2010年1月29日金曜日

[Apple] 纏・絶・練・発

覚えているだろうか SONY のエアボードを。発表は2000年の夏だった。802.11b がじわじわと浸透しつつあった頃だ。あれから約10年。何故エアボードは iPad になれなかったのか。何故 SONY は Apple になれなかったのか。

一見、タイミングの違いだけのように思える。「先取りしすぎただけ」とか「運が悪かっただけ」というやつだ。だがそれ以上に大きいのは、やはりこの10年における両社のCE開発体質の違いなのだろう。
Apple
「リソースを集中し、密かに事を進め、洗練させた上で、タイミングよく発表する」というイテレーションが、「製品作り」というミクロなサイクルと「世界作り」とでもいうべきマクロなサイクルの両方において、絶えること無く繰り返される。P.A. Semi 買収という、当時は奇妙に思われた施策も A4 という形できちんと全体像の中に現れてきた。さながらフラクタルにおける自己相似性のように部分と全体が呼応しているのだ。
SONY
ミクロにおいては「その場しのぎの製品作り」マクロにおいては「大局観の欠如によるランダムウォーク」ということで、見事に部分と全体が「負の調和」を見せている。2005年にエアボードの名称をロケーションフリーに改めたのは、こういった開発体質を如実に物語っていた。これは、名称の変更というだけではなく、エアボードの大きなコンセプトをロケフリという単一フィーチャーに矮小化する、という意思表明に他ならなかった。まぁ、お上に誉められた時点で「もうだめぽ」というのは明らかだったわけだが。
布石を軽んじて詰碁ばっかりやってるから負ける。全部勝とうとするから負けが込む。どうしてこうなった‥‥(AA略

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