2008年12月31日水曜日

[37signals] 話題にされない億万長者

(原文: The untold millions)

メディアというものは、人々の話題になるようなネタに関しては、えこひいきして報道するものだ。特にWebの世界ではそうだ。FacebookやGoogleやYoutubeと言った、世間が注目し、そそるネタが豊富で、みんなが話題にするような記事は書くのが簡単だからだ。

ビジター数が多い!
広告売り上げが多い!
資金が多い!

はったりというものは、市場公開される時、ベンチャー投資家からより多くの資金を引き出すことを狙っている時、でかいパラシュートをつけて飛び降りる時に重要だ。だから企業がジャーナリズムの働き蜂どもを、そのしたたる蜜でおびきよせるのは当然であるし、その結果我々が目にするのは、若い起業家が年齢不相応な金を手にしているといったたぐいのくだらん記事ばかりになるのだ。

その一方で、決して語られる事の無い多くの現実がある。ユーザ数の公開や成功談の発表をどちらかというと控えめにしているような小規模チームにより達成された、静かなる成功がそれだ。競合他社や無用の勘繰りを誘引しないようにするために彼らはそうする。にこにこしながら製品を利用している顧客のもたらす巨万の富を手に、その幸運を静かにかみしめるだけで良しとしているのだ。

私的にこういった起業家と対談することが多く、彼らのやり口の上手さに衝撃を受ける事がしばしばあった。そのたびに、1)なんで気付かなかったんだろう?、そして、2)みんなにも教えてあげられたらなぁ、と心の中で思ったものだ。

こういったことは成功を収めたオンラインビジネスに関する議論で特にはっきり見受けられる。みんなは巨大メディアといった類いの物の記事にしか注意を払わないし、ここで述べているような人たちのことをみくびっている。世間にアピールするメディアの寵児のうちの一人にでもならない限り、宇宙旅行とかいったものには縁遠いというわけだ。くだらねぇな。

成功を収めているオンラインビジネスの世界というものは、レポーターが見出した氷山の一角程度のものより遥かに広いということを知れ。水面下では想像を絶するほどの富が創造されているのだ。確かに何十億ドルとまではいかない(そこまでいったら沈黙を保つのは困難)けど、人々の話題にされない億万長者はたくさんいる。

2008年12月28日日曜日

[scobleizer] 12seconds.tv で収録した30分のビデオは「現実に即した」技術系スタートアップ企業の未来を垣間見せてくれる

(原文: 30 minutes at 12seconds.tv shows future of “reality based” tech startups)

クリスマスも終わったね。昨日、写真家のMarc Silberとその仲間達を収録するためにサンタクルーズの12seconds.tvを訪問した。

駄目かなというのが12seconds.tvの第一印象だったんだけど、Twitterの時も大半の人がそう思ったはずだ。ということで、この第一印象は昨日もらったクリスマスプレゼントの包装紙と一緒にゴミ箱へ放り込もう。

それはどんなもの?かというと、一回の投稿につき12秒までのビデオをアップロードもしくは録画出来るようにしてくれるサービスだ。ビデオ版Twitterといった感じ。世界中で熱心な支持者を獲得した。

まぁそれは置いとくとして。

この30分のビデオインタビュー収録を通じて、このチームとその提供するサービスに注目すべき理由と、この会社が勃興しつつある「現実に即した」経済における技術系スタートアップ企業のありようを示しているということが私には判った。(ビデオは2部に分けた。第一部はこちら。第二部はこちら
  1. このサービスは彼らの本業ではない。彼らは皆、日中は別のところで勤務し、夜間や週末を使ってサービスを構築している。クリスマスあけに訪問した理由というのも実はこの点にある。
  2. 彼らは勃興しつつある「reality economy(現実に即した経済)」すなわち食っていけるだけの収入源が見つかるまでは自己資本でしのぐというやり方を採用している経済システムの一員である。ベンチャーキャピタルの資本に頼るのは、そういった収入源が結局見出せなかった場合だけだ。
  3. 彼らは「クラウドバースト」アーキテクチャを利用している。ビデオの全ては自社サーバにて管理されるが、人気のあるビデオはAmazon.comのWebサービスへファイルを移動し、トラフィックをそちらに移すことで自社サーバが過負荷になることを避けている。これにより非常に効果的かつ安価に、多くの人にサービスが提供出来る。
  4. 何事もTwitterで済ますというのが彼らのやり方だ。顧客サービスやコミュニティ作りといったものもだ。画面上にはTweetDeckが表示されているし、クリスマス当日であってもiPhoneから質問に解答してくれた。
  5. 財源の不足こそが、彼らに一つの事業、たった一つの事業への集中へと向かわせた(Podtechもこういった点について学んでくれればいいのに)
  6. ビデオの第二部では「みんながお金を払ってくれるようなサービスでなきゃ構築する意味ないじゃん」という考えに基づいて、課金型の新作iPhoneアプリをデモしている。
とりあえず見てみてよ。ビデオ中ではMarc Silberが写真を撮る様子やJeremy Toemanがどのようにして12seconds.tvの広告活動や企業戦略について手助けしているかについても見る事が出来る。12seconds.tvを始めたSol LipmanとDavid Beachと一緒に仕事をしている主席開発者のJacob Knobelも出ているよ(ビデオでは3人とも登場している)

彼らが「現実に即した」という表現を通じて言わんとする事は何だろう? うん、彼らはもう気付いているんだ。投資家連中が収益化出来そうなアイデアを血眼になって探しているということを、コミュニティサポートを視野に入れていないサービスは彼らの眼中には無いということを、そして彼ら自身、2年やそこらで収益化出来るような素晴らしいアイディアの持ち合わせは無いということを。

勃興しつつある「現実に即した」技術系スタートアップ企業の世界へようこそ。他にもこういった例は無いかな?


訳者コメント:
37signalsの言う"Getting Real"の好例。ちなみにrealには今のところ2つのコンテキストがありそうだ。
  1. virtualの対義語としてのreal。real economy=実体経済/virtual economy=金融経済とみなしてよい。課金ベース=real/広告ベース=virtualという図式も成り立ちそうだ。
  2. reality TVなどに見られるreal。新聞などの従来マスコミでは見られないrealということで、ミクロでパーソナルな視点のメディアにより提供されるものとみなしてよい。

2008年12月24日水曜日

[37signals] 万歳! CNNの画面下端を這いずり回っていたニュース表示が消えた

(原文: PHOTO: Huzzah! The crawl, the unending stream of)

Matt が2008年12月23日に目撃:


万歳! CNNの画面下端をえんえんと這いずり回っていたニュース表示が月曜日から消えた(現在オンエア中のニュースと関連する、静止して流れない文章表示に置き換えられた)。視聴者はこれで一息つけるようになるし、CNNが「少なきは善」というやりかたで他社との競争に取り組んでいるというのがまた良い。MITの神経科学教授であるEarl K. Miller は、視聴者達は画面上に表示されるものについて同時に処理出来ると考えているかもしれないがそれはまやかしだと言っている。「マルチタスクで処理しているように思えても、実際は1〜3の事柄について注意を向ける先を切り替えているだけに過ぎないというのが大半だ」

2008年12月22日月曜日

[メモ] 「メディア」と「あいだ」

メディア(mediumのpl.)についてOnline Etymology Dictionary
  • mediaがmass media(1923年に広告用語として用いられ始める)から派生して新聞・ラジオ・テレビの意味として使われだしたのは1927年ということなので、今日的な意味合いでの「メディア」の歴史はまだ100年にも満たない。
  • intermediate agency(媒介・仲介)としてのmediumは1605年が初出。mediumにshermanの意味が付け加わるのは1853年。肉の焼き方としてのmediumの初出は1939年。
  • Happy medium(妥協点・折衷案)は、ホラチウスのaurea mediocritas = gold mean(黄金の中庸)から来ている
  • 語源をたどると、PIE(Proto-Indo-European Language: インド・ヨーロッパ祖語)における *medhyo- から、medhyah(サンスクリット語)、mesos(ギリシャ語)、medius(ラテン語)が派生しており、これらはmedialや接頭辞のmid-として残っている。音楽用語として日本人にも膾炙しているmezzo(イタリア語)も根はここにある。
  • 以上から見られるように、メディアにはもともと何かと何かの「あいだ」とそれをつなぐものとしての意味が根にある。
「あいだ」については常用字解にて「間」を参照
  • 「間」はもともと門と月の会意。内田百閒の閒(U+9592)に残っている。この月は日月の月ではなく「にくづき」すなわち祭肉であり、宗廟の門に祭肉をそなえる儀礼のことを指し、そこから「内外を隔てる」という本義が生じた。
  • 「間」には(1)内外を隔てる(2)あいだ、ま、すきま(3)しずか、やすらか、の義がある。
  • (3)はmeditation(瞑想)を連想させる。meditationはPIEにおける *med-(measure,limit,consider,advise)からの派生とのことで、音韻的にmidとmedとのつながりはありそうに感じるがどうなのだろう。つながっているとすれば「間」と同様の演繹過程がPIEでもあったと考える事が出来て面白い。

2008年12月19日金曜日

[37signals] 景気後退時には月払い型の収益モデルが有利だ

(原文: The benefits of a monthly recurring revenue model in tough economic times)

37signalsではWebベース製品を月次サブスクリプション型で販売している。また、最初の一ヶ月についてはお試し期間として無料で提供している。

このモデルはどんな時であっても有効であると我々は考えているが、景気の悪い時には特に上手く機能する確信している。状況が厳しくなると人は支出を抑えるものだということは誰の目にも明らかだが、人々が支出を抑えるにあたってどう振る舞うかを理解する事もまた、どのビジネスモデルがより有利であるかを判断する際に重要になる。

ソフトウェア産業におけるビジネスモデルは多様だ。良く知られたものをいくつか挙げてみよう
  • 無料
  • 無料(広告ベース)
  • 一回払い(無料アップグレード)
  • 一回払い(有料アップグレード)
  • 月次サブスクリプション型
  • 年次サブスクリプション型
人は既存の費用よりも新たな費用の発生をまず抑える

通常、人々は現在支払っているものをカットする前に、新たな支出をカットするようだ。すでに支払いを始めているものについては、それが何であれそのまま支払い続けるという状況がしばしば見られる。新規支出を排除する方が既存支出を排除するより容易だからだ。

例えば何か新しいものの導入を検討していた場合であれば、導入は保留される。無くてもどうにかなるものであれば、大抵の場合は、無いままで済ますようだ。大規模アップグレードが出た場合であっても、なんだかんだと理由をつけて先延ばしするか、もしくはただ単に不要と見なして導入しないものだ。

だが、すでに導入し支払いを行っているサービスであれば話は別で、大抵はサービスの利用を継続するようだ。料金プランが安い方にダウングレードしたり値切ったりする事はあるかもしれないが、サービスが有用なものである限り人々はサービスを継続利用してくれるものだと考える方が理にかなっている。

一回払いには問題がある


一回払いの問題は、ひとたび料金が支払われたらそれっきり、という点にある。人々が財布のひもをきっちり締めている苦しい状況下において、新規顧客の減少は収入の減少を意味する。極端かもしれないが新規顧客ゼロということもあり得るのだ。すなわち収入ゼロということだ。3ヶ月間にわたって新規顧客が得られなかった場合、3ヶ月間にわたって収入はゼロとなるわけだ。資金が十分であれば話は別だが、3ヶ月も収入ゼロで会社を運営すれば経営悪化は免れない。

年次サブスクリプション型は中途半端

年次サブスクリプション型は一回払いよりマシである。新規顧客が得られなくても定期的な収入が見込めるからだ。だが、年次更新という形態は月次更新に比べて初期費用が高くつくので、企業は契約更新について慎重になるかもしれない。契約更新の際に価格の折り合いがつかなかった場合、顧客は交渉の場において強気で出たり、契約破棄をちらつかせて脅したりするだろう。単なるはったりかもしれないが、不景気ともなれば、顧客を失うリスクをあえて取るのはしんどい。

月次サブスクリプション型の利点

新規支出というものは往々にしてカットされるので、新規顧客ゼロという期間がありうるのに対し、月次サブスクリプション型のビジネスモデルであれば、既存顧客から毎月定期的に収入を得られる。

もし10ドル/月のサービスを利用する顧客が5000人いれば、たとえ新規顧客登録がゼロであっても毎月50000ドルの収入が見込める。既存顧客のうちの何人かが支出抑制の為に契約をキャンセルし始めたとしても、月々の収入は他の顧客から依然として入ってくるのだ。月次サブスクリプションに基づくキャッシュフローは選択肢のうちでフローの将来予測に最も役立つものだ。

月次サブスクリプション型には他にも、新規顧客にとって導入コストがより安く済むという利点がある。年次サブスクリプションは長い目で見れば月次サブスクリプションより安くなるが、この不況下においては年次サブスクリプションの初期支出の大きさに多くの人が躊躇するだろう。人々の願うのは支出削減であり、年次サブスクリプションは確かに一面ではそれに合致するものの、人々の念頭にあるのは短期支出であり長期支出ではない。不況下においてものをいうのは短期的視点のもとで削減をするほうであり、ゆえに月次サブスクリプション型は何よりも安全なのである。

複合型はどうか?

いくつかの料金プランを組み合わせて顧客に提供する企業もある。月次サブスクリプション、年次サブスクリプション、もしくは終身サブスクリプションといった巨額の前払いを行うもの。私の見るところでは、月次サブスクリプション型さえあれば人々は良しとするようだ。37signalsでは支払い形態のオプションに年次サブスクリプション型は無いが、登録時にアカウントに関してまとめ払いをする事が可能だ。このやり方であれば、あらかじめ500ドルまとめ払いしておけば毎月のクレジットカード請求書にびくつく必要はなくなる。ひとたび支払いを済ませてしまえば年度予算の残りを気にする必要もないし、来年も引き続き、新たな追加支出をすることなく利用出来るから、という理由でこの支払い形態を好む人もいる。

これはあくまでも助言

以上述べたような考え方は大げさなものでもなんでもなく、あくまでも、顧客に提示する支払い形態の如何が不況下における企業の生存可能性について重要な意義を持つ、ということを諸君に思い起こしてもらうための助言にすぎない。

2008年12月18日木曜日

[一言居士] もしかしたら ...

もはや「小さい事は良い事だ」ではなく「小さくなければ生き残れない」というところまで来てしまったのではないか?

今世紀の課題として、国や企業についてだけじゃなく、おそらく個人レベルでそれが求められるようになるのではないか?

それも個人のライフスタイルといったレベルではなく、文字通り、物理的に小さくなる事が未来において求められるのではないか?

ブラックジャックの「ちぢむ!」というエピソードを思い出した。

2008年12月17日水曜日

[scobleizer] ブロガーとソーシャル・ネットワークは大規模な展示発表会というものを死へと追い込むのか?

(原文: Are bloggers & social networks killing the big shows?)

この傾向に気付いたのは最近の事だ(実際に気付いたのはMicrosoftで勤務していたころのこと。上司が割に合わないからという理由でカンファレンスにブース出展するのを拒み続けていたんだ。当時はあまり気に留めなかったけど、こういった傾向はその後どんどん強くなってきたわけだ)。大企業は大きな展示発表会に自社人員を投入して世間にアピールする。昨夜、Facebookの1億4千万ユーザ達成発表パーティに出席した。パーティ自体はブログのネタ程度でしかないけど、その一方で私たちはこのブログ上で展示発表会というものが音を立てて崩壊しつつあるということを議論してる訳だ。

今年の始めころに、Electronic Artsがブローガー達を招いて同社の『Dead Space』というゲームを紹介する一日がかりのイベントに参加した。プロデューサーとのやり取りを収録したビデオはこちら

私はAppleが数百名のブロガーおよびジャーナリストを、金のかかる展示会場にわざわざ出向かせるのではなく、クパチーノの本部にある会議室に招いて報道を行ったというのも目にした。

こういった変化をもたらしたのは何か?

ブログとオンライン動画なんだ。

大企業は今や、ブース出展に伴う何百万ドルという支出(従業員派遣費用は含めずにだよ)に関する見直しを行い、また出展の見返りが期待した程のもんじゃないということを知り始めている。

ウチのスポンサーであるSeagateは、CESでの出費を抑えるつもりだと語っていた。AMDもDelphiも同様だし、私の聞いた範囲では、他の多くの企業も今回は、出来れば2010年も、出展停止もしくはブースの縮小という方針だった(契約上、企業の求めに応じてほいほいと出店ブースを縮小するのは難しいのだ)

Appleの「来年でMacWorld Expo出展は終わり」という報道はあらゆる紙面を飾った。この件についてはFriendFeedでも大いに議論された。この投稿における私の主張には約1時間で40以上ものコメントが付いた。

私はこれで全てを理解出来た。おいおいなんでだよ?MacWorldには44,000もの人々が赴くんだぞ。やれやれ、それより遥かに多くの人がEngadgetのレポートを観るんだよ。えらい安上がりな会議室で行われる発表に基づいたレポートをね。

それにAppleはApple Storeを通じて、顧客個人に接触する手段を既に入手してる。顧客と接触するためにバカ高い金を払ってブース出展する必要はもはや無いし、率直に言って、そんなやり方は良い顧客体験たりえないんだ。

それじゃ来年はどう? 大規模展示会に関しては悪いニュースだらけになるだろうね。

何が大規模展示会というものを死に追いやるのか? インターネットだよ。君たちは今や、製品紹介のライブ中継を自宅の居間にいながらにして世に送り出す事が出来る。Stickam・Ustream・Qik・Kyte・YouTube・Flixwagon・Viddler・Vimeo・SmugMugといった動画サービスやブログを利用することでね。

Facebook住民に何かネタを投下し、それについて議論し、そこでおもむろに君の製品について持ち出せば、すごいことになるよ。

CESを見に行くのは2009年が最後になるかもしれないなぁ。Comdexの時もそう思ったのを今でも憶えているよ。あの時はみんな思っていたな、こんなでかい展示会がなくなるわけないだろ、って。

2011年のCESを見に行く事はまずありえないな。なんでだよって? 文句はブロガー連中に言ってくれよ。

今言えるのは、このUpcoming.orgカレンダーにある私の予定表に書かれている通り、CESで行われる数々のイベントに参加し・追跡調査する(そのうちのひとつがMacWorldなんだけど)ってことだけだ。現地で会えたらいいね。今回で最後かもしれないしね。


訳者コメント:
37signalsが言うところの「金をかけずにマーケティングする」というやり方が浸透してきている。不景気もこういった企業姿勢の見直しにつながるのであれば歓迎だ。いいもんでしょ、ミニマリスムって。死して屍拾うものなし、でもあるんだけどねw

2008年12月16日火曜日

[一言居士] ご冗談でしょう、池田さん

ネタ元: [池田信夫 blog] ハンコ・元号・縦書きをやめよう
(私はヘタレなのでトラバはいたしません)

どう考えても釣りだとしか思えない。話の持って行き方から見ても、当たるを幸いに言い掛かりをつけているとしか考えられない。

確かにこれまでも2chやはてなに対する粘着ぶりから、氏の「坊主憎けりゃ」的スタンスは世に知られて来たし、それもまた氏の持つ味わいであると、私などは考えてきた。

本件に関しても、好意的に捉えるならば「たぶんタイトルが大雑把すぎるのだ」という見方もあるわけで、氏の言わんとするところは「公文書において」ハンコ・元号・縦書きをやめよう、というだけのことなのかもしれない。それならば同意出来る。

でももし本気でタイトル通りだとしたらかなり困った事だ。

縦書きについては、認知科学領域での議論にも見られるように、日本というシステムが長年育んできたリテラシーそのものに関わる問題を含んでいるし、そもそも「PCで見づらいから」というのは何の理由にもならない。いつまで現状のアーキテクチャにしがみついているつもりだ? 何故我々日本人の最大の資産である日本語を最大限に表現出来るアーキテクチャを作るという方向に思考が向かないのだ?

元号にしてもハンコにしても同様の問題が待ち構えている。「面倒だから」「意味が無いから」「過去の遺物だから」「邪魔だから」といった一見もっともらしい理由のもと、切り捨ててはならないものまで切り捨てた結果がどうなったか、知らない訳じゃなかろう。中共による簡体化促進・維新期の廃仏毀釈・戦後の漢字制限。枚挙にいとまがない。

過去とは捨てるべきものではなく、無かった事にするべきものでもない。粛々と保存し記憶するべきものだ。保存し記憶する事すら忘れてしまった文明の末路は不毛だ。ミューズ九女神の母はムネモシュネーであるということをお忘れか?

オッカムの剃刀は非常に便利だが、切り捨てられたものの屍累々たるありさまについても考慮しなきゃダメだろう。切り捨てるならば切り捨てるで構わないが、それを実行するのは代替品が十分に成熟してからだ。日本人はそういった成熟をじっくりと腰を据えて、それこそ数百年のオーダーでやってきたではないか。

まぁ、こんな事書くと「保守派」とか「旧守派」とか「文化をふりかざす輩」と呼ばれちゃう訳だが。

ということで、氏の卓見と玲瓏を愛するものの一人としては、今回のエントリから窺えるような氏の一側面はざっくり切り捨てられないものかと心底思った。「全肯定も全否定も大雑把過ぎ。別に完璧でなくたっていいじゃん」というのが持論の私ですら、今回ばかりはそう感じたのだ。

[Dion Almaer] シリコンバレーにもまだ男女差別主義者がいるのか? Marissa は誠実さというものを我々に示しているだけなのに


(原文: Still sexist in the valley? Marissa shows that to be true)

Valleywagが記事を書いている。彼女が「格下と結婚」するという記事だ。

なんでそんなことが言えるんだよ? Valleywagは結婚相手について、こんな事実無根の主張をしている「(彼の行っている業務は)富裕層向けアパートの購入/管理業務、そして彼が図々しくもPE業務と称するものだ(訳注: 日本ではハゲタカ・ファンドと目される事が多い)。"Montara Capital Partners" というのが彼の会社で、社名から彼はベンチャー投資家であると思われる。彼は弁護士でもあるのだが、弁護士と言えばシリコンバレーの社会階層で言えば最上段から数えて明らかに数段下にあるという類のものだ」

あまりにも不愉快な書き方だと思わないか? 母親は子供が弁護士になることを誇りに思わないものだと世間では認識されている、とでも言うつもりかよ :/

Valleywagは明らかに男女差別主義者だ。周りを見ても「とあるビジネスマンXが格下の相手と結婚した。なぜ格下かと言うと、財政状況がX氏ほどでないからだ」といった報道を目にした事があるか? ねぇよ。んなもん見たことねぇ。結婚相手が同業者であったり稼ぎが同等でないと格下だなんて誰も思わねぇよ。

生涯の伴侶を見つけるのは大変な事だ。もしMarissaが、マクドナルドでハンバーグをひっくり返すのが仕事という人と出会い相思相愛になったとしても私は二人を祝福するよ。この野郎うまいことやりやがったな、ともね。

彼は実にうまいことやってのけたと誰もが言わざるを得ない、それだけのことだ。魅力にあふれ・お金持ちで・力強い。頑張ってね御二人さん!

ちなみにMarissaに関してはこっちの記事を読む方がずっとマシだよ。


訳者コメント:
Marissa MayerはGoogleの検索・UX事業部長。CrunchBaseでの紹介はこちら。ご存知かとは思いますが、一応。

DionがValleywagの元記事へのリンクを張らなかったのは、Valleywag自体がNoScript(Firefoxプラグインのことね)でXSS警告が出るような代物だからだろう。いまのところ記事名の"Google exec Marissa Mayer engaged”でググればトップに出てくるので、対策済なかたはどうぞ。

Valleywagは、TechCrunchでマイクが書いたぶち切れ記事からも窺えるように、自らゴシップ紙を名乗り下衆っぷりをアピールしていた訳だが、先日活動停止の報があった。久々にメシウマな話だったのに、まだこんな記事を垂れ流しているわけだ。

[37signals] 引用: 製品の目指すところは

(原文: QUOTE: The goal with products is to give people)

製品の目指すところは素晴らしい物語、すなわち知人に話したくなるような物語を人々に提供することだ。そしてその物語はさらに他の知人へと伝えられていく。目新しさというものはこういった面から見て最も有効なものだ。知人にペプシについて語ろうと思うだろうか?ありえない。身近なものになってからもうだいぶ経つからだ。ダビデとゴリアテの物語におけるダビデのようになることが、こういった有効性につながるのだ。
Mark Hughes, 『Buzzmarketing』著者

2008年12月14日日曜日

[映画] 『カリガリ博士』の対訳

(原文: Das Kabinett des Doktor Caligari ( The Cabinet of Dr. Caligari ) (1919) )

[00'01"]
FILM RENTERS, INC.
Presents
"THE CABINET OF DR. CALIGARI"
Copyright MCMLII by
The Attorney General of the United States of America
Distributed by FAMOUS FILMS PRODUCTIONS, INC.

[00'15"]
THE CAST
Dr. Caligari --- WERNER KLAUS
The Somnambulist --- CONRAD VEIDT
The Girl --- LIL DAGOVER
The Student --- HANS FEHER
His Friend --- HANS V. TWARDOWSKY
出演
カリガリ博士 ——— ウェルナー・クラウス
夢遊病者(チェーザレ)——— コンラート・ファイト
少女(ジェイン)——— リル・ダゴファー
学生(フランシス)——— ハンス・フィハー
彼の友人(アラン)——— ハンス・フォン・ツワルドフスキ
[00'28"]
Scenario --- KARL MAYER and HANS JANOWITZ
Settings --- HERLTH & ROEHRIG
HERMANN d'WARMM
Photography --- KARL FREUND
Produced by ERICH POMMER
Directed by ROBERT WIENE
脚本 ——— カール・マイヤー、ハンス・ヤノヴィッツ
美術 ——— ハールス & レーリッヒ、へルマン・ド・ワルム
撮影 ——— カール・フロイント
製作 ——— エーリッヒ・ポンマー
監督 ——— ロベルト・ヴィーネ
[00'41"]
A TALE of the modern re-appearance of an 11th Century Myth involving the strange and mysterious influence of a mountebank monk over a somnambulist.
夢遊病者を操るいかさま修道士の奇怪にして神秘なる力についての、現代に蘇った11世紀の伝説にまつわる物語。
[01'13"]
Sprits surround us on every side --- they have driven me from hearth and home, from wife and child.
悪霊たちが我々を取り巻いています———彼らが私を追い立てたのです、家族の団らんや愛しの我が家、妻や子といったものから。
[01'49"]
My betrothed ...
僕の婚約者です。
[02'01"]
What she and I experienced is yet more remarkable than the story you have told me. I will tell you ...
彼女と僕が体験した事は、あなたが語ってくれた話よりさらに奇怪なものなのです。お話しいたしましょう ...
[02'14"]
In Holstenwall, where I was born ...
僕の生まれ故郷のホルシュテンウォールに ...
[02'28"]
... a traveling fair had arrivred.
... 移動遊園地がやってきました。
[02'46"]
With it, came a mountebank ...
とあるいかさま師も一緒に ...
[03'15"]
My friend, Alan ...
友人のアランが ...
[04'09"]
Come to the
HOLSTENWALL FAIR
WONDERS !
MARVELS !
MIRACLES !
SIDESHOW --- ALL NEW
ホルシュテンウォール遊園地へ来たれ
不思議!
驚異!
奇跡!
余興も一新せり
[04'28"]
Come, Francis --- let's go to the fair.
来いよフランシス———遊園地に行こうぜ
[04'56"]
The Town-Clerk is in a bad mood today.
今日の書記官殿はご機嫌斜めでいらっしゃる。
[05'08"]
Dr. Caligari
カリガリ博士
[05'21"]
Wait !
待ってろ!
[05'43"]
Sit Down fool !
座ってろ馬鹿野郎!
[06'08"]
I want a permit to operate my concession at the fair.
遊園地での私の出展に関して営業許可をいただきたいのですが。
[06'19"]
What kind of show is it ?
どんな見せ物なんだ?
[06'25"]
A somnambulist.
夢遊病者です。
[06'29"]
FAKIR !!
けっ、大道芸人か!!
[08'21"]
Step up ! Step up ! See the amazing CESARE, the SOMNAMBULIST !
ござっしゃれ!ござっしゃれ!驚異の夢遊病者チェーザレをご覧あれ!
[08'35"]
That night the first of a strange series of murders occured.
その夜が奇怪な連続殺人の始まりだった。
[08'53"]
... and the first victim was the Town-Clerk.
... 最初の犠牲者は書記官だった。
[09'38"]
Step up ! Step up ! Cesare who has slept for 25 years is about to wake. Don't miss this.
ござっしゃれ!ござっしゃれ!チェーザレが25年の眠りから、今まさに目覚めんとしておる。これを見逃す手はないぞよ。
[10'16"]
The cabinet of Dr. Carigari.
カリガリ博士の箱
[11'18"]
Wake up Cesare ! I, Caligari, your master, command you !
目覚めよチェーザレ! 汝の主人たる我、カリガリが命ずる!
[12'33"]
Ladies and gentlemen ! Cesare knows all secrets. Ask him to look into your future.
皆の衆!チェーザレは全てお見通しじゃ。未来について聞いてご覧じろ。
[13'02"]
How long shall I live ?
僕はどのくらい生きられる?
[13'13"]
The time is short. You die at dawn !
お前に残された時間は少ない。お前は夜明けに死ぬ!
[13'54"]
MURDER REWARD
殺人鬼には懸賞金がかけられた
[14'48"]
On the way home ...
帰り道でのこと ...
[15'07"]
Alan, we both love her, but no matter how she chooses, let us remain friends.
ねぇアラン、僕たち二人とも彼女のことを愛しているけど、たとえ彼女がどちらを選んだとしても、僕たちずっと友達でいようね。
[15'25"]
Night ...
その夜 ...
[16'10"]
Mr. Francis ! Mr. Francis ! Master Alan is dead --- murdered !
フランシスさん!フランシスさん!アランさまがおなくなりになりました———殺されたのです!
[17'11"]
The prophecy of somnambulist !
夢遊病者の予言が当たった!
[17'54"]
There is something frightful in our midst !
僕たちは何か恐ろしいことの渦中にある!
[20'17"]
Your suspicion of the somnambulist seems justified. I shall ask the police for permission to examine him.
君が夢遊病者を疑うのはもっともだ。彼を取り調べる許可をもらえるよう、警察に働きかけてあげよう。
[20'32"]
When the shadows lay darkest ...
影が闇に溶け込む頃 ...
[21'03"]
Help ! Help ! It is he ! The killer !
助けて!助けて!彼よ!殺人鬼よ!
[23'42"]
Wake him !
彼を起こすんだ!
[23'55"]
HOLSTENWALL MURDER CAUGHT
Attempts Third Killing
ホルシュテンウォールの殺人鬼逮捕さる
3度目の犯行を試みたものの未遂に終わる
[24'26"]
Anxious about the long absence of her father ...
父の帰宅が遅いので、何かあったのではと不安を感じている
[24'58"]
It's true that I tried to kill the old woman ...
俺があの婆さんを殺そうとしたというのは確かでさぁ ...
[25'11"]
... and I thought they would blame the mysterious murderer again ...
... 今回の殺人も例の奇妙な殺人鬼のせいにされるだろうと考えたんでさぁ ...
[25'18"]
.. but I swear I had nothing to do with the two other murders, so help me God.
... でも、他の2件に関しては神に誓って無関係なんでさぁ。ですから、神様、お助けくだせぇ。
[26'18"]
I thought I might find my father, Dr. Olsen, here ...
こちらに父がお伺いしているかと存じまして、オルセン博士なのですが ...
[26'29"]
Oh yes --- the doctor. Won't you come in and wait for him ?
ああ、そうそう———博士のことですな。よろしければ中に入ってお待ちになっては?
[27'45"]
After the funeral ...
葬儀の後 ...
[28'04"]
Night again ...
再び夜がきた ...
[32'36"]
CESARE !
犯人はチェーザレよ!
[32'50"]
It can't have been Cesare. I've been watching him for hours, asleep in his box.
チェーザレであるわけがない。僕は何時間も、彼が箱の中で眠っているのをずっと見ていたんだ。
[33'43"]
Is the prisoner safe in his cell ?
囚人は独房で大人しくしていますか?
[33'57"]
I hope so. Let me see him.
そうであればいいのですが。彼の様子を見せてください。
[34'49"]
He must not be disturbed !
彼を目覚めさせてはならぬのじゃ!
[36'20"]
Have you a patient named Caligari ?
カリガリという名の患者はおりませんか?
[36'48"]
Only the head of institute can divulge the identity of our patients. Would you care to see him ?
所長の許可無しに患者の身元に関して外部の方に明かす事は出来ません。よろしければ所長にお会いになりますか?
[37'48"]
But ... HE is Caligari !
まさか...彼こそがカリガリです!
[38'02"]
While Caligari slept ...
カリガリの就寝中 ...
[38'45"]
Somnambuli---
A Collection from Upsala University (*1)
Published in the year 1156
夢遊病者
ウプサラ大学からの収蔵品
1156年出版
[38'53"]
This has always been his special study.
これは彼がずっと行ってきた特別研究です。
[39'16"]
In the year 1093, monk named Caligari visited the small town of northern Italy traveling around with his somnambuilist named Cesare, whom he carried in a rough wooden case (*2)
1093年、カリガリという名の修道僧が、粗末な木の箱に入れられたチェーザレという名の夢遊病者とともにイタリア北部の小さな街を巡り歩いていた
[39'45"]
He ordered his somnambulist, whom he had completely forced into his power to carry out his adventurou plans. For months he caused in town after town great panic by repeated occurences of murder committed always under the same circumstances.
彼は、彼の大胆不敵なる計画を実行する為に完全に支配下に置いた夢遊病者に対し、命令を下した。彼は何ヶ月にもわたり、常に同じ状況のもとで起こる殺人事件を何度も引き起こし、街という街全てを大きなパニックに陥れた。
[40'14"]
Case Histories and Notes
既往歴および臨床記録
[40'26"]
March 12th
A somnambulist was admitted to the asylum this morning. At last --- !
3月12日
今朝、例の夢遊病者の施設収容が許可された。遂にこの日が来たのだ ——— !
[41'49"]
Now nothing stands in the way of my long cherished ambition. At last I can put the Caligari theory to the test --- I now shall soon know of this patient can be compelled to perform deeds he would shrink from in his normal waking state. Can he be made to commit murder ? (*3)
もはや余が長きにわたって心中に秘め続けた野望を阻むものは何も無い。遂にカリガリの理論を試すことが出来るのだ。この患者に対し、平常の目覚めた状態では尻込みするようなことを実行するよう、余の命令に服従させる事が可能であるかどうかが間もなくわかる。彼に殺人を犯させる事は可能であろうか?
[42'24"]
Temptation
誘惑
[42'47"]
I must know --- I will become Caligari !
私は知らねばならぬ———私はカリガリになるのだ!
[43'08"]
(カリガリになるのだ!という強迫観念を示すかのように CALIGARI の文字が画面に表示され始め、次第に画面を覆う)

[44'00"]
The sleeper has been found dead in the ravine.
例の夢遊病者が谷あいで死んでいるのが発見されました。
[45'03"]
The circle is closing in --- DOCTOR CALIGARI !
年貢の納め時ですな———カリガリ博士!
[47'08"]
Today he is a raving madman chained to his cell.
現在、彼は独房に拘束され、わけのわからないことをまくしたてる気違いになっています
[48'09"]
See, there is Cesare. If you let him prophesy for you, you will die !
ご覧なさい、チェーザレがいます。彼にあなたのことを予言させた日にゃ、お陀仏間違い無しです!
[48'44"]
Jane, I love you --- when will you marry me ?
愛しているよジェイン———いつになったら僕と結婚してくれるんだい?
[48'55"]
We who are of royal blood may not follow the wishes of our hearts.
高貴な血統を持つ者は、心の欲するところに従う事は許されないのよ。
[49'32"]
You fools, this man is plotting our doom ! We die at dawn !
馬鹿め、この男は僕たちを死に追いやろうと企んでいるのだ!夜明けに僕たちは死ぬのだ!
[49'42"]
He is Caligari !
彼はカリガリだ!
[50'34"]
At last I recognise his mania. He believes me to be the mythical Caligari. Astonishing ! But I think I know how to cure him now.
遂に彼の躁鬱病の正体がわかった。彼は私の事を伝説のカリガリだと信じ込んでいるのだ。驚くべき事だ!だがこれでもう彼の治療法は判った。
[50'56"]
THE END
A FAMOUS FILM PRODUCTIONS, INC.


*1: 文字が判読不能だったのでUpsala Universityと推測した。なお、スウェーデンのウプサラ大学の正しい綴りはUppsalaである。また、埼玉大学の八木氏によると、この部分は Uppmals となっている
*2: 最下行は判読不能
*3: この手書き部分についても何点か判読不能な部分があり、推測で補った。正確な文面についての情報がありましたら御教示いただきたく、よろしくお願いいたします。

2008年12月12日金曜日

[一言居士] ご冗談でしょう、ノーベルさん

本件はMacユーザ限定ネタなのだが、とりあえずこちらのサイトに行ってみて欲しい。ノーベル財団のホームページにアップされた、物理学賞受賞者である益川敏英氏の受賞記念講演動画だ。

益川敏英氏の Nobel Lecture

そうなのだ。基本的にMacユーザは無視なのだ。WindowsMediaPlayerもしくはbadwareとの呼び名も高きRalPlayerでないと見れないのだ。ちなみに私の環境ではWindows Mediaの方をクリックするとFlip4MacのFirefoxプラグインが起動するのだが、UIが化けてしまい再生出来なかった。

「せめてFlashにしてくれよ」と文句たれそうになったが「もしかしたら気を利かせてようつべに上げてくれたのかな?」と思い検索してみたが、どうやら、無い。

うむ。そういうことですか。前から怪しいとは思ってましたが。そういうことですか。うむ。こういうことやってると「所詮は人殺しとその一味が道楽でやってるだけってことかよ!」とか言いがかりつけちゃうよオレw

ちなみにWeb上では "masukawa" でなく "maskawa" で認識されているようで、ヒット件数が一桁ちがう。表音文字圏と表意文字圏の壁がこんなところにも!ってのは言い過ぎかねw。でもSEO/SEM的にはネタになりそうだな。

2009/06/03 追記:
いま行ってみたら、Flashベースのプレイヤーに置き換わっていました。最初からそうしてくださいよー、お願いしますよー

[37signals] 美しくデザインされたもの: Olivetti社 Lettera 22

(原文: Beautifully designed: The Olivetti Lettera 22

最近、ここシカゴでお宝を手に入れました。Post 27に出品されていた新品同様のOlivetti社 Lettera 22です。これがですね、畏敬の念を胸に毎日しげしげと眺め回さずにはいられない逸品なのです。

持ち運び出来るタイプライタの典型として作られたこの品は、堅牢かつ軽量な鋼で作られ、ミニマルかつシンプルなデザインになっています。キー下部には、重りや金属板といった追加物はひとつも無く、あるのは空気だけ。タイプライターが入ったケースさえもが一切無駄な場所を取らず、底部は平らでタイプライタ底部と水平に合わさっており、蓋部はタイプライタとぴったりな位置にチャックが付いています。

このタイプライタは私に、80年代に祖母が使っていた電子式タイプライタのことを思い起こさせました。大きくかさばっているために机の半分を占拠していた、1トンはありそうに見えたタイプライタの事を。もちろん、役には立ったんでしょう。修正液で固まってしまったバックスペースキーとかがあったにせよね。でも、それらのうち本当に必要なものがどれだけあったでしょうか?行末を知らせるベル・笛や電子式修正液は創作心を台無しにするだけのものであり、最もシンプルでエレガントな解決法たりえないものなのです。

(訳注: Lettera 22の画像がいくつか紹介されています。原文の方でご覧ください)

[37signals] 最後にビジネスプランについて考えたのはいつ?

(原文: When was the last time you looked at your business plan?

ビジネス運営において成功している人と話し、こう尋ねるとする「最後にビジネスプランについて考えたのはいつ?」まず間違いなく彼らはきょとんとするだろう。

『3つのスタートアップ企業と、その一年』[NY Times]は、設立当初のビジネスプランが現実に直面するといかに無意味になってしまうかという点についての具体例である。

Tina Ericsonは先日、ノースカロライナ州ウィルミントンにあるオンラインのTシャツ販売店、Mamaisms Gearを閉店した。会社運営に関わる重圧に押しつぶされてしまったのだ。「初年度に10万ドルの収入を得るプランについて議論したのがまるで昨日のことのように思える」とEricsonさんは言う。「代償は高く付きました...」

彼女は「めそめそするな」に似た「ママのお小言」というスローガンをかかげることで同社のTシャツその他の製品を広くアピール出来るとの意図のもと、2008年の売り上げを10万ドルと見越していた。彼女はまた、女性向けWebサイトを作ることと、金融サービスに関するコンサルティング会社を始めることを企画していたと話した...

しかし6月には経済成長鈍化の影響を受け、3社のオーナーはともに事業拡大の規模を縮小してしまった。EricsonさんはTシャツを小売店に売り込む事に専念するため、インターネット上に女性向けコミュニティを作り出す事とコンサルティング会社を始める事については断念した。

紹介されている他の2社は現在も存続しているものの、ほぼ完全に設立当初のプランを見直している。会社が集中すべきこと・サービス内容・給料・提携関係といったものを変えたのだ。

もちろん不景気のせいにしても良いだろう。だが、こういったことは、物事が上手く運んでいる時においても、同じくらい的を射たものだ。軍事と同様、ビジネスというものも常に現実に即して方向修正しなければならない。もしこれらの企業の将来予測が1年をはるかに越える長期のものだとしたら、彼らの3年先(もしくは5年先)の予測が以下に無意味であるかわかるだろう。

このことはこんな疑問につながる「ビジネスプランというものが、明らかに現実に即していない夢物語になってしまっているとしたら、その主眼は何であろうか?もしこれらの予測が空疎な状況判断からもたらされたものだとしたら、そんなものに配慮する必要はあるのだろうか?」希望的観測というものは、どうみても真に利益をもたらすものではない。

どうやら大半の人々にとって、ビジネスプランを書く理由は、書かなければならないものと思い込んでいるからにすぎないようだ。彼らはビジネスプランというものが、「現実的な」ビジネスを進め、うまく事を運ぶのに必要なものだと教えられてきた。そして現実に直面すると、そういったものは雲散霧消してしまうのだ。

もちろん将来について考慮する事が助けになることもある。が、それをわかりやすく書いたり網羅的に書いたりするのは馬鹿げている。実際に着手するまでは、自分が何をすればいいのか皆目検討もつかないというのが本当のところなのだ。

2008年12月9日火曜日

[37signals] 何故ちゃちなスピーカーでミキシングすべきなのか

(原文: Why you should mix records on crap speakers



Highriseの顧客でもある録音プロデューサーのBill Moriarty(ケーススタディはこちら)が、他のプロデューサー達に向けて、ブログの『ちゃちなスピーカーでミキシングせよ』という記事で興味深いアドバイスを提供してくれた。

「最適化された録音システム上でしか作業を行わないのは、ケツの青いプロデューサーってもんだ」- Brian Eno

諸君の作ったレコードを買う人々が、普通のステレオ・大型ラジカセ・カーステレオ・iPodといったものより良い機材を所有しているというのはまずありえない。もし彼らがスタジオモニター用スピーカーを持っているかどうか賭けをするとしたら、私なら持っていないという方に賭けるね。

レコーディングとミキシングの際、専らスタジオモニターで作業を行うというのは馬鹿げている。ギターの最低音まで全部聴けないとダメだって?。そんなものは小さなスピーカーでは無意味だ。スタジオモニターというのは、ベース・ドラム・オルガン・中音域の楽器等が占める周波数領域を付加するためのものなんだよ。諸君のレコードをあらゆるスピーカーでガンガン鳴り響かせるためには、不要な周波数領域というものは断固として取り去られなければならない。大半の人が音楽を聴くのに使っているのはちゃちいスピーカーなのだから、そんなスピーカーでもはっきりと聴こえるようにすることだね。後でわかったんだが、こうすることによって、より良いスピーカーで再生した場合でも、同様によく鳴るものなんだ。
いいねぇ。道具なんて問題じゃないってことだ。実際のところ道具というものは、専念すべき作業の本質から注意を逸らさせてしまうことがある。今やっている事について、むき出しの本質が出てくるまで諸事をはぎ取り、それらについて吟味してみることだね。それが上手く行けば、よく鳴るようになったり成長が始まったりといったあらゆる結果をもたらしてくれるだろう。(Webデザインにおいても、使用帯域幅とそれに基づく速度・画面サイズといった点において、このことは間違いなく当てはまる)

2008年12月8日月曜日

[37signals] 伝説の鯨

(原文: A whale of a tale

週末にお隣さんの家を訪問した。彼は私の両親と同年代(いわゆる中年)なのだが、誰もが認める脱線王、つまり話をどんどん膨らませる人なのだ。どんな問いを投げかけても、彼はあらゆる手練手管を用いて5〜10分くらいの法螺話を仕立て上げるのだ。その法螺話がもし素晴らしいものでなかったとしたら、迷惑千万といったところだろう。

彼のもとを訪れたのは、彼の苗字の正しい発音を聞きたかったからなのだが、この苗字というのがまた実にユニークなものだった。彼は私の質問にあっさりと一言だけ答え、その後こんな由来を語ってくれた。

彼のあだ名は、周知の事なんだが、Portuguese(ポルトガル人)だ。彼の父方の曾祖父はアゾレス諸島からニューイングランドへやってきた移民で、移住後に捕鯨を始めた。(お隣さんは、当時、捕鯨は完全に合法なものとされており、いかに多くの人が家の灯りとして用いるために鯨から取れる油を必要としていたかについて、脱線王の名に恥じぬ抜け目の無さを以て指摘した。脱線に次ぐ脱線といったところだね!彼がこの手のすべに長けていることはこれでおわかりだろう)

彼の曾祖父は銛打ちとして乗船していた。ある日のこと、セミクジラ(この鯨は彼の話によると、その名(訳注: right whale)の通り、まさに"right"、つまり「当たり」な鯨なのだそうだ。セミクジラからは莫大な量の油が採れるからだ)漁を終えた時に、ある一頭の鯨を見出し、それを打つために船を進めた。その鯨がセミクジラでなく大きなマッコウクジラであることに気付いて彼らは愕然とした。というのも、その大きなマッコウクジラがものすごい速さで彼らのボートを引きずっていたからだ。その鯨はボートを沖あいにまで引きずり回した後、海に潜って銛綱を引きちぎり、それからボートの真下から飛び上がって真っ二つにし、その巨身を宙に躍らせた。(誰がどう見ても『白鯨』だよね?)

このボートは14フィートほどの長さの櫂を備えた大きめのものだったが、彼の曾祖父はこの櫂のうちの一本に縋り付いて三日半にわたって漂流した後、とある無人島(これ重要ね)に流れ着いたのだった。捜索隊が彼を見つけ出し救助するに至るまでの更なる数日間を、彼は口に出来そうなものなら何でも食べて生き延びたのだった。

苗字の正しい発音を聞いただけなのに、返ってきた話はこのありさまなんだ!

家族にまつわる言い伝えというものの大半がそうであるように、私はこの話にも少なからぬ誇張があり、あやしいもんだと話半分で受け取った。でも実は、私はこんな感じの、家族の歴史に関する話を聞くのが好きなのだ。本を読んで歴史を知るという手もあるが、数世代にわたって家族の間で語り継がれてきた話を聞くという手もあるのだ。どういうわけか、こっちのほうが生き生きとしている。

みんなの家族にはどんな言い伝えが残されているのかな?(全然知らないということであれば、両親かじいちゃんばあちゃんに聞いてみるといいよ。存命中であればだけどね。どんな話を彼らが共通して知っているかを目の当たりにしたら、君はびっくりするだろうね)

[一言居士] 寒い寒いと言ってても暖かくはならないよ

もういい加減、不景気不景気とアホのように繰り言するのはやめてくれないかな。

不景気、大いに結構じゃないですか。不景気により無駄が排除され、生活が、そして社会がよりシンプルになるという期待感を持っているのは私だけですか? そんな無駄のひとつがオレだという可能性も含めて、ワクワクしてるんですがね。

不景気で車が売れない? 結構な事じゃないですか。車なんてもともと一般人にとって必需品じゃないでしょ。物流分野や車以外の交通手段に乏しい地方に暮らす人等、車を必需とする人々が買えば良いだけのものです。二酸化炭素排出量や交通事故の減少等にとどまらず、我々の社会から不要な車が減るという事は色々な意味でポジティブな影響をもたらすと思いますよ。

新聞・雑誌が売れなくなる? あぁ、君たちもう要らないからw。フローとしてもストックとしても、グローバルとしてもローカルとしても、ソーシャルとしてもパーソナルとしても中途半端なメディアはどんどん潰れていただきましょう。社会が必要とする、真に優れたアーチスト・エディタ・ジャーナリストはどんなメディアであっても自分の居場所をきちんと作りますから、系列がひとつやふたつ(あるいは全部?)潰れたところで屁でもないんじゃないでしょうか。

福祉が削られる? 仕方ないでしょうね。どうやら国の方針は「金づる以外はどんどん死んでください」ですから。たぶん政権交代程度ではこの方針は変わらないでしょう。それに、郵政民営化をはじめとする「小さな政府」なるものへの流れを是とした国民がいまさら言う台詞じゃないでしょ。

まぁ「オッカムの剃刀」が複雑性の過剰を戒めているように、不足というもの、言い換えればシンプル性の過剰というものもまた戒められなければならないということは了解しています。ただ、針が複雑性の過剰の方に振れすぎた現在、ある程度の揺り戻しは必要でしょう。不景気というものがこういった揺り戻しとして作用してくれると、私は期待しているんです。

2008年12月6日土曜日

[一言居士] コンピュータと「空」

私が「コンピュータとは何か?」について定義するとしたら、松岡先生が言うところの「空(うつ、うつろ、うつろひ、うつつ)」の概念が一番しっくり来る。それ自体は銅鐸のように空っぽで虚しいハードウェアなのだが、ソフトウェアが「おとづれ」ることによって始めて息づき始めるという意味でだ。コンピュータは銅鐸のような呪具すなわち「工」の現在形なのだろう。

コンピュータにおける「おとづれ」のありようは、まさに文字通りのコーディング、すなわち結線(ムスビが発生している!)によるロジック構築に始まり、時を経てアセンブル・コンパイルへと進み、そのメディアも物理媒体によるインストールからダウンロードそしてクラウドに至っている。Microsoftはクラウド への取り組みに関しAzure(蒼天・天空)を発表したが、その中味と将来性は置くとして、その名前の意図するところは深遠にして示唆に富んだものになっているわけだ。深読みし過ぎかなw

「色即是空」にも見て取れるように「空」はコンピュータの定義というよりは、もともと人間の定義に用いられて来た。なぜコンピュータの定義にもなりえるのだろう? それは多分、コンピュータは(というより、おそらく人の作りしものはみな)人の子であるからなのだ。ココネさんはそれに気付いたし、アルファさんも「知ってるよ〜」と寝言で(これ重要)答えていた。

たぶん、この事に気がつかないと、人とコンピュータの関係はいつまでたっても改善されない。人とコンピュータの関係が主従関係からパートナーシップへと変わるのがいつのことか、私にはわからない。だが、確実に言えるのは「人間に奉仕するものとしてのコンピュータ」という人間中心の捉え方では限界があるという事だ。今後は(今後も?)「コンピュータに好かれる」術(すべ)を身につけた人間だけが、コンピュータといい関係になれるのだろう。

「コンピュータに好かれる」術とは、従来はプログラミング能力のことを意味してきたが、ソフトウェアの層が厚くなってきたこんにちでは、プログラミング能力に留まらず「コンピュータに好かれる」術が色々と存在する。表記ゆらぎの正規化や手書き認識における筆順の遵守などもそれにあたるだろう。配慮・思いやり・信頼関係というものは、人間とつきあう場合もコンピュータとつきあう場合も、同じくらい重要になってきたのだ。

付喪神はそんな「人とモノのつながり」を良きに付け悪しきに付け背景として持っているものが多い。巫術という観点では、たとえば豢竜氏は人と竜の相互信頼関係があって始めて成り立つ職掌である。符術もまたスクリプティングという観点から捉える事が出来よう。そういう意味で、やはりコンピュータもまた呪具なのである。「工」なのである。

なお、白川先生が常用字解に記すところでは、空は穴に声符の工を付けた形声字であり、この工は「虹(にじ・コウ)のような弓なりに曲がった形」を意味するとのことで、呪具の「工」そのものではない。工を声符に持つ虹は、虹のような形としての工となって空にまた現れてきたわけだ。そういう意味では「空」の持つ字義、すなわち「うつ、うつろ」まで遡らないと「コンピュータ=空」という私の論は成り立たないという事を付記しておく。

2008年12月5日金曜日

[37signals] ビッグスリーのこと: まずは販売店をきれいにせよ

(原文: Big Three: Clean up your dealerships

みんなと同様、私も自動車産業ビッグスリーの抱える問題について目を通している。多くの再生案が飛び交っている。燃費の向上、デザインの刷新、車種の削減、経営陣の刷新、合併、潰しちまえ、などなど。

これら提案された解決案のうちのいくつかは良い影響を与えるかもしれないが、私としてはむしろ、あまり議論されている様子が見られないちょっとした点について述べたい。自動車販売店において車を購入した際に私が体験した事についてだ。

Webの世界では顧客体験に関する多くの議論がなされている。それは使いやすさと利便性に関する議論であるが、議論は結局のところ、顧客体験全般についてあてはまるポイントに帰結するようだ。「ブラウジングしたり調査を行ったりサイトで何か買う際にどんな印象をあたえるだろうか?」とか「体験したことについて顧客はどう感じただろう?」といったポイントに。

販売店について

私はクルマ好きだ。ここ数年でたぶん15件くらいの販売店に足を運んでいる。多くのクルマをチェックし試乗してきた。ドイツ製も、日本製も、イギリス製も、スウェーデン製も、アメリカ製も。顧客体験について考える際のネタとなりそうな多くの顧客体験を積んできたのだ。

例外無く言える事だが、顧客体験という点においてアメリカ製自動車の販売店は最低だ。小汚く、机の上はごちゃつき、装飾品は古臭い。販売店そのものが中古車のような雰囲気なのだ。商談のやり方は押し付けがましく、販売員はクルマに関する興味も知識も欠如している、ということにも私は気付いた。

直接の関係は無いのだが、的を射た例をあげておこう。最近Audiの販売店に行った事はあるかな? 美しいのだこれが。モダンで、風通しが良く、清潔で、友好的で、自然光にあふれ、木の床は明るく、見て回れるショールームがいっぱいある。そのうちでいいからAudiの販売店に行ってみて、それから地元のCadillac販売店に足を伸ばしてごらんよ。

市場にて

最近、オフロード向けのトラック/SUV(スポーツ多目的車)を見に、市場へ足を運んだ。私が合格点をつけたのはToyotaのFJ CruiserHondaのRidgelineJeepのWrangle。結局、目的と用途に一番ぴったりなWranglerを買う事にしたのだが、その時の販売店での体験について話をさせて欲しい。

まずJeepの販売店に足を運んだ。結局のところ2店、全く別の販売店に足を運ぶはめになった。2店ともにエンジンのオプションについて私に誤った情報を伝えた。馬力といった類の基本的な点についてだ。販売員のデスクに向かい椅子に腰かけたのだが、その机はごちゃつき、整理整頓されておらず、書類や付箋紙や引き裂かれた紙が地層のように重なっていた。天井は低く、照明はひどく人工的な冷たいものに感じられた。全てのものが古びており、そのうちのいくつかは完全に放置されていた。ビジネス向けの快適なセッティングとはお世辞にも言えない。

Toyota販売店はモダンで、活気があり、きれいだった。販売員は、彼らのプレゼンを思い起こせばわかるように、服装を統一していた。内装は配慮が行き届いた快適なものだった(レンガ舗装の床、むき出しになった木の梁、等)。顧客を歓迎する心に満ちた明るい空間がそこにはあった。Jeepの販売店とはうってかわって、Toyotaの販売店は私に窮屈さを感じさせる事は皆無だった。Jeepの販売店では、クルマを良く見ずに決めろとでも言うかのように室内にクルマが何台も押し込められていた。Toyotaの販売店ではぶらつきながらクルマの品定めが出来るようショールームが準備されていた。Toyotaの販売員そのものはJeepよりちょっとマシかなという程度だったが、少なくとも彼らの机はきれいで、誰に見せても恥ずかしくないものだった。

Hondaの販売店にも2店行ってみた。ともに積極性に富み、若々しさを感じさせた。活気があった。そこにクルマを見に来る人は、Hondaのクルマが見たいからこそ、そこに来ているのだ。販売員はHonda車を売る事に意欲を燃やしているというのが私にはわかった。販売員は生き生きとし、かつ熱心であったが、押し付けがましくなる事はなかった。Toyotaの販売店と同様、ショールームの天上は高く、開放的で風通しの良いものだった。大きな窓から充分に自然光が差し込んでいた。商談にあたっても、急き立てられる感じは全くなかった。現場で応対してくれた販売員にはさしたる印象は持てなかったが、彼らはちゃんと私に正しい情報を提供してくれた。

結局私はFordの販売店で中古のWranglerを購入した。セールスマンは良い人で、私の特注にもわざわざ足を伸ばして対応してくれたのだが、彼の机はごちゃついており、販売店の壁はここ10年というもの清掃やペンキの塗り直しが行われていないように見えた。味気ない灰色の12x12インチタイル貼りの床はひどくへたっており、新装当時のそれとはおそらく比べ物にならない状態だった。全てが二流であると感じさせた。

これが問題なのだ

もちろん人それぞれに体験は異なってくるだろう。完全なフランチャイズではない販売店もいくつかはあるだろう。しかし、ブランド間の差ははっきりしている。ToyotaとHondaには配慮というものが感じられる。それはデザインの中にも見て取れる。一方、JeepとFordの販売店は、もともと商用目的で作られたものでは無いんじゃなかろうか?という印象すら与える。私の行った事があるオフィスビル全てについて言える事かもしれないが、印象に残るものが皆無なのだ。入り口に立ち、見て回り、情報を入手し、実際に椅子に腰掛けて購入を考える、といった顧客体験全般についてだれも考慮していないように感じた。

これが問題なのだ。これは大きな影響をおよぼす。特に、競争の激しいビジネスにおいて。アメリカ車の販売店は古臭く、日本車のそれは若々しい。アメリカ車の販売店は小汚く、日本車のそれはきれいだ。アメリカ車の販売店は暗く陰気で、日本車のそれは明るく(ほとんどが自然光によるもの)風通しが良い。こういった、顧客が購入行動を行う場の状態が問題なのだ。食品を買う場合も、電化製品を買う場合も、衣類を買う場合も、そして車を買う場合もこういったことが問題になるのだ。

ビッグスリーが製品に関してしなければならないことは山積みだが、同様に、ショールームに関してもしなければならないことが山積みだ。せっかく製品を改善しても、ぼろぼろの店舗に置くというのでは問題の解決にはつながらないだろう。

2008年12月3日水曜日

[37signals] 『他に比べてAppleのインタフェースが優れている理由』からの引用

(原文: QUOTE: Rather than survey a bunch of users on every ...

Macの開発チームは、意思決定をユーザ調査に基づいて行うのではなく、最もユーザを楽しませ喜ばせる選択肢を常に目指しつつ、彼ら自身の判断に基づいて行った。そんな姿勢がMacに個性というものを吹き込んだのだ。

『他に比べてAppleのインタフェースが優れている理由』からの引用。良いユーザインタフェースと「楽しさ」を結びつけたNickの考え方は素晴らしい。ユーザビリティを論じる場で「楽しさ」という観点から語られることはあまり無いし、実は私も「楽しさ」についてはiPhoneでSporeをプレイしてみた時から考えていたからだ。2D Boyのおふたりさんもこの点については多少ながらも気付いているようだ。彼らの作ったWorld of Gooというゲームでマウスを動かしてみるだけで、それがよくわかる。マウスの移動速度や慣性の法則に従って、ぐにゃぐにゃした生き物のようなカーソルがびよーんと伸びたりぺちゃっと潰れたりする。ゲームデザインの詳細に関する良く出来た分析記事であるDavid Rosenによるゲーム紹介を見てみてほしい。

このTechRadarの記事からおいしいところをもうひとつ引用しておこう。「苦痛を伴わないという事と楽しいという事は同義ではない」。言い換えれば、複雑性を取り去るだけでは不十分だということだ。楽しいものにするためには、苦痛を伴うものを含んだ混合物を包み込む、薬の糖衣のようなものが必要なのだ。

2008年12月2日火曜日

[37signals] 世界に影響を与えるんだ

(原文: Put a dent in the universe

真に感動的な作品に出会ったら、それにより変化した自分というものを認識しなきゃならない。自分が世界に良い影響を与える存在であるという事を認識しなきゃならない。自分が世界に良い影響を与える存在の一部であることを、そしてそこで自分の果たす役割の重要性を認識しなきゃならない。

でかいことをやれと言うわけじゃない。がんの治療法を探せとかいうわけじゃないんだ。ご近所のカフェに勤める、地元のアーチストに受けのいいウェイトレスさんとかでも出来そうな事なんだ。重要なのは、君がそれを辞めたら苦労は水の泡になり、お客さんもがっかりするということなんだ。

もし君に目的意識が欠けているならば、仕事の喜びというものはそのうち薄れ、結局は虚しい思いを味わうことになる。私はそんな思いを一度ならず味わった。たとえツールやテクノロジや同僚とともに楽しく仕事をしていたとしても、最後までやり遂げさえすればその道のりも正当化されるというわけじゃ無いんだ。

出来る事と言えば、情熱が薄れ始める前に、状況の陰にずっと隠れ潜んでガクブルする事ぐらいだ。「でも、すごく儲かるんだ」とか「少なくとも、誰よりも早く仕事を片付けているよ」とか「こうして私はRuby on Railsを使うようになったんだ」とか言った言い訳を、プレイリストが頭に戻って同じ言い訳を繰り返し始めるまで続ける事ぐらいだ。

時間には限りがあるという事を忘れないでほしい。自分がもうすでにガス欠になっていて惰性で生きているだけなんだということに気付く頃には、自分を見つめ返す鏡に映った自分自身の青白い顔は正視に耐えないものになっていることだろう。

私には忘れられないのだ。ずっと前、朝起きて鏡を見た時の自分のそんな顔を。そして「この6ヶ月、俺がいてもいなくても世界には何の影響も無かったんだろうな」と思った事を。後悔の念に打ちのめされたよ。

でもまぁ、そう捨てたもんでもないんだ。思い立ったが吉日とも言うしね。居心地のいい職場も手に馴染んだツールも、仕事を進めるにあたって関係が無いのだとしたら投げ捨てたってかまわない。君もそうしなよ。

[Dion Almaer] アプリケーション実行における信任のありかた; Webアプリケーションでサンドボックスの関門を越える

(原文: Application trust models; Expanding Web applications out of the sandbox



数年前にWeb開発者達は、ちらっとしか見れなかったのが残念だけど、あの美しい冬景色を称賛したんだった。あれは、我々のうちのベストメンバーが、Ajaxを手に入れる前の先史時代の日々から我々を抜け出させるために作業を行った時のことだった。



希望に満ちた年月は矢の如く過ぎ、我々はWebプラットフォームの爆発的増大を目にする事になった。作業領域はWebにとどまらずモバイルへと拡大し、今やデスクトップアプリケーションの領域に及んでる。

Prism、Fluid、Gears、AIRといったテクノロジの登場により、我々はデスクトップアプリケーション作成のためにWeb関連スキルを利用するようになった。数多あるゲームをプレイしてみて、ちゃんとしたWeb対戦型ゲームをネイティブアプリケーションの形で書く人がどの程度の数であるかを認識すれば、Webというものがブラウザという枠をはるかに越えて今や最も優勢なアプリケーションプラットフォームになったということがわかる。

でもその一方で、Webサンドボックス(訳注:アプリケーションを特定の範囲内のみに限定して動作させるセキュリティモデル)の関門を破るにはどうすればいいんだろう? 我々はアプリケーション作成において大量の「セキュリティのため」と称する関門(このことはCrockford(訳注:たぶんDouglas Crockfordのこと)には言わないでね)を否応無しに押し付けられ、それを打ち破れずにいる。

問題は、何か良い手を思いつかない限り「詰まらん事に関してユーザにいちいち確認を求めるなんていうやり方は私には出来ないよ。だから、ネイティブアプリを書けばいいじゃん、と考えたんだ」という結論にいつもなってしまうということなんだ。

もちろんこのやり方であっても現実にはユーザの生活におけるセキュリティ向上の助けになる訳じゃない。というよりむしろネイティブアプリでも「はい。私はそれがインターネットからダウンロードされたものだということを認識してます」という例のダイアログのOKボタンを押すのと同等のことをしなければならなくなるんだ!

それは置いといて、私はどれくらいの人が
 a) Webから何かをダウンロードし
 b) 実行し
 c) 例のダイアログを目にし
 d「おいおいOKじゃだめだろ」と言う
のか知りたい。どっちに賭ければいいかは先刻承知さ ;)

現状のWebサンドボックスにある弱点を取り除き、より強固なものにするって言ったら君はどう思う? 実行中の事に関して割り込みをかけられるようなプラットフォームがあって、アプリケーションが何をしているかを正確に伝えるなんらかの尺度があったらなと考えてみてほしいんだ。Chromeではこの点に関して、タブのメモリ使用量を表示するという、ちょっとした手を打ってる。これは偉大なる一歩だ。さらに進めてiStatMenuをブラウザのどこかに表示するというのはどうだろう。



これなら全てのブラウザベースアプリケーションに関して、メモリ使用量だけではなく、アプリケーション起動状況、ネットワーク利用状況、ローカルDB利用状況、ファイルシステム利用状況さえも見る事が出来る。「このアプリケーションに実行を許可しますか」と聞く代わりに、より詳細な問いかけをユーザに対して行う事も可能だし、ユーザが何に関してOKと言ったのか忘れてしまったとしても、現状に関する詳細なフィードバックを示す事が可能だ。

アプリケーションデバッグを進める際に有用な、ヒープ(訳注:個々のアプリケーションに割り当てられたメモリ領域)利用状況のビジュアル表示も付いたパワーユーザモードというのもアリだ。詳細なネットワーク通信状況の表示、その他もろもろ。

もちろん一番良いのは、こういった表示がさりげないユーザインタフェースによって行われる事だ。Google検索における「現在地の近くのものを探す」チェックボックスがわかりやすい例として挙げられる。

確かに微妙な問題ではあるけど、私はWebテクノロジーはより広範に拡大するべきだし、この問題については切り抜けなきゃならないと信じてる。みんなはどう思う?