2010年9月3日金曜日

[メモ] ちょっとした提案

人の尊厳を支えているのは「生きる権利」ではなく「死ぬ権利」だ。生をサポートする省庁はあっても死をサポートする省庁は存在しないという現実がこのことを逆説的に証明している。

厚生省しか無いのは何故か。理由は簡単で、国家とは戦争のためのシステムだからだ。なにもドンパチやるだけが戦争ではない。実際、経済戦争はドンパチ以上に血肉と精神をむさぼる。生とは弾丸であり現ナマなのだ。「次の戦争を、次の次の戦争を」するために必要なのは生に他ならず、よって生は大量に生産・消費されなければならないものとされる。そこにあるのは生の尊厳ではなく、冷徹なバランスシートだ。21世紀に入ってすぐに厚生省と労働省が統合されたわけだが、これは、生きる事と労働する事、即ち戦う事はワンセットであるという国の方針をミもフタもなく示すものであった。

ということで、もし人の尊厳というものを真に重んじるのであれば、必要なのは、より良く生きる為に必要な厚生省ではなく、今はまだ存在しない、より良く死ぬ為の省庁だ。仮にそれを尊厳省と名付けてみよう。その設立趣旨は「安心して生活出来る社会」とセットになる「安心して死ねる社会」の実現にある。今や子供手当が出る時代なのだから、自殺手当も当然必要であろう。

どう見ても大きな政府を目指しているとしか思えない現政権にとって、尊厳省の設立は、生死に関するコントロール範囲の拡大と福祉負担の削減といった点から見て、実に有益だと思われる。尊厳省という名前はわかりにくいというのであれば国立姥捨山という方がわかりやすいかもしれない。如何であろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿