2009年2月4日水曜日

[37signals] 「失敗から学べ」は過大評価されている

(原文: Learning from failure is overrated)

「失敗から学べ」と耳にタコが出来る程聞かされてきたことだろう。「失敗するなら早いうちが良い、どんどん失敗しろ」かもしれない。失敗に関しては、人口に膾炙した引用が沢山ある。その大半は、賢さを感じさせるちょっとしたひねりがオチになっており、それがその引用をいかにも名言だと思わせる。だよね?

私にとって理解し難いのは、失敗こそが人々の学ぶべき大いなる教訓の源になっている、という考え方がみんなの心を捉えているという点だ。失敗から何かを学びとることが出来た、なんていう前例が諸君にあるか? 失敗から学んだのは何が上手く行かなかったかということだけだ。これでもう再度同じ間違いを犯すことはないのだが、今度は前回と違う間違いを前回と同様に犯す。せめて何が上手く行かないかを知ることが出来ればよいものを、相変わらず何が上手く行くかについてはさっぱりだ。これでは教訓と呼ぶに値しない。

そこで、こういうのはどうだろう。失敗から学ぶ代わりに、成功事例を検証することに力の大半を注ぎ込むのだ。正しかったのは何か? 上手くいったのは何か? 上手くいった理由は? 今後も上手くやるには? 重箱の隅を突つくより、良いものをより良くすることに目を向けたらどうだ? いつまで俯いてるんだ。もっと胸を張れよ。

「次もこれでいける」というのと「これはもう2度とやらん」というのでは、月とスッポンの差がある。前者の方が後者より良いのだ。

確かに「山川草木、是我師也」ではある。良きにつけ悪しきにつけ、そこから学べる事はある。だが、学ぶ事全てが等しく価値を持つというわけではない。過ぎた事について考えを巡らせる際は、失ったものではなく得たものに焦点を当てよ、というのが私の見出した真実だ。成功から得られる教訓は、成功を今後の成功へと繋げる、より良いチャンスをもたらしてくれる。

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