ラベル 千夜千冊 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 千夜千冊 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年1月1日金曜日

[Greasemonkey] 千夜千冊の該当ページを開くスクリプト

連環篇になってから運営形態が変わったようで「1337夜」といった千夜千冊サイト内リンクは、公開後少したってからリンクが張られるようになったようだ。そういったリンクは連環リンクとして最後にまとめてあるし、少し待てばリンクも張られるようなのだが、それまでの繋ぎということで、書初めにも丁度良いのでグリモンのスクリプトを書いた。

やっていることは単純で「マウスで数字を選択してから Shift+Ctrl+クリックまたは Shift+右クリックすると千夜千冊の該当ページが開く」というもの。テキストの数字をダブルクリックすると数字部分だけ選択出来るので、そのまま Shift+Ctrl+クリックすればOK。前後に余計なものが入ってもmatch(/¥d+/)で取り除いているので選択はある程度大雑把でもいけるはず。全角半角処理やゼロ詰処理は車輪の再発明ぽいけど、まぁ書初めということで良しとしましょう。ちなみにaddEventListener('contextmenu')なので、Windowsでは Shift+右クリになるかと思われ。あと、ポップアップブロックをしていると最初の呼び出し(window.open)時に警告が出るので、許可してやればその後は出なくなります。

GitHubに上げましたので人柱上等な方はどうぞ。opensenya.user.js
// ==UserScript==
// @name opensenya
// @description 「1337夜」等の数字を選択して Shift+Ctrl+クリックまたは Shift+右クリックすると千夜千冊の該当ページが開きます。
// @include http://www.honza.jp/senya/1/matsuoka_seigow/*
// @version 0.0.5
// @author outZider
// ==/UserScript==

(function() {
function fz(num, digit) {
var s = String(num);
for (var i = 0; i < digit - String(num).length; i++) s = "0" + s;
return s;
}
window.addEventListener(
'contextmenu',
function(e) {
if (e.shiftKey) {
var selection = window.getSelection();
if (selection.rangeCount) {
var s = String(selection.getRangeAt(0)).replace(/[0-9]/g,
function (w) {
var z = "0123456789", h = "0123456789"; return h[z.indexOf(w)];
}).match(/\d+/);
if (s && (parseInt(s) != 0)) {
if (s < 1330)
window.open("http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya" + fz(s, 4) + ".html"); // 放埒・遊蕩篇
else
window.open("http://www.honza.jp/senya/1/matsuoka_seigow/" + fz(s, 4)); // 連環篇
}
e.preventDefault();
}
}
},
true);
})();


2010/01/07 追記:
コンテクストメニューが使えなくなっていたので Shift+Ctrl+クリック または Shift+右クリックで開くように修正しました。上のリンク先は修正済みのもの(version 0.0.5)になってます。
ちなみに年明けの1339夜は最初からリンクが張られていますね。1338夜はまだリンクが張られていないところを見ると、年末進行で編集作業が忘れられていたと言うだけのことなのかな。

2009年12月21日月曜日

[メモ] 教育・読書・習気・半分

松岡正剛先生が岡潔『春宵十話』を千夜千冊している中で、岡潔の考えとして
日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。
 自分がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。そして、自分に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。
という一節を示している。この一節を目にして、私は、梅園談とされる『洞仙先生口授』の
一、天地を知らんとならば、先(まず)天もなく日月山河もなく、人に聞きたることもなく、見たる事もなく、まして書物は猶読みたることもなき身が、ひよつとそこに出で来て、扨(さて)、かわつた物の見ゆる物があるぞ、きこゆる物があるぞ、なにやら思ふ物があるぞと、はて、あじな物が出(いで)来て、先(まず)、是がをれ(俺)と云物なるべしと思ふ場より、物ごとを知りたり思ふたりするくらひになりて、それから工夫を下すべし。
という一節を思い出した。「知」について自力で最初の一歩を踏み出せるようになるまでは、周りがおかしな干渉をすべきではないという主旨が共通している。今でもやはりそうなのだが、所謂「習気」に自分をどっぷりと浸けることが、昔から教育の肝要とされてきた。それが「大人になる」ということなのだと看做されてきた。

この方法は半分正しいが、残り半分は「習気(ドグマ)に安住する」という害毒をもたらすことになる。梅園はこの習気の害毒という半面に特に注目し、それを排することが重要であると自らの自然哲学を通じて述べている。「一、一即一」の思想を追求した梅園が習気の害毒と言う半面だけをことさら取り上げ、残りの半分についてあまり言及しなかったのは不思議なところではあるが、その理由は、やはり当時も今と同様「オトナ」がのさばる一面的教育が世界を覆っており、そんな世界の風通しを良くするには、ある種のポジショントークが必要だったからなのだと思う。

それでは、習気の残りの半分はどうなのかと言うと、いきなり具体例で恐縮なのだが「寺山修司言うところの『書を捨てよ』は、実は、『書に即け。爾後、書を捨てよ』というコンテキストで捉えないと滅茶苦茶になる」といった主旨になるかと思われる。習気を去るならば、まず習気に首まで浸かってみろ、ということであり、個性を開花させたかったら、いったん型にとことんはまってみろ、ということだ。型に納まり切れなくてはみ出した部分、それこそが個性であり「その人の持ち味」なのだ。

読書や教育というもの(というか、もしかすると、全てのもの)は、そもそも、効能と害毒を併せ呑む覚悟で臨まねばならぬものだ。これを忘れたとき、読書や教育というものは単なるビジネスとなる。そしてこのビジネスにおいて業即是業の原則が忘れられている場合は、もはや最悪である。

2009年1月9日金曜日

[37signals] 考えるよりも行動?

(原文: Leap before you look?)

Crate & BarrelのCEOであるGordon Segalは、分別が無かったからこそ事業を軌道に乗せる事が出来たのだ、と語っている。
「小売業に関する知識なんてまるでなかった」とSegalは当時を振り返る。「私はレストラン業務を通じて育ったので、サービス業に関しては知っていたけれど、小売業については知らなかった。値下げ額の動向を通じて価格の相場を把握するという事も知らなかった。輸入業務についても知らなかった。実際のところ、23歳という若さと分別の無さのおかげでここまで来れたのだ。前進に必要なのは情熱だけなのだし、深く考え込まずに猪突猛進することだね」とSegalは述べた。

「私たちのやったことはまさに1960年代のカウンターカルチャーの物語そのものだったんだ」とSegalは語った。「私たちは文字通り梱包をひっぺがし、商品を積み上げて商売したんだ。やり方が変だとは全く思わなかった。そりゃもちろん、みんな店に入って驚いてたよ、若僧二人でこんな商売を始めたということと、フランスの陶器やスウェーデンのガラス器具やデンマークの食器類を私たちが見つけ出してきてオールドタウンというシカゴの狭い通りにある店に持ち込んだことにね。今振り返ってみれば、店舗面積わずか1,700平方フィート(訳注: 約158平米)の小さな店に商品を入れることが出来ると思っていたんだから、全く、正気の沙汰じゃなかったよ」
君はこう思うだろう「業界ルールを知らなかったからこそ成功した、世間が考えているようなやり方を理解していなかったからこそ成功した、なんていう例が他にいくつあるだろう?」

私たちはずっと「転ばぬ先の杖」と教えられてきたが、この世にはSegalのような「考えるよりも行動」で成功を勝ち取った人もいるのだということを耳にすると興味深いものがある。

それじゃあ分別は成功への道ではないとでも言いたいのか? いやいや、もちろん大概の場合は分別こそが成功への道だ。だが、時によっては分別を欠いたものこそが勝利するのだ。NFLのクオーターバック達がいい例だ。月並みな話だが、最も賢いものが最も良いとは限らないのだ。
プロフットボールのドラフト選考にかけられるクオーターバック達はワンダリック人事考査テストという知能テストを受ける必要がある。1999年のドラフト一次選考を受けた5人のうちで唯だ一人殿堂入りを果たしているDonovan McNabbのワンダリック人事考査テストの点数は5人のうちで最も悪かった。他にMcNabbと同じくらい点数が悪かったのは誰がいたのだろう? Dan MarinoとTerry Bradshawが同じくらい点数が悪かった。二人とも素晴らしいクオーターバックだ。
こういったクオーターバック達は、ある意味、高い知能指数を持ち合わせていなかったからこそ成功を収めたのだろう。物事について深く考える知性ではなく根性で切り抜けてきたのだろう。

まぁ、無教育バンザイとか言いたいわけじゃないんだ。考えるよりも行動せよというのが他国を侵略する際の一番良いやり方ではないんだよなぁ。でももし君たちが、起業とかがそうなんだが、何かちょっとしたリスクを伴うような事をする際には、反対者達、つまり計画を立てたりリサーチしたりテストをしたり勉強したり競争について学んだりといったことに莫大な時間と金を要するなどと主張して君に反対する人たちの事は無視するのが賢明だ。時によっては、自分が無知であることを気にしない事や、案ずるより産むが易しで世に何かを送り出す事こそが真に重要な事になるのだ。


訳者コメント:
最後の段落の "Leaping before you look isn't the best way to, say, invade a foreign country." の say に「なぁ、イスラエルさんよぉ」というコンテキストというか空気を感じたんですが、どうなんでしょうね実際のところ。

それはさておき、松岡正剛先生がこのタイミングで老子を千夜千冊してくださった事にシンクロニシティめいたものを感じましたよ。「聖を絶ち智を棄つれば、民の利は百倍す」という老子のパラドクシカルな一節と、現今の混迷を乗り切るメソッドとして37signalsが提示してくれたこのエントリ。同じ通奏低音が響いています。