2009年3月5日木曜日

[メモ] 外人と人外

小泉八雲と妖怪の間には、外人と人外というシンメトリーがある。「日本人にとっては自分も妖怪も異界の者なのだ」という自覚が彼に妖怪への親近感を抱かせたというのは想像に難くない。それが彼をして『怪談』に至る数々の著作、『影』『骨董』等にも顕著な日本における彼岸観・異界観に着目した一連の作品を書かせたのであろう。

彼について表現する際にしっくり来る言葉に outsider がある。foreigner だとちょっと弱いのだ。そして outsider という言葉がしっくり来る作家といえばラブクラフトである。

小泉八雲とラブクラフトを繋ぐものの一つに、ヴードゥーへの着目がある。小泉八雲はニューオーリンズに約10年程住んでいた。そこで物書きをしていたのだが、当時の記事にヴードゥーに関するものが存在する事が知られている。「最後のヴードゥー」ことドクター・ジョンの死に当たって書かれた追悼文(1885年)にも見られるように、彼はニューオーリンズにおいて黒人社会を通じてヴードゥーとの接触を持っていた。来日(1890年)前の約2年間は西インド諸島に滞在し民話収集等のフィールドワークを行っており、その成果は『クレオール物語』に見る事が出来る。

一方、ラブクラフトでヴードゥーといえば『クトゥルフの呼び声』であろう。ルグラース警部の話として綴られている、ニューオーリンズにおけるヴードゥー教徒のおぞましき集会は、かの「ふんぐるい・むぐるうなふ・くとぅるふ・るるいえ・うがふなぐる・ふたぐん」という詠唱で最高潮に達する。

アメリカ人にとってニューオーリンズは魔界都市として認識されている、というわけではあるまいが、そんな異界ニューオーリンズをこよなく愛した小泉八雲は outsider としての素養を十分に持っていたようだ。

小泉八雲とラブクラフトを繋ぐものをもうひとつあげるとすれば『浦島太郎』にみられるような『深き者』との関わりがある。『夏の日の夢』にみられる浦島太郎への着目は、クトゥルフとしての乙姫・ルルイエとしての竜宮城という図式を思い起こさせる。実に日本らしく萌え萌えに描写されている乙姫も、浦島太郎にとっては結局のところ破滅の神クトゥルフであったわけだ。異界に赴きそして帰還した者を待つのは破滅だけなのだろう。「常世=竜宮城=蓬萊山」という、日本における異界的モチーフにルルイエを重ねるのはあながち間違いではないと思われる。

最初の妻であるマティ(アリシア)・フォリーが黒人だったというのも異界へのあこがれを反映している。『クレオール物語』所収の『ドリー』には、恐らくマティその人かと思われるドリーについて「その大きな、黒い、きつい、じっと見つめる両眼」という描写がある。これはまさにインスマウス面の魅惑的表現と言えよう。

異界に魅かれた彼ら。その異界を日本に見出し、同じ異界の者として妖怪について書き綴った小泉八雲。此界に幻滅し、幻想としての異界を書き綴ったラブクラフト。ともにその心底には outsider の喜びと悲しみがある。

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