシンプルなものを提供しています。37signalsにとって重要な事はシンプルであるという事。すばやく起動し、実行し、成果を出す事です。」

「iPhoneを知ってる?すごくエレガントで実用的でしかも使ってて楽しいということで注目を集めてる。仕事で使ってるソフトもこんな感じだったらなぁと考えてごらん。ほら、プロジェクト管理ツールとか組織運営ツールとかのことさ。ごちゃごちゃしていないメニュー、より良い成果、使ってて楽しい。私たちの作っているのはそんな感じの、Web上で動作するソフトなんだ」

「我々はソフトウェア業界におけるDisneyである」
辛辣なもの(訳注: というか機知に富んだもの?)も多かったです
「俺たちは『管理なんかくそくらえ』という感じの管理ソフトを作ってる」

「37signalsは人々のほにゃららを統合管理するお手伝いをしています」
(訳注: $#!+(ほにゃらら)とはshitとかfuckのこと?)

「我々はITからshを取っている」
(訳注: shit(クソ)からshすなわちシェル・殻を取ると中味のITが出てくるという洒落か?)

「37signalsは日々のコミュニケーションから『不要なもの』を除去して真のコミュニケーションが出来るようにするための製品を作っている」

「正しいプロジェクト管理
誰でも使えるイントラネット
使い物になるメッセージングツール
人々の動向を追う(訳注: n'utherというのはアーサーの父ウーサーに関する言い回し?)
現実に即したシンプルさ」
(訳注: 縦読みぽい。PIMPSとはポン引きのこと)
数は少ないものの簡潔な回答もいただき、共感すること頻りです
「我々は会議を不要のものとする」

「生き方そのもの」

「あなた方の製品は我々を時間の無駄をもたらすものから守り、目の前にある仕事に専念させてくれる」

「37signalsは人々に簡単な方法を以て大きなことを成せるよう手を差し伸べる素晴らしいソフトを作っている小さな会社だ」

「オンラインで利用出来る、TODOリスト・備忘録・日記・コンタクトリストといったものをひっくるめた統合ツールだ」

「より少ない時間で仕事を片付けるためのお手伝いをいたします」

「あなた方は情報および対人関係を組織化する手助けとなるWebソフトを書いている。あなた方のソフトは、紙を減らし、電話での応対を減らし、そして、これが一番大きいんだが、会議を減らしてくれた」
回答してくれた皆さんありがとう。思考のための糧をたくさんいただく事が出来ました。

2008年11月26日水曜日

[一言居士] ダメだこりゃ

元ネタ: 日本のケータイは本当にガラパゴス化なのか!?

いまだに高画質・ガジェット・機能と言ったものを競争ファクターとして臆面も無く挙げるあたり、なんかもう「ダメだこりゃ」としか言いようが無い。
すでに先人達は世界に戦いを挑みに海を渡っているのです。その当時世界は日本の進みすぎたシステムを受け入れることが出来なかったのではないでしょうか。文化は押し付けるものではありません。求められて広がっていくものです。
というくだりは至極ご尤もなのだが、ご尤もなだけで情報価値としてはゼロだ。「その当時求められていたものを日本のメーカーは見抜けなかった」と言った方が、薬効成分があるだけまだマシだ。

「お家芸復活」とか、いつまで右肩上がりのころの夢をみているのか。成功体験という害毒に侵された人の良い見本である。

「すでに優位性がなくなった」とぶっちゃけるあたりは正気を疑うしかなく、もし本気だとしたら職務放棄も甚だしい。こうした人物がご意見番になっているのが日本のモバイル業界なのだとしたら、これからもお先真っ暗ということで間違いない。

2008年11月24日月曜日

[一言居士] 末期的?

元ネタ: $500 million in advertising??? Did I use the Jump the Shark joke already?

Daring Fireball にて「Microsoft論壇も堕ちたもんだ」と John Gruber に言わしめたこの記事。たしかにこれはひどい。こういうのが出てくると「MS陣営必死だなw」としか思えなくなってくる。

コメント欄も見事な炎上ぶりで「林檎の旬は過ぎたってか? 寝言は寝て言えや、Paulさんよ」を始めとする微笑ましいコメントであふれている。顔を真っ赤にして殴られ続けている Mike と、殺る気満々の Lindy が互いに「かかってこんかい」と挑発するあたりは、もうたまりません。

2008年11月23日日曜日

[Dion Almaer] パワーユーザであるという事が糞いまいましくなる事が時々あるものなんだとiPhone 2.2で思った

(原文: Being a “power user” really sucks sometimes as iPhone 2.2 reminds me

君がたいていの場合は少数派に属するというのであれば、パワーユーザ(上級者)であるという事は糞いまいましい事だ。販促の人たちは釣鐘状曲線(訳注: ユーザスキルに関する正規分布曲線のことかと思われる)の中央に到達するとウハウハして喜び、一方、君はわずかな仲間たちとともに端っこの方で群れを作ることになる。

私に再びこんなことを思い起こさせたのは、iPhone 2.2 アップデートがこんなものをつきつけてきたからだ:




なるほどな、検索アイコンが画面右側でえらく表示スペースを食っているということを認識していないやつがいるということか。「ふつうの」ブラウザと同じように表示し、これでみんな理解してくれると踏んだのだろう。でも私はこう思ったのだ、再読込/読込中止アイコンの付いたURL欄が、私に取っては何の意味も無くそしてばかでかいだけの検索ボックスによってぶちこわしにされている、とね。

もし諸君がこの状態を元に戻せるならば問題ない。about:config は不要だ(訳注: Firefox では隠し設定を行うための about:config という URL があるが、そういったものは不要ということ)。しかし Apple は我々にそういったことをしてくれない。我々はジョブス教徒の社会に住んでおり、教祖の見るものと我々の見るものは一致している。今回のアップデートでもまだ改善されていないもう一つの不満点は...これは開発陣に対してずっと期待し続けてることなんだが、あの糞キャッシュをなんとかしてくれということだ。たのむから私のページを保持する程度の容量は割いてくれよ! 貧弱な回線を利用するモバイル版ブラウザでは何にも増して必要な事じゃないか。もっとがんがんキャッシュしてくれよ! JavaScript とスタイルシートもキャッシュしてくれよ! 百歩譲って、少なくとも「戻る」ボタンを押すとまた全部取得し直すまで待たされるというほとほと厄介な仕様はなんとかしてくれよ、頼むわマジで。なんで about:config でキャッシュ容量とキャッシュルールを設定出来ないんだよ? :(

こうした常識(訳注:変な常識)は Apple 製品のいたるところに見られる。Apple はしばしばこういった点に関して、技術者連中が一般ユーザでも手を出せる Apple prefs 画面からそういった設定項目を隠してしまうからなんだ、と言い逃れをする。UNIX ならばこういった点に関してはいくらか光明がある。開発陣は他にもいくつかの設定項目、J 氏が綿密に調べたユーザインタフェースには出ていなかった設定項目について、こっそりと我々に打ち明けることが出来るのだろう。

あーあ、やめたやめた。同じように感じた人はいないかな? Linuxを試してみる時が来たということなのかな? いやいや、私はそれほどトチ狂っちゃいないよ ;)

2008年11月22日土曜日

[一言居士] かわらぬもの

ネタ元: [CNET Japan] ITベンチャーの生きる道とは?

エリック松永氏、クロサカタツヤ氏は相変わらずのブレない姿勢が素晴らしく、西山圭氏の回答もとぼけた風味の中に皮肉が効いた逸品です。

で、その他ですが、とりあえず「不況下でよくがんばった!感動した!」という感じの間抜けな回答を寄せたパネリストは全員不合格というかマイナス点を付けてもいいでしょう。

不況下だからこそベンチャーでしょうが!

経済状況がどうであろうと、誰も知らない and/or 誰もやっていない仕事を創造するのがベンチャーでしょうが!

ベンチャーの生きる道というものは今も昔も変わらないはずでしょうが!

9月くらいまではベンチャーの特徴のひとつであるフットワークの良さとその重要性について喚き立てていた方々も、周りが不況不況と騒ぎだすとこういったところで馬脚を現すわけです。

一方 Jason Fried とその一味は「不景気?なにそれ?それっておいしいの?」とでも言わんばかりの相変わらずのベンチャーぶり。これじゃ勝てんわなw

[37signals] 「仕事してるふり」はやめよう

(原文: Stop pretending

開発を進めているふりをするという悪い習慣があることに最近気付いた。開発はもう数ヶ月にわたって続いており、悪癖に陥っていると気付くたびに断ち切ろうとしているにもかかわらず、断ち切るのは著しく困難だった。

私は社内のQueen Beeというアプリケーションを拡張する仕事を続けており、今回の課題は「より容易にJob(ある程度長期の仕事)掲示板とGig(短期単発の仕事)掲示板の実行状況をトレース(追跡調査)できるようにする」というものだった。変更自体は非常に単純なものだったのだが、実際にUI(ユーザインタフェース)を作る段階になるとハマってしまうのだ。

私はどうやら自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回り続けていたようだ。他の製品向けに作った既存の通知用UIを眺め、これをJob/Gig掲示板の通知用UIへと適用するのに必要な変更点について考え始めた。私は今後のUI変更(実はこれは想像上のものでしかない)をサポートするために、プログラム内に潜在するリファクタリング(プログラムの内部構造を改善すること)要素についてまで考え込んでしまったようだ。リファクタリングについて考えるうちに、UIの見た目のインパクトにまでリファクタリングが及び、UIについてまた考えるという堂々巡りになった。うんざりした。

「現実的になれ」というメッセージをほぼ毎日、もう4年近くも吸収し続けているというのに、「真の解決方法は『くよくよと考え込むだけで仕事をしているようなふりをする』ことではなく『実際に手を動かして何かを作る』ことなのだ」ということを忘れてこんな罠にハマるとは皮肉なものだ。私の場合は「椅子に座り、ページのモックアップ(模型)を作り、でっちあげのデータを入れたHTMLファイルをいくつかテキトーに作り、どんな感じがするか眺めてみる」というやり方で解決した。これによりわかったのは、既存のUIやプログラムに手を入れようと考える必要などまるでなく、今回作るものが実は既存のUIとは全く別個のもので、いちから作るべきものなのだということだった。あぁ、なんたる苦々しき皮肉! もともと問題でもなんでもなかった事に丸2日近くの時間を無駄につぎ込んでしまったのだ。

そんなわけで、もし自分が心理ゲームにうつつを抜かしていると気付いたら直ちにやめ、実際に手を動かして何かを作ることだ。「仕事してるふり」というのは害毒だ。飲むなかれ。



訳者コメント: この記事は、同じくJamisが書いたこちらの記事と同様「思い込みという罠」についての警告がベースとしてある。Wikipediaの記述にも見られるように、マネジメントの世界で「ほにゃららcreep」は一般的なものらしい。「3大クリープ」とかあったりするのだろうか。

2008年11月21日金曜日

[37signals] 語源学ネタ:One について

(原文: Etymology: One

語源学に心魅かれている。つい最近 one の歴史的変遷に関する文献を読んだ。諸君は何故 one の発音が own と同韻になる「オウン」でなく「ワン」なのか不思議に思った事はないか? 私の読んだもの(あの素晴らしき online Etymology Dictionary も含む)によると、もともとは「オウン」だったようだ。じっさい only の発音に今でも残っているし、もとをたどれば同じ根に行き着く。この変遷は14世紀にイギリス南西部で始まったようで、18世紀に至って一般化した。

関連事項: "one night stand"(ひと夜限りの恋人)はもともと舞台演劇用語であるというのはご存知か? 性的な意味で用いられるようになったのは1960年代に入ってからだ。また"one-of-a-kind"(独特な、ユニークな)というのも同様に1960年代になって使われるようになった。一方、"one fell swoop"(一網打尽)の起源はシェークスピアの『マクベス』にまで遡る。



訳者コメント:

This is no one night stand. It's a real occasion. Close your eyes and you'll ...
...ばぁびろんしすたぁーず、しぇいぎっ!

最近の日本語であっても、ちょっと考えただけで「適当」「情けは人のためならず」「確信犯」といった、意味的変遷をみてとる事が出来る言葉がぽこぽこ出てくる。印欧語の語源学はこの記事に見られるように、音韻の変遷と意味の変遷に焦点をあてれば根っこが見えてくるようだが、日本語の場合は和漢のことや漢字の字形的変遷のこともあり、ひと筋縄では行かない。だが、それがいい。それを単なる煩雑と捉えるか豊穣と捉えるかで日本人の幸福度はずいぶん違ってくる。

景気後退などどこ吹く風とばかりにこういった「しょーもない」ネタをポンと出してくる37signalsが私は大好きだ。彼らのミニマリスムを支えているのは、知の最大化に対する渇望、すなわちマクシマリスムなのだろう。やはりミニマリスムとマクシマリスムもフィードバック関係にある。

私も世間に「しょーもなー」と言われるよう精進せねば。

2008年11月20日木曜日

[37signals] Drudge ReportがWebにおける最高のデザインのひとつだと思う理由

(原文: Why the Drudge Report is one of the best designed sites on the web

2週間前Twitterでこう発言した「私はいまだにDrudge ReportはWebにおける最高のデザインのひとつだと思っている。もう何年にもわたってだ」。同意してくれたのは数人にとどまり、大半はそうではなかった。悪い冗談だと考えた人もいた。私は冗談を言っているつもりは無い。

まずはっきりさせておきたいのだが、私のデザインに関する定義は見た目についてだけではなく、メンテナンス性・製作コスト・有益性・スピード・ページの趣旨といった領域におよんでいる。だがDrudge Reportは、その不細工さ加減を考慮に入れてもなお、見た目という点において匠の逸品だと私は思っている。良いデザインとは不細工なものなのだろうか? Drudge Reportがそのことを証明している。

以下に、何故私がDrudge ReportをWebにおける最高のデザインの一つだと思うのかについて、順不同で幾つか理由を述べる。



変わらないということの持つ力

人々はいつも、時代を超えたデザインというものについて議論する。だがそこで指摘されることの大半は、時代を超えていると思われているものも結局は時代の烙印を押されるものなのだということだけである。だがその一方でDrudge Reportは、時代を超えるものがあるのだということを立証してきた。等幅フォントで・大文字で・白と黒だけで書かれた見出しの集まり、という何の変哲も無いリンク集が、いかなるトレンドをも、いかなる一時的流行をも、いかなる世間の動向をも、いかなる時代をも、いかなる「デザインべからず集」をも乗り越えてきたのだ。古臭くはないが新しくもない、Drudge流とでも言うべきものなのだ。そのデザインは、少なく見積もっても1997年以来変わっていないし、私が思うに、そのデザインの源流はさらに古くまで遡るだろう。10年にわたって不変のままで生き延びそして繁栄出来るサイトは幾つあるだろう? Drudge Reportは他に例を見ないものなのだ。

直球勝負

ここには込み入った仕掛けなど無く、欄ごとの分割も無く、入り組んだリンクも無く、閲覧にあたって何ら特別なテクノロジを必要としない。ページ上には、あるべきものがあるべきところにあるだけだ。「だけどごちゃついてるじゃないか!」と諸君は言うかもしれない。ならば私はこう言いたい「ごちゃついて見えるけど余計なものは一切無い」と。私はこういった直球勝負の姿勢を過小評価しようとは全く思わない。

独自性

諸君がDrudge Reportにいるとき、諸君はDrudge Reportにいる(訳注:わけわかんないかもしれませんが、読み進めるとわかります)。どこにいるかについて疑いの余地はない。Drudge Reportにおいて、サイトデザインはもはやイコンと化しているのだ。他のニュースサイトでこう主張出来るものがいくつあるだろう? CNNMSNBCFOX NewsABC NewsCBS News、その他もろもろの著名なニュースサイト/ニュースネットワークから社名ロゴを取り去ったら、どれがどれであるか判別するのは困難だろう。これらはどれも同じような、ニュースサイトの標準的ルックアンドフィール(訳注:見た目や操作感)にて詰め合わされた類のものなのだ。異彩を放つものも無くはないが、NYTWSJですらこれほどの独自性はない。Drudge Reportのデザインには比類なき独自性がある。

重要度の明記

多くのニュースサイトはもはや腑抜けてしまった。大きな話題に関して心底から主張する事を恐れているからだ。要約文があっても明解さに欠けていたり他と食い違いがあったりする。大きく書かれてはいても確信を持って書かれてはいない。彼らは断言することを避けているのだ。一方、Drudgeは大きな見出しを付けてこう言う「旬の話題」。これによりニュースに関して今現在何が重要で何がそうでないかが示される。Drudgeは独断的編集者と呼ばれる事を怖れておらず、サイトのデザインがそのことを完璧なまでに強調している。大胆かつリスキー、そして心底純真であること。それがDrudgeのデザインなのだ。

良き混乱

通常、Drudge Reportの記事はArialフォントで"font size=+7"と大きくスタイル指定された全て大文字で書かれた見出しで始まる。時にはイタリック書体になることもある。あの悪名高きサイレンを付けて、大文字化を解除し、もっとでかでかと表示することもある。

その下には3本の縦組になった見出し列がある。見出しは大文字だけで書かれたり、そうでなかったりする。写真付きの見出しもあればテキストだけの見出しもある。通常よりも喧嘩腰であったり扇情的である見出しについては赤で表示することもある。通常は一番上に大きな広告があり、他のわずかな広告達は欄内にばらまかれる。

記事の配置方法については、たぶんこの記事は読者がより興味を持つだろうと編集者が考えた記事が上の方に来るというのがあるだけで、記事がグループ化されたり組織立てて構成される事は無い。それだけなのだ。諸君の視線は、何か面白そうな記事を目がけて画面中を飛び回ることになる。このデザインはページ上をうろつき回り、思いがけぬ発見をすることを奨励しているのだ。

このサイトは、新聞の切り抜きがむき出しの床に散乱した、混沌然としたニュース編集室に感じが似ている。これがわくわく感を、そして良いデザインを作り出しているのだと思う。

Breaking News(ニュース速報) がニュースをぶちこわし(break)にしている

諸君は最近MSNBCやCNNのニュース速報を見たことがあるだろうか? 今や、あらゆることがニュース速報で流されるようになった。ニュース速報は「ほにゃららが報道に発表したところによりますとあーだこーだです」と言うだけのものになってしまっている。本来ニュース速報とは非常に大きな、重要もしくは人目をひくような今まさに起こっているニュースを意味していた。しかし著名なニュースサイトはニュース速報の重要性に水を差して薄めてしまった。MSNBCやCNNのページに行くとニュース速報の印(通常、赤や黄色で表示される)があるのだが、これによりこの記事は無視してもいいというのが容易にわかる。オオカミ少年のように、あまりに何度も速報・速報と叫び続けているからだ。だがDrudge Reportでは、サイレンをひらめかせ赤い大文字でがなり立てる大きな見出しを見つけたら、それがニュースと呼ぶに値するものであるということがわかるのだ。

一人で出来るということ

このサイトは、たまにパートタイム投稿者に助けを求める時以外は、Matt Drudgeがフルタイムで張り付いて運営している。もしこのサイトが5ページ、10ページ、30ページといった大規模なものであったら、彼はそれをこなしていくために人員の追加やテクノロジの導入を余儀なくされた事だろう。

ニュースがないのは良いニュース

Drudge Reportは見出しを集めたサイトだ。いわゆる「コンテンツ」はサイト上には存在しない。だが、それがいい。見出しそのものもニュースたりえるのだ。Drudgeは記事を書かずして記事を伝える。実際、Drudge ReportはWebにおいて、見出しと写真だけで記事を伝える事の出来る唯一のサイトかもしれない。そういったことがデザインという形をとって正しくやりとげられている。

人々が戻ってくるよう、ひとまず追い出せ

実際のところ、Drudge Reportにコンテンツ自体は一つもない。時々メールやメモをサイトに投稿する事もあるが、そのうちの99%は他のニュースへのリンクだ。彼のサイトは諸君に再びサイトに戻って来させるために、ひとまずサイトから追い出すようデザインされている。どこか他のサイトへ行くために彼のサイトを訪れる頻度が上がればあがる程、更に他のサイトへ行くために彼のサイトへ戻ってくることになる。諸君が頻繁にDrudge Reportを訪れるのは、諸君が頻繁にDrudge Reportから追い出されるからなのだ。「人を追い出せば追い出すほど、彼らは戻ってくる」というのがトラフィックを産む秘訣なのである。

表示が軽い

諸君がDrudge Reportを訪れたとき目にするのはDrudge Reportだけだ。隙間を埋め尽くす広告は無い。ページの読み込みは一瞬だ。バッファリング(訳注:動画等の円滑な再生のためにあらかじめファイルの一部を読み込んで蓄えること)も無い。今すぐ必要なもの以外はなにもない。Drudge ReportはGoogleやCraigslistのように高速だが、これは、たった一人で3百万人/月のユニークユーザを持つサイトを運営しているという点から見て相当な離れ業だと言える。なお3百万人/月のユニークユーザという数字は、ビジター数にすれば数億人/月にのぼると解釈して良い(ソースはこちら: CNN

維持コストが小さい


Drudge Reportのデザインは凝ったCMSを必要としていない、というかCMS自体必要としていない。全て手書きだからだ。経費は最大でもおそらく$2000/月程度だろう。年間数千ドルの経費で数百万ドルの収入を産む。実に良いデザインじゃないか。

単一ページ構成

Drudge Reportは1ページだけである。訪問してくるユーザの関心はその1ページ、大見出しと3本の縦組になった見出し列で出来た1ページに絞られる。人々が何をどうやって見ようとするかについて、彼は正確に把握している。そこにはデザイン変更が済んでいないとかスクリプトでエラーが発生するといったような怪しいページは存在しない。見るページがひとつなら作業するべきページもひとつ。そのまんまだ。あるべきでないものをあらしめるために苦労する必要はない。

これが彼をして偉大なる生命体たらしめている

公表された広告有効率やトラフィックの数値によれば、Matt Drudgeは「年間100万ドル以上」を生み出しているとされている。インターネット上にある、白黒の1ページとしては悪くない数字だ。

以上、私がなぜDrudge ReportをWebにおける最高のデザインのひとつであると思っているのかという点について理由をいくつか述べた。じゃ、いってみようか。

2008年11月18日火曜日

[一言居士] いまどきの生産性ツールとは何か?

[ars technica] Most users don't office in the cloud: 1% use Google Docs

この手の話題が出るたびに思うのが「生産性ツールという既に小さくなりつつあるパイを死守しようとしているMicrosoftに対し、本業のオマケとしてやってるだけのGoogle」という図式と、その点を理解せずに数字だけ並べて「Microsoft盤石」と鬼のクビをとったようにはやしたてる人々のことです。

彼らは「Microsoft OfficeやOpenOffice.orgといったOffice suites=生産性ツールである」という考え方自体がもはや前世紀の遺物なのだということに気付いていないようです。GMailやブログやFlashは生産性ツールではないとでも言うのでしょうか? Officeは無くてもなんとかなりますがzoteroなしではやっていけないんですけど、駄目ですか?

生産性ツールとは何か?というカテゴリ分類の問題でもありますから一概には言えないにせよ、生産性ツールの概念が変質しつつある、もしくは生産性ツールについて真に「生産性」が求められるようになってきている、というのは同意いただけるところでしょう。単なる清書・出力アプリとして「現状の」Microsoft Officeは残るのかもしれませんが、いまどきそんなものを生産性ツールと呼ぶのは気が引けます。

この記事のタイトルには、景気後退と並んで今一番のバズワードであるクラウドも登場しており「クラウド対スタンドアロンのアーキテクチャ比較ネタかな?」と期待を胸に読んでみましたが、それらしきストーリーは皆無。ええ、勝手に期待した私が悪いんです。

というわけで、DocsとOfficeを並べて比べる事自体ナンセンスだってことです。ars technicaもこんなくだらない提灯記事載せちゃ駄目ですよ。

[Dave Winer] 報道業は崩壊の途にある

(原文: On the collapsing news industry

2008年11月17日(月)by Dave Winer

Steve Outingの記事:『新聞はあと6ヶ月もつか?』

私はこの記事に以下のようなコメントを投稿した。

いくつかの点において、おそらく彼らは報道業の息の根が完全に止まる前に、個人ブロガーを、彼らの生態系から幾つかのアイディアを手に入れるべく取り込もうとするだろう。もはやなりふりかまっていられない時代が到来し、報道のプロがやってきたことに関してアマチュアにバトンを渡す、それも恩着せがましい態度でではなく、あたかも我々の文明は諸君の行動如何にかかっているといった態度でバトンを渡す時代が到来したのだ。

この人たち(訳注:ブロガーのことか?)は自分の事しか頭に無い。彼らは自分の果たすべき責務について考え始める必要がある。これは私がブログの勃興について考えてきた際に、常に頭にあった事だ。彼らは、報道業者がブログを盗用するからもうブログには寄稿しないと考えている。だが、この考え方は間違っている。たしかに報道業は凋落する。ひどい凋落ぶりになるだろう。だが、報道システムというものは報道業が崩壊した後も残っていなければならない。


訳者コメント: いわゆる「頭の良い人」の発言に多く見られる事の一つに「マクロ展開しないまま話す」というのがある。Dave Winer氏のこの短いコメントを読んで、文の内容以前にまず思ったのがそのことだった。自分の読解能力の無さを棚に上げて言ってしまうが、正直言って後半段落の主語が何なのか自信が無い。報道業者のことなのかDave Winerを含むブロガー達のことなのか世間一般のことなのか。この件に関しては、アメリカ人一般に通用するコンテキストがあるのだろうか? それとも「Dave氏、省略し過ぎ」なのだろうか?

それはさておき元ネタの『新聞はあと6ヶ月もつか?』に、現状打開策をマンハッタン計画になぞらえる記述があるのですが、この辺り『勝つには原爆落とすしかねぇ!』というメリケンなメンタリティが感じられて面白いです。コメントでCharles Batchelor氏も「んなアホな。そんなもんで勝てると思ってんのかw」と言っていますが、そもそもこんなたとえ自体が日本では絶対ありえないよね。「不謹慎だ」とか言われてw。さすがは戦勝国だなぁとしみじみ思ったのでありました。

[Dion Almaer] Flashプラットフォームについて: 〜に挑戦するためにAdobeはいかにしてオープンWeb陣営に参加するか

(原文: The Flash Platform: How Adobe could join the Open Web to take on…

本日発表されたAdobe MAXに関しPDCを振り返りつつ並べて比べてみよう。

Flash、AIR、FlexといったAdobe製品におけるFlashプラットフォームの新たな位置付けについての声明があった。これらはもともとAdobeのプラットフォームビジネス部門に存在していたので、目新しい点ではない。

Adobeは(Macromedia時代も通じて)一貫してWebデザイナーの会社だったが、プログラム開発者が同程度の深みにまで踏み込む事は無かった(原注:すごい成功をおさめたというわけじゃない、とまでは言わないまでも)。私が思うに、現状認識はこんな感じになっている:



Silverlightに関して言えば、私が危惧しているような、「Sileverlight+IE環境向けに表示が最適化されています」(実際は「Silverlight+IEでないと表示されません」)という世界をもたらすと激しい非難を呼び起こしているが、一方「でもFlashも同じようなもんだろ?」と言う人もいる。

この点については、Adobeに好機が巡ってきた。上図の右側に移動してFlashをオープンWeb陣営の一大勢力とすることが可能だからだ。そして我らオープンWeb陣営はSilverlightに対抗するにあたり、より強大な勢力となるだろう :)

話が結局のところFlashのオープンソース化の件に行き着きがちではあるけれど、これについては必要性という観点からしてもそのうち実現するだろうし、早ければ早いほど良いと私は思っている(それがみんなのためだ)。Flexは忠誠心あふれるユーザを支持基盤とし、一部についてオープンソースの支援を受けてはいるものの、オープンソースでない土台の上に成り立っているという理由から、本来なら得られるべきユーザの愛好心を獲得していない。単一企業が独占しているプラットフォームの上に構築されたオープンソース技術が盛り上がるとは考えにくい。

Flashのオープンソース化以外にもAdobeが打てる手は多い。オープンWebを支援するツールを提供する事だ。もしFlexがHTMLプラットフォームに対しても描画できるようになったとしたら、どう?

私はキーノート講演で、そしてMAXでは更に多く見られたこの未来予想図に関するかすかな光明を見出したいと願っている。一緒に仕事をしたことのあるAdobe社員の全てに対して私は大いなる尊敬の念を抱いており、そして同時に、実現には時間を要するだろうが、オープン陣営の勝利を願っている。

私は心底、Flash Catalystが世に出たらオープンWeb開発者にとっても助けになるものと期待している :)

2008年11月17日月曜日

[Dave Winer] もはやオンライン広告は死んだ

(原文: Online advertising is now dead

2008年11月13日(木)by Dave Winer.

人々がWeb広告に依存したビジネスを始めてこのかた、私はずっと言ってきた「長くは続かないよ」と。我々は今やどん詰まりに来ている。

現今の景気後退・不景気から復帰出来たとしても(いつ復帰出来るのか誰もわからないのだが)我々は広告から手を引くだろう。

Webは今後も商用目的で利用されるだろうし、人々もAmazonその他でモノを買うだろうが、広告をクリックして買ったりページにリンクが張られたモノを買うのではなく、今や誰もが行っている検索やみんなの評価といったものを通じて商品に関する情報を捜し出し、買うようになる。

もはや誰も広告を必要としていないし、商品を売るのにはもっと良いやり方があるということなのだ。

商売が干上がってきた時、会社が最初に切り捨てるのが広告というものだし、景気が持ち直した時には広告の事などきれいさっぱり忘れ去られている。企業の成長というものは、商品を欲する人々が目にし、人々が何の負担もなしで入手出来るような宣伝を提供することによりもたらされる。

客に対して完璧に狙いを定められる広告とは、客の求める情報以外の何ものでもない、ということを忘れないでほしい

例を示そう。

先日、カシナート社製コーヒーメーカーのガラス瓶が割れてしまった。Amazonで型番を探し、関連商品(「この商品を買った人はこんな商品も買っています」)を見つけ...あー、あったあった。ガラス瓶が割れてから「今すぐ買う」ボタンをクリックして注文するまで、取引に要した時間はしめて5分。この間、広告の出番は一切なし。

今あるコーヒーメーカーを買ったとき、カシナート社がこんなガラス瓶まで作っているとは思いもよらなかった。もちろんブランド名は知っていたが、広告にはそんなことまで載っていなかったよね? 確かにというわけではないが広告に載っていたという記憶は無い、たぶん他のどこかで広告していたのだろう。こういった従来通りの広告にもある程度の将来性はあるかもしれない。しかし、私がこのブランドのコーヒーメーカーを選んだのは、これを使っている人がこの商品を心底気に入っていると言っているのに対し、他のブランドでは人々はさほど気に入っていないようだったからだ。ホットコーヒーはいつまでも淹れ立ての状態であって欲しいし、そのためなら喜んで割り増し料金を払ってもいいと私は思っている。本来ならば、メーカーはわざと割れやすいガラス瓶を作り交換部品でぼったくっているのだと考えるべきなのだろうが、彼らは私の淹れ立てコーヒーを愛する気持ちをよく理解している。(訳注:だから私はほいほい買ってしまった。わかってるねぇこの会社、ということ)

2008年11月15日土曜日

[37signals] 37signalsに問う:「現実的になれ」というやり方は今の経済状況のもとでうまくいくのか?

(原文: Ask 37signals: Does "Getting Real" work in this economy?

David はこう問う:
最近の景気後退が私にこんな疑問を投げかけている...37signalsがやっているような「現実的になれ」という考えに基づく小規模ビジネス形態は、景気後退に対抗するためにより有効なものなのか、それとも劇的な変化といった点において、何10億ドルもの損失や何千件にものぼる雇用削減といったものには遥かに及ばない無力なものなのか? 君の知る範囲で、成長の鈍化やキャンセルの増加といった面での直接的な影響はあった?
一般企業は不景気にどう対処するだろう? 支出に目を光らせ、雇用を削減(もしくはクビに)し、時間の浪費を抑え、コア事業に集中し、複雑性の排除を進め、長期にわたって結果の出ていないプロジェクトを縮小する代わりに、決算表の純利益の部分に速攻でインパクトを与えられるような、手っ取り早く利益の得られるプロジェクトに集中し、職務を統合して贅肉をそぎ落とす。

実はこういったことが「現実的になれ」の全てなのだ。小規模である事、質素倹約を旨とする事、少数のコア事業だけに専念する事、手っ取り早く利益を上げる事、意思疎通を妨げ複雑さをもたらす抽象性については排除する事、やれる事では無く、するべき事をやれという事、等々。我々は、こういった考え方が根付いている会社はどんな時でも金回りが良いものなのだと信じている。困難な時代ならなおさらだ。

課金する方がより確実

「現実的になれ」のもうひとつの信条は、製品について課金する事だ。あなたは何かを作り、客はそれに対価を払う。収入と客を結びつける事により、お金を払って製品を買ってくれる客にとって本当に意味のあるものを作ることに専念できるようになる。これが、困難な時代を乗り切るための(企業とユーザの)健全なる協力体制のあり方なのだ。

広告主が出資者だったころとは違うのだ。製品ユーザが金を出すわけでは無かったころは、君たちは開発戦略的に不利な状況にあったのだと言うことが出来る。ユーザを視野に入れた製品改良だけでは済まず、広告主をも視野に入れなければならないからだ。そのため、開発パワーを2つの異なるグループを満足させるために分散せざるを得なくなる。広告主とユーザの目指すところが一致することはたしかにあるが、確率は低いだろう。君たちは今、私が「人々」を「ユーザ」と呼んでいることに気付くだろう。製品に金を出さない人は客ではなく単なるユーザなのだ。開発原動力はこの違いにより大きく変わってくる。

広告ベースのビジネスについてもう一点付け加えると、このビジネス形態は景気後退の際に大きなリスクになる、というのがある。事が悪化した場合、真っ先に削減されるのが広告予算だからだ。ビジネスが広告予算に基盤を置くものであった場合、落ち込んだ市場において、非常につらい状況に身を置く事になるだろう。

人員削減と社員の士気

もう一つ言うと、必要以上に大きくて末端まで管理が行き届かない(訳注:組織が大き過ぎて人心把握が出来ていないということ)会社が困難に直面した場合、人員削減はより深刻なものになる。1%の人員削減程度ではなく10%、20%あるいはそれ以上となるのだ。人員削減は従業員の間に恐怖と不信を産むが、それは企業にとって他の何よりも重荷となる。人員削減は時にプラスとなることもあるが、通常は、社員の士気に計り知れないダメージを与えるという点でマイナスとなるものだ。同僚が去り、チームは解散、プロジェクトは停止。人々は職探しを始め、会社への忠節心にひびが入る。他の仕事を探している状態で眼の前の仕事に身を入れるのは困難というものだ。

金を使わずにマーケティングする

「現実的になれ」というのは開発競争において、共有をやめる事(訳注:すみません。sharingの具体例が思いつきません)、ユーザ教育に金をつぎ込むのをやめる事(訳注:会場を借りて製品説明会をするような事はやめろということか?)、ユーザの貢献に頼るのをやめる事(訳注:くちコミ等においてユーザに頼るのでなく開発者自ら発言せよということか?)、といった事とも関係がある。広告費と販売促進費に金を注ぎ込む泥沼のような戦争にはまり込むのは、我々としてはお薦めしない。そんな冷戦はみんなも願い下げだろう。それに、広告費がカットされたらどうなる? どうやって広告以外の場所で製品の売り文句を出せば良い? たぶん思いつかないだろう。

聴衆に製品について教えたり共有したりコミュニティへの貢献に頼るかわりに、ドキュメントを書き、Twitterで発言し、可能であればどこででも発言する事だ。きみが直接語り、耳を傾けさせる事の出来た相手というものは、金を注ぎ込まなければメッセージが届かないような人々よりも、はるかに忠節心に富んでいるわけだから。

どうすればいい?

ここ数年、我々の成長は少し鈍ったが、ビジネスはこれまでになく順調だ。2004年以来毎年収入は倍増してきたという背景もあり、多少の鈍化があってもまだまだ大きな成長が可能だ。まだまだ利益が見込めるし、借金も無いし、人員削減の必要は無いし、開発費削減の必要は無いし、プロジェクト破棄の必要も無い。

昨年来、当社の製品はそれぞれ良好な成長ぶりを示している。2月にリリースしたマルチユーザ版のおかげで、今年のBackpack月次収益は倍に増えた。Highriseで新規に立ち上げたDeals機能についても同様に、売り上げに実に好ましいインパクトをもたらした。Campfireも地味ながら成長を続け、Basecampも5歳の誕生日を迎える2009年2月4日に向け、健全に成長の途上にある。

結局そんな感じで、現状のもたらしている事態とは関係なく、我々はうまくやっている。外で何が起こっているかについて何の注意も払っていないという訳ではない。外は荒れてるなぁ、と感じる程度だ。そして、もっと荒れるだろうなぁ、とも感じている。しかし同時に、我々は他の多くの企業よりも上手くこの嵐を切り抜ける事が出来ると確信している。スタッフは少数だし、経費も小さいし、借金も無いから。そして、よろこんでお金を払ってくれる多種多様な顧客がもたらしてくれる収益によって成長を続けるだろう、ということも。

このつらい時期だからこそ「現実的になれ」という原則、つまり、責任ある支出管理、経費節減、コア事業への集中、無駄の排除、抽象的にしないという事、複雑性の排除、明確な考え、オープンなコミュニケーション、といったものにこだわっているのだ。

2008年11月13日木曜日

[37signals] それなら、ひねらずに話せよ

(原文: Then just say it like that

意識の流れの語るままに:

「あれこれ説明するのはしんどいんだよね...」と話し手がぼやくに至る打ち合わせや会議や討論会があまりにも多い。くどくど言った後でようやく彼らはこう言う「私が言いたいのは...」。ここまで来てようやく話の内容が明瞭簡潔でわかりやすいものになる。

でもこれって、彼らは今言った事についてすぐまたどう言えばいいか考え直しているということに他ならず、彼らはまるで自分自身の発言さえ聞いていないかのように見える。いまさら必要以上に入り組んだ話にしようとしているだけかのように。一分前に言った時と同じように言うだけで良いのに。

我々は皆、誰かが話をしているときはちゃんと耳を傾けるよう教えられたが、自分が話をしているときにも同様に、良き聞き手であるよう勤めるべきだ。そうすれば、今話した内容の中に答は既に出ているのだ、ということがわかるかもしれない。

[37signals] iPodキラーがiPodを打倒出来ない理由

(原文: Why an 'iPod killer' will never kill the iPod

競合他社がiPodキラーと称して自社の新しいMP3プレイヤーの広告を出すたび、Appleはほくそ笑んでいるに違いない。こういった広告が出るたびに、人々は市場のリーダーは誰なのかということを思い起こし、Apple製品を使ってみたいとそそのかされるのだから。

もしiPodキラーになろうと、単なる良く出来た音楽プレイヤーではなくiPodキラーになろうとするつもりならば、まず第一にAppleという言葉から離れることだ。結局のところ、Appleという言葉がiPodを他のプレイヤーとは違う何か特別なものにしているのだから。よって、卓越した工業デザイン、iTMSをも圧倒するコンテンツカタログ、iTunes以上のUXといったもので勝負するしかないということになる。

でもこいつはまず無理な高望みというものだ。いまだにそんな結構なものは世に出ていないという事からしてそれは明らかだし、近い将来そういった状況になるということもないだろう。

他社の音楽プレイヤー部門にもはや参入の余地は無い、と言っているわけではない。市場リーダーであるAppleのまねをしてそのポジションを得ようとか、そのためには「ウチのはAppleのより良い」とでも言っときゃ良いとか考えてるようではひどい目にあうよ、と言っているだけだ。

AppleやiPodといった記述を、gorillaやblockbusterといった感じの、君の関与している分野のものに置き換えてみてごらん。君だってZuneみたいにはなりたくないだろ?

2008年11月11日火曜日

[Dion Almaer] 死のcronデーモン;Web版「あの世からの声」という、身の毛もよだつ発想

(原文: The death cron; Morbidly thinking about speaking from the dead

今日、奇妙にして奇怪なことを思いついた。ブログ、Twitter、FriendFeed、Facebookの世界でまさに今、君が断末魔のしわがれ声をあげたらどうなるだろう? 君のフォロワーやフレンドが「何事だ?」と訝しむまでどのくらい時間がかかるだろう?

この思いつきは、お年寄りが半日に一度ボタンを押して「うむ。まだ生きとるよ」と伝えるサービスのWeb2.0版へとつながった。

一連のプログラムをセットアップすれば、死後であってもこんな感じの薄気味悪いことを実行させる事が出来る:

・愛する人に本当の気持ちを電子メールで伝える

・未来において「俺はもう死んでいる。でももし生きてたら、今日は君の誕生日だなぁ、とか思っていることだろう」といった感じの電子メールをみんなに出す

・Amazonで何か買ってみんなに贈る

・「俺、ホントはこう思ってたんだ」とぶっちゃける電子メールを出す

・日々のTwitterカキコに、最後のつぶやきを書く

このプログラムが一日に一度沸き出そうとするのを、オンライン通知ボタンをクリックして「そこまでだフランク、俺はまだ生きてるぜ」と伝える事で、水際で食い止めるのだ。

ふむ、死者からの声ドットコムというのは悪くない。これでもう勝ったも同然だ!

[Dion Almaer] 期待

(原文: Expectations

未来に対する期待・予測というものを統合・管理する作業について考えていた。テクノロジー面からみても、未来予測がいかに重要であるかを考えるのは面白い事だ。嘗てGoogle Mapsが世に出た時、地図関連プロジェクトについての未来予測は即座に変化した。地図上を動き回ったり、直接的に双方向でやりとりするのが可能になったという事は非常に大きなことだった。Benと私は、映画やゲーム(PongからWorld of Warcraftに至るまで)の変化について、冗談を交えながら話したものだ。

大きな変化のひとつとして私が断言したのは入力機器のことだ。以前こう言ったことがある「我々は未だ石器時代にとどまっている。我々に出来る事といえば文字を入力する事とカーソルを持っていって突つく事だけだ。猿のように。ウホウホ」

タッチスクリーンは我々をより器用な動物にしてくれたが、音声認識や動作認識ってのもあるよ、どうだい? こういったテクノロジはすぐそこまでやって来ている。このことは、こういったテクノロジーが遂に実用に足るものになったあかつきには、我々が使うAPIも根本的に変わるということを意味している。開発者にとっては、開発競争においてぶっちぎりでライバルを追い抜くチャンスが来たということだ。

オバマについては期待することが多過ぎて、どうなるものかと気をもんでいる。彼がうまいことやって(現時点では難しそうだが)不景気から国民を救い出してくれれば国民は彼を賞賛するだろう、という期待がある一方、現実はと言えば、その程度ではすまされないほどの期待を、私は彼にしている。

純粋に結果に基づいた判断をすることが不可能だとしたら(訳注:ここのつながりは不明。諸姉諸兄の御知恵をお貸しいただきたく候)、私は彼に何を期待しているか? 私は彼が約束を果たすことを期待している。私はより透明な政治を求めている。私はChange.govこそ、彼と国民を結ぶコミュニケーション手段の未来形を示していると思っている。彼の関心はそこにこそあるのだ!とも。彼はTwitterに顔を出したりBlogを書くことで、何故ビラを配るだけでは駄目なのか、本当は何をすべきなのかという点について、考えを述べる事が出来る。人々に直接語る事で、彼はリポーターや偏向報道といったものを回避する事が出来る。人々の求めるのは「相変わらずの政治」ではないのだから、彼らに真の変化を見せてやることだ。

何の違いも出てこなかったら人々は不快を示すだろう。オバマは私をわくわくさせた最初の政治家だ。もし彼が国民のために最善を尽くさず、我が身かわいさのため保守的になってしまったとしたら、私は心底悲しくなるだろうし、今回のように期待を胸に誰かを支持するというのは難しくなるだろう。うわ、何というやっかいな事に首を突っ込んでしまったんだろうねぇコイツは。

深刻になっても仕方ないので、口直しということで『オバマに関する50の真実』を見てほしい。彼がやばいクスリをやってたというのは面白い。我々の社会は、黒人候補に投票することが出来るようになるまで成熟したというだけでなく、より急を要する問題をさしおいて「吸った?」(訳注:マリファナのこと)といったような下らないことを問い糾す愚はしなくなったのだ。



訳者コメント: 引用のタイトルが "The 50 facts you might [not] know" から "The 50 facts you might [now] know" に変化している点については、単なるタイポなのかそれとも意図があるのか不明。でも意図的にnowにしたと考えるとちょっと面白い。

[37signals] アンカンファレンスとでも呼べばいいのかな?

(原文: Unconferences?

フロリダ州オーランドで行われたRubyConf 2008から戻ってきたとこです。本当に素晴らしいカンファレンスでした。カンファレンスは成功裡に終わり、演目は全て一級品でした。最も良かったのは、普段はオンラインでしかやりとりできない世界中の人々と、会場に座ってだべったりハックすることによって、コミュニティとのつながりを取り戻せたことです。

今回わかったのは、私が真に参加したいと望んでいるのは『アンカンファレンス』、すなわちみんながお金を払って出席し、著名なコミュニティメンバーによるキーノート講演を一つ(もしくは二つかも)聴くんだけど、その後の残り時間についてはみんなで寄り集まってゴマンとある他のプロジェクトの人たちと共同で作業を行う、形式張らないハッキング大会として費すようなカンファレンスなんだということ。カンファレンスではマイクの前に立ってみんなが興味を持っていることを話せる、これ自体は素晴らしい、でもカンファレンスの焦点はプレゼンにあるのではなく、面白いプロジェクトに参加して一緒に手を動かすことにあるんだ。

Barcampというのが似たような感じなんだけど、これもまだプレゼン偏重なようだ。誰かこんな感じのカンファレンスに出席した事はないかな?

2008年11月9日日曜日

[一言居士] 理の産んだ陥穽を理で埋めようとするの愚

[404 Blog Not Found] 今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき

自らの業績を「あくまで延命策」と謙遜し、その上で、最も必要とされながら未だ世に存在しない「日本語をコンピュータ上で扱うためのきちんとしたアーキテクチャ」への指向を垣間見せる良エントリ。

とでも書いておけば万事丸く収まるのだろうか。

小飼弾氏に関して「所詮マッチョだから」カードと「所詮自慢話だから」カードのコンボが面白いように決まる理由は、このエントリからも見出す事が出来る。理という筋肉を過剰なまでに鍛え上げ、見せつけるボディビルダー。そしてその汗臭さ。合理への道は神経症への道でもあるということは、彼ほどの知見があれば気付かぬはずが無いのだが。

「水村美苗のように文化論的に語る事は出来ないが、文明論的に語る事なら出来る」という言からは、著者に対する謙遜というよりは、自らが摂取してきたものに対する過信と思い上がりが窺える。

彼の文明論が、武将の名前をずらずらと並べるだけの三国志厨と同水準であるということは、これまで披露されたエントリからも明らかなのだが、それに気付かないもしくは気付かないふりをしているという状況が見受けられるのは、彼および彼の周辺に裸の王様とその取り巻きという物語類型が成立しているからであろう。

彼の誤謬、彼の文明論の底の浅さは、彼の依拠するところであるコンピュータ・サイエンスの人文に対する洞察の未発達性、底の浅さに根を持つ。必要なのは「いまだコンピュータ・サイエンスはサイエンスたりえていない」ということを謙虚に認め、そしてそのさらに奥にある「サイエンスは『サイエンス』たりえない」という、今から丁度1世紀ほど前に噴出した諸事について再検討する事であろう。

シャノンもノイマンもチューリングも、自身の言説を不磨の大典として扱われる事には反対するに違いない。彼らもまた、積み重ねられた人文の深みに到達せんとしてコンピュータ・サイエンスの道を拓き、後事を我々に託したのだから。完成した体系としてでなく、我々の手で構築し続けるものとしてのコンピュータ・サイエンス。彼の意識にもそれはあるはずである。

だが彼は今や、自分自身が「瑣末な実装に血道を上げる奴ら」の一員であることを露呈してしまっている。人文をも理の構成要素として喰い散らかす彼は、相変わらず理の餓鬼道を逝くしかないようだ。

[一言居士] 厨発言

もういい加減「全否定か全肯定か、どちらかしかない」というのはやめにしないか?

少なくとも俺たち日本人は、多神の国という土壌が育んだ伝統の上に魂を置いている。それを否定して原理主義を持ち込んだ結果、どうなった? 唯一の結論が出せない、白黒付けて安堵することが出来ない、というのがそんなに苦痛か?

いいじゃねぇか、迷い続けたって。

だって俺たち「死すべき人の身」は、嫌でもその時点その時点での結論を出し、その結果を引き受けなければならない存在なのだから。

それに、単に「考える」という事以上に、「考え続ける、悩み続ける」という事が人生の無聊を慰めるものだということは、諸君も良く御存知のはずだ。どうせ暇つぶしなんだ。暇つぶしのネタとしてはもってこいじゃないか。原理主義という麻薬がもたらす虚構に安住し、考える事を放棄するなんてのはご免蒙るよ。

俺たちの住むこの世界は、天国の持つ地獄的なまでの安穏と地獄の持つ天国的なまでの波瀾万丈とを併せ持つ、実にエンターテインメント性に富んだ、煉獄という名のテーマパークだ。楽しもうや。

2008年11月8日土曜日

[37signals] Dionが示す、良い対談の仕方

(原文: Dion shows how to give good interview

ミュージシャンとの対談の多くは、話よりも曲を聴けというアーティストの意図がモロバレで、骨抜きになってしまうというのがオチだ。しかし、NPR (National Public Radio)ホームページに掲載された『Dionがギター・ロックの巨人達に捧げるオマージュ』というインタビューは、こういったありがちな対談とは正反対のものだ。Dionが音楽について、仲間について話したくてたまらないのだという事を、君はこのインタビューから感じ取るだろう。

Dionの発言なんて興味ないね、と君は思うかもしれないが、まぁ聴いてごらん。魅了される事受け合いだ。実際、このインタビューは「教育を通じてプロモーション(販売促進)を行う」という事に関する素晴らしい実例なのだ。彼は、時代遅れになったレコードをかけるかわりにこのインタビューを通じて、君に何かを与えてくれるだろう。彼はギターを手に幾つか歌を織り込みながら、彼が追いかけてきた音楽の巨人達や練習方法といったものについての逸話を披露してくれる。

彼は "Summertime Blues" をカバーし、3番の歌詞に見られるユーモアのセンスを彼がいかに愛しているかを語る。"Ruby Ruby"(訳注: "Ruby Baby"のこと)に関しては「リトル・リチャーズのおふくろさんが『わかってるねぇ、あんた』と言ってくれて、これはまさに我が生涯最高の賛辞だよ」と語る。Johnny Cashの"I Walk the Line"については、彼がいかにして6回にも及ぶ転調をやってのけているかについて語る。"Born to Cry"については、16歳のころ、シナゴーグ(訳注: ユダヤ教の礼拝堂のこと)のそばを通り過ぎた時に流れてきた祈祷者の歌を聴いて書いたと語っている。彼はこういった逸話について、たったの数分で、流れるように語っている。

このインタビューは販売促進を行う全ての者にとって重要な教材だ。宣伝文句を並べるだけでは、客は耳を貸さない。しかし、客が聴きたがっている話をし、また/そして、何か面白いことを教えてやれば、客は熱心に耳を傾けてくれることだろう。



訳者コメント: Dion DiMucciが"Ruby Baby"をカバーしたのが1962年だから、1948年生まれのDonald Fagenは14歳前後ということになる。厨真っ盛りだ。「Nightflyは青春時代の俺の肖像だ」とDonaldは言っていた。惚れた腫れたはガキの特権、思えば俺も若かったwといったところか。

2008年11月7日金曜日

[TechCrunch] おそらくMicrosoftは、本気でIEをWebKitベースにしようなんて考えてない

[TechCrunch] Microsoft Probably Not Really Considering WebKit For IE

今日はバルマーの日か何かなのか? とりあえずIEなんてどうでもいいので、ふーん、で済ませたかったところなんですが、ソースのTechworld記事にあるバルマーの発言
"That's cheeky, but a good question, but cheeky,"
に痺れました。これ、まじすか? cheekyには「生意気だ」と「(生意気だけど)面白い」の両面あるけど、この場合はどう見ても、
「生意気だぞゴルァ。まぁ、良い質問ではある。でもやっぱり生意気だよオメーはよ」
ということでして、バルマー、あんたやっぱりクッパ大王でしょw

それにしても、質問した学生さんはどんな顔してたんでしょうね、こんな言われ方して。なんか邪推しちゃうですよ「イベント会場はまるでカルトの集会みたいな雰囲気で、教祖様のお言葉には誰も逆らえなかった」みたいなw

ちなみにPower to Developersイベントに関する公式ページが、これまた強烈です。ステキ過ぎます。"Liberation Day"って、それは何の洒落ですかw

[一言居士] 厨妄想

どうやら様々な点において「遊んでる場合じゃない」フェーズが終わり「仕事なんてしてる場合じゃない」フェーズに入ったらしい。「逃げて〜」とでも言っておこうか? まぁ何はともあれ、これでようやく捩れが解消される。これでいいのだ。

といったような妄想が、『カブのイサキ』を読み『ヨコハマ買い出し紀行』を読みかえして、浮かんできた。いや〜SFって、ホントにいいもんですね。

[cnet] バルマーがGoogleのAndroidをはねつける

[cnet] Ballmer dismisses Google Android

ここでもバルマーの芸風は健在で「安心して」見ていられるんだが「GoogleがAndroidでやってることは、株主総会で『収益モデルは無いけど製品を作ったよ』と馬鹿面下げて言っているだけのことに過ぎない」という箇所は気になった。

というのも、このところの景気後退に便乗してVC連中が「収益モデルを明確にせよ」と騒ぎ立てている事と、バルマーのこの発言は同じ根を持っているからだ。

Ventureの気概はどこに行ってしまったのだ? どうやら彼らにとってVentureとは「未来のため、敢て眼前のリスクを取る」ことではなく「手っ取り早く確実に現金化する」というものらしい。収益化の具体策までスタートアップに書かせるつもりか? その手助けをするのが諸君の勤めだろう。職務放棄も甚だしい。

まぁそれはそれとして、cnet掲載のツーショットは実に良いです。バルマーの悪党面とトルヒーリョのマリオ面のコラボ、夢の競演です。バルマーがクッパ大王に見えてきます。

2008年11月6日木曜日

[TechCrunch] MicrosoftのBizSparkは無料のソフトウェアとサービスでスタートアップ企業を「抱擁」する

(原文: Microsoft BizSpark Embraces Startups With Free Software, Services

Microsoftはスタートアップ企業向けにMicrosoft製品に基づいたサービス構築を支援するBizSparkというプランを発表した。

Webサービス構築を必要とするスタートアップ企業が求めるほぼ全てのものが、3年間無料で提供される(提供されるツールとソフトの多くは、MySQL等のオープンソースプロダクトと競合関係にあるものばかり)。戦略的新規事業推進部長であるDan'l Lewinが運営するこの計画は包括的なもので、これによりスタートアップ企業はフル機能版の開発ツールやサーバ製品ライセンスに関し、何の先行投資もなしに利用出来るようになる。BizSparkは必要なテクニカルサポートについても無料で手を差し伸べる。

契約書には小さい字でこう書かれている:  BizSparkによるサポートを希望するスタートアップ企業は、ベンチャー投資家やコンサルタントといった専門家ネットワークを通じて、前途有望な会社であるとして話題に上っていること。認可にあたって、最低3年の業務期間と企業収入が百万ドル未満であることが求められる。

スタートアップ企業が手にするもの: 無料かつサポート付きの、Microsoft勤製、オープンソースソフトウェア代替品。Microsoftは自社のソフトとサービスを利用するエンジニアの群れを調教し、3年の無料期間が終了して支払いが生じたあかつきには、こいつらを囲い込むことが可能になる。スゲー。



訳者コメント: この件に関しては、なんかもう「MS必死だなw」ということで片付けちゃっていいんじゃないでしょうか。ていうか、もしかしてここは笑うところですか?「はなしませぬぞ〜」って、源平討魔伝の鬼姫かw

2008年11月5日水曜日

[一言居士] 猫も杓子もクラウド

「雲を掴んだような話」ってか? そりゃそうだ。クラウドだもの。

[VentureBeat] Salesforce.comがMicrosoftについて言及: 「彼らはみんなを憎んでいる」

(原文: Salesforce.com on Microsoft: “They hate everybody”

CEOのMarc Benioffによると、Salesforce.comの戦略は「愛」の一言に集約されるという。もちろんこれは、今日サンフランシスコで行われたDreamforceカンファレンスの席での、アナリストやレポーターからの質問に対する、冗談半分の回答である。しかしながら彼は、いかにしてSalesforce.comがソフトウェアの巨人であるMicrosoftをクラウドコンピューティング市場において打ち負かすか、という点に関する現実的な議論を我々に示した。

Benioffは言う「他にMicrosoftがユーザに提供しているものと同様、新たに発表されたMicrosoftのクラウドコンピューティング向けアプリケーションプラットフォームであるWindows Azureは、結局のところ、人々をMicrosoftの製品やサービスに縛り付けるためのものだ」「一方、Salesforceは、CRMサービスとビジネスアプリケーション構築プラットフォームであるForce.comの両面に関し、よりオープンで協力的である」「Salesforceが関心を持っているのは、複数のクラウドやプラットフォームや機器をつなぐことであり、今日行った『FacebookおよびAmazonウェブサービスとの連携』や『Google Appsとの連携』という発表がこのことを証明している」

Benioffが言うには「MicrosoftとSalesforceを比較すると、彼らはみんなを憎んでいる、我々はみんなを愛している。これは大きな違いだ。我々はMicrosoftのことすら愛している。これこそが我々の戦略の中心にある『愛』というものだ」

観客の一人が、Benioffのオープン性に関する発言は誇大に過ぎるのではないかと詰め寄るとBenioffは、自分が言っているオープン性とは他社との協力性のことであり、オープンソースそれ自体のことではない、ということを強調した。彼はまた、Force.comにクローズドな面、すなわちForce.com上で動作するアプリケーションを構築し、他のプラットフォームへ接続するのは可能だが、そのアプリケーションを他のクラウドへ完全移行するのは不可能であるということについても認めた。

「我々の業界において、コードの移植性は必須というわけではない」とBenioffは言い、AppleのApp Storeを、多少クローズド(今となってはこれも控えめな言い方ということになるが)なプラットホームではあるが、何はともあれ繁盛しているとして例に挙げた。

Benioffはまた、なぜ他のネットワーク、なかでも特にビジネス指向の強いLinkedInといったネットワークではなく、Facebookを最初の提携先としたのかという点について語った。Force.comはそのうちLinkedInやMySpaceとも提携する計画になっているが、ユーザ面およびプラットフォーム基盤と言った面から見て、Facebookを第一とすべきなのはどう考えても明らかだった、というのがその理由だ。

最後にBenioffは、Salesforceが現今の景気後退にどう対応していくかという質問についていくつか取り上げた。共通するテーマは「今後も我々の今持っている戦略にこだわっていきたい」というものだった。例えば、OracleのCEOであるLarry Ellisonが「景気後退によりバーゲン価格で企業を買収する好機が訪れた」と言ったのに対し、BenioffはSalesforceの企業買収計画を変えるつもりは無いと述べた。もう一人の質問者は、Salesforceの拡張アプリケーションを販売するベンダーのうちのいくつかは景気後退により職を失う事になるだろうが、これはSalesforceの顧客にとっては良くない事だと指摘した。これに対しBenioffは、Salesforceは今までずっと顧客にブリッジ(訳注:ソフトウェア間の橋渡しをするもの)を提供することに努めており、ベンダーが職を失ったとしても顧客が損害を受ける事は無いと答えた。

「この件に関する私の考え方は実に単純なもので」と彼は言う。「今のところ、ビジネスの本質に関わる部分の大幅変更はしたくない」

[37signals] 20秒以内で37signalsについて述べよ

(原文: Describe 37signals in 20 seconds or less

我々は問題を抱えている。37signalsがしている事を一般の人にどう説明するか、思いつかないのだ。

カクテルパーティで誰かにこう聞かれたとする「37signalsって何やってる会社?」。典型的な回答は「WEBソフトを作ってる会社でね」で始まり「小規模な会社向けの、情報統合ソフトでね」と続き、聞いている人のいびきで終わる。

一般の人の興味をひくものは何だろう? 技術オタクではない人でも眠くならないよう、手短に37signalsのやってることを説明する良い方法はないものか? 37signalsは面白い事やってるなと人々に思わせるにはどうすればよいだろう?、、、20秒以内で。



訳者コメント: この記事そのものより「俺に聞かれてもなぁ。てめぇのケツはてめぇで拭けや」といったものも含め、読者コメントが味わい深い。「汝自身を知れ」というネタは、古今東西を問わず人を引きつけるものらしい。

2008年11月4日火曜日

[37signals] 過激なアイディア: 有料化せよ

(原文: A radical idea: Charge people for your product

Farhad Manjooが『Facebookの過激なビジネスプラン:有料化という道』[Slate]で、企業はサービスを有料化すべきだという「いささかまともではない」提案をしている。

David(訳注: 37signalsの従業員で、Ruby on Railsの作者として知られるDavid Heinemeier Hansson)はインタビューを受け、なぜ「利益を上げために代価を取るということが、みんなはそう思ってないだろうが、本当はクールな事」なのか? という点について説明している。
[Hansson:] 「客が君の製品やサービスに対して金を払う、それで利益をあげるんだよ! 単純極まりないけど、これでうまくいくんだ」。もちろん37signals自身がこの考えを思いついた訳ではない。「こういったやり方は長年にわたって、実際もう何百年にもわたって我々が耳にしてきたやり方であり、たいがいの企業はこうして稼いできた。でもなぜかWebの世界では、そういう考え方が失われてしまったんだ」という点についてもだ。

「人は勝算というものについてきちんと考えるということをしないものだ」とHanssonは言う。「宝くじを当てる人は常に存在する。けど、宝くじを山ほど買いに出かけるというのが良い財政戦略だということにはならない」

Hanssonは言う、Web起業家は、いつの日かどかんと回収することを夢見てベンチャーキャピタルから大量の資金を調達する(宝くじを山ほど買い込む)のではなく、大多数の非Web起業家が行っているのと同じやり方、すなわち小額の元手で、まずは良い製品、客が喜んで金を払うような魅力的な製品を作るというやり方で始める方が良い、と。その後、時間をかけて、客から得たお金を使ってより多くの客を生み出せるよう製品の改良や他の製品の開発を行う、これがビジネスに対するより多くの投資を産む。これは、人類が経済活動に携わってきた何千年にもわたって非常にうまく機能してきたことが証明されているサイクルなのだ。
記事全文はこちら

なお『Die Kraft des Mittelfingers』[brand eins] に、37signalsに関する最近の記事(ドイツ語)がある。ドイツ語が話せなくても要点は掴めるだろう
David Heinemeier Hansson ist vulgär, und das ganz bewusst. Seine “Fuck you! ”- und “That’s bullshit”-Sprüche setzt er dosiert ein, wenn er Gesprächspartnern seine Sicht der Dinge nahebringt.
関連記事: The Secret to Making Money Online [SvN]

2008年11月3日月曜日

[scobleizer] Microsoft の危機回避能力をなめるな

(原文: Never underestimate Microsoft’s ability to turn a corner

今週、Microsoftは3つの重大発表に関する誇大宣伝をしなかった。たしかに、TechMemeのトップを飾った期間から見ても、まぁ言ってみれば、ジョブズが鼻風邪をひいたという記事があったらそれにすら及ばない程度のものだろう。しかし、彼らの発表を見落としてはならない。
  1. PDC(Professional Developer Conference)の1日目はAzureに関する発表があり、これはAmazonのS3やRackspaceのMossoと競合し、理屈の面から見て、大企業のクラウドに対する受容姿勢を根底から変えるものだ。
  2. PDCの2日目はWindows 7が披露され、会場でWindows 7の入ったラップトップを借り受けた私のブログ仲間達は、Windows 7を大いに称賛していた(私自身はまだ未入手)
  3. PDCの3日目は新しいWeb版Officeが披露され、これは本当に素晴らしかった。新しいPowerPointにSlideRocketとの連携機能はあるのか? Zohoは御役御免か? いやいや、そういう話ではなくて、これはWebベースなんて大したことないよというそぶりをして来たグループに対する重要な一手だ。
  4. Microsoftはまた、Mac版とモバイル版のMeshをリリースし、これがいかにして次なるインターネット接続型アプリの構築を可能にするかについて突っ込んだ説明を行った。
詳細はこちら:

Microsoft がPDCの全てのセッションをアップしている
ars technica の良記事
Microsoft のChannel 9に山ほどある動画

FriendFeed上に、以下の検索項目に関するブログおよび良アイテムのデータベースがある
PDC
Azure
Windows 7
Microsoft
(これらはWeb実況と大量の会話の中から手作業で抜き出したものだ。3,600の配信記事をウォッチし、Like(訳注:『いい記事だ』リンク)をクリックしたりコメントを付けたりすることで、最も興味深いものを選んだ)

というわけで、Microsoft が再び市場を変えることに成功するかどうかについて議論しよう。まず、思い出さなければならない事がいくつかある:
  1. Microsoftには並外れて強力な営業部隊がいる
  2. Microsoftは世界規模の会社で、ほぼ全ての国の市場において、何千人もの熱烈なる伝道師達がいる
  3. Microsoftは、体調を維持しつつ景気後退を乗り切り、また新しいマシンの導入によりデータセンターを最新の状態に保つのに充分な現金を持つ数少ない企業のうちのひとつである
  4. Microsoftには、Visual Studioを良く理解し、C#やVisual Basicで今まで何年もアプリケーションを作り続けてきた、莫大な数の開発者が付いている
  5. Microsoftには、他の製品による営業面でのレバレッジ(てこの作用)がある。Microsoft販売員のこんな売り口上が思いつく「Exchange serverはいかがでしょう? あなたの会社が弱小スタートアップであったり、GMailのような今風のやり方を続けるつもりがおありで無い限り、Exchange serverが必要になりますよ。そうそう、弊社のクラウドサービスを選んでいただけましたら、もっとお安くご購入いただけますが?」。SharepointやSQL serverでも同じ調子だ。
言い換えればこうなる:Microsoftが今年のPDCで誇大宣伝をしなかったにせよ、売れなかったにせよ、AmazonやGoogleやRackspaceがクラウドというゲームに向かっているにせよ、そんなことは問題じゃない。(訳注:そんなことに関係なく、上に挙げた5つの理由によりMicrosoftが成功をおさめる、という論旨かと思われる)

諸君は今回の一連の発表について、接岸する事すらままならぬ、ぎしぎし音を立てる老朽船をレイ・オジーが転覆させ、お陀仏にするだろうと認識するに留まった。諸君のこの認識を、私は深く心に刻んでおく。

どう思う? 私の考えは正しいかな? ぼろ船は重大な危機を回避出来るかな? 今回の事は取るに足りない事かな?

2008年11月2日日曜日

[Dion Almaer] Professional Developer Conference のこと

元ネタ: Microsoft say Game On; Thoughts on PDC on Dion Almaer's Blog

・「世界を変えろ。でなければ、、、帰れ」というお話。

・「Silverlightはなぁ、、、」とかなんだかんだ言いながらも、今回のMSの発表がAdobe、Google、 Yahoo! 、AmazonといったWebにおける巨人たちが眠りこけているように見える現状から叩き起こす目覚まし時計となることをDionは期待している。

・「オジーの話はプレス向けレベルの退屈な背景説明に終始したが、ドンとクリスは開発者向けの話をしてくれた。面白いっちゃ面白かった。でも終わったとき感じたのは”おいおい待ってくれよ。HTTPの説明を聞くためだけに一時間も座ってたのか俺は”」

[Google] Book Search に関する出版界との和解

[Official Google Blog] New chapter for Google Book Search

・ブックサーチに関して作家/出版社との合意に達した、とのオフィシャルブログでの発表。3つの点が大きいとしている。第1に、読者が著作権コンテンツにデジタルでアクセス出来るようになる事。第2に、これにより作家/出版社に新たな市場を提供出来るようになる事。第3に、これによりパートナーは出版に精を出せるようになる事。

BBC NEWSをはじめ、大半は好意的な反応を示しているが、techdirtでは「原則より目先の利益をとるのか?出版界の屁理屈に屈するのか?法的な議論については全く未解決じゃないか」と否定的な反応だ。

・それにしてもこの件に限らず、出版側のクリコモへの流れが見出せないのは私の寡聞によるものであろうか。

[buzzword] オライリーのクラウド論に対するニコラス・カーの反論

[Rough Type] What Tim O'Reilly gets wrong about the cloud

・例のオライリーのクラウド論に、毎度お騒がせのニコラス・カーが突っ込みを入れている。オライリーのことをWeb2.0 impresario、つまりWeb2.0興業師・Web2.0香具師としているあたり、ホント喧嘩上等なおっさんだw。

・カーの疑問は「network effectがGoogleの市場支配における原動力だった、というオライリーの主張は本当に正しいのか?」というとこから出発し、「どうもオライリーは正しい知識を取り扱うというWeb2.0の命題と、多くの人が利用すればするほどソフトは良くなるということをごっちゃにしている」と論じている。

・最後の一文にあるように、クラウドはWeb2.0の構成要素でしかないというのがカーの結論だ。「オライリーの野郎、またバズワードをがなりたてやがって」といったところだろう。

[buzzword] オライリーのクラウド論

[O'REILLY radar] Web 2.0 and Cloud Computing

Hugh Macleodの「クラウドコンピューティングは独占につながる」という議論に対し、まずはエリソンの2週間ほど前の発言やAMAZONのJeff Bezosがクラウド上等と言ってたよといったネタで反論している。

・「クラウドコンピューティングの種類」としてユーティリティコンピューティング、PAAS(サービスとしてのプラットフォーム)、クラウドベースのユーザアプリの3つを挙げて、それぞれの内容について触れている。

・「おいしいところに関する法則」とはクリステンセンからの引用。金のなる木のようなものか。モジュール化とコモディティ化によりおいしい部分がバリューチェインから消えるとき、通常は隣接する部分に新たなおいしい部分が現れてくる、といった主旨。

・ソフトそのものでなく明示的/暗黙的なユーザの貢献こそが重要であるというオープンソース、ひいてはWeb2.0の性質は、クラウドコンピューティングの分散的性質と重なっており、これこそが次なる金のなる木の正体だと主張している。

・この意味で、エリソンの考えるクラウドとはソフトウェアレイヤーの話にすぎないとして、クラウドとオープンソースは巨大な利益をあげる企業を多数生み出す事はないだろうという部分には同意しながらも批判する。

・クラウドこそが新しいルールであり、新しいルールに適応した者が勝つ。エリソンの見当違いはCompaqのような滅び去った巨人のたどった道、もしくはUnisysのように特定分野から手を引けずに低迷する道へと続く。

・データ集積に関するネットワーク効果を生み出すためのプラットフォームを作る企業こそがHugh Macleodの考えるような巨大独占企業の地位を得るだろう。

[37signals] ハーレー・ダビッドソンの復活に学ぶ

(原文:Learning from Harley-Davidson's comeback

1973年から1983年にかけ、ハーレー・ダビッドソンの市場シェアは78%から23%へと落ち込んだ。日本の業者による高品質で低価格なオートバイが洪水のように市場を飲み込んだからだ。価格面で日本の業者と競争するのは不可能と判断したハーレー・ダビッドソンは、価格ではなく市場価値と品質面において確固たるものを築かねばならなくなった。『ハーレー・ダビッドソンのビジネス実践に関するケーススタディ』ではハーレー・ダビッドソンを復活に導いた経営、マーケティング、製造技術について考察している。

同社は、単なる技術/機能よりももっと大切なものとして、顧客の心情面への訴えかけを始めた。

「ハーレーダビッドソンの真の力は、製品そのものを愛してやまない顧客に向けたマーケティング力にある」。ハーレーダビッドソンの社長兼CEOであるRichard Teerlinkは、オートバイとはアメリカの典型であると言う、「大胆な開拓者魂、西部の荒野、自分の馬、自分の行きたいところに行く、、、オートバイは鋼鉄の馬としての性質を帯びている。それは個人の自由と独立を示唆するものだ(Executive Excellence 6)」。ハーレーダビッドソンというブランドに対する顧客の忠節心は心情に基づいたものだ。同社のオートバイは単なるオートバイというよりむしろ伝説であると見なされている。アメリカの肖像的ブランドなのだ。同社のシンボルはアメリカ国旗と鷲の組み合わせを含んだパターンをベースとし、アメリカ人が享受している自由への情熱を反映したものとなっている。

日常から脱出し、なりたい自分になるという願い。競合各社が製品のテクノロジと機能を宣伝するのに対し、ハーレーダビッドソンが宣伝で打ち出したのは、神秘に満ちた外観・個人主義・何の束縛も受けずに走る感覚・伝説のバイクを自分のものにする優越感だった。ハーレーがあれば自分の思い描く世界で一生を過ごし、バイク野郎達との仲間意識というものを知る事が出来るのだ。

物語というものは、機能リスト以上に、かくも深き顧客の心とのつながりを作り出す。

機能リストなどここには無い

また、同社がいかにして価格競争および顧客の要求に阿る道を回避したかを知るのは興味深いところである。

ハーレーダビッドソンは、コスト面では海外の業者に太刀打ち出来ない事をすぐに理解した。ホンダは低価格製品さえ出せば、広告宣伝費の面で40対1でハーレーを打ち負かす事が出来たからだ。従ってハーレーは価格よりも価値に重きを置いた戦略を押し進めた。これはニッチ市場開拓と重厚な部品造りとを通じて生み出された。日本の業者がプラスチックを使う一方でハーレーは鋼を使い、このことが部品交換と拡張を可能にした。ハーレーは需要以上の生産を行わないよう注意を払った。今のところ、ハーレーの購入を希望する人は6〜8ヶ月待たねばならず、ハーレーの一年ものは新品に比べ25〜30%割高である。需要に応えることが出来ないという状況が、顧客の「どうしてもほしい」という傾向を作り出したのだ。結果、ハーレーは2003年までに生産能力を現在の倍、年間20万台にすることを計画している。

『ハーレーがギアをシフトする』[Fast Company] では、同社の成功についてと、同社がいかにして顧客との一生の長きにわたる関わり合いを構築しているかについて議論している。

ハーレーはHOG(ハーレー・オーナーズ・グループ)すなわちハーレー製オートバイ所有者の団体にまで学習の範囲を広げた。15歳に始まり一生の長きにわたる企業と顧客のつながりを作り上げるために設立されたHOGは、世界最大の規模を持つ、企業スポンサーの付いたオートバイ愛好家団体であり、32万5千人のメンバーと940の地方支部により構成される。ハーレーはHOGのセミナーで、7000人の地方支部長に向けて、いかにして会員加入させ、新メンバーの心を引きつけ、イベントをまとめあげるかという点について答える手助けをしたいと提案を行っている。

同社CEOは、製品を利用している真の顧客をつぶさに見ることが、ハーレーの情報収集における最も重要な手法であると言う。

我が社の情報収集において最も重要なのは、Daytona Bike Weekのような、ハーレーがスポンサーとして付いたイベントであり、そこでは多くのボランティア(議長兼社長兼CEOであるRich Teerlinkから、工場・事務所に勤める一般社員に至るまで)が顧客と直接にやりとりを行う。

「これはまさにリアルタイムな市場調査と言えるもので」とTeerlinkは言う「我が社の技術者は顧客が何をしているかを知り、改善点や試せそうな新しいアイディアといった材料を手にして戻ってくるのだ」

私たちはこんな試みについても思案している。チャンネルはそのまま。

2008年11月1日土曜日

[37signals] future creepに気をつけよう

(原文:Beware of future creep

そう、君は今や scope creep について理解し、feature creep についても理解した。けれども私は最近、future creep と呼ばれる小さなグレムリン(小悪魔)について考える事が多くなった。

future creep とは君の製品に機能を追加する事とは関係ない。少なくとも直接の関わりはない。むしろ君の製品の基盤部分に、あとになって拡張する(かもしれない)機能についてあらかじめ準備しておくことと関わりがある。将来をみこして、というやつだ。

こいつは全くずるい奴で、というのも製品の機能リストが確定したときでさえ(もしくは確定した特に必ずと言っていいほど)発生するからだ。今回のリリースについてはもう何の機能も追加出来ない状態なのに、そのうちXという新機能を追加するよという話が出てきて、そこで君は今あるコードを、こことここ、たぶんここも、というかんじでちょっとづついじくることになる。Xという機能を追加する事自体はもっと簡単に出来るのにだ。

Xとは何の事であっても良い。API だったり、ドラッグアンドドロップのユーザインタフェースだったり、要素のカテゴリ分類だったり、データのインポート・エクスポートだったり、バッチ処理だったり、なんでもありなんだが、なかでも「すぐに実装するつもりはない」のに「いつか追加するかも」とまわりが言いふらしているだけの事があてはまる。

実装するという響きそのものは悪くない、けどそれは割に合うのか? 実際のところ積極性に富み称賛に値する響きではある。そしてもしXが時流に合っていて、君の意図にきちんと沿ったものであれば、君が将来を見越して実装した事が賞賛されるだろう。

しかしだ

最も単純な機能でさえ実装にはいくつものやり方がある。何も実装しないというのもそのひとつだ。君が「将来のため」に「もしこうだとしたら」とか「見た目だけでもいれとこう」と、いかにして現状のコードを将来入れる機能に適合させるのがベストかを考えるにはあまりにも少ない前提知識のもとでとりくむ数時間(数日にわたるかも!)が無駄に終わる事になるだけで済めば、それはまだ上々だと言える。

より悪いケースになると、それは死んだコード、つまりだれも片付けようとせず、なぜそこにそのコードがあるのかをだれも思い出せないまま何年も放置されるような、アプリケーション内の腐臭のもととなるコードになってしまう。

最悪なのは、その時点では良いアイディアに思えたものが、どんどん悪い方向へと事態を運んでいくかもしれないということだ。後先考えずにただただその機能を実装するという方向に入り込んでしまったり、他の実装すべき機能をすっきりとしたかたちで追加することを妨げる事になる。

解決策は?といえば、3つある。

第一に、きみが必要とする以上の実装を決してしないこと。アリとキリギリスの話に比べると不快に聞こえるかもしれないが、これは例外なのだ。手を抜けという事じゃなく、君の理解している事だけをやれということだ。実装すべきは今作業している機能についてであり、いつかやりたいと希望する機能についてではない。単純、最小限、そして現実的であることをキープせよ。

第二に、理解の範囲を超えてプランを深めない事。「うん、その新機能は来月やるかも」とか、だれもが確定事項のように話しているかもしれない。でも予定は未定であり、ふらふらころころ変わる。次のリリースでの追加機能とかいうことでもない限り、実装するな。積極的になるなと言ってる訳じゃない。真に必要な実装アイテムについて積極性を注げということだ。

第三に、現実的でない作業要求を恐れるなということ。だれかが新機能についてきみに言ったとする。うん、それこそが現実的でない作業要求というものだ。もし君が誠実であれば、その機能がどんな負担をもたらすかについては全然わからないのだということを認めるだろう。よくあることだが、山ほどの作業が必要だと思っても、実は単純な解決方法があると判明するものだ。(君が誠実というよりは率直だとしても同じ事だ)。プロジェクトを進めるのに必要な情報を入手するまでは、そういった現実的でない事は放置することだ。現実的でない作業要求がもたらす恐怖は君を現実的でない解決方法へと導くからそうならないように。

プロジェクトの方針から外れないようにすることだけを目指していると、簡単にこういった罠にはまる。不要な作業から君を守るどころか、さらに仕事が増える事になる。future creep には気をつけよう。

以上述べたことは11月5日にオーランドで行われる RubyConf でのプレゼンと関係している。タイトルは『Recovering from Enterprise: Ruby の慣用句を身に付け、悪い習慣に別れをつげるには』。会場に来る事が合ったら呼び止めて自己紹介してくれ。

[ars technica] クトゥブントゥの呼び声

(原文:The Call of Cthubuntu)



暗く底知れぬ深淵に、時を超越した異界より来りし恐怖が住み着いている。それは嘗て、我らの運命の星たる地球において生命を構成する要素が原初の海の中で凝固し生じ始めた時代に、宇宙の虚空をさまよっていた。はるかなる星々を経巡って彼らは我々の世界に至り、彼ら以外の何者も生存し得ない、我々が到達し得ない地に、堂々たる巨大建築物を作り上げ、そこで無限の時にわたり、夢に満ち満ちた眠りについている。

こうした旧支配者(グレート・オールド・ワン)の存在は人々に対してひた隠されてきたが、彼ら、いつの日か目覚め深淵より立ち上がり我ら弱々しき存在を地上から抹消する隠然たる恐怖についての、我らにはそれと知れぬしるしやきざしが、我々を取り巻いている。そういった旧支配者の、身の毛もよだつ帰還を予言する古の品が、私の所有するところとなった。おぞましきクトゥブントゥLinuxディストリビューション。それは我々の理解をこえた暗黒の時代に源を発する、筆舌に尽くしがたい力を持つ神秘の聖遺物。それは現代科学では知る術なき錬金術の技法により作り上げられた異界の器具。

それは古の伝承をよく知る古参のUNIXシステム管理者である我が師の突然の死により我が手にもたらされた。彼はミスカトニック大学IT学部長であり、コンピュータ・サイエンスの歴史に関するエキスパートとして多くの人に一目置かれていた。死因は、眼に見えぬ攻撃者により投げつけられた椅子が頭にぶつかったというもので、彼の突然の死に関するこの奇怪な状況は、彼の友人や同僚たちのあいだにさまざまな憶測を呼び起こした。彼には妻子がなかったので、彼の教え子たる私が彼の遺言執行に関する監督業務を依頼された。

厚紙で出来た箱にひそむ恐怖

彼のオフィスはさながら古代の聖遺物箱といった様相を呈しており、部屋の隅々やちょっとした隙間に至るまで、彼が長年にわたって蓄積してきた歴史的価値のあるお宝で占められていた。彼はいつも、彼のコンピュータサイエンスに対する愛着を将来の世代と分かち合えるようにするため、この膨大なコレクションで博物館を作ることを計画していた。その願いが果たされたかを見に行くという意図のもと、私はアーカムのミスカトニック大学へ赴いた。彼の収蔵室におかれたガラクタ達の中に、私はPDP-4、AppleのLisa、うず高く積み上がったパンチカード、「ガラス窓が割れる原因の相対頻度」と題されたチャールズ・バベッジの1857年の研究に関する手書き草稿とおぼしきものを見出した。

私の眼は棚の並びを下方へとふらふらと動いていき、積み重ねられたADBケーブルを通り過ぎ、光の差し込まない隅に控えめに収まっている、茶色い厚紙で出来た箱に行き着いた。それは気を滅入らせるような圧迫感を持った、部屋を満たす不吉なオーラをにじませていた。歩み寄ると、その表面に装飾が施された奇妙な記号を見る事が出来た。私は箱を開け、中身を引っ張りだすために指をのばすまでしばし躊躇した。中から現れたものは、私が最後の息をひきとるその日まで、我が夢につきまとうことになるものであった。それは比類なきグロテスクさを持った外観により飾り立てられた黒いCDケースであった。

ケースの絵は人外の獣を描いており、その最も目立つ特徴は、のたうつミミズの群れに似た触手に覆われた、歪んだ顔であった。その獣には鱗のある翼と暗黒をたたえた死んだような眼と恐ろしい爪があった。いかなる記述をもってしても、この陰惨なるものの恐ろしさと堕落の程を満足に伝える事は出来ない。私はすぐに、この悠久にして地上のものとは思えない邪悪なるものが、いかなる人の想像の産物でもありえないことを認識した。私の手は震え始め、胃がむかつき始めた。のどに生暖かいものがこみあげるのを感じ、昼食に烏賊のシチューをおかわりした事を苦々しく思った。

私は急いでそのおぞましきCDケースを厚紙の箱に戻し、のこりの中身を調べ始めた。引っ張りだされた、日焼けして切れ切れになった大量の紙には書き込みがなされていた。几帳面な筆跡は、かの古参UNIXシステム管理者の手によるものであることを窺わせたが、書かれたもののうち判読出来たものはきわめて少なかった。彼は手でページをずたずたに引き裂き、残りは火にくべることで、この覚え書きが他人に読まれることのないようにすることを試みたとみえるが、その作業はひどくあわてた状態で行われたものと見える。

彼は聖遺物に関わる何か重大な暗黒の秘密を明らかにし、それが彼を完全なる恐怖に陥らせたがため、彼は研究を進める事をやめ、発見した事についても、他人がそれを知る事についてもそれを不本意とするに至った。私は「禍々しき運命」「絶滅」といった単語を判読する事が出来た。もうひとつ、彼が破棄した文書を通じて規則正しく繰り返される単語があり、それは「クトゥブントゥ」というものであった。

私にはその単語の意味を解読する事も、正しい発音を思いつく事すらも出来なかったが、それは重りのように私の心にぶらさがり、不安と恐怖で満たした。破壊を免れたページの切れ端のうちの一枚に、上隅に日付が書かれたものがあった。日付から、そのページは彼の死の前の一週間以内に書かれたものであり、当時の彼の心をこの研究が占めていたことを意味している。

助手の狂気

私は師の研究所の助手がこの奇怪な事件にいくばくかの光をもたらすものと考え、彼を捜すことを企てた。学部生から聞いて驚いた事に、その助手は発狂し、今はアーカムの療養所に拘留されているとの事だった。私は独房にこの憐れむべき魂を訪ね、筋の通った話をしてくれるよう説いたが無駄に終わった。

彼と向き合い、あのぼろぼろになったノートについて聞いたとき、彼は体を震わせ始めた。体を詰め物のされた壁に何度も打ち付け、耳をつん裂き背筋を寒くさせる、人とは思えぬ泣き声を発した。その泣き声には、壊れたファックスと、地獄へ通じる穴からわき出す不快な風がたてる不協和音の叫びが入り混じっていた。その泣き声は私に、タルタロスの深奥に棲み、その金切り声により呪われし魂を狂気へと導くという、翼持つ復讐の神、ギリシャ神話のエリニュエスを思い出させた。彼の眼は執拗なる恐怖によってどんよりと澱み、筆舌に尽くし難いトラウマによって心を打ち砕かれた者が見せる、苦痛に満ちた表情をしていた。

彼の咆哮は狂人のような笑いへと変わり、それからリズミカルな詠唱へと変わった。彼はUNIXのsedコマンドのマニュアル全文を暗唱し、その後、あたかもこの試練に精魂尽き果てたとでも言うように、床にばったりと倒れた。私は彼の暴走に動揺したが、彼そして我が師が見出したものについて知りたいという願いは消えなかった。私は彼の腕をとり、壁にもたれ掛かることが出来るよう引っ張り上げた。私の更なる説得により、彼はひそひそ話し始め、私が今回発見するに至った秘密に関するいくばくかを語った。彼の話は謎めき、狂気に満ちた笑いが句読点となるが如きありさまであったが、私は切れ切れの断片を組み立て、彼のわかりづらい与太話から筋の通った話を導きだすことが出来た。

彼の語った話は、人類の黎明を遥かにさかのぼる太古より巣喰いし恐怖と宇宙戦争の物語であった。それはあまりにも荒唐無稽かつ動揺を呼ぶものであったので、私はそれ以上の詮索をやめた。この物語のほんの一部について話すだけで、私の心は暗いおののきに満たされてしまう。以下は私が知るに至った話の一部である。

2つの相反目しあう異界の種族が地上の支配を巡り、互いに由々しき弱体化に陥るに至るまで戦いを繰り広げた。最終戦争は互いの町を沈める大洪水によって頂点に達した。双方ともに深淵へと退却したが、我ら人間を操る事により代理戦争が続けられている。かの狂える助手は、その2つの派閥の真の名は、人間には発音出来ないものだと主張した。派閥の一方を「ネピリム」もう一方を「スター・スポーン」と彼は呼んだ。ネピリムは地球の内奥深く、人知れぬ要塞を、現在はレッドモンドとして知られる地の下に築いた。スター・スポーンは沈める都市ルルイエ、CDケースを飾る怪物じみた図像が示している彼らのあるじが眠るルルイエに居を構えた。



何世紀もの時が過ぎ、ネピリムは人間性の腐敗を目論んで巧妙なトリックを使うようになった。彼らは市場を支配する強大な力と、人が利用する最も有用なテクノロジーを操作する能力を手にした。一方、スター・スポーンの足取りはゆっくりしたものだったが、まもなく人間の先兵達に、ネピリムによる奴隷支配からの解放を可能にする新技術を与える事によって逆襲を始めた。あのおぞましいケースに入っていたCDはそんな道具のひとつだった。その名はクトゥブントゥLinuxディストリビューション。何世代に渉り受け継がれ、スター・スポーンの眷属によって振りかざされてきた強力な古の品。

こういった新たな知識を得た後、私は療養所を発ちホテルへ戻った。その夜の夢は、いつ終わるとも知れぬ戦いに明け暮れる悪魔達の、魂を打ちひしぐようなイメージがつきまとって離れなかった。私は化け物じみた大きさを持ったサイクロプスの街と、いかなる描写も困難な者どもにより構成される、莫大な数の軍隊とを目にした。翌日目覚めたとき、私は熱に浮かされたような状態であり、そんな窒息死しそうな恐怖の重圧のもとにあって、調査を続ける意志がゆっくりと崩れていくのがわかった。私は助手への質問を続けるために療養所へ戻ったが、彼は独房の中で死んでいた。彼は手首を切り、こと切れる前にその血でPerl言語による数行のひどく読みにくいプログラムを独房の壁に書きなぐっていた。

独房は彼の、すでに初期の死後硬直の段階に入った亡骸の放つ悪臭に満ちていた。私は吐き気を催しながらもそのPerlプログラムをPDAに書き留めてやっとその部屋から解放された。私は急いでミスカトニック大学の師の研究室へ戻り、彼のコンピュータでこの常軌を逸したプログラムを実行した。私はプログラムの仕組みというものは知らなかったが、実行してみると以下の文章が端末に映し出された。

ぺんぎん むぐるうなふ くとぅぶんとぅ るるいえ うぐふなぐる ふたぐん

調査を次の段階へ進める決意を固めたのは、まさにこの時だった。私はおぞましいケースに入ったCDを取り出し、それでコンピュータを起動することを試みる必要があった。一体、いかなる愚かしさと傲慢さが、まっとうな人間をかくも不健全なミステリーの探求に駆り立てたのだろう?人知の及ばぬ事象に相対した時、私は科学に対する好奇心と真理の解明に対する抗いがたい欲求とにたぶらかされてしまったのだ。

クトゥブントゥLinuxの起動

CDケースに再び触れ、その表面の画像を目にした時、私はこれから起こる事の予兆を感じ慄然としたが、勇気を振り絞って作業を進めた。CDを取り出し、CDドライブに入れ、起動した。画面が明るくなった時、突如部屋全体が奇怪な緑色の輝きに満たされた。触手のある獣が、星々が渦巻く中、ディスプレイに現れた。私の恐怖はシステムが起動を終えユーザインタフェースが描画されるまで、しだいに募った。その画面は平凡なLinuxディストリビューションのそれと似通っていたが、そこにはそれの持つ異界の出自を反映した、不安を感じずにはいられない異常さがあった。

私はそれらを見なかった事にしようと心に決めたが、どうしても記憶から抹消出来ない細かい点がいくつかある。カーソルは触手のようにのたうち、ウィンドウは非ユークリッド幾何学にもとづいた畸形を呈し、私がそれをドラッグすると画面にグロテスクな模様がにじみ出た。ファイルを捨てるゴミ箱の代わりに、血まみれになった生け贄の祭壇があった。OpenOrificeと呼ばれる、ひと組になったアプリケーションからプレゼン用アプリケーションを起動すると、眼前でアプリケーション内の一枚のスライドがまたたき、私は気を失った。これはスター・スポーンが大地を汚し、ネピリムを打倒し、人類を堕落させるためにたてた計画だったのだ。

クトゥブントゥLinuxディストリビューションが自ら行った、この悪夢の開顕も、私をあの哀れな助手のような、たわ言をまきちらす精神異常者へと変えるには至らなかったが、最後に見たスライドは私をそんな異常の瀬戸際まで追い詰めるものだった。堂々たる宇宙船に乗ったスター・スポーンの眷属達がまもなく地球へと至り、計画の実行を開始する。答えが出ていない事はまだ多いが、まちがいなくこの最後のスライドが示した、我々にとって不可避な事実があまりにも秘密と恐怖とに満ちたものであったため、その代償として我が師を死に至らしめ、彼の助手から正気を奪ったのだ。スター・スポーンの襲撃を止める術はないことを知りながらも、わたしはここに真実を開示する。彼らはやって来る。