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2009年2月11日水曜日

[一言居士] たわごと

自然言語って実は全然「自然」でない。その理由も大体見当は付く。人間もしくは人為というものが、本質的に、不自然であることから逃れ得ないからだ。

自然においてあまりにも弱々しい人間達に与えられた不思議なハード・ソフト複合体。それが生成文法というものだったんだろう。

その林檎の代償として、人は不自然を大量生産し、貪り食う存在になった。生きたければ血まみれになれという自然の摂理は、臭い自然に蓋ということで隠蔽されたが、不自然から逃れ得ないのと同様に自然からも逃れ得ない以上、それは人間につきまとい、不自然という殻のなかで脈打っている。とあるクリエイターがこのコンセプトに原罪という名前を付けたのだが、フォロワーによって未だに書き散らされているシナリオにより、その公演は超ロングランとなっている。

老荘の始点(即ち終点)もまた、自然と不自然のせめぎあいを見つめるところにあった。その言説はなんという壮大にして豊饒なる、言語の無駄使いであったことか。言語の限界を示す為だけにあれだけの言語を尽くしたのだ。でも、それで良いのだろう。おそらくそれが人為の限界なのだから。「人知に即き、人知を捨てる」という円環の中で延々と暇潰しを続ける。我ら死すべき人の身に出来る事といえばそれだけなのだ。

2008年12月18日木曜日

[一言居士] もしかしたら ...

もはや「小さい事は良い事だ」ではなく「小さくなければ生き残れない」というところまで来てしまったのではないか?

今世紀の課題として、国や企業についてだけじゃなく、おそらく個人レベルでそれが求められるようになるのではないか?

それも個人のライフスタイルといったレベルではなく、文字通り、物理的に小さくなる事が未来において求められるのではないか?

ブラックジャックの「ちぢむ!」というエピソードを思い出した。

2008年12月16日火曜日

[一言居士] ご冗談でしょう、池田さん

ネタ元: [池田信夫 blog] ハンコ・元号・縦書きをやめよう
(私はヘタレなのでトラバはいたしません)

どう考えても釣りだとしか思えない。話の持って行き方から見ても、当たるを幸いに言い掛かりをつけているとしか考えられない。

確かにこれまでも2chやはてなに対する粘着ぶりから、氏の「坊主憎けりゃ」的スタンスは世に知られて来たし、それもまた氏の持つ味わいであると、私などは考えてきた。

本件に関しても、好意的に捉えるならば「たぶんタイトルが大雑把すぎるのだ」という見方もあるわけで、氏の言わんとするところは「公文書において」ハンコ・元号・縦書きをやめよう、というだけのことなのかもしれない。それならば同意出来る。

でももし本気でタイトル通りだとしたらかなり困った事だ。

縦書きについては、認知科学領域での議論にも見られるように、日本というシステムが長年育んできたリテラシーそのものに関わる問題を含んでいるし、そもそも「PCで見づらいから」というのは何の理由にもならない。いつまで現状のアーキテクチャにしがみついているつもりだ? 何故我々日本人の最大の資産である日本語を最大限に表現出来るアーキテクチャを作るという方向に思考が向かないのだ?

元号にしてもハンコにしても同様の問題が待ち構えている。「面倒だから」「意味が無いから」「過去の遺物だから」「邪魔だから」といった一見もっともらしい理由のもと、切り捨ててはならないものまで切り捨てた結果がどうなったか、知らない訳じゃなかろう。中共による簡体化促進・維新期の廃仏毀釈・戦後の漢字制限。枚挙にいとまがない。

過去とは捨てるべきものではなく、無かった事にするべきものでもない。粛々と保存し記憶するべきものだ。保存し記憶する事すら忘れてしまった文明の末路は不毛だ。ミューズ九女神の母はムネモシュネーであるということをお忘れか?

オッカムの剃刀は非常に便利だが、切り捨てられたものの屍累々たるありさまについても考慮しなきゃダメだろう。切り捨てるならば切り捨てるで構わないが、それを実行するのは代替品が十分に成熟してからだ。日本人はそういった成熟をじっくりと腰を据えて、それこそ数百年のオーダーでやってきたではないか。

まぁ、こんな事書くと「保守派」とか「旧守派」とか「文化をふりかざす輩」と呼ばれちゃう訳だが。

ということで、氏の卓見と玲瓏を愛するものの一人としては、今回のエントリから窺えるような氏の一側面はざっくり切り捨てられないものかと心底思った。「全肯定も全否定も大雑把過ぎ。別に完璧でなくたっていいじゃん」というのが持論の私ですら、今回ばかりはそう感じたのだ。

2008年12月12日金曜日

[一言居士] ご冗談でしょう、ノーベルさん

本件はMacユーザ限定ネタなのだが、とりあえずこちらのサイトに行ってみて欲しい。ノーベル財団のホームページにアップされた、物理学賞受賞者である益川敏英氏の受賞記念講演動画だ。

益川敏英氏の Nobel Lecture

そうなのだ。基本的にMacユーザは無視なのだ。WindowsMediaPlayerもしくはbadwareとの呼び名も高きRalPlayerでないと見れないのだ。ちなみに私の環境ではWindows Mediaの方をクリックするとFlip4MacのFirefoxプラグインが起動するのだが、UIが化けてしまい再生出来なかった。

「せめてFlashにしてくれよ」と文句たれそうになったが「もしかしたら気を利かせてようつべに上げてくれたのかな?」と思い検索してみたが、どうやら、無い。

うむ。そういうことですか。前から怪しいとは思ってましたが。そういうことですか。うむ。こういうことやってると「所詮は人殺しとその一味が道楽でやってるだけってことかよ!」とか言いがかりつけちゃうよオレw

ちなみにWeb上では "masukawa" でなく "maskawa" で認識されているようで、ヒット件数が一桁ちがう。表音文字圏と表意文字圏の壁がこんなところにも!ってのは言い過ぎかねw。でもSEO/SEM的にはネタになりそうだな。

2009/06/03 追記:
いま行ってみたら、Flashベースのプレイヤーに置き換わっていました。最初からそうしてくださいよー、お願いしますよー

2008年12月8日月曜日

[一言居士] 寒い寒いと言ってても暖かくはならないよ

もういい加減、不景気不景気とアホのように繰り言するのはやめてくれないかな。

不景気、大いに結構じゃないですか。不景気により無駄が排除され、生活が、そして社会がよりシンプルになるという期待感を持っているのは私だけですか? そんな無駄のひとつがオレだという可能性も含めて、ワクワクしてるんですがね。

不景気で車が売れない? 結構な事じゃないですか。車なんてもともと一般人にとって必需品じゃないでしょ。物流分野や車以外の交通手段に乏しい地方に暮らす人等、車を必需とする人々が買えば良いだけのものです。二酸化炭素排出量や交通事故の減少等にとどまらず、我々の社会から不要な車が減るという事は色々な意味でポジティブな影響をもたらすと思いますよ。

新聞・雑誌が売れなくなる? あぁ、君たちもう要らないからw。フローとしてもストックとしても、グローバルとしてもローカルとしても、ソーシャルとしてもパーソナルとしても中途半端なメディアはどんどん潰れていただきましょう。社会が必要とする、真に優れたアーチスト・エディタ・ジャーナリストはどんなメディアであっても自分の居場所をきちんと作りますから、系列がひとつやふたつ(あるいは全部?)潰れたところで屁でもないんじゃないでしょうか。

福祉が削られる? 仕方ないでしょうね。どうやら国の方針は「金づる以外はどんどん死んでください」ですから。たぶん政権交代程度ではこの方針は変わらないでしょう。それに、郵政民営化をはじめとする「小さな政府」なるものへの流れを是とした国民がいまさら言う台詞じゃないでしょ。

まぁ「オッカムの剃刀」が複雑性の過剰を戒めているように、不足というもの、言い換えればシンプル性の過剰というものもまた戒められなければならないということは了解しています。ただ、針が複雑性の過剰の方に振れすぎた現在、ある程度の揺り戻しは必要でしょう。不景気というものがこういった揺り戻しとして作用してくれると、私は期待しているんです。

2008年12月6日土曜日

[一言居士] コンピュータと「空」

私が「コンピュータとは何か?」について定義するとしたら、松岡先生が言うところの「空(うつ、うつろ、うつろひ、うつつ)」の概念が一番しっくり来る。それ自体は銅鐸のように空っぽで虚しいハードウェアなのだが、ソフトウェアが「おとづれ」ることによって始めて息づき始めるという意味でだ。コンピュータは銅鐸のような呪具すなわち「工」の現在形なのだろう。

コンピュータにおける「おとづれ」のありようは、まさに文字通りのコーディング、すなわち結線(ムスビが発生している!)によるロジック構築に始まり、時を経てアセンブル・コンパイルへと進み、そのメディアも物理媒体によるインストールからダウンロードそしてクラウドに至っている。Microsoftはクラウド への取り組みに関しAzure(蒼天・天空)を発表したが、その中味と将来性は置くとして、その名前の意図するところは深遠にして示唆に富んだものになっているわけだ。深読みし過ぎかなw

「色即是空」にも見て取れるように「空」はコンピュータの定義というよりは、もともと人間の定義に用いられて来た。なぜコンピュータの定義にもなりえるのだろう? それは多分、コンピュータは(というより、おそらく人の作りしものはみな)人の子であるからなのだ。ココネさんはそれに気付いたし、アルファさんも「知ってるよ〜」と寝言で(これ重要)答えていた。

たぶん、この事に気がつかないと、人とコンピュータの関係はいつまでたっても改善されない。人とコンピュータの関係が主従関係からパートナーシップへと変わるのがいつのことか、私にはわからない。だが、確実に言えるのは「人間に奉仕するものとしてのコンピュータ」という人間中心の捉え方では限界があるという事だ。今後は(今後も?)「コンピュータに好かれる」術(すべ)を身につけた人間だけが、コンピュータといい関係になれるのだろう。

「コンピュータに好かれる」術とは、従来はプログラミング能力のことを意味してきたが、ソフトウェアの層が厚くなってきたこんにちでは、プログラミング能力に留まらず「コンピュータに好かれる」術が色々と存在する。表記ゆらぎの正規化や手書き認識における筆順の遵守などもそれにあたるだろう。配慮・思いやり・信頼関係というものは、人間とつきあう場合もコンピュータとつきあう場合も、同じくらい重要になってきたのだ。

付喪神はそんな「人とモノのつながり」を良きに付け悪しきに付け背景として持っているものが多い。巫術という観点では、たとえば豢竜氏は人と竜の相互信頼関係があって始めて成り立つ職掌である。符術もまたスクリプティングという観点から捉える事が出来よう。そういう意味で、やはりコンピュータもまた呪具なのである。「工」なのである。

なお、白川先生が常用字解に記すところでは、空は穴に声符の工を付けた形声字であり、この工は「虹(にじ・コウ)のような弓なりに曲がった形」を意味するとのことで、呪具の「工」そのものではない。工を声符に持つ虹は、虹のような形としての工となって空にまた現れてきたわけだ。そういう意味では「空」の持つ字義、すなわち「うつ、うつろ」まで遡らないと「コンピュータ=空」という私の論は成り立たないという事を付記しておく。

2008年11月30日日曜日

[一言居士] やめとけ。諸君のやろうとしているのは漢字の再発明だ。

元ネタ: Google Japan Blog: 絵文字のユニコード符号化: 符号化提案用のオープンソースデータ

一言で言うと「つまんねぇことすんな」

理由はとりあえず4点

(1)標準化など不要だから

標準化というものを全否定するつもりはない。アドホックな標準化作業の積み重ねでしか達成し得ない事もあるというのは理解している。だが「どっからどうみても売れそうに無い製品を作らなければならなくなったエンジニアの悲哀」と同じ臭いを、俺はUnicodeに感じている。UTF8などの成果物を常用しつつも、その根底にあるのがいかにも中途半端なコード表でしかないということを意識してしまうと慄然とせざるをえないのだ。

そもそもUnicodeコンソーシアムに何かを期待する方が間違っているのかもしれない。「全ての文字をコード表にマッピングすりゃいいんだろ」という安易な発想が根底にある以上、見込める成果など知れたものなのだから。そんな姿勢はサロゲートペアという、目的と手段が完全にひっくりかえった醜悪な実装にもよく現れている。

本当に必要なものであれば、ユーザは自ら発明し利用し広める。標準化機構の出る幕など無い。というか、標準化機構の仕事って「ユーザの足を引っ張ること」になっちゃってねぇか?

(2)標準化など不可能だから


絵文字の表現力は「笑アイコン」ひとつ取ってもそれが「莞爾」なのか「冷笑」なのか「微笑」なのか「嘲笑」なのかわからないお粗末なものだ。これらひとつひとつについてアイコンを一個一個定義していくのか? 漢字が、少なく見積もっても三千年かかってやってきたことを一からやり直すのか? 正気の沙汰じゃねぇ。

「いやいや、その数を限定するのが今回の目的なんだよ」というのが本件の主眼であることは理解している。何を取り込み何を切るかについて、何らかの権威のもとで定義しておこうというわけだ。

よろしい。あえて挫折を繰り返すというのだね。所詮完璧なものなどできないのだから目先の事だけでも片付けようと言うのだね。私は手を動かす事それ自体には何の価値もないという考えの持ち主だが、諸君がやるというならば、その意志は尊重されねばならぬ。

だがそれでもなお問わずにはいられないのだ。その先にはさらに苦しい道のりが待っているということを理解した上で言ってますか? と。

なぜなら、絵文字・アイコン、というかその本来の姿である「イコン」というものは、それに関する十分なコンテキストが提供されていなければユーザ間のコミュニケーションに利用出来ないものだからだ。リテラルコミュケーションですらそういったコンテキストは不足しがちなのに、全く新しい記号体系に関してそれを提供する覚悟はおありですか?

あぁ、そういったアイコンとコンテキストのペアは既にユーザによってネット上に日々アップされてるから不要だと申されるのですね。じゃ、君達いらないじゃんw。おっと、このwもemoticonだったね。失敬失敬。

(3)絵文字自体の重要度が低いから

上でも述べたように、本件はまさに「漢字の再発明」であり「もっと他にやることあるだろう」と言わずにはいられない。自然言語処理、コーパス利用条件の緩和などいくらでもやるべきことはあるはずなのに。

なぜ絵文字のユニコード符号化などというしょうもないことにGoogle(もしかしたらGoogle Japanだけ?)が血道をあげるのか不思議でならない。おおかた「他がやってるからウチも」というレベルなんだろう。頭の悪い営業戦略を見ているようで笑える。

まぁそこは世界のGoogleということで「心配すんな。今回はうるせーやつがいたからちゃっちゃと片付けただけなんだよ。本道もきちんとやってるぜ。そのうち見せてやるから楽しみにしてな」という頼もしい声明が出てくる事を期待している。

余談だがDave Winerの記事に絵文字が出てきた時には茶ぁ噴いた。やっぱりこのおっさん、本当は何もわかってないんじゃなかろうか?

(4)日本人の、つまり日本語のためにならないから

ネガティブと呼ばれるのは百も承知の上で言う。

本件について「日本発の文化が世界に!」とか言ってる連中は全然ダメだ。この程度のことを日本の文化と呼ぶようではご先祖様が泣く。日本の文化、そしてその精華でありプラットフォームである日本語を築くために死闘をくりひろげた先人達がうかばれない。

「ことのは」「ことだま」をないがしろにしておきながら、こんな出来損ないを世界に輸出するというのは日本の・日本人の・そしてなによりも日本語の未来のためにならない。実際、BUKKAKEとかHENTAIとかと同じくらい恥ずかしいレベルだぜ、こいつはよ。

ちなみに本件は、先日の日本人ノーベル賞受賞者濫発と同じ臭いがする。日本人もなめられたものだ。まぁ仕方ないか。それこそUnicodeというお仕着せのアーキテクチャの上でしかその存在が認められていないんだからな。

いい加減なんとかしようや。

2008年11月26日水曜日

[一言居士] ダメだこりゃ

元ネタ: 日本のケータイは本当にガラパゴス化なのか!?

いまだに高画質・ガジェット・機能と言ったものを競争ファクターとして臆面も無く挙げるあたり、なんかもう「ダメだこりゃ」としか言いようが無い。
すでに先人達は世界に戦いを挑みに海を渡っているのです。その当時世界は日本の進みすぎたシステムを受け入れることが出来なかったのではないでしょうか。文化は押し付けるものではありません。求められて広がっていくものです。
というくだりは至極ご尤もなのだが、ご尤もなだけで情報価値としてはゼロだ。「その当時求められていたものを日本のメーカーは見抜けなかった」と言った方が、薬効成分があるだけまだマシだ。

「お家芸復活」とか、いつまで右肩上がりのころの夢をみているのか。成功体験という害毒に侵された人の良い見本である。

「すでに優位性がなくなった」とぶっちゃけるあたりは正気を疑うしかなく、もし本気だとしたら職務放棄も甚だしい。こうした人物がご意見番になっているのが日本のモバイル業界なのだとしたら、これからもお先真っ暗ということで間違いない。

2008年11月24日月曜日

[一言居士] 末期的?

元ネタ: $500 million in advertising??? Did I use the Jump the Shark joke already?

Daring Fireball にて「Microsoft論壇も堕ちたもんだ」と John Gruber に言わしめたこの記事。たしかにこれはひどい。こういうのが出てくると「MS陣営必死だなw」としか思えなくなってくる。

コメント欄も見事な炎上ぶりで「林檎の旬は過ぎたってか? 寝言は寝て言えや、Paulさんよ」を始めとする微笑ましいコメントであふれている。顔を真っ赤にして殴られ続けている Mike と、殺る気満々の Lindy が互いに「かかってこんかい」と挑発するあたりは、もうたまりません。

2008年11月22日土曜日

[一言居士] かわらぬもの

ネタ元: [CNET Japan] ITベンチャーの生きる道とは?

エリック松永氏、クロサカタツヤ氏は相変わらずのブレない姿勢が素晴らしく、西山圭氏の回答もとぼけた風味の中に皮肉が効いた逸品です。

で、その他ですが、とりあえず「不況下でよくがんばった!感動した!」という感じの間抜けな回答を寄せたパネリストは全員不合格というかマイナス点を付けてもいいでしょう。

不況下だからこそベンチャーでしょうが!

経済状況がどうであろうと、誰も知らない and/or 誰もやっていない仕事を創造するのがベンチャーでしょうが!

ベンチャーの生きる道というものは今も昔も変わらないはずでしょうが!

9月くらいまではベンチャーの特徴のひとつであるフットワークの良さとその重要性について喚き立てていた方々も、周りが不況不況と騒ぎだすとこういったところで馬脚を現すわけです。

一方 Jason Fried とその一味は「不景気?なにそれ?それっておいしいの?」とでも言わんばかりの相変わらずのベンチャーぶり。これじゃ勝てんわなw

2008年11月18日火曜日

[一言居士] いまどきの生産性ツールとは何か?

[ars technica] Most users don't office in the cloud: 1% use Google Docs

この手の話題が出るたびに思うのが「生産性ツールという既に小さくなりつつあるパイを死守しようとしているMicrosoftに対し、本業のオマケとしてやってるだけのGoogle」という図式と、その点を理解せずに数字だけ並べて「Microsoft盤石」と鬼のクビをとったようにはやしたてる人々のことです。

彼らは「Microsoft OfficeやOpenOffice.orgといったOffice suites=生産性ツールである」という考え方自体がもはや前世紀の遺物なのだということに気付いていないようです。GMailやブログやFlashは生産性ツールではないとでも言うのでしょうか? Officeは無くてもなんとかなりますがzoteroなしではやっていけないんですけど、駄目ですか?

生産性ツールとは何か?というカテゴリ分類の問題でもありますから一概には言えないにせよ、生産性ツールの概念が変質しつつある、もしくは生産性ツールについて真に「生産性」が求められるようになってきている、というのは同意いただけるところでしょう。単なる清書・出力アプリとして「現状の」Microsoft Officeは残るのかもしれませんが、いまどきそんなものを生産性ツールと呼ぶのは気が引けます。

この記事のタイトルには、景気後退と並んで今一番のバズワードであるクラウドも登場しており「クラウド対スタンドアロンのアーキテクチャ比較ネタかな?」と期待を胸に読んでみましたが、それらしきストーリーは皆無。ええ、勝手に期待した私が悪いんです。

というわけで、DocsとOfficeを並べて比べる事自体ナンセンスだってことです。ars technicaもこんなくだらない提灯記事載せちゃ駄目ですよ。

2008年11月9日日曜日

[一言居士] 理の産んだ陥穽を理で埋めようとするの愚

[404 Blog Not Found] 今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき

自らの業績を「あくまで延命策」と謙遜し、その上で、最も必要とされながら未だ世に存在しない「日本語をコンピュータ上で扱うためのきちんとしたアーキテクチャ」への指向を垣間見せる良エントリ。

とでも書いておけば万事丸く収まるのだろうか。

小飼弾氏に関して「所詮マッチョだから」カードと「所詮自慢話だから」カードのコンボが面白いように決まる理由は、このエントリからも見出す事が出来る。理という筋肉を過剰なまでに鍛え上げ、見せつけるボディビルダー。そしてその汗臭さ。合理への道は神経症への道でもあるということは、彼ほどの知見があれば気付かぬはずが無いのだが。

「水村美苗のように文化論的に語る事は出来ないが、文明論的に語る事なら出来る」という言からは、著者に対する謙遜というよりは、自らが摂取してきたものに対する過信と思い上がりが窺える。

彼の文明論が、武将の名前をずらずらと並べるだけの三国志厨と同水準であるということは、これまで披露されたエントリからも明らかなのだが、それに気付かないもしくは気付かないふりをしているという状況が見受けられるのは、彼および彼の周辺に裸の王様とその取り巻きという物語類型が成立しているからであろう。

彼の誤謬、彼の文明論の底の浅さは、彼の依拠するところであるコンピュータ・サイエンスの人文に対する洞察の未発達性、底の浅さに根を持つ。必要なのは「いまだコンピュータ・サイエンスはサイエンスたりえていない」ということを謙虚に認め、そしてそのさらに奥にある「サイエンスは『サイエンス』たりえない」という、今から丁度1世紀ほど前に噴出した諸事について再検討する事であろう。

シャノンもノイマンもチューリングも、自身の言説を不磨の大典として扱われる事には反対するに違いない。彼らもまた、積み重ねられた人文の深みに到達せんとしてコンピュータ・サイエンスの道を拓き、後事を我々に託したのだから。完成した体系としてでなく、我々の手で構築し続けるものとしてのコンピュータ・サイエンス。彼の意識にもそれはあるはずである。

だが彼は今や、自分自身が「瑣末な実装に血道を上げる奴ら」の一員であることを露呈してしまっている。人文をも理の構成要素として喰い散らかす彼は、相変わらず理の餓鬼道を逝くしかないようだ。

[一言居士] 厨発言

もういい加減「全否定か全肯定か、どちらかしかない」というのはやめにしないか?

少なくとも俺たち日本人は、多神の国という土壌が育んだ伝統の上に魂を置いている。それを否定して原理主義を持ち込んだ結果、どうなった? 唯一の結論が出せない、白黒付けて安堵することが出来ない、というのがそんなに苦痛か?

いいじゃねぇか、迷い続けたって。

だって俺たち「死すべき人の身」は、嫌でもその時点その時点での結論を出し、その結果を引き受けなければならない存在なのだから。

それに、単に「考える」という事以上に、「考え続ける、悩み続ける」という事が人生の無聊を慰めるものだということは、諸君も良く御存知のはずだ。どうせ暇つぶしなんだ。暇つぶしのネタとしてはもってこいじゃないか。原理主義という麻薬がもたらす虚構に安住し、考える事を放棄するなんてのはご免蒙るよ。

俺たちの住むこの世界は、天国の持つ地獄的なまでの安穏と地獄の持つ天国的なまでの波瀾万丈とを併せ持つ、実にエンターテインメント性に富んだ、煉獄という名のテーマパークだ。楽しもうや。

2008年11月7日金曜日

[一言居士] 厨妄想

どうやら様々な点において「遊んでる場合じゃない」フェーズが終わり「仕事なんてしてる場合じゃない」フェーズに入ったらしい。「逃げて〜」とでも言っておこうか? まぁ何はともあれ、これでようやく捩れが解消される。これでいいのだ。

といったような妄想が、『カブのイサキ』を読み『ヨコハマ買い出し紀行』を読みかえして、浮かんできた。いや〜SFって、ホントにいいもんですね。

2008年11月5日水曜日

[一言居士] 猫も杓子もクラウド

「雲を掴んだような話」ってか? そりゃそうだ。クラウドだもの。